2017年10月15日 (日)

晩年の母と、1959年の私に出会う

 今、必要があって、国立国会図書館で『女人短歌』のバックナンバーを調べている。デジタル資料化されているので、マイクロやフィッシュと違って、現物の雑誌の頁を繰る楽しさがある。こちらの視力もあって、画面は、たしかに見にくいこともあるが、つい、今は必要のない短歌や記事に寄り道することが多い。

 33号(19579月)の作品欄の最終頁は、蒔田やよひ、清水千代、阿部静枝、五島美代子であり、その左頁の雑報欄に「第一回女流短歌連盟の会」とある。そんな「連盟」があったんだと、読み進めてみると、何と、母親の名前「内野佳子」が出てきたのだ。「えッ」と読み返す。女流短歌連盟主催、毎日新聞社後援の第一回女人短歌会では、応募1213首の中から選ばれた入選者10人の名前の中の一人として列記されていたのである。選者は生方たつゑ、長澤美津、五島美代子、阿部静枝であった。私は知らなかった!私が高校生の時代、母には、晴れがましいことだったに違いないのに、私には記憶がない。一体どんな作品だったのだろう。当時の毎日新聞を調べなければいけないと、帰宅後思い立ったのである。

 また、そんな中で、なんと、わたくしの短歌にも出会ったのである。いつだったか手元の1997年の『女人短歌』終刊号の「初出の一首一覧」のようなコーナーを目にして、自分の一首を見つけたことは覚えているが、バックナンバーがあるわけでなく、そのままになっていた。今回、1959年発行の40号と41号に掲載されていることがわかった。高校時代からほそぼそ始めていた短歌だが、大学に入学直後、母の短歌の師だった阿部静枝先生の紹介で『女人短歌』に入会したような記憶がある。しかし、錚々たる歌人のおば様たちとご一緒するのは気も引けたし、気も重かったのだろう、そして、その年の12月に母を亡くしていることもあって、早々に退会したようなのだ。現在も所属している「ポトナム短歌会」入会前のことである。恥ずかしいが、以下のような作品だった。といっても、現在の作品と何ほど違うのかと思うとつらいものがある。

40号(19596月)

コーラスの聞こゆる屋上春の風に髪を吹かせて舊師を想ふ

勇気ある判決讀みて法律を学ぶ徒のわが今日を祝へり

闇の中鐵路に残る響きありて生きものごとき心を傳ふ

41号(19599月)

店頭に少女が並べるカン詰は雨季の朝陽に鋭く光れり

水道を太くして皿洗う遅き夕飯ひとりで終えぬ

白桃を冷やしてありぬ桶の水淡き紅色明るく映す

閉店のチャイムが流れるデパートに追はるる如く干物を買ひぬ

一箱のトマトを置きて豊かなる如き厨は灯さぬままに

ミキサー車静かな廻りが暑を誘うビルに囲まれしビルの工事場

ギリギリと土掘る機械を隙間よりながめて去れり和服の老女

 40号に表れる旧字は、当時の私は書くことが出来なかったと思うので、漢和辞典を引いたのか、阿部先生が直されたのか、編集部が直されたのか、定かではない。旧かな表記に関しては、古文の知識から必死になって使ったのだろうと思う。2首目の「勇気ある判決」とは、この年の330日の東京地裁の米軍駐留を違憲とした、いわゆる伊達判決だったのだろう。当時、創刊されたばかりの『朝日ジャーナル』を小脇に抱えたりした先輩がカッコよく見えた。私自身は、学友からは「氷川下セツルメント」の活動に幾度となく誘われたり、出版まもない丸山真男の『現代政治の思想と行動』、当時はまだ上下の2巻本だったが、読書会のメンバーに声を掛けられたりした時代だったが、参加するでもなかった。他大学の高校時代の旧友で「全学連主流派」の活動家から「法律なんて、いったい何の」とか責められたりもしていたが、といって、まじめに法律の勉強をする学生にもならなかった。

41号になると旧かな・新かなの混在であって、ちょっとまずいことになっている。41号末尾の2首は、実家がある、当時の池袋は、建設ラッシュのさなかであったことがわかる。

さっそく、連れ合いにも読んでもらうと、「若いね、前向きだったんだ」との感想であった。 

Img332_2
国立国会図書館新館で開催中の「挿絵の世界」2017年10月10日~11月11日、図書館い通いながら素通りだったが、この日、複写の待ち時間を利用して、大急ぎでの一巡りしました。すこし想像とは違っていた。第1部挿絵の確立 第2部挿絵の展開 第3部挿絵の多様化 の構成であったが、なんか焦点が定まらに形だった。同じ挿絵でも、焦点を絞るべきではなかったか。新聞小説に限るとか、児童読み物に限るとか、印刷術の発達が挿絵をどう変えたかなど・・・・。


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雨の駅頭で、「9条をまもりたい」のニュースを配る

きのうも冷たい雨の土曜日でしたが、地元の九条の会「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」は、最寄りの駅頭の通路で、会のニュース35号を配りました。今月の世話人会で、衆議院選挙を前に、何かしなくてはと、最新号のニュースを増刷りして配ることになりました。ニュースの内容は、次の通りですが、会のブログをご覧いただければ、読むことができます。「とっつきにくいよな」「ちょっと難しすぎる」「読む気もしない」などの、きびしいご意見もいただきますが、一度ご覧の上、ご意見いただければうれしいです。

1頁:自衛隊の憲法明記は9条破壊宣言
2~3頁:共謀罪は施行されたが・・・反対の運動は続き、メディアも危険視
4頁:膨張し続ける防衛費~あなたは、どこの国の総理ですか

詳しくは、「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」ブログ

http://sakurasizu9jo.cocolog-nifty.com/

 この日は、急きょ、「佐倉・九条の会」と合流での活動となりました。総勢9人、横断幕を掲げ、ささやくように9条は宝と訴える人、マイクを手に自衛隊の海外派遣の理不尽を熱く訴える人、私は、この地域で、9条をまもりたいの思いで、市民が相寄って活動を始めて11年目になること、今回の選挙では、憲法、とりわけ9条が問われている大事な選挙であることだけを訴えました。通行の方々、受けとってくださる方もさまざま、「頑張りましょう」の声には励まされました。一方で、「あんたたちは、どこの党?」との質問は、この日もありました。選挙運動期間中でもあり、当たり前なのかもしれません。「私たちは、政党ではないんです。市民の有志の会です。憲法9条をまもりたいと、10年間活動を続けています。これが一番新しいニュースです。ぜひ読んでみてください」と大急ぎで話すと、手を伸ばして受け取ってくれる場面もありました。

手渡そうと近づくとよけて過ぎる人、邪険に振り払う高齢男性、スマホから目を離さない若い人、おしゃべりをしながらの中高年の女性たちはまず受け取ってくれない、おしゃべりに夢中な高校生たちでも男女を問わず、軽く受け取ってくれる、カップルや家族連れは、みきわめが難しい・・・。

相変わらずの光景ですが、学ぶことも多い一時間でした。

 

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2017年10月 6日 (金)

これ以上<希望>をばらまかないで~「赤い羽根」募金を通して考える 

102日に東京へ出た。最寄りの駅の構内では赤い羽根の募金が始まっていた。国立国会図書館に調べ物があって出かけたのだが、議事堂近辺は、集会の声もなく、人通りも少なく、いたって静かなものだった。等間隔に立つ警官の姿、なぜか路上の何カ所かに置かれた蛇腹の鉄柵だけが目立っていた。すでにギンナン落果の季節は過ぎたのか、足元を気にしなくてもいいようであった。

今年の10月は、とんでもない10月になりそうだ。臨時国会の開催を3カ月も放置した挙句、9月末日に冒頭解散をした安倍内閣。臨時国会を開催しないのも、憲法7条解散もそれ自体が憲法違反ではないのか。議会軽視もはなはだしい。こじつけたような解散理由が「大義なき解散」といわれる所以である。一方、「野党共闘」に「期待」するあまり、「積み上げ」というよりは、ゆずりに譲ってしまった共産、小池新党の国政進出、民進党の希望の党への合流、はしごを外された「野党共闘」は「野党と市民の共闘」と言い換えたりしている。民進党リベラル派新党立ち上げで、少しばかり、選択肢が増えたかもしれないが、なし崩し的に選挙モードに入ってしまった。

これからいったいどうなるのだろう。日本は、近隣諸国との関係でも軍備強化、原発輸出・再稼働推進、雇用・消費が一向に伸びず、「全世代型」の福祉切り捨てなどによる危機が目前に迫り、私たち、高齢者にとっては、“命がけ”で病院や施設に入るか、そうでなければ、家族を疲弊させる在宅医療・介護に甘んじなければならない時代に入り、「絶望列島」になりかねない。「国民の命と財産を守る」と叫びながら、軍備増強によるリスクや国の借金を増やすばかりの自民党、「希望がゆきわたる国へ」とのポスターを街角に掲げる公明党、「希望の党」と名付けた小池新党・・・。不安や失望が渦を巻いているからこそ、政党は「希望」や「期待」という実のない、口あたり、聞こえのよい言葉だけをばらいてはいないか。

国にあっては、優先度をつけて、実施して欲しい施策がある。憲法改正などはまず不要で、現憲法下ですぐにでも実施できることは、山ほどある。「消費税の使い道を変える?!」って、自公は得意げではあるが、法人税のわずかな増税、内部留保税の導入、所得税の総合課税や累進性を高めれば、消費税増税などまったくもって不要にもなる。教育の無償化や補助は、憲法を改正しなくても立法により十分対応できるはずである。メディアは、政局内の攻防を面白おかしく伝えるばかりだし、登場する専門家という人たちは、素人でもいえそうなことしか口にしない。 

地域に押し寄せて来る数々の危険

この度の選挙にしても、私たち市民には、どんな選択肢があるのだろう。地域では、治安というだけの名目で、監視カメラがめぐらされ、自治会を中心に、社協、PTA、子供会、商店会、さまざまなNPOなどを束ねた「まちづくり協議会」、自治会の「法人化」、募金・防犯・防災というボランティアの強制など、いずれも自治体の行政下請け化、自治会の弱体化を図る目論見である。共謀罪新設と相まって、相互監視社会へと突入する。自治体が直面する危機~人口減少、商店街の衰退、学校の統廃合、交通困難、空き家問題など過疎化の問題、私の住む千葉県では、行政にも議会にも、羽田・成田空港の拡張に伴う環境被害、木更津基地へのオスプレイ配備の危険性、拙速な開発・再開発による弊害などについては、住民の切実な声が届かない、聞こえないふりをしているのが現実ではないのか。地元佐倉市でも、市からの24億円助成を前提にした順天堂大学学部誘致で揺れに揺れた。地元の不動産業者が暗躍、誘致の一点で市長選に候補者を立て、あくどい選挙戦を繰り広げた。消極的な市長も選挙戦後半には、その攻勢にフラフラしだしたのだ。誘致は今、白紙状態となったが、胸をなでおろしている人たちも多いであろう。

駅頭での赤い羽根募金は、あまり目にしなくなったのも、ボランティアの高齢化が進んだからであろう。自治会からはもう先月には、募金袋が回ってきていた。私たちの自治会では辛うじて、募金は、するもしないも、金額も、世帯の自由になっている。市からの25億円助成を目論んだ中央共同募金会が自治体の社会福祉協議会に募金業務を委託し、社協は、自治会や町内会に丸投げしているのが現状だ。自治会などがまさに集金マシンとなっている。本来ならば自由な寄付が、強制に近い形で集金される現状は、各地で問題を起し、裁判にもなった。このブログ記事でも何回か記事にしている。だいぶ古くなってしまったが、基本はいまだに変わっていない。

赤い羽根共同募金の行方(1)(2)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/12/post-2f90.html

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/12/post-dd38.html

 集められた募金は、年々減少の一途をたどる。中央共同募金会のデータによれば、赤い羽根共同募金は、70年前、1947年、約6億程度でスタートし、1851年に10億、1980年に100億、1998年の261億をピークに、減少し始めたのである。2015年には184億にまでになっている。自治会等を通して集められる「戸別募金」は、歳末助け合いなどを含むと、募金全体の70%以上占めることも、ほとんど変わっていない。街頭や学校での募金は、合わせても5%にも満たないのが現状である。以下の図をご覧いただきたい。これが募金の入り口と出口で、2015年度では、募金総額184億、助成総額160億、差額が経費とみてよいだろう。

Img328

出典:中央共同募金会 年次報告書平成27年度(2015年)
http://www.akaihane.or.jp/organization/pdf/annual_h27.pdf 

では、これらの募金は、どう使われているのか。たとえば、千葉県では30%が広域で使われ、70%が地元に還元されているという。最後はどこに行き着くのかは、地元の佐倉市のデータベースに詳しいが、少し立ち入ってみると、疑問も多い。

佐倉市赤い羽根データベース<はねっと>

http://hanett.akaihane.or.jp/hanett/pub/homeTown.do?data.jisCd=12212 

たとえば、2016年度(平成28年度)で、歳末助け合いを含めての募金の配布先を見ると、14ある地区社協に各10万、各施設に3.5万、施設の催事に3万など合わせて80件、大口の配分先を含む個所を複写するとこんな具合だ。各行の【表示】をクリックすると、その詳細が現れる。各地区社協は10万をどのように使用しているかも見ることが出来る。

下記の大口の例では、支援金配分事業がほとんどで、対象の利用者数の延べ人数と使用目的~見舞金・祝い金の記載があるのみである。まさに、配分のための配分、機械的なバラマキの感がぬぐえない。募金会は単なる配分機関となり、配分を受けた事業主体や施設がまた配分機能を果たし、募金が配分されるたびに、人件費や経費がかさんでいく仕組みである。福祉の対象の人たちに届く時点では、わずかな見舞金や茶菓子代になってしまっていないか。これって福祉なのだろうか。

 

22

 
 

広報雑誌「社協さくら」発行

 
 

赤い羽根

 
 

2,858,000

 
 

表示

 
 

23

 
 

在宅福祉(いきいきサロン・食事サービス等)

 
 

同上

 
 

1,039,000    

 
 

表示

 
 

24

 
 

福祉総合相談事業

 
 

同上

 
 

1,044,000  

 
 

表示

 
 

27

 
 

要支援世帯に対する支援金配分事業

 
 

歳末助け合い

 
 
  

2,040,000   

 
 

表示

 
 

28

 
 

母子・父子世帯に対する支援金配分事業

 
 

同上

 
 

5,013,000 

 
 

表示

 
 

29

 
 

ひとり暮らし高齢者世帯に対する支援金配分事業

 
 

同上

 
 

1,680,000

 
 

表示

 
 

30

 
 

寝たきり高齢者世帯に対する支援金配分事業

 
 

同上

 
 

94,000

 
 

表示

 
 

31

 
 

心身障がい児・者世帯に対する支援金配分事業

 
 

同上

 
 

424,000    

 
 

表示

 

 

  身近な福祉に目を向けていくと、国における福祉政策が透けて見えてくる。年金記録問題や年金支給漏れなど、原因や責任の解明が済まない先の不祥事は後を絶たない。根っこには、寄付文化やボランティア精神が根付かないまま、「絆」とか「共助」、「家族愛」まで持ち出し、福祉や災害復興政策の補完が強制されている現実を見失っていないか。足元の地域で何が起こっているかも知らずして、国の政治は語れないと思うのだ。

 

活動の対象

 

活動の対象

 
 

件数

 
 

金額

 
 

高齢者

 
 

32

 
 

2,889,00013.2%

 
 

障害児・者

 
 

15

 
 

1,559,000円 7.1%

 
 

児童・青少年

 
 

9

 
 

  5,273,00024.1%

 
 

課題を抱える人

 
 

2

 
 

2,052,000円 9.4%

 
 

その他

 
 

22

 
 

10,106,48846.2%

 
 

合計

 
 

80

 
 

21,879,488

 

  活動の目的  

 

活動の目的

 
 

件数

 
 

金額

 
 

日常生活支援

 
 

16

 
 

   11,745,00053.7%

 
 

社会参加・まちづくり支援

 
 

51

 
 

   9,224,48842.2%

 
 

社会福祉施設支援

 
 

2

 
 

70,000円 0.3%

 
 

その他の地域福祉支援

 
 

11

 
 

840,000円 3.8%

 

合計

 

80

 
   21,879,488 

 

    図書館からの帰り道、議員会館の方から、なにやら黒いスーツの一団が渡ってきた。この時期に陳情団でもないし、地方議員の見学でもないだろう。よく見るとまだあどけない青年たちだった。そう、近辺の役所の新人たち、どうも内定者たちなのか、101日は休日だったから、今日が内定式解禁日ということなのか。先頭に、これも若い案内役が「今年は女子が少ないんですよ」との声、その後はよく聞こえなかったが、「ヴァレンタインデーが・・・」の声のあとでは、若者たちの小さな笑い声が起きていた。総勢145人だったろうか、茱萸坂を下って行った。決して佐川長官のようにはなるな、初心を忘れるな、と見送るのだった。

 

 

 

 種類 助成額 

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2017年9月23日 (土)

「ある少国民の告発~文化人と戦争」(1994年放送)を見て

 大先輩の知人、櫻本富雄さんから、ご自身が出演の、24年前に関西で放映された番組が、突然you tube に出現したので、とのお知らせをいただいた。早速拝見、やはり映像で、櫻本さんのインタビューに答える、横山隆一、山本和夫、丸木俊、住井すゑさんたち、ご本人の証言を聞いて衝撃を受けました。私が紹介するよりは、ぜひフィルムを見ていただきたいと思いました。you tubeでは、いくつかのカット場面があり、当時の放映のままではないとのことですが、ぜひ一度、ご覧ください。個人的に何人かの友人にBCCで、お知らせしたところ、24年前のTVはこんなこともできたのか、など、いくつかの感想が返ってきました。

 

「ある少国民の告発~文化人と戦争」(毎日放送 1994年制作) 

https://www.youtube.com/watch?v=8-dC55hmhbc

 

 戦時下の文化人の表現活動には、今では想像がつかない障害があったこと知ることも大事なのですが、そこで、意に添わない活動をしたことに、その後、本人がどう向き合ったかが、重要なのかと思います。さらに、その後、どのような活動をしていたのか、行動をしてきたのか、暮らしをしていたのか、その生涯をトータルで、見極めたいと思っています。そのためには、発言・著作・制作物などを、記録にとどめ、保存し、継承するという基礎作業が問われるのではないかと、思います。その上で、その後の時代、時代に、何を残し、どう行動したのかが問われるのだと思いました。 

 

 今回の番組では、愛国少年だった櫻本さん自身が、戦時下に「あったことをなかったことにしよう」とする敗戦後の時代の流れに抗して、個人で10万冊もの雑誌や図書を収集し、戦時下の文化人たちの言動を浮き彫りにした著作を発表し続けていること、家永三郎さんも、戦時下の反省から、敗戦後の教科書裁判に踏み切ったこと、などを語っています。

 

 翻って、現在の知識人、文化人と称される人々の発言や行動において、少なくとも、敗戦後の占領期が終わった段階では、「表現の自由」があったにもかかわらず、「陽のあたる場所」を求めてでしょうか、意外と、微妙な変転、変節をしていたり、繰り返したりする人たちも多くなっています。人間、心身の成長や加齢によって、考え方も、行動様式も、変ることはあるでしょう。その人をどこまで信用していいのか、その発言にどこまで責任を持つことが出来るのか、自身で説明責任が果たせるかが問われるのではないかと。これは自らにも返ってくる問いでもあります。さらに、目前の課題に翻弄されながらの発言や行動は、とかく、より根本的な課題を置き去りにする傾向が、とくに最近目立ってはいないか、とても不安です。

 

 

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2017年9月12日 (火)

天皇の代替わりに向けて~「おめでとう」の前に

 

佐藤愛子の『九十歳。何がめでたい』がベストセラーになったのが、昨年だったか。そんなセリフを吐いて、世に憚りたいもの。「九十歳」のかわりに「〇〇」を入れて、ウサを晴らしてみても、何も解決しない。 

昨年の7月、天皇の生前退位の意向がNHKのスクープという形で突如浮上し、88日には、天皇のビデオ・メッセージが放送された後の顛末は、承知の通りで、67日の参議院特別委員会の「全会一致」で可決し、本会議を経て「退位特例法」が成立した。代替わりはすでに時間の問題となった。すでに、各メディアの今の天皇のへの称揚の記事が始まったし、やがて、昭和天皇の晩年・死去報道よりも大々的に展開されるだろう。歌人も登場して、「御製」や「御歌」を懇切に解説し、その心情に触れつつ、短歌の「奥深さ」を語り始めるのだろう。そして、天皇は、いかに平和を願い、国民に寄り添い「象徴としての務め」を果たしてきたか、歴史家や文化人が、その立場を超えて、こぞって賞賛するにちがいない。それが、現実の政治や経済の歴史や現況を一層見えにくくして、曖昧にしてしまうのは必至だろう。そこで利を得るのは誰なのだろうと思うようになった。 

 

無責任に「おめでとう」とは言えない 

直近では、秋篠宮家の長女の婚約内定発表に、新聞は多くの紙面を割き、テレビは報道に時間を費やした。これから皇族を離れてゆく人に、人々の関心はどれほどあるのだろうか。皇族たちに基本的人権はないのか、プライバシーはないのかと思う一方で、記者会見の日には、「ご婚約内定おめでとうございます」の企業広告も目立った。テレビでは、経済効果1000億に上るというコメンテイターも現れ、12万人が結婚に踏み切るとして~~みたいな皮算用をする。一方、婚約者の男性が、一カ月2万円食費のレシピ本を購入したとか近所の本屋さんが語っていたが、まさに多くの若者たちは、親がかりの住まいだったり、食費を切り詰めたりしながら、非正規で働く場合が大半なのだから、当然のことだろう。あまり縁のないカップルの「婚約内定」に「おめでとう」とは、無責任には言えない情況である。もっとも、皇族の結婚には、国から1億数千万の支度金がつくということであった。

 

日本近代史における5つの元号、もう限界なのでは 

また代替わりを控え、「元号と公文書 西暦併記の義務づけを」という「社説」(『朝日新聞』201787日)が現れた。1979年に制定され、最も短い条文の法律とされた「元号法」の「第1項 元号は、政令で定める。2項 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。」ということになっているが、年号表記が、天皇の在位ごとに変ること自体、憲法は前提にしていない。元号の不便さは、公文書に限らず、生活上、国民に大きな負担と混乱を強いている。それを少しでも解消するために、あらゆる場所での西暦統一するのがベストと私は考えるが、元号のみの年号表記がほとんどの公文書に西暦併記を義務付けてもらわないと困るという意味で、現実的な提案ではある。この国が、憲法上、天皇をいただいていること自体から生じる矛盾は、元号以外にも、というよりは根本的な問題があるが、それには触れようとしない。ずいぶんと腰が引けた社説だなと思ったものだ。 

その後『朝日新聞』の「天声人語」(2017821日)においては、もう少し、敗戦後の元号の歩みに踏み込んで、1975年の桑原武夫の「元号について」を引いて、天皇という人間の「ご一生」を国民の「あらゆる生活の基準を置くというのは,象徴ということにふさわしいとは申せません」、世界に通用する西暦を使い,元号は廃止すべしという論考を紹介している。そして、「そこまでいかなくともせめて公文書は,西暦を主,元号を従としてはどうか」という「社説」に戻るのである。 

たしかに、私自身、「明治憲法」「大正デモクラシー」「昭和恐慌」「昭和の面影」「昭和一ケタ生まれ」などの使い方をすることもあるが、元号のみによる歴史書は読んでいると、確証のないない不安に駆られることがあるので、自分がものを書くときは、西暦だけか、適宜、元号を括弧に入れて併記することもある。だから、必ず手帖の裏の「年齢早見表」を拡大し、換算表として机の上に置いている。もっとも近頃の「年齢早見表」には、明治末期からしか載っていないので、簡単な日本史年表は目につく所に置いているありさまだ。これに、もう一つの元号が加わることになるのだから・・・。 

なお、今年201741日には、民主主義をけん引するはずの日本共産党の「赤旗」は、平成以降、年号は西暦表示だけだったのが、元号併記を28年ぶりに復活させている。その理由というのが、45日付で、「今回の措置は、『西暦だけでは不便。平成に換算するのが煩わしい』『元号も入れてほしい』など読者のみなさんからの要望」によるとしている。続けて、元号の使用は、 

「歴史と国民の選択にゆだねるべきで、法律による使用の強制には反対するというのが、日本共産党のかねてからの主張です。1979年の元号法制化に際しては、天皇の代替わりごとに改元する「一世一元」は、主権在民の憲法下ふさわしくないとして、その法制化・固定化に反対しました。そのさい、元号の慣習的使用に反対するものではないこと、「昭和」後の元号についても慣習的使用の延長として憲法の範囲内で法的強制力をもたない適切な措置を検討する用意があることも表明していました」との見解を示している。 

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-05/2017040504_02_1.html

  これとて、元号法には主権在民の憲法下ではふさわしくないとした一方で、「慣習的使用の延長線上で強制力を伴わない措置を検討する用意がある」とした趣旨は、かなり分かりにくい。これは、一昨年2015年末に、それまで天皇を議場の玉座に迎えての国会の開会式には、「主権在民」の憲法下における議会にふさわしくないと参加しなかった日本共産党が「天皇の政治的発言はなくなったとして」開会式にも参加すると表明したことと、無関係とはいえないだろう。この件については当ブログでも言及したことがある。 

◆ことしのクリスマス・イブは(3)~なんといっても、サプライズは、国会開会式出席表明の共産党だった!(その220151228  

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/12/2-2dd0.html 

この問題については、『朝日新聞』は、「保守系の議員も抱える民進党などとの野党共闘も意識して柔軟路線を進めている。今回の対応についてはそうした<柔軟姿勢>の一環との見方もある。」(201741日)と解説していた。 

『毎日新聞』は、次のように伝える(「『赤旗』に元号復活 読者の要望 柔軟路線に 28年ぶり」201741日 夕刊 )。「共産党は昨年の通常国会から、天皇陛下が出席する開会式に幹部が出席し始めた。陛下の退位に関する法整備の議論にも参加し、民進党より先に特例法容認を打ち出した。 長く党を支えてきた赤旗購読者や党員の減少に悩む共産党は、保守層への支持拡大をうかがっている。元号の使用にはそうした思惑もあるようだ。党によると、赤旗の発行部数は日刊紙と日曜版を合わせて約113万部。党関係者は1日、『元号の慣習的な使用には反対しない。読者の要望に応えた』と説明した。」  

 共産党が共闘を探る、その民進党が、いまのような有様では、その「野党共闘」「柔軟路線」はすでに意味も薄れ、こんなことで、保守派の取り込みができるとは思えない。 

 

  「象徴天皇制」、その背後で
「象徴」が付される「天皇制」って、何なのだろう。私たちがかつて学校で学び、そしてまもろう、まもってほしいと努めてきた平和と自由と平等をうたう日本国憲法は、どこへいってしまうのか。そもそも、主権在民や平等とは両立しない「象徴天皇制」を擁しながらも、その本質が持つリスクをなんとかなだめつつ、憲法をまもっていきたい、国にはまもらせたいというのが、いまの正直な気持ちである。しかし、これまでも、元号・日の丸・君が代の法制化、皇族の死去や結婚などのたびに、そして、皇族の活動が活発になればなるほど、「象徴天皇制」の名のもとに、というより「象徴天皇制」を「かくれみの」として、政府は、市民の生活や思想の自由を徐々に、徐々に、脅かし続けていくだろう。もはや、天皇や皇族個人の心情や願望とは無関係に、事態は進んできてしまった。

 

災害の避難所の床にひざを折っての言葉がけや戦争犠牲者への長い祈りによって、励まされ、慰められ、感動する人々はいるだろう。しかし、被災者や遺族が、現実に立ち返ってみれば、生活環境が劇的に改善され、それぞれの不安や心痛が解消されるわけではない。それどころか、政府は、基本的な解決策を持たないまま、原発再稼働や輸出を促進し、安全保障体制を強化、軍拡を進めている。被災者や犠牲者の心情とは真逆の方向に突き進んでいるのが、現実である。

 

天皇夫妻が、皇太子時代を含め、沖縄訪問を重ねるが、戦争犠牲者に祈りを捧げ、沖縄の伝統文化を愛でる一方、沖縄をがんじがらめにしている米軍基地に一言も触れ得ず、平和を語るむなしさが、「象徴天皇制」の象徴的な姿のようにも思う。 

 

代替わり前夜でなされようとしていること
   
最近の新聞では、代替わり企画の先取りともいえる、天皇中心の平成回顧が盛んである。「退位特例法」が成立前後から、各社さまざまな連載が始まった。私は、とくに天皇と沖縄の関係に着目しながら読むことにした。直近で、手元にあるものだけでも以下の通りだ。 

①『東京新聞』:「沖縄と戦争を思い続け」<象徴天皇 いのちの旅3>(53日) 

②『朝日新聞』:「沖縄訪問 両陛下の信念」(下)<平成と天皇・第2部 平和を求めて(下)>(811日) 

③『毎日新聞』:「象徴として 第1部・沖縄への思い15」(831日~95日)

 朝日の②は、2017411日から、「平成と天皇・プロローグ 退位をめぐる攻防」として 連載が始まり、5月には「平成と天皇・第1部 退位これから」へと続いた。上記の三本の記事の基調は、いずれも、沖縄県民の「皇室」に対する「複雑な感情」が、平成の天皇夫妻の皇太子時代からの沖縄への「思い」「心遣い」と合わせて10回に及ぶ「訪問」によって、沖縄の人々の気持ちを変えていったという流れであった。「複雑な感情」の要因は、「沖縄戦」での多大な犠牲者が出して「天皇のために戦争し」、「戦争が終われば突き放されたことに県民の怒りがあったため」とする、故大田昌秀元沖縄県知事の言葉に表れているとするのが、①の記事であった。「突き放された」とは、昭和天皇が終戦2年後、連合国軍総司令部(GHQ)に沖縄占領の継続を望んだとされることを指すとも語られる。いわゆる「天皇メッセージ」と呼ばれるものである。また、③では、天皇夫妻に直接面談した大田元知事をはじめ、沖縄について進講した有識者たち、訪問の際、案内役を務めたひめゆり同窓会事務局長、対馬丸記念会理事長らは、だれもが夫妻の沖縄への深い思いに接して感動したという証言にまつわるエピソードが、切り取られて綴られている。こうしたエピソードや報道の共通点は、天皇夫妻と直接ことばを交わしたり、直接声を聞いたりした人たちの体験が基本になっている。それだけに、非常に情緒的な受け止め方に終始する。そんな体験をなし得ない一般国民との違いは明らかであろう。しかし、繰り返される、こうした報道が、いわば、大掛かりな代替わり報道の助走のような役割を果たしているのではないか。

 

ざわつく中で、親天皇へ 

さらに、上記の報道に登場するような、直接体験を経ない人たちで、これまでは、少なくとも、皇室や天皇と距離を置いていた人たち、「日本にとって、天皇制の問題は難しい」とその考え方を明確にしなかった人たち、さらには、立憲主義と天皇制は相容れないものと主張していた人たちが、近年、急にざわつき、いまの天皇・皇后は、なかなかリベラルな平和主義者である、国民に寄り添う姿勢がまっすぐに伝わって来る、天皇夫妻の慰霊と祈りの旅には、心打たれるものがある、というような声が聞こえ始めたのである。 

テレビの、ワイド番組や報道番組のコメンテイターになるようなジャーナリストやタレントや評論家は、もう当然のように、天皇に関しては、敬称と敬語をぎごちなく使い、無難なコメントか、まったくしないでスルーするか、いまの天皇夫妻をねぎらう発言があるくらいである。 

そんな中で、リベラル派とされ、多分野で活躍中の内田樹が「天皇主義者」になったと、取りざたされたので、ブログ「内田樹の研究室」で『月刊日本』(20175月)のインタビューを読んでみた。その末尾に、つぎのような発言があった。 

「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が住みやすいのだ」と言いたい。単一原理で統治される「一枚岩」の政体は、二原理が拮抗している政体よりもむしろ脆弱で息苦しい。それよりは中心が二つの政体の方が生命力が強い。日本の場合は、その一つの焦点として天皇制がある。これは一つの政治的発明だ。そう考えるようになってから僕は天皇主義者に変わったのです。」

 

つまり、「両立しがたい二つの原理」とは、天皇制と立憲デモクラシーを指すのだが、日本に、天皇制に拮抗するほどの立憲デモクラシーが確立しているのかも疑問な現状である。すなわち「日本国憲法」の第一章は「天皇」。「日本国民統合の象徴」であって、「この地位は、主権の存する国民総意に基く」という条文の「象徴」、「総意」が何を意味するのかも明確ではない。 

先のいわば「天皇キャンペーン」ともいえる情報があふれるメディア社会、それと現在の天皇夫妻への心情的な、人間的な傾倒、それは「人気」にも連動し、政権の暴走の歯止めのような役割を期待する社会が出来上がるが、結局は、天皇の言動が、現政権への監視・抑止機能を果たし得ることは、憲法上不可能な上に、むしろ、体制への不満の受け皿ともなり、補完機能を果たすことになっているのではないかと考える。とすると、二つの楕円は幻想にも近い。天皇が替り、逆に、強権的な言動がなされる場合も当然想定してみるとよい。さらに、上記インタビューでは、昨年8月の天皇のビデオ・メッセージは、全身全霊で果たすべきは「祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること」を自ら宣言した画期的な「おことば」と受け取らなければならない、ともいう。 

 こうした考え方が「天皇主義」といえるのかどうかも分からないが、天皇の人権は、さらに狭まってゆくことになろう。 

 こうした内田のようにかつての自らの主張を変えたり、あるいは明確にして来なかった「作家や知識人、政治家らがこのところ、つぎつぎと宗旨がえしつつある」として、その「思想的退行」を指摘する論者もいる(辺見庸「天皇主義宣言の思想的退行」『生活と自治』20179月)。 

 

短歌の世界でも 

同じようなことは、私が長年、眺めて来た短歌の世界でもみられる現象である。すなわち、これまでも何度か書いても来たことだが、「歌会始」の選者になったり、「歌会始」の席に陪聴者として招かれたりして、一度、二重橋を渡った歌人たちは、どういうわけか、「天皇と親しく」なって帰って来て、近頃は、安心して、それとなくあちらの様子を語り出す歌人も多くなった。さらに、これまで、「歌会始」について沈黙していた歌人やまだ二重橋を渡っていない歌人たちも、「歌会始」の世界の魅力を語り、「歌会始」へ疑義を無視するようになったのである。 

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2017年8月28日 (月)

国税庁のPR動画、ご覧になりましたか~どんな証拠も見逃さないマルサ?!

 国税庁の意見投稿窓口を開いたついでに、Web-TAX-TVというPR動画サイトを見てしまった。佐川国税庁長官の、ついこの間の理財局長時代のあの国会答弁が脳裏にに焼き付いているものだから、何を見ても笑ってしまうのだ。「国税査察官の仕事」というシリーズで、滞納者の家宅捜査の徹底ぶり、庭の発掘、同窓生への尋問にまで及び、「どこまでも追跡するぞ」との意気込みを、ドラマ仕立てで訴えているのだが、なんとそらぞらしいことか。そのトップ、就任会見も開けず、だんまりの佐川長官!籠池前理事長にも「通常の丁寧な」対応をした部下たち、国有財産をいとも簡単に大幅値下げ、10年間の分割払いという異例の措置に踏み切った「諸般の事情」のすべてを国民に語るべきでしょう


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いずれも、「国税査察官の仕事Ⅱ」の動画より
上:査察の厳しさを強調、滞納者の電子データの保存や解析、消去されたデータやファイルの復元も可能なだと伝えているではないか
下:税金の滞納者は、婚約者から、納めるべき税金は納めて、店を続けていこうと勧められて改心するストーリー。「世間から後ろ指をさされるようなことはするな」とは、そのまま、佐川長官に返したい

  

◆財務省:税務行政に関する意見(メールでの投稿画面)
 https://www.nta.go.jp/suggestion/iken/information_form.html
  

◆国税庁Web- TAX-TV
https://www.nta.go.jp/webtaxtv/

◆国税査察官の仕事Ⅱ
  https://www.youtube.com/watch?v=wld9Q_JrEvs

 

 佐川長官罷免要請署名、一万突破、締め切り後も、各地から署名が届いているそうだ。この現実をみよ。麻生大臣、安倍総理、高笑いしている場合ではない。8月15日と言えば、安倍首相は、全国戦没者追悼式での挨拶をそそくさと済ませて、こんなところで、麻生財務大臣たちと。

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8月15日鳴沢村の笹川陽平氏の別荘で。8月23日、笹川氏のブログから

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わたしの八月十五日~薄れゆく記憶をとどめたくて(3)兵隊さんの解散式?

 前後の記憶がなくて、断片的に思い出す一シーンがある。これは八月一五日の数日後のことだと思うのだが、母親から「今晩は、ゼッタイ、家の外に出てはいけない」と。兵隊さんたちが、(この馬市場の)草っぱらに集まるから」と言われたことだけは覚えている。暗い家の中、息をひそめて、板戸の細い隙間から見えた光景の、何と頼りないことか。

 兵隊さんの列の後か先だったのか、暗闇の中を、たしかに馬に乗った人が、道路につながる家の脇を横切って、原っぱに向かったのだ。じっと一部始終を覗くこともできなかったのだろう。次の記憶は、真っ暗な、馬市場跡の広場に、兵隊さんたちが並んで、誰かの話を聞いている場面である。何を話していたのかは、もちろん私には分からなかった。わけも分からず、私は、ただ、母にしがみついていたのだろうと思う。そして、小一時間の後に、原っぱを去っていく隊列の足音を聞いたのだった。暗闇から聞く、暗闇の足音の、今から思えば、重くて、鈍い音だったに違いない。家の灯りをつけたときの、裸電球の眩しさは格別だったろう。

ほんとに不思議なことなのだが、そのことについても、家族と話した記憶が思い出せない。随分後になって、当時中学生で、7つ離れた次兄からは、あれは部隊の解散式だったはずだとの話を聞いたことがある。なんで、軍の施設や学校の校庭などもっとちゃんとした場所でやらなかったのだろうね、という話もしたことがある。佐原市史でまた調べなければならないことが増えた。

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今年のイチジクは、小ぶりながら、たくさん実をつけた。雨が続き、一時は、青い実のまま固まってしまうのではと、心配した。ヒヨもあきらめたのか、今はあまりつつきには来ない。ほのかな甘さが私は好きだ。8月27日写す

 

 

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2017年8月24日 (木)

佐川国税庁長官の罷免要請署名、1万余名分を麻生大臣に提出!

 「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」による署名活動では、自分もネット署名をし、知人にもお願いしていたので、どれほど集まるのか、気がかりでした。21日の締め切りには、10706筆に達したとの報告がありました。821日の提出当日は、テレビ局などの囲み取材があったようで、21日から22日、そんなニュースやツイートが駆けめぐりました。

第一報は、21日の日テレのeveryの冒頭近くの4時過ぎの放映だったらしく、知人の電話で知らされました。といっても、新聞では、日刊ゲンダイが署名の展開中から伝えていましたが、朝日は提出をうけて、翌日の朝刊で小さく伝えました。他の全国紙は、社説などでは、佐川長官の就任記者会見ボイコットについて異議を申し立てていたのに、市民のこうした運動には冷やかなのがわかりました。テレビ局は、籠池夫妻の再逮捕とからめての報道が多かったと思いますが、国会での答弁で、ウソをつき通したことが日に日に、明らかになってきたのに、「国税庁長官への出世はオカシイよね」、「記憶がない、記録がない、あった記録は消去した、と言い続けた人がトップの国税庁に税金は払いたくネェ」という視聴者、市民の目線にやや近いのかなと思いました。

森友問題の地元の関西テレビが、近畿財務局と籠池夫妻の交渉の音声記録を入手したこともあって、地道で熱心な取材を続けているらしい。21日の「報道ランナー」では、どんなニュースになったのか、当地では、見られなかったのが残念でした(一部が下記の4で見られます)。

ちなみに、ネット上でわかった情報は、以下の通りです。

 

1「森友文書廃棄は違法~佐川氏の罷免求め署名」
(
日テレニュース242017821 17:01
 
 http://www.news24.jp/articles/2017/08/21/06370306.html
2
「籠池夫妻を再逮捕 詐欺の疑い」
 
FNNニュース、8/21() 21:23配信)
 
 https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20170821-00000897-fnn-soci
3
「籠池前理事長夫妻、再逮捕」
 
(テレビ東京、2917821日、ゆうがたサテライト)
 
 http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/you/news/post_138868/
4
「籠池夫妻 府の補助金詐欺容疑で再逮捕」
 
(「関西テレビ」8/21() 20:03配信)
 
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170821-00000004-kantelev-l27
5
「佐川国税庁長官の罷免求め申入書 市民団体が財務相に」
 
(朝日新聞デジタル 2017821日、1833
 
 http://www.asahi.com/articles/ASK8P56TJK8PUTIL027.html

8月14日の当ブログの記事を通じまして、署名にご賛同いただきました方々に、お礼申し上げます。ありがとうございました。

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2017年8月23日 (水)

わたしの八月十五日~薄れゆく記憶をとどめたくて(2)変電所への機銃掃射を見た

 疎開先の佐原での落ち着き先が、仁井宿の馬市場跡の管理さんの家だった。前回は、815日の薄れた思い出をたどった。

 そして、それよりどのくらい前だったのか。「変電所」への「キジュウソウシャ(機銃掃射)」の様子を、お手洗いの窓から、この目で見ている。まだ、私の背丈では、窓には届かないはずだから、母か兄かに抱っこされて覗いた窓の先、たしかに幾つもの「ショウイダン(焼夷弾)」が斜めに落ちて来るのを見たのである。大人たちが騒いでいたので、「ワタシも見たい」とせがんだのかもしれない。夜のような気もするし、昼間だったのか、棒状のバクダンが斜めに流れで落ちていくのを瞬間的に見たのだ。何日のことだったのか、佐原市の市史でも見れば出てくるだろうか。

 ネットの限りでは、確かな情報は出てこないので、あきらめかけたころ、「終戦のころの思い出」の寄稿を集めているサイトがあった。そこに、谷口敏夫さんという方が、仁井宿の変電所への爆撃で、家族を亡くされたことを書かれていたのである。http://www.s-s-m.jp/hiroba/zuisou/shusen_04.htm

 

 谷口さんご自身は、19439月、中学校3年の2学期に予科練を志願、土浦海軍航空隊に入隊し、19454月に鹿島海軍航空隊の飛行練習生課程を修了し実戦部隊の霞ヶ浦海軍航空隊に転属し、6月頃から筑波山麓の真壁の農家に民宿して、そば畑をつぶして飛行場を作る作業に従事していた。720日過ぎに上官から、佐原の実家が空襲に遭い、家族が怪我をされているからと知らされ724日に帰省すると、74日の爆撃で、弟さんが即死、母上は重傷のまま亡くなり、葬式も済んでいた。父上は、東京電灯(後の関東配電、現在の東京電力)勤務で当時は銚子営業所に通勤されていて、変電所前の社宅に家族で住まわれていたという。

 

 私が見たのは、この74日の爆撃ではなかったのか。正午前で、警戒警報の直後で、谷口さんのお宅では、小学校から帰ったばかりの弟さんと母上を亡くし、妹さんも大怪我で回復まで苦しんだという。すぐそばで、こんな悲劇があったことは知らずにいた。大人たちは知っていたのだろうか。そんな話は、後にも聞いたことがなかった。爆撃機は、P51 ムスタングだったという。

 降伏が伸びていたら、この疎開先の佐原の町も焼け野原になっていたかもしれない。77日、千葉市では、「七夕空襲」で多くの犠牲者を出している。610日の日立航空機工場の被害と合わせて、死傷者1595人、千葉市街の7割が焼失している。

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2017年8月15日 (火)

わたしの八月十五日~薄れゆく記憶をとどめたくて(1)

 地元の9条の会でも、高齢化は免れないが、戦前生まれは、どうやら私一人になったようなのだ。「語り継ぐ」というのは、難しい。なにせ、私の「戦争体験」は、小学校に上がる前のことなので、記録はないし、断片的なカスレカスレの記憶しかない。わずかな記憶を、家族の記憶とわずかな資料、そして多くは、公刊された資料や資料館、体験談などに頼るしかない。私自身の家族、父母、二人の兄も亡くなってしまって久しい。疎開先でお世話になった親類とも、叔母が亡くなってからは、お付き合いも間遠になってしまった。そんな中で、先日、数十年ぶりに、少し年上の従姉から電話があって、積もる話で長電話となり、近く会うことになったのである。

 これまでも、このブログで、折に触れ、思い出話として、当時のことを書いてきた。最近では、新聞記事に触発されて、「奉安殿」前の「拝礼」について書いたのだった。馬市場と佐原事件については数年前にも綴っていた。

71年前のきょう、1946629日、何があったのだろう(2017629日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/06/711946629-0991.html

* 祭りの後の佐原を行く~ふたたびの疎開地(2)(201010月15日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/10/post-3ba9.html

 

 すでに、どこかで書いていることと重なるかもしれないが、私の1945815日は、疎開先の千葉県佐原の仁井宿(現香取市)の借家で迎えた。簡易な馬小屋も並ぶ、馬市場が開かれていたという、広いくさ原の端っこに建つ、管理人さんが住んでいたという二階家だった。といっても、遠くから見ると、3~4本の「つっかい棒」に支えられている古家だった。それでも、1944年、池袋の店を続けていた父、学生だった長兄を残し、東京の空襲を怖れて、母と次兄と私が転がり込んだ母の実家の「ヒサシ」のひと部屋と比べたら別天地のような気がした。といっても、母の実家には、すでに母の長兄は病死したばかりで、叔母と三人の子供たちがいたのだ。そんな中で、私たち家族とやはり東京の蒲田から疎開してきた母の妹家族を受け入れてくれていたのだ。この時の恩は忘れることが出来ないのに、不義理を重ねてしまっていたのだが。

 その仁井宿の家で、裏にあった、近所の農家と共同の井戸端から戻って来た母は、815日の午後だったのだろう、「日本は戦争に負けたんだって」と、暗い土間に肩を落として立っていたのを覚えている。この日の記憶はたったこれだけなのだ。ただ、母の実家から、この家に引っ越してきてまもなく、叔母がサツマイモなどを持って、訪ねて来たとき、叔母から聞いた話は覚えていた。「負けた」と知らされ、とっさに、その話を思い浮かべたに違いないと思う。叔母は、どこから聞いてきた話だったのか、「日本が戦争に負けたらよォ・・・」と話し始め、「女はみんな、ボウズにされてヨッ」と続けたのは、みんな捕虜になって食べるものは、雑炊いっぱいで、アメリカ兵にこき使われる・・・というのだ。幼い私には、なんか怖ろしい話として、頭にこびりついていただろう、今でも鮮明に思い出す。叔母は、これに限らず、一家の大黒柱でもあったので、気丈で、情報通でもあって、話術にも長けた女性だったと、今から思う。

 この家での記憶の断片を、随時、たどっていきたい。

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