2026年4月14日 (火)

刻々状況が変わる中で、高市自民党は、何をしているのか

 テレビで、トランプ大統領とネタニヤフ首相の映像が流れ、高市首相の無内容な国会答弁が聞こえてくると、いたたまれず席を立つが、気持ちが乱れてくる。これまで犠牲になった兵士、市民、子どもたちの命を思い、街への爆撃で舞い上がる黒煙と炎と逃げ惑う人たちの映像が再現されると、それが、どこの国の、どこの町であっても、なぜ、止められないのかと落ち込んでしまう。
 メデイアは、現地の民間人の犠牲者数と日本人の在住者数や無事の有無などを報じるのが常である。人間の命は平等なはずなのにといつも違和感を覚えつつ聴いている。
  犠牲となった兵士たちの数はどうして報じられないのだろう。軍事上の秘密だからか。日本人さえ無事であれば良いとするかのような報じ方である。今回の戦争で、米兵の戦死者は、星条旗につつまれ、大統領の敬礼をもって帰還している。英雄的処遇をすることによって、遺族は慰撫されているのだろうか。アメリカ国民はどう見ているのだろうか。かつて、日本の戦死した兵士たちは「英霊」として称えられていたことを想起する。父を、夫を、息子を失った家族にとっては、残酷なことであったことには違いないのではないか。私には幼児の戦争体験しかないので、すべてが疑問形になってしまう。

 

 4月8日、アメリカとイランの2週間の「一時停戦合意」後のイスラエルのレバノン爆撃、イランのイスラエルへの反撃・ホルムズ海峡封鎖、トランプ大統領のイランへの大規模攻撃という恫喝発言などが続く。4月12日のパキスタンの仲介によるイラン・アメリカとの協議は、合意に至らず、決裂、さらに、トランプ大統領は、軍事力によるホルムズ海峡封鎖を予告している。

 ペルシャ湾内に閉じ込められた船舶は、乗組員たちの暮らしは、どうなっているのかと不安になる。全体像が見えにくい中、やや古い資料だが、ウォール・ストリート・ジャーナル報道によれば、ペルシャ湾内には、3000隻以上の船舶が停留しているという。さらに、内閣官房発表によればで、「日本関係船舶」は45隻で、そのうち、日本籍船は5隻、日本人乗船船舶は5隻、日本人乗組員数は24人だという。日本籍船以外はいわゆる「便宜置籍船」である。とはいえ、便宜置籍船の多さと日本人乗組員の少なさとを今回はじめて知った。(内閣官房「ペルシャ湾内における日本関係船舶の状況(3月23日時点)」https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/chyutoujyousei/dai1/pdf/siryou3.pdf

 その後、ペルシャ湾の船舶から下船した日本人乗組員4人が帰国したと木原官房長官は記者会見で述べている(読売新聞 2026年3月30日)一時停戦後、3隻がホルムズ海峡を通過、日本人乗組員4人が下船しているのでペルシャ湾に足止めとなっている政府定義の日本関係船舶は、4月6日午後2時時点で42隻となっている(日本海事新聞2026年4月7日)。

 木原官房長官は、4月6日「船舶の運航については運航会社の判断であり、政府としての回答は差し控える」、4月13日午前の会見では、米イランの協議を念頭に「関連の動向を注視しているところだ」とし、「最も重要なことは今後ホルムズ海峡の航行の安全確保を含む事態の沈静化」「外交的な最終的合意への期待」を語るのみ。トランプのホルムズ海峡逆封鎖の受け止めを問われて「トランプ大統領の発言を含めまして、米国の政府関係者の発言、この逐一にコメントすることは差し控える」と答えている。
 高市首相も4月13日政府与党連絡会議で、「ペルシャ湾内にとどめ置かれている船舶、日本関係の船舶を含むあらゆる船舶の安全確保に向けて、引き続きあらゆるレベルで主体的に取り組みを進める」と発言。日本政府は、動向を注視船舶の安全を繰り返すばかり。茂木外相が電話でイランの外相に航行の安全確保の要請をしたというが、トランプ大統領からは日本は協力的でないと言われ、「できないことは、できない」ときっぱり要請したのだろうか。

 まして、日本国民の暮らしと安全を守ると言いながら、ガソリン価格対策として補助金を出したと言っても、財源は直ぐに切れるし、物価高に苦しむより多くの国民、石油関連資材不足に追い詰められている事業者への対策が見えてこない。


 そんな中で、高市首相は、イギリスのロックバンド「ディープ・パープル」と会って、ファンぶりをアピールしたとか、また、自民党大会では、世良公則に「「燃えろいい女」を歌わせ、最後のサビでは「燃えろサナエ~」との絶叫に、立ちあがって手拍手を送ったとか(時事ドットコム2026年14月12日)聞くと、政党の大会でやることかとあきれた。さらに、自衛隊の女子隊員に制服で「君が代」を歌わせもした。これは自衛隊法における自衛隊の中立性に違反して完全にアウトではないか(自衛隊法第61条第1項)。高市首相は、自衛隊員が歌うとは知らなかったといい、小泉防衛大臣は、記者会見で報告を受けてなかったいう。責任転嫁、無責任も甚だしい。こんな自民党が圧勝していたのだ。とんでもない舞い上がりの、まさに“言うだけ番長”を総裁とする自民党、「憲法改正の時が来た」と叫ぶ首相なのである。
 そういえば、高市首相が訪米の折、トランプ大統領主催の晩餐会で、ファンを自称しているXジャパンの曲が流れたからと言って、”絶叫“する首相でもあった。

【参考】自衛隊法第六十一条 隊員は、政党又は政令で定める政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法をもつてするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除くほか、政令で定める政治的行為をしてはならない。

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のどかな池の鯉、子どもの鯉が急に増えて驚いたが、この左手に続く池には、こまかいネットが張られていた。サギに狙われないように元気に育ってほしい。

 

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2026年4月 7日 (火)

被災地訪問に「原発と天皇」を考える

 天皇夫妻と長女の三人は、3月6日、福島県双葉町の県立「東日本大震災・原子力災害伝承館」を訪問し、設けられた献花台に花を供え、帰還した被災者と懇談している。双葉町は、原発事故後、町民全員7000人近くが避難を強いられ、今も町の85%は帰宅困難区域であり、2026年1月現在の人口は帰還町民と移住者をあわせて196人(朝日新聞デジタル2026年2月2日)という。双葉町ホームページによれば、県と復興庁の三者で毎年全国各地に避難している世帯の「住民意向調査」を行っているが、ここ数年、その回収率は、激減している(https://www.town.fukushima-futaba.lg.jp/9246.htm)。2020年3018世帯のうち1486世帯が回答49.2%、2023年38.3%、2025年29.3%という具合で、双葉町への関心自体が薄れている。というのも回答世帯の80%近くがすでに回答者自身ないし家族が所有する家があり、定住している。さらに70歳以上が50%超えるというのが実情である。関係者の努力があったとしても町としての復旧・復興は不可能に近いのではないか。

 そのような双葉町に訪れた天皇家の三人が、被災して帰還した三人、「東日本大震災・原子力災害伝承館」で語り部をする70歳の男性、ファストフード店で働く54歳の女性、町営住宅で管理組合長を務める76歳の男性が選ばれ、懇談している。「事故を起こした原発が立地する双葉町を皇室として初めて訪れ、被災者の話に熱心に聴き入り、復興への取り組みを励ました」という。76歳の男性には「多くの人が帰って来るといいですね」と天皇は話している(朝日新聞 20206年4月7日)。
 「寄り添い」「励ます」とは真逆のように、この訪問に際して、伝承館は4~7日は休館となり、6・7日は大規模な交通規制がなされている。

 そして、きょう4月7日には、富岡町のとみおかアーカイブ・ミュージアム、大熊町のlinkる大熊、同町の教育施設「学び舎(や)ゆめの森」、浪江町の道の駅なみえを訪問し、各訪問先で復興状況などを視察し、学び舎ゆめの森でも被災者と懇談するという。Jビレッジに一泊の強行日程の中で、三人は原発事故と津波の被災地の何を見て、被災者から何を聴いたというのだろう。復旧・復興のほんの「一画」をめぐり、数人の被災者と「懇談」したからといって、何が変わるのだろうか。にわか仕立ての献花台に花を供えて祈ることが犠牲者を追悼することになるのだろうか。

  原発事故から15年が経ち、今年の1月から3月にかけて、メディアは、復興の困難さ、原発回帰、原発再稼働、除染土や核燃料廃棄物の最終処分場の混迷など、特集記事や社説をもって、政府に疑問を投げかけるものが多かった。

 そんな中での、天皇一家の福島県訪問である。メディアの報道の仕方は、地元の歓迎ぶり、祈る姿、被災者への励まし・・・とそのパターンは変わらない。

 

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2026年3月30日 (月)

しょうけい館、昭和館を訪ねて(2)昭和館

 前日、北の丸公園を突切って田安門を出た折、右手に、九段会館と並んで銀色の瀟洒なビルが並んでいたのが、昭和館だった。今日は、昭和館の前も卒業式の晴れ着の女子学生たちが目立つ。

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田安門から昭和館を望む。

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昭和館前にも、卒業生たちが。

 昭和館にはシルバー料金の360円で入場、しょうけい館もそうだったが、出会う入館者がほとんどいなかったことは、やはり寂しい。
 ここでは、紙の資料ばかりでなく、実物の道具や機器、衣服などの展示、体験コーナーなど、博物館的な要素が大きい点が特徴なのだろう。
 壁面一杯の「学びの庭の壮行式」(1937年11月)は、土門拳により泰明小学校で撮影されたものだが、まず目に飛び込んでくる。朝礼台にはタスキをかけた六人の若者が緊張した面持ちで直立している。「学びの庭の・・・」の題は、土門が命名したものか。また、石川光陽「空襲下の東京」(1945年1月)、菊池俊吉「銀座四丁目付近」(1945年11月)の壁から迫る画像は、現在も、世界の各所から報じられている空爆による瓦礫の街を想起させる。
 この間、1937年7月、日中戦争が始まり、1941年12月太平洋戦争が始まり、1945年8月敗戦を迎える。これらの写真を背景にしての展示のなかで、目を引くのは、たとえば、1933年尋常小学校1年生が初めて手にする読本は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」であり、1941年国民学校1年生が手にするのは「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」に変っている。1939年の7月には、グリコのおまけに「軍歌集」が付くのである。1940年6月、NHKラジオから「隣組(岡本一平作詞、飯田信夫作詞、国民歌謡65集収録)の歌が流れ始める。1940年2月、愛国婦人会・大日本国防婦人会・大日本連合婦人会は解散、統合して大日本婦人会が発足している。1942年10月号の『文藝』に発表した太宰治の「花火」が全面削除処分を受けている・・・。ケース内に展示された、そんな資料を一点、一点、気ままに見ていくだけでも、かなりの時間がかかりそうである。

 併設の図書室もゆっくり見たいところだが、カウンターにあったブックリストはテーマ別に9枚のリーフレットになっていて、表紙画像入りで、15冊ほどが紹介されていた。私がすでに読んだことがある本、家に持っている本、手離した本などが散見できるが、読んでみたい本も多く、帰りの電車では、退屈せずに眺めていた。

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リーフレット表紙の写真がいずれも「米国国立公文書館」提供のものであった。日本では戦時下、占領期の写真や資料を残すという営為に欠けていたのだろうか。敗戦直後、官庁街では、資料を焼却する光景が見られたという。2015年10月、茨城県阿見町の「予科練平和記念館」を訪ねた折、練習生と起居を共にして撮影した土門拳のほとんどの作品が、不明で、自ら焼却したのではないかという記述に衝撃を受けたことがある。

今回の昭和館行きには、もう一つの目的があった。特別展示「昭和映画録~二度の黄金時代」であった。こちらは、無料で見られるだけあって、入場者はちらほら見かけた。しかし、その内容は、ポスター展のようでもあって、少し期待外れであった。1930年代、無声映画からトーキー映画となった時代と戦時下とGHQ占領期の統制時代を経て迎えた、1950年代の全盛時代を「黄金時代」と捉えている。戦意高揚の国策映画、占領政策の一環としての映画はトピックスとしての扱いであって、その時代を通して、時代に即して活躍した映画人たちへの評価が見えてこなかった。

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 総じて、厚生労働省社会・援護局所管の国立の施設で、1999年開館以来日本遺族会が受託、運営しているという性格上の限界なのか、残念なことではあった。

【参考】 
昭和館常設展示室紹介動画①②
https://www.youtube.com/watch?v=AU0jjju3hTc

https://www.youtube.com/watch?v=t8T8P-ta60M

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旧堀田邸・さくら庭園に向かう桜並木、昨日から今日にかけて一気に咲きそろった。3月30日撮影。

 

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2026年3月29日 (日)

しょうけい館、昭和館を訪ねて(1)しょうけい館

  3月24日、かねてより訪ねたいと思っていた「しょうけい館(戦傷病者史料館)」に出かけた。できれば近くの「昭和館」にも寄りたいと思った。竹橋の宿を早めに出て、九段下で下車、駅構内は、かなりの混雑で、ロボットが回って交通整理をしていた。「法政大学」の腕章をつけた人たちが要所要所に並ぶ。武道館での卒業式か。私たちは目白通りに面したしょうけい館に向かったが、10時に開館とのこと、少々の時間、近くを回ることにした。地図にある築土神社は十字路の広い坂を上ったところにあった。参道の上に高層ビルがかぶさっているような具合、靖国通りから階段を上って鳥居をくぐってゆく通勤の人たちにも出会う、近道なのだろう。

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築土神社ホームページより、一部加工。

 道路を渡ったところの標識には「中坂」とあった。その一帯は和洋学園で、「硯友社文庫」との看板もあるので、守衛さんに聞いてみると、土曜のみの開館とか。坂を上り切ると暁星学園である。今度は、目白通りに戻る坂を下ると「冬青木坂(もちのきざか)」の標識があって、正面には、しょうけい館があるビル、1階がローソン、2・3階の窓には「しょうけい館」の文字が見える。左手は、フィリピン大使館の高い石塀が続く。

 しょうけい館は、厚生労働省が戦傷病者の援護施策として戦傷病者らの戦中・戦後の労苦を伝える施設として、2006年3月に開設された。日本傷痍軍人会が運営にあたっていたが、201311月傷痍軍人会解散に伴い、民間委託に移行、イベント・展示などをプロデュースている「株式会社ムラヤマ」が運営している。常設展には、おおよそつぎのようなコーナーが設けられていた。知らなかったことも多く、忸怩たる思いもする。生家に近い池袋駅界隈には多くの白衣の傷痍軍人の人たちが募金箱を前に立っていた。ニセの人たちが多いと、大人たちの声を聞いて育ったことにも拠るのかもしれない。

①戦地に向けて ②戦地での受難、治療 ③搬送、戦時下での療養  ④家族とともに ⑤心の傷による労苦 

私がとくに印象深かった展示の一部を挙げるならば、

②では、暗いフロアに等身大の人形により野戦病院が再現され、そのリアルさに驚いた。ガイドブックの解説にあるように、「戦争末期の病院は、名ばかりのものだった」ことをうかがい知ることができる。

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ガイドブック7頁より戦地や野戦病院で包帯がなく、日章旗や褌などが代わりにまかれたという。

③では、横浜の山下公園に係留されている、かつて日本郵船の北米航路の客船だった「氷川丸」が、1941年11月、海軍に徴用されて病院船となったことを知った。南洋諸島、太平洋諸島の戦地から戦傷病兵を内地へと送る役目だったが、幾たびもの爆撃を受け、薬品や医療用品の不足から船上で亡くなる兵士も多かったことがわかる。また、戦地でハンセン病と診断された兵士の手記によれば、診断後は、医師・看護婦・兵士たちの態度が一変し、治療も生活も劣悪なものになったと綴られていた。オーストラリアの収容所から岡山邑久光明園を経て多摩全生園に転じた戦後もさまざまな差別に苦しんでいたことがわかる。昨年の夏、しょうけい館の企画展「戦後80年・戦争とハンセン病」は残念ながら見逃してしまっていた。

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ガイドブック9頁の一部。3枚のスケッチの右端、負傷兵は通常トラックで病院で運ばれるが、象で運ばれた戦地もあったことがわかる。

⑤は、新しく加わった常設展示ということで、簡単な4枚ほどのパネルで構成されていた。私は、タッチパネルにあった「国府台陸軍病院における精神・神経疾患一覧(1937年12月1日~1945年11月30日)」の資料で、1万449人の患者のうち、頭部外傷・癩癇1086人10.4%、精神分裂症4384人41.9%、ヒステリー1199人11.5%・・・という数字に出会った。これはほんの氷山の一角に過ぎないのだろう。

 というのも、近頃でこそ、戦後80年前後に至って、メディアは、いわゆる戦場体験者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)について報道することも多くなったが、日本政府は、その実態を把握しようとせず、対策も手つかずであった。戦傷病者の遺族、家族から戦後の夫や父親たちのさまざまな症状や行動に苦しんだ体験や報告がなされるようになった。なかでも、2018年発足した黒井秋夫さんを代表とする「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の活動については、今回、調べていて初めて知ることも多かった。会の活動とともにメデイアによる報道、研究者からの発信と相俟って、厚労省への要請も重ねた結果、今回のしょうけい館の常設展示にもつながったという。さらなる詳細な展示を期待したい。

 ベトナム戦争やイラク戦争からのアメリカの帰還兵たちのPTSDについて、いささか知ることになっても、日本の復員兵たちのそれにまで及ばなかったことにいまさらながら反省するのだった。

[参照]
・「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」ホームページ
https://www.ptsd-nihonhei.com/
・戦後タブーで研究進まず 戦病者67万人が精神・神経病との陸軍報告 これでも氷山の一角 トラウマ 埋もれた傷痕
産経新聞2025年8月8日
https://www.sankei.com/article/20250808-QYKXK2XETBKGHNEU6ZQA6TW2H4/
・未来に残す戦争の記憶心を壊した「熱血軍曹」の父 死後に知った戦争トラウマ、遺族の悔い
 

 企画展「戦傷病者と結核」にも、私には知らないことが多かった。父と長兄の二代続く薬屋に育った私は、ツベルクリン・BCG世代でもあり、結核の治療薬「ニッパス」や「ストレプトマイシン」の名を聞くと、当時の頃を思い出したりする。展示もさることながら、シアターでの証言映像には説得力があった。一時間に3本ほどのドキュメンタリーを上映していた。シベリヤ抑留後結核を発症した方、戦後も入退院を繰り返した方など仕事にもつけず、経済的にも精神的にも支え続けた妻たちの証言、農村の男社会での農作業に頑張った妻 、洋裁によって家計を支え切った妻たちの証言は重かった。

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【参考】

・「しょうけい館」紹介動画
https://www.youtube.com/watch?v=AU0jjju3hTc

・木龍克己「しょうけい館について」(国立公文書館)
https://www.archives.go.jp/publication/archives/no65/6210

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2026年3月26日 (木)

皇居のサクラは、まだ、開き始めたばかりだった。

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大手門を望む。東御苑の入り口にもなっている。

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外苑は整備されていたが、警備も厚い。

   3月23日、ついでがあって、皇居の乾通りの花見に出かけた。初めてのこと、人出もまあまあで、DJポリスもヒマそうだった。一方、坂下門でのボディチェックは入念で、持参のペットボトルは、確認のため?と一口飲まされた。肝心のサクラは、種類によっても咲き具合が異なり、五・六輪開き始めた「ソメイヨシノ」、満開に近い「カンヒザクラ」、スマホをかざす人が集まる「コシノヒガンサクラ」、「ジンダイアケボノ」などさまざまだ。

  750m程の乾通りに100本近いサクラがあるそうだが、咲き揃ったら壮観かもしれない。坂下門を入って、すぐ左手に宮内庁庁舎があるが、この時期、公開の乾通りの通り抜けでは、そちらには進めない。その奥には、宮殿があって、一般の参観コースでは、その前庭までは回ることができるらしい。

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坂下門に入る。やはり、高齢者が多い。

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ユキヤナギとサクラのコラボ、サクラはまだこれから。

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「ヨウコウ(陽光)という品種、朝は雨だったのに、午後は青空が広がった。

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出口の乾門が近づく

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乾壕辺りのサクラ。

  乾通り、蓮池壕に沿い、いまは開放された東御苑21ha(ヘクタール)と宮殿や庁舎のある吹上地区とを画している。天皇家三人の住まいのある吹上地区は何ヘクタールあるのだろうか。宮内庁管理による皇居は外苑を含めて115haという。他の皇族の住まいのある赤坂御用地は50ha、常陸宮夫妻の住まいのみは常盤松御用地と離れているらしい。東御苑の旧江戸城の本丸、二の丸・三の丸の一部は、1968年10月に開放され、北の丸は、1969年4月、昭和天皇の還暦記念として開放され、環境省管轄の「北の丸公園」として公開されている。かつての陸軍の兵営地、近衞連隊の跡地でもあって19haあるという。

  地図で見ると以下のようである。東京ドーム何個分という比較があるけれど、入ったことのない私には、わかりにくい。正確なところはわからないが、私が歩いたことのあるキャンパスと比較してみると、学習院大学目白キャンパスが10ha、立教大学池袋キャンパスが7ha、東大の本郷キャンパスが56haだそうなので、皇居の規模感が伝わってくる。林立する高層ビルに囲まれた皇居だが、思い切って吹上地区も現状では一部を残して、公園として開放したらどうだろう。なんなら、ひとまず、赤坂御用地に、皇族方に集結していただくのもいいかもしれない。迎賓館周辺も警備するばかりでなく、一層のこと公開してはどうだろう。「国民に寄り添う」を標榜するならば、今すぐできることの一つではないか。

 永田町の職場で働いていたとき、皇居をめぐる5キロのランナーの仲間入りをしたことのある身ではあったが、今回、少しばかり中に入って、その広さを実感した。ちなみに、5キロコースは、内堀通りの三宅坂に出て、国立劇場や半蔵門前、英国大使館を経て千鳥ヶ淵の土手に上がり、代官町通りから竹橋へ、濠沿いに大手門、外苑を経て桜田門へというものだった。外苑は、いまのように整備されておらず、砂利道だったような、桜田門辺りには、カップルが幾組か張り付いていたような記憶がある(むらさき色で示した)。今度は、東御苑もじっくり見ておかねばと思った。毎年5月には吹上御苑の自然観察会があるそうだが、かなりの倍率とか。

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宮内庁のHPより。

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2026年3月22日 (日)

「バイモ」を初めて見つけた。

 ベランダ先の枝垂れ桜が7分咲きくらいになったので、少し違う角度から写真を撮りたいと思って、庭に降りてうろうろしていると、クリスマスローズのようにうつむいている白い花をびっしりつけている草を見つけた。身近に草花に詳しい人がいればなあ、と。ともかく「細い葉で、クリスマスローズのような、うつむいている白い花」とネットで打ち込んでみたら、出た、出た「バイモ〈貝母〉」らしい。あらためて「バイモ」を検索、間違いなし。スマホの画像から植物名を知ることができるアプリがあるとのこと、何しろ当方はいまだにガラケーなもので。

 思い出して、鳥海昭子さんの『ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日』(NHKサービスセンター 2005年12月)を開いてみて、驚いた。なんと、きょう「3月22日 バイモ〈ユリ科〉才能」とあるではないか。そして彼女はつぎのように詠んでいた。

・ 放送の記念日と今朝聞きしよりバイモ一本柱に掛ける

  3月22日は、1925(大正14)年NHKの前身・社団法人東京放送局が日本初のラジオ放送を開始した日だったのである。いささかのご縁があった鳥海さん、この本の出版の2か月前に急逝され、ご遺族からお送りいただいた本だったのである。

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むらさきの花は何かな。

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 以下の過去記事もあわせお読みいただければ幸いです。

・鳥海昭子さんからの古い手紙が出てきて思い出すのは(2024年10月18日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2024/10/post-dd2d97.html

 

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2026年3月19日 (木)

気の休まるときがない中で、桜の季節を迎えた

 昨夜、高市首相がアメリカに発った。とんでもない大きな土産を背負ってこなければいいがと気がもめる。トランプの機嫌を損ねないように、何を言い出すか分からないトランプを相手に、首相は難しい局面に立たされているとか「専門家」たちが「真面目」に解説したり、「できることとできないことがある」との答弁を高く評価したりするのを聞いていると、情けなくなる。「手の内」を明かさないことや「曖昧」にすることが外交手腕のように取り沙汰されることもあるが、国際法違反の戦争には加担できない、憲法上、自衛隊法などの国内法から見ても、自衛隊を派遣することはない、という明確な発言こそが「国益」に沿うことになるのではないのか。

 アメリカとの関税交渉の中で、合意したアメリカへの80兆円強という巨額な投資の中身についても話し合われるが、その内容が明らかになって来た。
 時事ドットコムニュースによれば、その1弾としてば、5.5兆円、ガス・発電、原油輸出、人工ダイヤの3件で(2026年02月18日)、2弾として、10兆円でGEベルノバと日立による次世代型の小型モジュール炉(SMR)を建設する計画、天然ガス発電施設2カ所の建設事業が盛り込まれる見通しだという(2026年03月18日)。アラスカの原油増産に協力も具体化するらしい。

*「GEベルノバ」は、旧称ジェネラル・エレクトリック
* SMRとは、発電容量が30万キロワット以下と大型原発の3分の1ほど。構造が簡素で事故リスクを低減でき、建設しやすく工期も短くてすむとされる次世代型の原子炉

 日立の原子炉輸出といえば、イギリスからの撤退のニュースが思い出される。2019年1月、ウェールズ地方で進めてきた原発建設プロジェクトを断念したのだ。地元の反対も大きかった上、融資も人材も見通しが立たなかったという。

* 英国原子力発電所建設プロジェクト事業運営からの撤退について(日立のHP 2020年9月16日)
https://www.hitachi.com/ja-jp/press/articles/2020/09/0916/

 SMRについては、東南アジアへの輸出も視野に入れてのことらしい。事故リスクが低減できたとしても、廃棄物の処理はどうするのか。日本国内において原発の再稼働、新設に意欲を示す高市政権、使用済み燃料、核のゴミの最終処分場として南鳥島への打診が始まった。福島の原発事故から15年、日本は、学習をしない国、反省しない国であることが露わになったと言えよう。

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春は足早にやって来た。ベランダ先の枝垂れ桜、何本かの支柱に支えられ頑張っている。上段は2月9日、下段はきょう3月19日撮影、ほぼ同じアングルだったのだが。

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2026年3月15日 (日)

いつもと違う、佐倉市新町通り~シン・マチマーケット

  去年、こんな催しあったかな、と思いつつ、チラシをたよりに、3月14日一日限りの「シン・マチマーケット」に出かけてみた。「シン・ゴジラ」以来か、何でも「シン」をつけるのが流行っていたが。新町通りはバスも全面禁止なので、歩くしかないと。目当ては、「ブックマルシェ」。

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 通りの片側に、20くらいのブースが並び、古本ばかりでなく、出版社や自作本販売など賑やかだ。『いないいないばあ』の童心社、雷鳥社は、文庫サイズの辞典シリーズが気になった。『草の辞典』は売り切れたそうだ。樹木や樹皮の辞典もあるといいですね、と勝手な要望もしておいた。安房直子のコーナーもあったが、誰が店主なのか。また、房総に限った、旅の本や歴史の本を自分で製作している人のブースもあり、その一つ「明里」さんの前でしばらく幾つかの冊子を眺めていて、少し値は張るが、思い切って「佐倉絵はがき旅」を買い、サインもしていただいた。社会人5年目と若いのに、小さい時から郷土の歴史に興味を持っていたそうだ。頼もしい。

 そして、図書館にも立ち寄るという連れ合いと別行動をとっていたのだが、帰宅後、連れ合いの買ってきたたこ焼きでお茶となり、二人が取り出したのが、「佐倉絵はがき旅」だったのである。

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市の駐車場にはキッチンカーが並んだ私は、200円値引きになった、かきもち用の豆入り餅を買った。

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2026年3月13日 (金)

広野多珂子の世界

 佐倉市立美術館の「広野多珂子 絵本原画展」に出かけた。私には初めて聞く名前だったが、佐倉市に20年以上も住んでいる画家とのこと、愛らしくどこかなつかしいチラシの絵を見て、ぜひと思っていた。会期の早めに出かけた連れ合いからも勧められていた。

 広野多珂子(1947~)は、夫とともにスペインで美術を学び、帰国後のスペインのオリーブ畑に囲まれた小さな村で暮らす少女スーザとおばあさんとロバたちが繰り広げる物語は「ねぼすけスーザシリーズ」として7冊を成している(1991~2014 福音館書店)。明るくて、やさしくて、善意の人たちとの触れ合いの中で進む話に癒される思いであった。

 スーザの両親はスペインの内乱で亡くなっており、おばあさんというのは血縁があるわけではなく、取り上げた助産婦さんだったという設定である。また、角野栄子「魔女の宅急便その2」(1993年 福音館書店)の絵も描いていることを知った。赤ちゃん絵本,科学絵本、児童書の挿絵など多分野で活動していることもわかる。残念ながら、私が娘と読んだ絵本や物語は、1970年代から80年代にかけてのところでストップしているから、新しい世界を知るのも楽しい。

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ケットの絵は、「ねぼすけスーザのおかいもの」の表紙。右は「寝坊助スーザのはるまつり」「絵本原画展のカタログから。原画で見ると、いずれも動物たちの表情がそれぞれ愛らしい。

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「ピーテル、はないちばへ」(2015年 福音館書店)、「絵本原画展」のカタログから。両親が育てた花市場に売りに出かけた後、忘れたお釣りの小銭を届ける少年の物語。迷路のような運河をちいさなんボートを漕いゆく。スペインにも運河が多いのだろうか。似ているなあ、アムステルダムの運河、大掛かりな花市場を思い出すのだった。

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「さんぽみちのオナモミ」(2016年 福音館書店)、「原画絵本展」カタログから。科学絵本の中の一冊。2003年年佐倉に転居、散歩の犬にも引っ付いてくるオナモミのなり立ちを精密なタッチで描く。右の絵は、京成臼井か佐倉への車窓から見える風景である。

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2026年3月 9日 (月)

「女性の日」というけれど、高市首相と担当大臣のメッセージのむなしさ

 3月8日は「国際女性の日」で、高市首相のこの日にちなんだメッセージが公表された。記者会見でも同様の内容を話す映像を、NHK7時のニュースで見た。それを聴き、また首相官邸のHPで見て、「なに?それ!」という違和感を覚えた。というのは、とくに強調していたのが「女性の生涯にわたる健康支援」というものだった。具体的に何を支援するのか。「メッセージ」では、以下のような段落がある。

高市内閣は、性差に由来した健康課題への対応を加速すべく、診療領域を横断した対応策の整理や診療拠点の整備を進め、特に女性の生涯にわたる健康支援を強化します。女性に特有の健康課題の解決に向けて、職場や地域において理解を深める取組を全国に展開していきます」。

 これでも、何が言いたいのかよくわからないが、乳がんなどの検診促進、出産支援などが思い当たるが、どうなのか。 女性活躍・男女共同参画担当という黄川田仁志大臣もメッセージを出しているのを知って、のぞいてみると、どうでもいい挨拶に続いて、女性初の首相へのオマージュについで、以下のような段落があった。

「日本政府においては、希望する働き方を選択でき、その能力を十分に発揮できる社会の実現に向けた取組を進めてまいります。また、社会のあらゆる意思決定に女性が参画することを官民共通の目標として取り組んでまいります。」

 首相の「健康支援」とはつながらない、これまた大雑把な話であった。役人が書いた文章であったのだろう。

 そこで、「女性の生涯にわたる健康支援」なることばは、何を指すのか、これまでにもそんな発言があったのかを調べてみると、「男女共同参画白書」(令を和6年度版)に登場していた。それによれば、女性の共同参画拡大の施策を以下のように11分野に分け、その第7分野に該当するらしいことがわかった。

第1分野 政策・方針決定過程への女性の参画拡大
第2分野 雇用等における男女共同参画の推進と仕事と生活の調和
第3分野 地域における男女共同参画の推進
第4分野 科学技術・学術における男女共同参画の推進
第5分野 女性に対するあらゆる暴力の根絶
第6分野 男女共同参画の視点に立った貧困等生活上の困難に対する支援と多様性を尊重する環境の整備
第7分野 生涯を通じた健康支援
第8分野 防災・復興、環境問題における男女共同参画の推進
第9分野 男女共同参画の視点に立った各種制度等の整備
第10分野 教育・メディア等を通じた男女双方の意識改革、理解の促進
第11分野 男女共同参画に関する国際的な協調及び貢献

 「白書」だから、各省庁の横断的な課題なども総花的に記述が続くが、「第7分野 生涯を通じた健康支援」の内容は「妊娠・出産に対する支援」がほとんどで、それに「年代ごとにおける取組の推進」として「学童・思春期/成人期/更年期/老年期」に分けての課題が数行ほど示されていた。たしかに、女性の生涯において「妊娠・出産」は大事で、少子化対策の一環として、その支援も重要である。しかし、以下の分野においては、それぞれ、つぎのような大きな積み残された課題があることを忘れてはならない。

第1分野 政策・方針決定過程への女性の参画拡大
第2分野 雇用等における男女共同参画の推進と仕事と生活の調和

第5分野 女性に対するあらゆる暴力の根絶
第6分野 男女共同参画の視点に立った貧困等生活上の困難に対する支援と多様性を尊重する環境の整備

 あらゆる分野で、女性の意見が政策・方針過程に反映されないこと、非正規雇用のうちの7割が女性であること、職場や地域・家庭におけるパワハラやセクハラの横行、さまざまな業界における性加害の頻発、いくつかの要因が重なっての女性の貧困の問題こそが喫緊の課題で、政府は、すぐにでも、その一つでも真剣に取り組んでほしいのだが。

「皇位継承は男系男子」と言ってみたり、「選択的夫婦別姓」には反対で、旧姓併記いや単記とか言ってみたりの認識の首相には無理だろう。私たち高齢者、老年期にある者に、「攻めの予防医療」といいながら、医療費の実質的値上げ、OTC薬の保険外しをやってのけるのだから、絶望的でもある。

 ちなみに、女性活躍・男女共同参画担当という黄川田仁志大臣は、正式には、
「内閣府特命担当大臣」(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画、地方創生、アイヌ施策、共生・共助)、女性活躍担当、共生社会担当、地域未来戦略担当だそうである。これが務まるから不思議?

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3月8日のミモザ、ハクモクレン、施設内に木々にも春が近い

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«「皇位継承は男系男子」なんて、「報告書」のどこにも書いてありません。~総理、完全な虚偽でしょう、ごまかさないで