2026年9月 9日 (水)

関東大震災朝鮮人犠牲者の慰霊にむかう

『うた新聞』(2026年9月)のコラム「忘れないために」に寄稿しました。
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チョゴリにて生徒ら歌うその声は馬込の野をも鎮めゆくなり      

 私の住む佐倉市に接する八千代市の高津山観音寺で毎年行われている関東大震災慰霊式に二回ほど参列したことがある。寺には犠牲者を悼み、韓国から贈られた鐘と鐘楼がある。一九九八年には、大震災発生時に警察の命令により村人たちがやむなく殺めた朝鮮人六人の遺骨が発掘された。殺戮の場へ連れ立つ朝鮮人と村人の姿を見送ったという教師から話を聞いた方が、いまも慰霊やフィールドワークの重責を担っている。犠牲となった六人と村人たちの悲痛は想像を絶する。政府は事実の認定を避け、犠牲者への謝罪もない。

 また、十年近く前になるが、船橋市馬込霊園での関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に参列した。慰霊碑の横には約百人の方の遺骨が納められている。式の帰りのバスで、朝鮮人学校の引率の先生と隣り合わせになったご縁で、学校行事の案内等を頂くようになった。

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 以下は、2023年、『現代短歌新聞』(2023年10月)<関東大震災100年>特集の折、寄稿したものです。

観音寺の鐘楼 

縛られて〈払い下げ〉られし六人を殺せと命じられし村びと

息つめて向うは高津山観音寺晩夏の雨に鐘楼濡れおり

朝鮮の技にて成りし鐘楼に犠牲者慰霊の礼のひたすら

命じられ殺めし人らを供養せる碑には銘なく落葉とどまる

二九六の往来激しき道の辺に潜まり建つは〈無縁仏の墓〉

 

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2026年9月 6日 (日)

「愛子天皇待望論」って、何だったのか~地元の九条の会のニュースに書きました

 9月4日、地元の九条の会のニュースの印刷に行ってきました。佐倉市の中央公民館の印刷機は新しいし、折り機もあるので、よく利用してきました。転居により、前より近くなったので、手伝う機会も多くなるかもしれません。2006年、会の出発当初は、会員も多く、様々なイベントに取り組んできました。ニュースも3000部ほど刷り、戸別配布、駅頭配布、市内の高校前配布もしてきましたが、今は配り手も少なくなって半減しています。大事なときに残念ですが、それぞれの得意を活かして頑張りたいです。

 以下が、55号です。皇室典範改定については、メンバーの中でも意見が異なっています。さらに議論を進めることができればといいな、と思っています。私の文章は、相変わらずのことなのですが、どうぞ、他の記事もお読みいただければ幸いです。

さくら・志津憲法9条をまもりたい会ニュース55号

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男女を問わず、皇族たちの人権は?「愛子天皇待望論」って、何だったのか

 「皇室典範改正案」は6月30日に閣議決定された。大方のマス・メデイアは、旧宮家の男系男子を養子とする案への疑念を呈し始めた。たしかに、養子案は荒唐無稽な時代錯誤も著しく、非科学的な「万世一系」に根拠もなく、多くの国民は受け入れ難かったに違いない。同時に、新聞などは、自社の世論調査結果を踏まえて女系・女性天皇への期待を、強調するようになった。

 7月10日、衆院での質疑もそこそこに、即日、賛成多数で可決した。翌日の三大全国紙の社説は、一斉に、国会運営の強引さと野党国民民主と中道が従来の主張に反して改正案に賛成したことを糾弾した。与党の恣意的な国会運営、質疑における詭弁、答弁不能、テープレコーダーのような繰り返しにも近い政府答弁に、私は呆れもした。7月15日参院特別委員会で審議入りし、17日には本会議で賛成多数で成立した。国民そっちのけの国会軽視も甚だしく、見直しは30年をめどとする無責任さである。

 これまで、朝日新聞は、その社説で、7月10日「皇室典範改正の暴走」を非難、養子の男性子孫は皇位継承資格を持つという規定は、女性・女系天皇への道を塞ぐものだとし、毎日も、7月1日「養子の子に皇位継承権を付与する」という改正案は「女系・女性天皇を封じる意図」だと疑念を示した。読売は、4月16日「皇位継承の安定 女性・女系を排除せず論じよ」と明言して以来、世論調査を踏まえて、7月1日にも「女性・女系を排さず議論し直せ」と訴えている。女系・女性天皇を容認しないのは、憲法の男女平等に反するという論調とともにネット上も含め、実現に程遠い「愛子天皇待望論」が噴出、盛り上がりを見せた。まるで、改正案に不満を持つ人たちのガス抜きのように。

 現憲法下では、皇族たちは男女を問わず姓を持たず、さまざまな基本的人権を奪われている。改正案の「女性皇族は結婚後も皇族として残る」ということは、基本的人権を奪われたままで、法的な根拠を持たずに増やし続けた「公的行為」「公務」の人材要員となるにすぎない。配偶者や子どもの処遇、住所や生活費はどうなるのかも不明に近い。

 なお、かりに、女性天皇が実現したとしても、従来、天皇が背負ってきた義務や重圧を女性皇族までに拡大することになり、配偶者と子孫の処遇ものの昧である。

 本来、皇族といえども、憲法上は、男女を問わず、皇籍を離れる自由、結婚の自由、子供を持つか否かの自由があるはずである。また、憲法では、天皇は政治的権能を有しないはずだが、果たしてきた役割を省みれば、政権との密接な関係は否定できない。外国訪問、戦死者・被災者慰霊、種々のイベントへの参加によって、政権の施策の欠落部分の補完機能を強いられ、利用され続けている現状に目を向けるべきだ。

 朝日新聞の7月10日の社説に「象徴天皇制と、法の下の平等や個人の尊重など〈人類普遍の原理〉という異質なものが憲法に同居しており、完全に整合させることは難しい」とやや踏み込んだ一文あったことに私は注目した。さらに、改正案成立後の7月19日に、有田哲文記者による「日曜に想う 天皇制〈なぜ〉続けるのかを問う」という問題提起がなされた。憲法の基本理念と天皇制は相容れないはずである。〈なぜ〉この時期に至って、記者名による基本的な問いかけがなされたかをも記憶にとどめておきたい。

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お隣の棟の庭先で出会う。先日の駐車場で見た猫とは違うが、逃げようともせず、かえって怪しまれたかも。        


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2026年9月 2日 (水)

勝手に集めかけた、天皇制に対峙した歌人たち

 こんなことをして何になるのだろうと思いながら、やっぱり気づいた限りで記録にとどめておきたいと思った。私の理解は浅いらしい、表面上のことしか読み取れない。深読みの鑑賞はできない、と開き直ることにした。

 これまでの調査と、いま、渉猟できる手元にあるアンソロジー、ほんのわずかな全歌集、個人歌集、古い雑誌、そしてネット検索の結果である。ほんとは、初出にあたりたいのだけれど、図書館に出かけたり、遠隔コピーを依頼したりする体力・気力が覚束ない。転居の折、手離さなければよかったと思う資料もあったのだが、後の祭り。一応、出典は、メモしているが、さらに確認中である。もし、他の歌人や作品をご存じでしたら、ぜひご教示いただけましたら幸いである。

 若干のコメントも付して、当ブログで発表できる日があればいいと思う。さらに勝手な区分をしながら・・・。

(敗戦直後の歌人たち)

坪野哲久 (1906-1988)

・敗戦の責めの所在を見きはめつつ君をうやまはずまた否定せず

・神にあらず人にも似ざる旅を行き新しき代の感覚のずれ

・切羽つまりしわれらが今日のまなこもて天皇をみる遮ることなかれ

香川進 (1910-1998)

・天皇がただすなほに詫び宜らすことすらなしに何革まるべき  

阿部静枝(1899~1974) 
・雲の上に主権をおきてひれ伏せる暗愚の歴史閉じて起つべし

安藤佐貴子 (1910-1999)

・奉安殿壊つ清しさや古きもの崩えゆく兆しまのあたり見つ

・新憲法かにかく成れど「象徴」の模糊たる二字にわが怡しまず

渡辺順三 1894~1972 

・天皇制廃止のことをこともなげにこの老いはいふゐろり端にて

(抵抗の歌人たち)

大塚金之助(1892~1997)

降伏の日(一九四五年八月)

・真珠湾 奇襲の戦果を その夜の 君は無批判に うけとりました!

人間宣言

・人間が 神になったり その神が 人間になる 国なのである。

・あのやさしい 天皇の名において 十三年、 僕が追放されたとは 信じられまい。

・君のしずかな 態度の底に 暴力を ひそませているのを 見のがしはしない。

・人間を 口にする君が 人間を 虐殺ナチズムを どうしてとったのですか?

木原実(1916~2010)

・襟もとふかく天皇をみた二十歳の未決監房赤い煉瓦みち

・地獄が天皇を待つと書いたザ・サンの記事読みつづける雨のなか

・象徴不信の声もなく早鐘を打つように戦後が終わる

・高速道路に車の影はなく 堵列する亡霊二百十八万八千二百五名の雨しぶく

草野比佐男(1927~2005)

・国会の答弁に似てぬらりくらり歌会始選者受託の弁も

・皇室に御子生れしと祝ぐこゑのとどろきて国はいまも帝国

・皇孫の誕生にまたしばらくはわが非国民はいぢけて過ぎむ

・勲章の人間差別をあやしまずあはれ勲六等感泣す

竹山広(1920~2020)

・現つ神にあらず人民にまたあらず機関車二輌みがきつらねて

・広き窓に並ぶおん顔なほ見えて天皇かなし皇后かなし  

(「前衛」とつらなる歌人たち)

塚本邦雄(1920~2005)

・おどろくばかり月日がたちて葉櫻の夜の壁に若きすめらみこと

・迦陵頻伽のごとくほそりてあゆみますあれはたまぼこのみちこ皇后

山中智恵子(1925~2006)

・雨師(うし)として祀(まつ)り捨てなむみ氷雨は過ぎて昭和終んぬ

・天皇制はいかにあるべき大喪の誄歌(るいか)ながれてやまざるときを

・青人(あおひと)草(くさ)あまた殺してしづまりし天皇制の終を視なむ    

水原紫苑(1959~)

・昭和天皇いまだ裁かれずその裔すゑを崇むる不條理、太陽のごと

・天皇制、自衛隊容認のリベラルを訝しむとき露草濡るる

・裁かれて無惨の生を全うせよ それのみに希ひし延命のこと

・國葬はくにを葬る秋ならばかへらざるべし血の蜻蛉(あきつしま)島(しま)

瀬口真司(1994~)

・二十三区の夜景の黒い本丸よ・何度もジャングルを生き延びて

・君の身体は君のものでも人生は人生は天皇に生きられて 

(釋迢空・岡野弘彦を継いだ歌人たち)

中西洋子(1941~)

・被災地にペリリュー島にひったりとつね寄り添ひてかの女人(ひと)も、老ゆ

・歌びとら、あゝあの歌びとも詠(うた)ふなり、天皇制にふれざるやうに  

一ノ関忠人(1956~)

・抑揚の乏しきこえ聲に帝國の滅びを告げしより半世紀 

・天皇をことほぐこゑに満ち充ちてこのくにあやふしとおもはざらめや

・大嘗祭の天皇の儀のむなしさをこころしておけいまの世の子ら

・天皇の退位ことほぐ声々にかきけされたる慨(うれた)みのこゑ

・毒のごとくに体中めぐりわだかまるわが天皇よいまだ滅びず

・なやましき課題の一つ天皇制解きがたければ幾度(たび)も問ふ

(最近の雑誌などから)

斎藤寛(1952~) 

・歌会始風に自作を音読ししばし怺へてそののち笑ふ     

・神を脱ぎ象徴といふ韜晦に身を躱(かは)しつつ生き延びたりき

・ビックカメラの店内はしづまりをりき'89年1月8日   

・象徴が思想を表明する是非は問はれぬままに代は替りぬ  

・一条より八条までを廃棄せよ 俺もしつかり改憲派だぜ 

 

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施設の東門を出ると、「さくら庭園」沿いに、”昼なお暗い”こんな道がある。一度だけ通り抜けたことがある。今回の千葉県の豪雨で、倒れた木や竹が頭上に迫る個所もあった。

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2026年8月30日 (日)

NHK夜ドラ『税金で買った本』ってどんなドラマになるのかな?

 図書館が舞台のドラマと聞いて、見ないわけにはいかないと、先週月~木曜日の4話分を録画だったり、リアルだったりで、見ることになった。
 原作は「週刊ヤングマガジン」(ずいの作、系山冏画)で、2021年12月からの連載で、人気が高かったという。この頃のテレビドラマには、原作が漫画というのが多いのではないか。
 シングルマザーと暮らすヤンキーな息子が、昔、読んでもらった本が懐かしくなって、町の図書館に出かけ、利用者カードを作ってもらい、手にするまでの間に、図書館には、本を貸すだけではない様々な仕事、レファレンス、未返却本の処理、破損本の修理、プライバシーの保護などが、女性の非常勤職員や男性職員らによって語られてゆく。そんな中で、アルバイト先からクビを言い渡され、途方に暮れていたところに、その図書館のアルバイトに採用されて、4話は終わる。

 原作者は図書館勤めの体験があるというだけあって、なるほどということもあった。でも、当方としては、公共図書館の利用者ではあったが、国立図書館、短大図書館、大学図書館勤めが合わせて30年余りの身としては、ツッコミたいところもあった。それでも、これから、どんな展開になるのか、楽しみでもある。

 今回のドラマのキャストは、ほとんど名も知らない人ばかり。原作漫画でも主人公の女性職員は丸い眼鏡をかけている設定で、いかにもという感じ。一種の固定したイメージがあるのかな。私の記憶にあるドラマの図書館職員は、古くは、1979年と80年の正月に放映された向田邦子原作の「阿修羅のごとく」である。4人姉妹を演ずる加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュンの三女のいしだあゆみが図書館勤めで、まるっきり男っ気がないという設定であった。父親、佐分利信の愛人問題が発覚したところから始まったのではなかったか。また、ついこの間のような気もしたのだが、調べてみると2001年1~3月放映のTBSのドラマ「ビューティフル・ライフ」も、常盤貴子が車椅子の司書を、木村拓哉が美容師を演ずる恋愛ものであった。いわば、図書館のバックヤードにまではいたらない“図書館”が舞台ではなかったか。

 当方は、最初の図書館では、レファレンス部門の法律担当に回された。当時は、来館者、文書の問い合わせとともに、電話での問い合わせも多かった。来館者や電話での問い合わせは、時間との勝負で、部屋にある辞典・事典、文献目録、雑誌索引、先輩たちが残してくれたさまざまな書誌やカード目録が頼りだった。それでもわからないときは、時間をもらって、膨大なカード目録の検索、書庫に入っての文献の検索、確認の必要があった。まだパソコンなどない時代だった。

 連れ合いの仕事の関係で、名古屋の短大図書館に転職してからは、図書・雑誌の選書、発注、受け入れ、分類・整理、カードの整理、配架などを少人数の職員で手分けしてこなし、交代で、図書の貸借や相談を受け付けるカウンター業務につくという過酷な泥くさい仕事だった。エプロンと首に巻くタオルは必需品だった。1970年代後半から80年代は、私にとっては子育てのさなかではあったが、夏休みの1週間、愛知学院大学の司書講習会で、参考業務演習を担当したことも忘れ難い。200人近い受講生にレファレンスの楽しさを、どれほど伝えられたか分からなかったが、自身が学びながら楽しむことができた貴重な体験であった。 そして、千葉県に転居してからは、新設大学の図書館に転職することになったのだが、ここでもわずか数人で、アルバイトや機械の力も借りながら、図書館業務全般をこなさければならなかった・・・。

 そんなこともあって、退職後、公立図書館の様子も知りたくて、市立図書館の非正規職員募集に応募したこともあったが、採用されなかった。現在、公共図書館では、職員の4人に3人が非正規職員というのが実態である。さらに、管理の程度は様々であるが、市町村立図書館で指定管理者制度の導入も始まり、20%を超えている。佐倉市でも、指定管理制度の検討に入ったという。図書館はどこへ行く。

 そうそう、「税金で買った本」に戻れば、アルバイトといえども、あんな簡単に採用されるものかなあ、というのも疑問だった。
 以下、過去の当ブログ記事もご参照ください。

 図書館の「指定管理者制度」についての講演会へ(2025年8月 4日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/08/post-757383.html

図書館を支える人々~非正規と障がい者の方々の待遇の実態(1)(2023年9月10日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/09/post-52425b.html

 

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2026年8月18日 (火)

千葉豪雨~現代の「治山治水」とは

  今回の8月13日からの「千葉豪雨」には、ほんとうに驚いた。佐倉市の雨量も半端ではなかったが、雨戸のない部屋には、雷鳴と共に落雷するのではないかとさえ思えるような状況が続いた。2019年の台風の時の雨量が6時間あたり234mmに対し、今回は454mmと約2倍であったという。とりあえず、近辺の被害は、見当たらなくほっとしたところである。

 佐倉市内で2名の犠牲者が出たとの報道に接したが、しばらくの間、その状況が分からなかった。8月14日の夜のニュースで、犠牲者の一名はタクシーの乗客の女性と知った。しかも、一昨年まで住んでいた場所から遠くない「小竹」だったといい、田んぼの中で水没している一台のタクシーの映像が放映されていた。車の屋根には、旧居と勝田台間で、よく利用していたタクシー会社の標識ついていた。8月13日の夜半、猛烈の雷雨の中、あのタクシーはどこからどこへ向かおうとしていたのだろう。運転手は一命をとりとめたというが、身につまされる事故であった。

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8月14日、TBSテレビニュースより

  14日から15日にかけて、知人や友人からお見舞いのメールをいただき、恐縮する。16日には、旧居近くの友人と会う機会があったが、道路が冠水、危うく玄関に水が入りそうになった由、雨の中、近所の男性たちとグレーチングにたまったごみの撤去に大変だったとのこと。動けなくなった車も近くにあったというが、こうした一度水没し、動けなくなった車は、県内で2700台にも及んだという報道もある。実際はもっと多いのではないか。ユーカリが丘駅近くの商業施設に働く人たちの中には、帰宅できず、店に泊った人たちも多かったそうだ。また、千葉市内の友人からは、一時期、電気やガスもストップし、マンホールの水が逆流、浸水し、高齢者にはあと片付けはきついとのメールも入った。

 家屋の浸水や土砂崩れ、農作物への被害も甚大だが、地下施設の浸水や車の水没、それに伴う交通障害といった、都市に発生しやすい被害も目立つようになった。

 8月15日には、熊谷千葉県知事が佐倉市の被害状況を視察に来たようだ。地元選挙区選出の衆院議員や県議3人と自民党小林政調会長もぞろぞろ。なんだかな、選挙対策芬々の光景であった。その様子は知事がXに投稿している。(https://x.com/kumagai_chiba

 2019年の台風の時も、佐倉市内の街川は氾濫し、大きな水害をもたらした。山火事やクマ被害対策にしても、「治山治水」は現代においても、政治の大きな課題なのである。AIの促進やデーターセンター建設にうつつを抜かしていて、いいものなのだろうか。高齢者は不安なのである。

 

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2026年8月12日 (水)

欠陥法案、続々、もうこの国を愛せない(4)~国会閉会後はというと

 高市首相の熊本地震の被災者避難所の視察が「3分」に過ぎなかったと報じられ(「田中龍作ジャーナル」2026年8月3日)、拡散されると、氷川中学校の滞在時間は五十何分だと、内閣広報官が反論する羽目になった。https://tanakaryusaku.jp/2026/08/00033801

 朝日新聞8月4日の「首相動静3日」によれば、避難所の氷川中学校到着3時13分、視察が午後3時21分から34分、35分から54分までが被災者との意見交換をしたことになっている。実際に、避難所になっている氷川中学校の教室に滞在したのはかなり短かったことは推測できる。その前には、校長室で地元住民との意見交換が行われていたらしい。また、首相官邸からは、BGM付きの首相の「熊本視察動画」が発信されたことも批判されている。たしかに、真新しい防災服を着て、走るように移動する動画は、子どもが燥いでいるのようにも見える。6日経っての視察先での「激甚災害指定」の宣言といい、予備費からの200億円で「国ができることはすべてやる、先手、先手で」との発言は、失笑をかった。電気、水、道路を断たれ、家を失い、瓦礫の中で暮らす被災者や車中泊を余儀なくされている人たちをさかなでしないか。災害の政治利用、パフォーマンスといわれても仕方がない。
 折も折、8月1日、2024年1月の能登地震の復興計画の一環での公営住宅整備3100戸のうち、2棟14戸が七尾市に完成し、入居した旨の報道がなされた。2年半以上がたってもこんな状況であることを知らなかった私は驚いた。この事態を、物々しく、いかにも復興が進展しているかのように報道する方もおかしい。遅れているのはなぜなのか、何がネックなのかことこそ深堀りするのが報道ではないのか。能登半島地震、今回の熊本地震の復旧・復興対策一つをとっても、後手、後手の結果ではないのか。

 6月末には「日本成長戦略概要~「強い経済」の構築による、強く豊かな日本列島の実現~」が明らかになった。https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/nipponseichosenryaku/pdf/jgs2026gaiyou.pdf(内閣官房)

 また、7月21日、政府は「骨太方針」を閣議決定した。その中の「安全保障の強化」という項目には「5年以内の防衛力の変革を明記。その一環として、有事に備えて弾薬などの生産ラインを維持するため、工場を国が保有し運営は民間に委託する「公設民営化」の検討を盛り込ん」でいる(東京新聞7月22日)。

 さらに、政府は8月4日の閣議で、2026年版「防衛白書」を了承したのである。無人機や人工知能(AI)を活用した「新しい戦い方」の出現を踏まえて1章を創設した。「新しい戦い方」って、いったいどこと戦うというのか。中国と太平洋進出や中国とロシアの動向を念頭に置いているという。すでに今年の3月、熊本市の健軍陸上自衛隊駐屯地に、住民の反対を押し切って、中国の沿岸部や北朝鮮が射程に入る長距離ミサイルが配備された。10年かけて、各地に配備、反撃能力(敵基地攻撃能力)を高めるというのだ。防衛費の総額は、9兆353億円(対前年度比+3.8%)で、長距離ミサイルを含むスタンド・オフ防衛能力分野では、総額の約1割の9733億円で、2023年度から5年計画で毎年1兆円近くが計上されて来た。重点分野の内訳は、以下の通りである。

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【参考】

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jijicom 2025年12月26日より

 物価対策の一環としての食料品消費税減税のはずであったが、8%を1%に下げたところで、生鮮食品を含む食料品の物価上昇はすでに、7%をとっくに上回っていることは、多くの国民はスーパーや生協での支払いで実感済みである。来年4月からの2年後に8%に戻すという。8月5日、財源を示さないままの閣議決定であるが、8月6日の首相の記者会見では、2年後には「私が責任をもって、8%に戻す」覚悟?が確認されている。

   8月7日には、農林水産省は、食料自給率を公表した。図表に見るような長期推移を以下のように分析している。
「食料自給率は、長期的に見ると、米の消費が減少する一方で畜産物や油脂類の消費が増大する等の食生活の変化により、低下傾向が続いてきましたが、2000年代に入ってからは概ね横ばい傾向で推移しています」

 たしかに、横ばい状態が続いているが、カロリーベース37%というのは過去にもあったが最低である。カロリーベースの自給率の計算式は以下の通りとなる。

カロリーベース 食料自給率 = 国産供給熱量÷ 国内総供給熱量
= 1人・1日当たり国産供給熱量÷ 1人・1日当たり総供給熱量
= (830kcal/人・日)÷(2,237kcal/人・日≒37%

   この食料自給率は先進7カ国(G7)の中で最も低い水準で、食料供給のうち、国産で賄えない63%分は米国(26%)やカナダ(11%)、豪州(10%)などからの輸入に頼る。自給率が下がれば紛争や為替変動などの影響を受けやすく、食料安全保障上のリスクとなるわけである(jiji.com 2026年8月7日)。 品目別の自給率はでは、米が96%、野菜73%、魚介類46%、砂糖類33%と続くが、果実28%、大豆25%、小麦になると17%となる。相当危ういことになってはいないか。知っているようで、この数字を目にするとあらためて驚いてしまう。物価上昇に歯止めがかからないのは、ここにも原因の一つがあるようだ。

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jiji.com 2026年8月7日より

 【参照】 
農林水産省(2026年8月7日)
令和7年度食料自給率(カロリーベース・生産額ベース)
https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/attach/pdf/012-20.pdf

 こんなことを調べたり書いたりしていると、心はますます萎えてくる。この辺でやめたいと思う。

 

 

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2026年8月 7日 (金)

比屋根さんが亡くなられた、さびしいです。

  8月2日、比屋根照夫さんが亡くなられた。今朝の毎日新聞で知った。最後にお会いしたのが、2017年8月1日、松本三之介先生の『「利己」と他者のはざまで』(以文社)の出版を記念しての会だった。日付まで覚えているのは、長兄の命日でもあったからである。会は、生家にも近い池袋のお店だった。比屋根さんは、大田昌秀元知事の県民葬の準備で多忙の中、上京されたとのことであった。会は、先生の新著の合評会を兼ねて、参加するには必ずレポートするよう、世話役の友人から言われていたのだが、私には、かなりきつかった。あとは、先生と参加者の議論をひたすら聞くばかりだった。

参照「『「利己」と他者のはざまで』に触れて」(2017年8月 3日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/08/post-5537.html

  私は、大学では松本ゼミでもなかったのだが、卒業後、同期のゼミ生だった友人から声がかかって、ゼミ旅行や「飲み会」に誘っていただくことがあった。 比屋根さんとは同じ年のはずだが、大学でご一緒していたわけではない。琉球大学を卒業後、東京教育大学の大学院で松本先生の指導を受けられた後、琉球大学で教鞭をとられている。本土復帰前に日本に留学するには、入国審査が必要だったという話をされていた。「沖縄近現代思想史研究の第一人者」と紹介されることが多く、私も「伊波普猷」の名を初めて知ったのが比屋根さんの論文であったが、他の多くの著作を読んでいるわけではない。

 比屋根さんとは、もう一つの思いがけない“接点”があったのである。私は、少しばかり沖縄の歌人、沖縄の短歌、平成期の天皇夫妻が詠んだ沖縄の短歌について、調べていたことがあった。
 そこでなんと、比屋根さんの若き日の短歌に出会ったのである。1958年3月の『短歌研究』の〈沖縄の歌と現実〉特集は、吉田漱による沖縄の歴史・政治・経済の現状と歌壇についての丁寧な解説と作品集を収めていた。編集の杉山正樹は「ジャーナルの上でやや置去りにされがちな沖縄の諸問題を島民の切実な“地の声”を中核として」企画したと記しているのだが、その作品集の中に、つぎの一首を見出したのである。

・絶望に通ずる道を歩むに似たり一日一日のかなしきいとなみ
 比屋根照夫(「琉球(新報)歌壇」)

 『琉球新報』の「歌壇」に発表された年月日は、調べればわかるのかもしれない。そこまではしていないのだが、比屋根さんが18歳の頃の短歌であったろう。とうに短歌とは離れているそうだが、当時の沖縄の行く末を嘆いての一首である。詠まれた状況は、なんと昨今の沖縄のみならず、日本の行く末にも通じるものがあって、愕然とするのであった。

参照「沖縄とジャーナリズム(1)短歌ジャーナリズムはどう向き合ったか」(2015年6月29日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/06/post-cfd1.html

「沖縄タイムス」(8月6日)は「沖縄近現代思想史研究の第一人者で沖縄の政治や社会状況に積極的な発言をした」と報じている。もう一度、電話ででも、今の沖縄について、短歌についての話をお聞きしたかった。
 ご冥福を祈ります。

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1974年8月、松本ゼミOB研修旅行、「自由民権の地 弾正が原」にて。碑に向かって中央左のシャツ姿の松本先生、その後ろに立つのが比屋根さん。山形で山形大学の二人と先着組に合流、蔵王温泉のこまくさ荘と白銀荘に各一泊、
観光のドライブの後は数人による研究発表が二日続いた。この旅行の予定にはなかったが、「斎藤茂吉記念館」にも、急遽立ち寄っていただく。三日目は、会津若松を経て、帰京組は郡山から特急に乗り、私には楽しい旅が終わった。

 

 

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2026年7月31日 (金)

欠陥法案、続々成立~もうこの国を愛せない(3)電気事業法改正の中身

  7月17日の国会の会期最終日のどさくさに紛れて、改正電気事業法も成立した。参院本会議では、共産、れいわ、社民が反対、賛成多数(賛成227、反対16)で可決した。「原発の建て替え可能に」なった旨の小さな新聞記事は散見できたが、「改正皇室典範」報道に比べれば、雲泥の差であった。テレビなどではほとんど報じられることはなかった。

  2026年7月21日、経済産業省は、ホームページの「電気事業法の一部を改正する法律案」が成立しました」の記事には、その法律の趣旨・背景を次のように述べていて、あえて「原子力発電」という言葉を避けているかのようである。

「・ロシアによるウクライナ侵略や中東情勢の緊迫化により国際的なエネルギー情勢が変化する一方、国内ではDXやGXの進展による電力需要の増加が見込まれている。
・こうした中で、電力の安定供給を確保しエネルギー安全保障を推進するべく、大規模な地域内・地域間送電線の整備の促進や大規模電源の整備の促進等による供給 力の確保、電気事業の安定的・持続的発展のための環境整備、太陽電池発電設備等の安全性の向上等に関する措置を講じる。」

 さらに、「法律の概要」を、素人なりに読んでみたところ、この法律の要は、「大規模電源の整備の促進等のために、経済産業大臣が大規模発電事業者の大規模電源の整備計画を認定し、電力広域機関が整備等に必要な資金の貸付けを行う(財政投融資等を活用)」ことにあり、 同時に、太陽電池発電設備等の安全性の向上のために規制を強化することにあるようなのだ。

 これだけの文言からでは、報道にあるような「原発建て替えに公的融資が可能になる」ことまで読み取るのが、私には難しいが、さらに、経産省は、2026年6月には「原発のリプレースを2040年代までに最大5基、50年代までに最大14基」とする目標を発表している。欧米の例で言えば、一基2兆円を超えるケースもあり、電力会社が投資をためらう現実があるようだ(朝日新聞 2026年7月17日)

  今回の熊本地震にあっても、被害状況が報告される際に、必ず直近の原発、川内、伊方、玄海原発の異常の有無が報告される。九州の西側に大きな活断層があるのが分かっており、未だ同様の強い地震が発生するかもしれないし、未知の活断層もあるかもしれない地震列島からなる日本である。東日本大震災における福島原発のような大事故になるかもしれないのである。     

 2024年1月の能登地震における志賀原発では、東日本大震災の2011年来、2機とも点検のため稼働停止中であったが、強い揺れに加えて高さ3メートルの津波が襲来した。変圧器が一部破損して大量の油漏れが発生、外部電源の一部も使えなくなり、核燃料プールからは水があふれ出たという事実を、北陸電力は、まったく損傷がなく問題ないと発表し、後に訂正したのだった。振り返れば、1999年、2号機着工の直前に起きた臨界事故は、8年間隠蔽されて来たこと、専門家から敷地内の活断層の存在が指摘された経緯もあったのである。以下の当ブログを参照ください。

能登半島地震の映像を見るたびに(2)志賀原発は大丈夫なのか(2024年1月21日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2024/01/post-32f1ea.html

 東日本大震災時、原発は54基あったが、その後、21基は廃炉が決まり、残る33基のうち、15基が再稼働した。「原発の最大限利用」による40年ルールの例外として60年を超えての運転を可能にした原発もある。2024年10月には東北電力女川2号機(1995年7月稼働)が、2026年1月には東京電力柏崎刈羽6号機(1996年11月稼働)が再稼働している。5月8日には、関西電力美浜3号機(1976年12月稼働)の高温高圧蒸気漏えい事故、2025年2月、中部電力は浜岡3号機(1987年稼働)・4号機)(1993年稼働)の再稼働をめぐっての耐震データの不正発覚、調査中にもデータ隠蔽工作がなされていたとする悪質、かつ組織的な状況が規制委員会から2026年7月に報告された。

  加えて、原発事故が発生した場合の住民の避難経路の不備が指摘され、廃炉で生じた核のゴミの処理・貯蔵場所債決まらないまま、再稼働、建て替えを促進するための公的融資ができるようにしたのが、今回の電気事業法改正だったのである。
  国民に多くを知らせないまま、各電力会社への事故への責任をあいまいにしながら公的融資までして「原発回帰」を強行しようとしている高市政権への監視を緩めてはならない。

  そういえば、岸田政権時代の2023年、閣議決定した「GX(グリーン・トランスフォーメーション)実現に向けた基本方針」で、新たな土地での新設はハードルが高いということなのだろう、既設の原発を「最大限活用する」方針に転じ、廃炉が決まった原発の敷地内で次世代革新炉に建て替え(リプレース)を進めることを決めていた。「建て替え」を「リプレース」などと言い替えたりして、実質「新設」を可能にする、方向転換を打ち出していた。

   高市政権は、すでに3月24日の電気事業法改正案を閣議決定し、「政府は24日、原発などの大規模な電源や送電網の整備を促すため、公的機関による融資を可能とする電気事業法改正案を閣議決定した。データセンターの新設などに伴い電力需要の増加が見込まれる中、電源投資を行う民間の資金調達を政府が補完する仕組みを整える。」と報道されていた(「原発に公的融資可能に 電気事業法改正案を閣議決定」時事通信 2026年3月24日)。さらに、大規模太陽光発電所(メガソーラー)については、10キロワット以上の発電設備を設置する際、工事前に第三者機関による安全性の確認を義務付ける制度も創設する規制強化策も盛り込んでいたのである。

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   夕方、散歩に出ようとしたら、駐車場で猫に出会う。近づいても逃げない。   

 

 

 

 

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2026年7月22日 (水)

欠陥法案、続々成立~もうこの国を愛せない(2)再審制度見直し

再審制度を見直す刑事訴訟法改正案が、7月17日、参院本会議で賛成多数で可決、成立した。見直しの背景には、これまで、さまざまな冤罪事件があった。

冤罪を晴らすための、救済手段である再審制度の不備が、冤罪被害者自身やその家族を苦しめてきた。長期化した再審制度は、服役中に死去したり、死後に無罪が確定したりする現実があり、真犯人捜査を大きく阻害し、迷宮入りにしてきた。

「皇室典範改正案」関係の記事や解説は、大々的に報道されたにもかかわらず、比べれば、再審制度の見直しについては、総じて少なく思えた。7月17日、刑事訴訟法改正が成立した途端、見直しの不備が「懸念」という形で、報じられるようになったような気がする。私の勉強不足もあって、見直しの問題点がなかなか見えにくかったのだが、ようやく少し理解できるようになった。改正後も残る問題点は多い。

 1.検察の不服申し立て(抗告)を原則禁止~布川事件の場合

  これまでの刑事訴訟法の再審開始決定に対する検察の即時抗告を認める規定を削除し、抗告は原則禁止になったが、「十分な根拠」がある場合に限り可能とした。「十分な根拠」の判断は検察に委ねられ、例外規定がある限り、抜け道になりかねない。

  1967年の茨城県布川町の強盗殺人事件では、物的証拠がなく自白と目撃情報のみによって起訴された二人は、無罪を主張したが、1978年、最高裁で上告が棄却され無期懲役が確定した。1983年、2001年の二回の再審請求を経て、2011年水戸地裁で無罪判決が出て、検察が控訴を断念して、無罪が確定した。この間、検察サイドの自白の任意性、信用性が問われ、違法な取り調べ、捜査官の偽証、録音テープの改ざんなどが発覚、再審開始決定がなされたが、検察は即時抗告、2008年には、違憲や判例違反があるとして最高裁に対して異例の特別抗告までしたが2009年に最高裁が棄却、再審開始決定により、上記の無罪判決に至ったのである。検察側の証拠開示の遅れや恣意的な即時抗告、特別抗告によって、裁判は長期化した。1979年の鹿児島県の大崎事件は、第五次の再審請求が審理されていて、4度目の再審開始決定が待たれるところだ。検察の2度の不服申し立て行い、無期懲役の服役中に死亡した1984年の日野町事件については、今年になって裁判のやり直しが確定したのである。この途方もない長い年月の意味をしっかりと考えなければと思う。

<日本弁護士連合会HPより>

布川事件
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/retrial/shien/fukawa.html

布川事件特別抗告についての会長声明
https: //www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2008/080723.html

日野町事件
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/retrial/shien/hinocho.html

大崎事件
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/retrial/shien/osaki.html

2.証拠開示について

 これまで、刑事訴訟法には、再審の際の証拠開示の規定がなく、裁判所による検察への開示勧告しかできず、検察による証拠隠しや証拠捏造がなされ、長期化することが頻繁に起こった。そこで「再審請求の理由と関連した証拠」について裁判所が検察に提出を命ずる規定が新設された。しかし、「再審請求の理由と関連した証拠」という開示証拠の範囲が限定され、全面開示には至らなかった。再審理由との「関連性」が必要性と相当性などにより裁判所によって恣意的に運用される可能性がある。

 上記の布川事件でも、二回目の再審請求の折、検察側の証拠開示は否定的だったのを、従来の裁判所の開示勧告によって新たな多くの証拠によって有罪を覆す証拠が開示されていた。また、1985年の熊本県の松崎事件においては、開示によって、証拠のはずのシャツが事件後に捏造されたものであることが分かり、2019年再審無罪が確定している。

松橋事件
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/retrial/shien/matsubase.html
                                                                                                

3.証拠の目的外使用の禁止について

 再審手続きやその準備の目的以外で、元被告人や弁護人が開示証拠をそのまま交付・提示・提供することを一律に禁止することになった。事件の被害者のプライバシー保護が目的と言うが、捜査や公判の問題をメディアや支援者にそのまま公開すれば、罰則や罰金が課せられることになった。7月17日、日本新聞協会は「報道機関への情報提供に萎縮が生じ、非公開の再審請求審がさらに不透明になることを危惧する」との声明を出した。

 再審制度の見直しのきっかけにもなった1966年の静岡県の袴田事件について、1980年最高裁における死刑判決確定後、1981年、2008年の二回の再審請求がなされた。この間、検察が味噌だるから発見したという事件時の着衣のカラー写真が開示され、弁護団の実験の結果、捏造だとわかり、その後の曲折もあったが、2024年9月静岡地裁の無罪判決が出て、東京高裁は特別抗告を断念、無罪が確定するという経過をたどった。袴田さんとその姉、弁護団、支援者の活動は長きにわたったことを思うと、検察、裁判官たちの組織・自己保身の体質を変えるには、まだ数々の課題が残っているようだ。

 1960年代初め、非常勤講師だった下村三郎先生(東京高裁判事時代?)の「刑事訴訟法」の講義を受けて、単位もとったはずなのに、ああ、いったい何を話され、何を聴いていたのか。あとで、チャタレイ裁判で東京地裁の無罪判決を東京高裁で逆転有罪判決を下し、退官後は、ロッキード事件の橋本登美三郎の弁護人を務めた人でもあったことを知った。

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2026年7月19日 (日)

欠陥法案、続々成立~もうこの国を愛せない(1)

 毎日新聞の栗原俊雄専門記者が、日本国旗損壊罪法案が基本的人権を侵害するものとして強い反対をよそに成立を急いだことについて「≪国を愛さない自由≫」もある」との見出しで解説している(毎日新聞朝刊 7月17日)。いまの私の「もうこの国を愛せない」という心境にぴったりだった。近頃の国の内外の政情を見るにつけ、「鬱」を通り越して「憤死?」への道をたどることになるのだろうか,と。

「皇室典範」については、野党の結束ならず、途方もなく珍妙な改正案が成立した。当ブログでも何度か書いて来た。全体会議を経て、両院正副議長のとりまとめから、政府提出の条文案に至る過程で、先の取りまとめになかった「養子縁組の子が皇位継承権を持つ」という森衆院議長の“失言”を政府提出の改正案条文に盛り込み、それを「立法府の総意」というアクロバット的なすり替えをおこなったのである。この間、木原官房長官、高市首相は、国民の代表である議会の両院正副議長の「取りまとめ」に沿った条文であるといい続け、木原官房長官と共に「将来の検討を先取りしたり縛ったりする趣旨ではない」との答弁を繰り返し、「立法府の総意」であることを強弁した。中道はこともあろうに「将来の検討を先取りしたり縛ったりする趣旨ではない」によって賛成に回ったという経緯がある。

  今回の「国旗損壊罪」を創設する法案は、7月17日、参院の本会議での可決をもって成立した。この法律の守る法益は「国旗を大切に思う国民感情」であり、処罰対象は「人に著しく不快または嫌悪の情を催させるような方法」で「公然と国旗を損壊、除去、汚損する行為」なのである。「人間の感情」はさまざまで、簡単に「≪国民≫感情」などと一括りに出来るものではない。しかも、「不快感」や「嫌悪感」などとて千差万別で「著しいかどうか」など何が基準になるのだろうか。素人が考えても、「国旗」に対するさまざまな感情や表現活動は、憲法の思想・内心の自由、表現の自由で保障されているもので、損壊罪の創設は、違憲と言わねばならないだろう。

 法案の審議過程で、法案提出者の維新の議員は、この法律によって「愛国心の醸成」にもつながると発言している。そもそも、この法案は、自民と維新との連立合意にあたって、維新からの提案であったという。立法事実にも乏しく、両党の“お約束”実現に振り回された形だった。さまざまな場合分けをして、処罰の対象になるか否かとかしましい。処罰に至るにはかなりハードルが高いが、国民の国旗への扱いについて、牽制する効果を期待したいのだろう。スポーツや官公庁、教育現場でのイベントなどでの国旗の扱いに、規制や強制が強化されないか不安である。現に、教育現場では、国歌「君が代」伴奏や歌唱の強制をめぐって裁判が続いている。一般家庭や個人ではどれほど国旗への関心があるものだろうか。皇族たちの出先での歓迎の日の丸は、ほとんどが、日本会議や神社本庁が配布しているのが現状である。

(つづく)

 

 

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«男女を問わず、皇族たちの人権は?「愛子天皇待望論」って何だったのだろう