2017年4月28日 (金)

ほんとに、何から言い出していいのかわからないほど(1)政治家の「失言」とメディア

政治家の本音の世界

 政治家の場合本音かウソのどちらかであって、「失言」ということはあり得ないのではないか。本音かウソを言い放ち、誤解と言いつくろい、それでおさまらなければ、撤回と謝罪を繰り返すという処理が当たり前になってしまった。役職更迭・辞任はあっても、議員を辞職することはめったにない。

「貧乏人は麦を食え」 (池田勇人大蔵大臣、1950127日参議院予算委員会)、「中小企業の五人や十人自殺してもやむを得ない」「(池田通産大臣19521127日の衆院本会議)「バカヤロー」 (吉田茂首相、1953228日衆議院予算委員会)など、子供心にうっすらと記憶に残る政治家たちの本音発言は、今日に至るまで、幾度、聞いてきたことだろう。今回の今村元復興相の「帰還困難者の自己責任論」(201744日復興庁記者会見)「東北でよかった」(2017425日自民党二階派講演会)発言は、モラルとか「弛み」「緩み」、「感情的になった」の次元ではなく、彼らは、ふだん思っていることを正直にストレートに述べたに過ぎなかったのである。そこには、つねに「弱者切り捨て」政策の系譜が脈打っている。

さらに、記者の質問に対して、「出ていけ、二度と来るな」(前掲44日記者会見)という今村発言、さらに「あますとところなく記録を取って、一行でも悪いところがあったら首を取れとは、なんちゅうことか」と取材陣を指さし、「そんな人は(会場に)に入れないようにしないといけない」(2017426日東京都内の講演会)という二階自民党幹事長のメディア批判は、トランプ大統領のメディア攻撃以上に重大発言だった。アメリカには、まだ、司法やメディアによるチェック機能が歯止めとなっている。

 折しも、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」は、426日、2017年の世界各国の報道自由度ランキングを発表した。日本は、180国中72位で、ランキングを始めた2010年の11位から年々順位を下げ、「先進国」では最下位、自由度最悪180位の北朝鮮を批判できる状況ではない。日本では、チェックすべきマス・メディアが、政府の意向をまさに「忖度」してテレビの報道番組のキャスターを降板、交代させてしまうのだ。森友問題でのキーワードともいえる、官僚たちの「忖度」をきびしく追及できるのだろうか。組織犯罪処罰法改正案に「共謀罪」新設の論議についても、個人のジャーナリストたちによる抗議は見受けられるけれども、マス・メディアとしては、社説や記事で法案の欠陥や審議についての言及、「一般人」に降りかかるリスクへの警鐘はあっても、メディア自体、わが身に降りかかる危険に対しては、あまりにも無防備ではないか。「一変」したとして、いつ「弾圧」されるかもしれないのである。「大逆事件」や「中央公論社解散」の時代に引き戻される「治安維持法」の世界にならないとも限らない。

 

近頃のNHKは何を伝えたのか

NHKは、会長が変わっても、その放送内容は、政府広報の色彩はますます濃厚になるばかりである。「視聴者の関心」という客観性のない、恣意的な選択による国会中継に始まり、ニュースは「編集権」と称して、その項目と時間配分における政治報道の偏向は目に余る。たとえば、国会質疑報道にしても、質問の方は、映像と読み上げで簡単に済ませ、整ったところの首相や閣僚、官僚の答弁を肉声で伝える。答弁につまったり、トラブったりしたところは省略する。これは国会中継や他局の報道を見ないことには分からずじまいである。

NHKは政治報道を、すぐに“政局”報道に論点をずらす。政府の政治日程に焦点を合わせる。自国より、他国の軍事・政治事情に重点を置く。北朝鮮、韓国、中国そして中東の軍事・戦局報道に力点を置き、日本の軍事的危機をあおる。国内に事件や災害が発生すれば、必要以上に事細かく報じ、落着すると被害者・被災者に寄り添い、立ち直るすがたを追うが、事件や災害の核心に迫る調査報道はしない。「専門家」や街の声の予定調和的な編集が、かえって信頼度を損なうこともある。一昨年の安保法案強行採決報道、昨年からの沖縄のオスプレイ墜落や基地関連報道、今年になっての、南スーダン派遣部隊の日報問題、森友学園への国有地払い下げ報道、閣僚たちの「失言」報道、共謀罪審議報道にも、あてはまる。仕方なく、民放や新聞報道の後追いとなった事例も多かった。

視聴者の手の届かないところで、受信料は、会長以下理事たち、経営委員たちの高い報酬となり、記者たちの取材費に、大河ドラマのロケ費用やタレントの出演料になる。なかには犯罪に手を染める職員たちの給与にもなった。民放のパクリのようなバラエティやクイズ番組、これでもかとタレントを並べる。新番組「ごごナマ」がいい例だ。語学番組や高校講座、音楽・美術・旅行・自然などの教養番組にすら、タレントを起用し、押しつけがましいコメントやナレーションが流される。なんか、もう「うんざり」という感を免れない。若者ばかりでなく、高齢者のテレビ離れも進むだろう。

受信機器を持っただけで受信料が発生するという放送法は、契約の自由を侵す。受信料未払いの実態は定かではないが、NHKと総務省がNHK放送の同時ネット配信を進めると、視聴の有無にかかわらず、住民税化への道につながる。だとすると、それをNHKだけが独り占めするということは、もはや国営放送となり、その肥大化は免れない。現実には、放送と通信の融合を前提に、民放やその他のマス・メディアとの競合や競争によって報道の質を高めることにつなげるにはどうしたらいいのか、無関心であってはならない。

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2017年4月22日 (土)

地域での「ボランティア」って

小学生の「交通見守り」を卒業して

 私は、小学校の通学路にあたる信号のない横断歩道で、交通見守りのボランテアをはじめて、八年になった。地元の開発業者の土地区画整理事業によって、ニュータウンを回るモノレールをまたぐ陸橋が建設され、その先にあたらしく、マンションや公園ができた。その陸橋が、道路構造令ぎりぎりの勾配があり、下った先の歩道を小学生たちは横断しなければならず、しかも、信号機が設置されなかった。そこで、地元の自治会の役員や班長、会員十数人のボランテイアによって、登下校の時間帯に毎日、二人が張り付いて見守り、<横断中>という黄色の旗を持って整理を始めたのである。

当時、その区画整理内の道路整備や宅地造成をめぐって、地元の自治会は、業者や行政と様々な協議を重ねた。周辺住宅地への環境が心配され、造成地の廃棄物の処理、盛り土の高さを制限、マンションの高度制限、建設中の振動や騒音、車両の出入りなどについてもいくつかの協定書を交わしていた。そんなこともあって、地域の新旧住民の小学生たちの通学路の安全に、少しでも力を貸すことが出来たらとの思いで、横断報道の見守りを続けて来た。後半は、ボランティアの参加者は減って、寂しかったが、曜日を決めて見守ってきた。

ほかの場所で、個人の立場で、黙々と見守りをする方もいらしたし、お孫さん二人が小学校を卒業するまで、校門前まで付き添っての送迎をし、他の児童を見守る方もいらした。朝の登校時は、PTAの保護者たちの当番制で、広範囲の幾個所かで見守りが実施されている。下校時は、青色パトロールの人たちが信号機のある横断歩道で整理をされていた。登校時、ご一緒した、若いお父さんやお母さんたちは、7時過ぎから30分ほどの時間帯なので、時計を気にしながらの人たちが多かった。思わず、「あとは私たちでやりますから」と声を掛けることもあった。下校時には、移動交番の女性警官たちと一緒になることもあった。私たちには、月末になると、小学校の教頭先生から、つぎの月の下校時一覧と行事日程が届けられた。

千葉県松戸市の小学生殺人事件で逮捕された容疑者が、保護者会の会長で小学生の登校見守りをしていたということで、保護者の見守りやボランティアによる見守りが脚光を浴びることになってしまった。少女やその家族、地域や児童たちにとっても、不幸な事件となってしまった。

私たちの地域では、この8年で、マンションから通学する小学生は、1人から始まり、今は60人以上の集団となった。今どきの小学生は、ランドセル以外の荷物が多い。さまざまな図工の作品だったり、ピアニカだったり、書道具だったりする。「きょうはプールだったんだよ」と、濡れた水着袋を提げてくる男の子、収穫物の大きなサツマイモを見せてくれる女の子、虫かごのバッタを大事そうに見せてくれる男の子、そうしたふれあいは、季節の移り変わりや遠い昔を思い起こさせてくれた。登校時も下校時も、おしゃべりに夢中な女の子たち、走ったり、ふざけあったりしながら横断する男の子には、注意する。旗を持たない手でのハイタッチ? が続くこともある。「いつもありがとうございます」なんて上級生の女の子に言われたりすると、ホロっとしたりもする。

見守りを始めたころ、1年生だった児童が、制服を着た中学生になり、ランドセルが重そうなリュックサックに代わり、挨拶をして通り過ぎてゆく。いつも図書館の本を抱えていた小学生が、わき目もふらず慎重な自転車通学をする中学生になっていた。

長いようで、短い年月だった。私は、時間の都合や体調のこともあって、この3月で辞することを決めた。協力してくれたドライバーたちに感謝しながら、ここでの事故がなかったことにほっとしている。こうした見守り活動は、その時の自治会(長)、その時のPTA(会長)、その時の校長・教頭先生により、かかわり方が随分と違うことも分かって来た。校区内の見守り個所を見まわる校長先生もいたし、ボランティアとの懇談会開いたり、行事に誘ってくれる教頭先生もいた。

こうした活動は、地域住民と小学校・行政、何よりも子供たちと大人たちとの信頼関係を大切しなければならない活動には違いない。 

これからのボランティア

高齢社会、退職者大量時代にあって、元気な退職者たちが「地域デビュー」と称して、自分探しや居場所探しのために、ボランティア活動に参加する人も多い。この頃、新聞やテレビでも、この「地域デビュー」を扱うことも多くなった。働く女性が増加する中で、濃淡はあるものの、それでも、女性の方が、子育てやサークル、日常生活を通じても、時間をかけて、地域とはなじんできていることが多い。男性たちはというと、「デビュー」するや否や、これまでの職業生活での経験や知識を「活かし」、早急に「実績」を残そうとする人たちを、私は、多く見て来たような気がする。自治会活動やサークル活動、市民運動にあっても、その行動様式に共通点が見出されるのである。たとえば、これまで、慣例や緩いルールの下で定着してきた活動に飛び込んできて、まず、組織の在り方に着目するらしく、役職固め、会則・規約づくりや改正に乗り出す。これまでは運用と知恵で何とかやってきたことが許せないらしく、細かいことをも決めたがったり、自治体との連携を強めて権威づけをしたりする。こうした傾向は、現役時代、役職者だった人に多い。現実は、そんな規則に、すぐ反応するわけもないが、「私が改革してやった」みたいなことを言う。思うようにいかないと、さらに、新しい組織や会、NPO法人を立ち上げたいとする人たちもいる。そのリーダーになれば、居場所づくり完成である。割れ窓理論とか、報・連・相(報告・連絡・相談)が要とか、シニアには、きょういく・きょうよう(今日行く・今日用)が必要だとか、そんな古めかしい話を何度聞かされたことだろう。

そうした活動が、自分の「趣味」の世界に徹していれば、比較的影響も少ないのだが、ことによったら、周辺の住民や仲間にとって迷惑極まりないことになる可能性もある。もちろん地道に、黙々とボランテイア活動にいそしむ人たちも多い。私もそんな人たちの背中を見て、自分の生き方に向き合いたい。

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2017年4月 9日 (日)

消防団・社協・日赤などへの寄付を強制されていませんか~自治会の自治とは(2)

消防団への寄付

 私の住む自治会でも、数年前から「消防団協力金」が計上されていました。10内外の近隣自治会の委員で編成するまつり実行委員会に振り込まれ、2日間の夏祭り会場の警備への返礼ということらしく、各自治会の会員数で割り当てられていました。かつて市内の自治会における社協・日赤の寄付の実態を調べた折、かなりの自治会が「消防団協力金」「消防団後援費」のような名目で、消防団への寄付がなされているということは知っていました。それも、一戸当たり千円から数千円の例もあり、消防分団に数十万円単位で渡していることも知って、驚いたことがありました。我が自治会にも、わが家にも降りかかってきたので、少し調べてみました。 

消防庁では

まず、消防庁に電話すると、地域防災室に回されました。消防団の根拠は「消防組織法」にあり、非常勤地方公務員ということで、すべて市町村の条例で決められている。消防団員は普段仕事を持っている人たちなので、特別職で、地方公務員法がすべて適用になるとは限らない。消防団本来の活動ではなくても、地域との関係で、各種の業務に携わることがある。その間での金品の授受は、両者の問題だという認識を示しました。横浜地裁判決の話をすると、たしかに、寄付の授受を見直す市町村も現れている、といいます。違法が疑われるのですから、もっと積極的に取り組んでください、と要望しました。

 

 

佐倉市危機管理室消防班では

 交通防災課の危機管理室消防班の班長に話を聞きました。以下はその主なやり取りです。

消防団員は地方公務員ですよね

そうです。

公務員は寄付の類を受け取るのは違法ですよね。

はい。

私たちの自治会は自治会財政から、「消防団協力金」というものが支出されています。これは、消防団への寄付ですよね。

自治会と消防団との話し合いで決めたことなので、行政は関知していない。

現実に、寄付として消防団員に渡っているので、禁止しないといけないのではないですか。市は、容認、放置するのですか。

いや、消防団とは「寄付を請求してはいけない」と申し合わせている。

「請求してはいけない」けれど「受け取ってもいい」ということなのですか。

消防団は、公務以外に、地域における様々な行事への協力をしていて、そうした仕事への労い、感謝の気持ちを受け取ることは問題がない。

消防団としての活動を依頼し、消防団として仕事をしている以上、また、公務以外の活動であっても、その活動で報酬を得ることは違法だし、横浜地裁判決を読んでいますか。

承知している。

佐倉市は、消防団・団員への寄付を容認するのですか。

公務外の仕事への謝礼の気持ちは、伝統的にも、歴史的にも慣例となっているから問題はない。

でも、全国各地で、法律や判例に従って、寄付を廃止している自治体があるのはご存知ですか。

承知している。繰り返しになるが、市としては、公務以外なので問題はない。

慣例や歴史が現行法の上位にあるのは問題です。ところで、市は、団員に報酬を出している以上、消防団から事業計画・報告、予算決算の報告は受けていますよね。

はい。7つの分団の下に53の部というのがある。年間で、分団に45千円、各部に54千円、の補助金を出しているので、その分だけの決算報告は出ている。役職によって異なるが、役職のつかない9割の団員には年間3万円、出動回数1回につき1500円となる。

補助金を出している以上、全体の事業や財政をチェックしなくていいのですか。

それはやっていない。 

 

佐倉市財政課では

佐倉市の「補助金等一覧」には、補助金と交付金の区分があるのが分かり、「消防団連合協議会交付金」として、運営費年間380万円が出ていることが分かりましたので、問い合わせました。

 補助金と交付金の区分の根拠は何か。
「補助金等交付基準」により、行政の代行的な業務への補助金として「消防団連合協議会交付金」を、本部・分団・部の運営費として、定額(全額)補助をしている。
 特別職としての報酬、消防費としての設備費などの他に、さらに交付金として予算を付けられている消防団が、住民、自治会などから寄付金を受け取るのは、違法ではないか。
それは、消防団と自治会との関係で、消防団が自治会でどんな仕事をしたかの実態は把握していない。
自治会と消防団とがどんな関係か、実態を把握していないことが問題なのではなく、消防団が寄付金を受け取っていること自体が問題でなのではないか。
消防団が、金をくれと言っているわけではないのだから。
請求すれば問題だが、受け取る分には問題がないというのが財政課の見解か。
難しい問題で、消防団の担当の方にもきいてみる。
 当方は、すでに消防団の担当には尋ねている。全国的に見ても、消防団への寄付を一切廃止している自治体も増えている。横浜地裁の判決は知っているか。それが判例となって、各地で見直されているなかで、佐倉市は出遅れていて、訴訟が起きてもおかしくない。
それは知らない。これから勉強する。

釈然としないまま、電話を切り、あらためて、市役所のホームページから以下を調べてみました。各資料を読んでの私の問題点を付記しておきます。 

a)「佐倉市消防団の概要」 (付「佐倉市消防団条例」など) http://www.city.sakura.lg.jp/cmsfiles/contents/0000015/15540/gaiyou.pdf#search=%27%E4%BD%90%E5%80%89%E5%B8%82%E6%B6%88%E9%98%B2%E5%9B%A3%E6%9D%A1%E4%BE%8B%27
 
多額の消防予算が計上されていることを改めて知りました。2016度では266000万円で佐倉市の総予算の5.7%で、消防組合への負担金が大部分ですが、消防団に係る予算は、7031万、その中に報酬費が5000万、交付金が323万です。「補助金」は、最高二分の一補助などの条件が付きますが、交付金は渡し切りで、事後の報告のみで足りるとのことで、使い勝手がいいことになります。市議会議員の「政務調査費」も「交付金」です(14頁)。団員は現在754人です。なお、消防団条例には、階級・規律・懲戒事項はあるのですが、団員の「遵守事項」というのが、抜けていることも分かりました。それを補うものかどうかわかりませんが、「概要」には「4.消防団について」の項目があり、以下のように記されています。

(1)消防団員の身分・仕事・権限

[1]消防団員の身分

   3.消防団員は社会に奉仕する団体である

②消防活動に対して何らの代価も求めない。 

b)『自治会長町内会長・区長の手引き』H28年度版(4748p、佐倉市の消防活動)

http://www.city.sakura.lg.jp/cmsfiles/contents/0000004/4954/28yakuintebiki.pdf

驚いたことに、想定問答集「消防団の後援会費というのはどういうものなのですか」に「後援会費につきましては、地域の方が、同じ地域の中で仕事を持ちながら消防団活動に従事されている方々の労をねぎらうために支援をされているものと考えます」と、佐倉市の見解が示されていました。「地域の厚意による任意のもので強制・義務的なものではありません」との説明もありました。しかし、これは、確実に地方公務員である消防団(員)への金品の授受を、佐倉市は地域の人々による「慰労」であり、地域の「厚意」として公認していることになります。そして実態は、地域の住民ひとりひとりの「厚意」と言いながら、自治会などでの一括集金や一括納入を黙認していて、二重の意味で違法性が高いと言えます。

市の消防班の見解は、「消防団への寄付」は、「公務以外に、地域における様々な行事への協力」への「労い、感謝の気持ち」という回答がありましたが、上記「消防団の概要」の「4.消防団について」においては、火災発生時以外の①~④も公務として挙げられています。佐倉市の消防班が例に挙げた「祭りの警備」などは、2-②に該当するのではないでしょうか。

(1)消防団員の身分・仕事・権限

[2]消防団員の仕事

  1.火災発生時①~④

  2.災害発生時以外

   ①火災発生予防

   ②警備警戒活動

   ③教育訓練活動

   ④機械器具等の点検 

c)佐倉市補助金一覧
http://www.city.sakura.lg.jp/sakura/hojokin/H28/index.html

d)補助金等交付基準(佐倉市)http://www.city.sakura.lg.jp/cmsfiles/contents/0000005/5189/kouhukijyun27.pdf#search=%27%E4%BD%90%E5%80%89%E5%B8%82+%E8%A3%9C%E5%8A%A9%E9%87%91+%E4%BA%A4%E4%BB%98%E9%87%91+%E6%9D%A1%E4%BE%8B%27

 佐倉市における「補助金」「交付金」の区分は明確ではない上に、団体に対する「必要な額」を交付するといいながら、定額を渡し切りというのは矛盾ではないかと思います。

 

 一度、皆さんも自分の住む自治体での消防団の現状、自治会でどんな寄付や協賛金があるのか、などをしっかり確かめたうえで、問題や疑問があったら、市役所などに質問や要望をしてみてはいかがでしょう。私も、近く論点を整理した上で、市長へ要望書を出すつもりです。全国各地で「消防団への寄付」の廃止に向けて取り組んでいる方々がいます。とくに横浜地裁以降、横浜市、高知県の南国市・香美市はじめ多くの市町村、唐津市などなど、「消防団への寄付」は廃止となりました。

 

 

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消防団・社協・日赤などへの寄付を強制されていませんか~自治会の自治とは(1)

寄付の自由

自治会や町内会の総会の季節ですね。自治会の役員や班長さんの任務を引き継いでほっとしている人たちのいる一方、厄介な仕事が回ってきたと嘆いている人も多いと思います。いや、何年も面倒な仕事を引き受けてやっていると居座る自治会長や役員もあるかもしれません。

自治会の事業のなかの親睦や防災・防犯などの環境整備と並んで、地域の他団体との協力・協賛事業があると思います。その中で、日本赤十字社の社資、社会福祉協議会の会費、消防団(後援会、協力会なども含む)への協力金などが、自治会財政から一戸当たりいくらの計算で、一括して全戸分を支出していることはありませんか。あるいは、自治会費と一緒に、班長や役員が集金していませんか。地方によっては、神社への寄付などもあると思います。

しかし、それは、いずれも、寄付の強制に当たり、違法です。日赤は「日本赤十字社法」は社団法人の類似機関と位置付けられ、寄付を集めることはできますが、寄付はあくまでも個人の自由です。社協は、一般の社会福祉法人の一つで、会員になるかならないか、寄付をするかしないかは個人の自由です。自治会の総意といえども、個人の自由であって、自治会費からの一括寄付や上乗せ徴収、戸別徴収による寄付は、憲法の思想信条の自由からも認められないことは、最高裁での判例があり、この件に関しては、当ブログでも何度も繰り返し記事にしています。この数年で、アクセスの多い記事の上位は、次の通りで、合わせると数万になり、責任も感じます。ほかの記事も精魂込めて書いているのになあ・・・、という気持ちもないではありませんが。

201448日~174月7日)

1.「自治会費からの寄付・募金は無効」の判決を読んで自治会費の上乗せ徴収・...
dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2007/08/post_6d09.html

2.自治会の募金・寄付の集金の問題点~やっぱりおかしい、全社協や共同募金会の...dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/11/post-1838.html

3.赤い羽根共同募金の行方~使い道を知らずに納めていませんか、情報操作のテク...dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/12/post-2f90.html

4.住んでいる町の「社会福祉協議会」の実態を調べてみませんか: 内野光子のブログdmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/06/post-62d3.html

 消防団への寄付

消防団への寄付は、社協や日赤とは性格が異なり、消防団は行政機関で、消防本部は役所内に置かれ、常勤の公務員が事務を執り行っています。消防団員は、「地方公務員法」第63項の五で規定されている、れっきとした非常勤の地方公務員で、地方自治体から報酬も支払われ、退職金も支給されている公務員への寄付になります。それだけに厳密に考えなければなりません。

「消防組織法」第9条「 市町村は、その消防事務を処理するため、左に掲げる機関の全 部又は一部を設けなければならない。  消防本部  消防署  消防団」とあり、その第15条で、詳細は市町村の条例に委ねています。

また、「地方財政法」第4条の五では、「国は地方公共団体又はその住民に対し、地方公共団体は他の地方公共団体又は住民に対し、直接であると間接であるとを問わず、寄附金(これに相当する物品等を含む。)を割り当てて強制的に徴収(これに相当する行為を含む。)するようなことをしてはならない」としています。

そして、2010324日、横浜地裁の判決では、消防団の寄付について、つぎのように言及しています。「消防組織法上、消防団が横浜市の行政組織の一部に組み込まれていることから、法令で定める消防業務以外に、自治会・町内会等の地元コミュニティのための各種業務を担う権利能力なき社団としての性質を併有しているとして,消防団の構成員である消防団員の慰労のために,市民等から寄附金等を受け取ることは,公務員が本来の職務やそれに関連する業務につき金員を受領しているとも受け取られる可能性があるから(被告は消防団が行う自治会・町内会等の地元コミュニティのための各種業務につき,消防団の本来の職務と全く関連するものではないとの前提に立つようであるが、行政組織である消防団の名称で行う活動が、防火・防災等の啓発活動とも無関係と言い切れるのかどうかについては再考の余地があろう。)、決して好ましいものではない この点は,平成20年に条例が改正されて消防団が報酬手当を支給されている現在、なおさらである」と。さらに「条例改正以降は,消防団が、本来業務のほか本来業務との関連が疑われる活動につき,市民等から慰労などの趣旨で直接寄附金を受領することは、違法となる余地がある」としています。

従来からも、消防団への寄付には疑義が多かったのですが、この判決を受けて、全国で、消防団への寄付・協力金などを受け取ることを禁じ、消防団への寄付を廃止した市町村が続出していて、心強く思っているところです。 (つづく)

参考

消防組織法(消防団関係)

http://www.fdma.go.jp/html/singi/180913_pdf/180913s1-10-4.pdf#search=%27%E6%B6%88%E9%98%B2%E7%B5%84%E7%B9%94%E6%B3%95+%E6%B6%88%E9%98%B2%E5%9B%A3%27

2010324日横浜地裁判決文file:///C:/Users/Owner/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/R3E1RG6B/消防団裁判.pdf

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2017年3月30日 (木)

二つのドキュメンタリーを見た~アウシュビッツと沖縄と(2)

「いのちの森 高江」(謝名元慶福監督作品 2016年)

 最近、友人からDVD「いのちの森 高江」を借りて見た。沖縄の基地闘争のドキュメンタリー映画は、いくつか制作されているようなのだが、私は、森の映画社のニュースリールを見る機会が何回かあった程度である。

 米軍の基地、北部訓練場の長い歴史、高江の住民たちの長い闘争の歴史と現状を怒りを込め、だが、 淡々と綴る。あわせて、アキノさんという蝶類研究者の女性が多くの小さな命の営みを求めて、高江の森を案内するのだった。

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1970年代、米軍がベトナムの密林に見立てた訓練がなされていた

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北部訓練場だけでもヘリコプター事故がこれだけ起きている。さらに、オスプレイの飛行・離着陸の危険は計り知れない

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高江の森の生態系のすべてを破壊する工事は許せないとするアキノ(宮城秋乃)さん

 

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高江の住民たちは、工事差し止めの訴えを起こしたが

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映画の中には、こんな映像もあった。生活道路が封鎖され、今はこの石碑に近づけない、との解説があった。1916年(大正5年)、大正天皇即位を記念し造林地に建てらえた石碑は傾いている

 

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二つのドキュメンタリーを見た、アウシュビッツと沖縄と(1)

「ただ涙を流すのではなく“分断する世界”とアウシュビッツ」(NHK-BS1226日)

旧聞に属するが、226日、国会や報道では、森友学園問題で大揺れであったが、夜は、NHK-BS1スペシャル「ただ涙を流すのではなく“分断する世界”とアウシュビッツ」を見ていた。番組予告では、「100万人を超えるユダヤ人が虐殺されたアウシュビッツ強制収容所。その悲劇を伝え続けているのが、世界各国出身のガイドたちだ。今、ガイドたちは、大きな危機感を抱いている。移民や難民をめぐり広がる排斥の声。世界が分断を深める中で、自分たちは何を伝えるべきなのか。ただひとりの日本人ガイド・中谷剛さんも語るべき言葉に悩んでいる。揺れるアウシュビッツのひと冬を追った。」とあった。

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 NHK-BS1、2017年226日午後8時~

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 NHK番組紹介ホームページより

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構内の収容所バラックのすぐ近くに、収容所長の住宅があり、家族とともに住んでいた。そこには平安な日常生活が営まれていたのだろう。私たちが見学した折は気づかなかった。NHK番組紹介ホームページより

2010年5月、私たち夫婦は、ポーランドのクラクフに2泊した折、アウシュビッツビルケナウ強制収容所見学のバスツアーに参加した。雨の朝、ホテルを出て、あちこちで道路工事の真っ只中の街に迷いながら、バスの発つマテイコ広場までたどり着くのに苦労した。ともかく、「英語コース」のバスに乗り、現地でも英語のガイドによる案内で、心細い思いをした。ただ一人の日本人ガイド、中谷剛さんとの縁はなかったけれども、この番組は逃してはならないと思った。

中谷さんは、1966年生まれ、1991年からポーランドに住み、猛烈な勉強をして、1997年アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所博物館の公式ガイドの資格をとり、ポーランドの女性と結婚されて、今もガイドの仕事を続けている。

日本から来た若い見学者のグループを伴い収容所構内や幾つもの展示室を案内するとき、ドイツナチス時代に、なぜこうした民族差別による大虐殺がなされたのかを、言葉を選びながら説明し、見学者が自ら考えるように、という思いを伝える。中谷さんは、偉そうには解説はできないと、丁寧で慎重な姿勢を崩さず、見学者に接しているようだった。同時に、ポーランド人、ドイツ人のガイドたちの悩みも語られてゆく。決して声高ではないけれど、力強く訴えるものがあった。ただ、ドイツ国民が、なぜナチスに雪崩れ打って、ここまでの虐殺がなされ得たのか、と、そこでなされた残虐の限りの実態を、そのファクトを検証する場でもある、アウシュビッツで起きたことをもっとストレートに語ってもよかったかと思った。

 私のわずかな経験からも、目の前に示される歴史上のファクトには、筆舌を超えるものがあり、それを次代に継承すること自体が、過去への反省と責任を伴って初めて成り立つことだと思えたからである。加害国のドイツ国内においてもかつての強制収容所跡を残し、ベルリンの中心部、国会議事堂直近の場所に、ホロコーストの碑を建設、様々な歴史博物館において国家としての反省の意思を示したドイツを思う。それに比べて、「自虐史観」と称して歴史教科書において、日本の侵略戦争の事実を少しでも薄めたい政府、民間人の集団自決に軍の関与がなかったような、曖昧な展示しかできない国立博物館、原発事故の原因究明がなされないまま、被災者切り捨て、原発再稼働を進める政府、教育勅語礼賛の安倍首相夫妻・・・を思うと、その格差に愕然とする。話はどこまでも拡散してしまうのだが、以下の、かつての旅行の記事も参照していただければ幸いである。

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展示室より

<当ブログ参考記事>

◇ポーランド、ウィーンの旅(2)古都クラクフとアウシュビッツ

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/05/post-f56e.html

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◇ドイツ、三都市の現代史に触れて~フランクフルト・ライプチッヒ・ベルリン~2014.10.20289)(ザクセンハウゼン強制収容所ほか)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2014/11/20141020289-91f.html

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2017年3月26日 (日)

「~してございます」~霞が関と永田町の言語生活~森友問題を通じて

霞が関話法?

 森友学園問題の国会での質疑を聴いていると、政府や役人の答弁にまず腹が立ち、野党の質問の拙さにも苛立ってしまうことがある。テレビの前で座ってばかりいるので運動不足にもなり、精神衛生上もきわめて不健康な状況が続いている。

 その上、とくに役人の答弁の「~してございます」という表現が気になって仕方がない。「霞が関文学」ともいわれているそうだが、そんな上等なものではなく「霞が関話法」と名付ける価値もない。丁寧そうな言葉遣いながら、文法的にも誤用であり、その発言内容と相まって、慇懃無礼な、無責任答弁に多用されている。「してございます」は、官僚ばかりでなく、企業人も社外向けに使うことが多く、中高年男性に愛用されているようなのだ。

 「担当職員が対応させていただいてございます」「政治的な配慮をしてございません」など、324日衆参予算委員会に森友問題で出席した、財務省と国土交通省の参考人たちも連発していた。証人として招致したところで、「知らぬ、存ぜぬ」で通すのだろう。

参考:「最近気になる放送用語―「~てございます」(2011年8月1日)

https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/145.html

永田町話法?

一方、政治家たちの責任逃れは、かつて「秘書が、秘書が・・・」であったことが揶揄されていたが、今回は「妻が、妻が・・・」「夫が、夫が・・・」かと思いきや、やはり「(首相夫人付)秘書が、秘書が・・・」ということにもなった。324日の国会の質疑や記者会見での次のような発言は、大いなる自己矛盾を、明白にもしている。 

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2017年2月17日

安倍首相①「(妻が100万円寄付をしたかどうか)密室のやりとりなど反証できない事柄を並べ立て、事実と反することが述べられたことはまことに遺憾だ」

「(首相夫人付き秘書から籠池証人への報告ファックスについて)ゼロ回答なのだから妻が関与したことにはならない」

「(首相夫人の証人喚問要請について)今まで証人喚問に出られ方は、刑事罰がかかるかもしれない疑いの中で出られている。妻の行為は犯罪では全くない。名前を出された人たち全員証人喚問するというのか」

菅官房長官「(首相夫人付き秘書の谷氏の籠池理事長への報告ファックスについて)ゼロ回答のことわりのファックスなので、まったく問題はない」

竹下国会対策委員長「(首相夫人の寄付について)100%、200%あり得ないが、たとえあったとしてもても、まったく問題はない」

 首相①は、反証をというのならば、首相夫人を証人喚問すれば、籠池証人の答弁との比較において、議員や国民に判断の材料を提供できるし、決着がつかなければ司法の判断にゆだねることもある。首相は、別の日の答弁で「ないことの証明は<悪魔の証明>なので困難」とか言って質問をかわしていたが、そんな大げさなものではない。

首相②と官房長官の発言は、「ゼロ回答」「ことわり」だったからというが、ファックスの2枚目には、案件別に経緯が記され、その末尾には、つぎのようにある。

4)工事費立て替え払いの予算化について

一般には、工事終了時に清算払いが基本であるが、学校法人森友学園と国土交通省航空局との調整にあたり、「予算措置がつき次第返金する」旨の了解であったと承知している。平成27年度の予算での措置ができなかったため、平成28年度での予算措置を行う方向で調整中。」

このファックスは20151117日付であったが、工事費は、翌年の年度初め46日に支払われていることも判明している以上、まさに「関与」「口利き」の成果ではなかったのか。この文面をどう読んでも、問い合わせへの夫人付き秘書の「丁寧な対応」だけというには無理がある。さらに言えば、福山議員が言うように関与や口利きは「結果」「成果」がなくても成り立つものだろう。しかし、このくだりを、明確に切り込む質問がなされなかったのは残念だった。

「携帯水没後」の首相夫人と籠池夫人のショートメールの往復、316日参院予算委員会視察団に「寄付の中には、安倍首相からの100万円の寄付も入ってます」との籠池理事長の発言後、その大金の寄付の授受を「100万円の記憶がないのですが」などと悠長な文言で聞き返している首相夫人のメールには、やや驚いた。ここで、「記憶がない」という永田町の常套句、いわば「永田町話法」が、やはり登場してきたのだ。さらに、上記の首相夫人付き秘書の籠池理事長あてファックス文書は、これだけでも、公人による「働きかけ」の一端が浮上、「関与」の証拠になるはずである。

なお、首相③の発言は、憲法62条「両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」という「国政調査権」の意味を理解していないのではないか。犯罪の嫌疑や容疑に係る者でないと喚問できないという大いなる誤解にすぎない。さらに、「名前の出た人全員・・・」云々の発言は、いつもの「民進党は支持率が上がらないじゃないですか」と同じで、「ほかにフって」しのごうとしているらしい。

竹下国対委員長の発言には、「開き直り」というか、語るに落ちた、の感がある。

安倍首相は、「私も妻も安倍事務所も、一切、国有地払い下げや学校認可にかかわっていない。関係していたら私は間違いなく首相も議員も辞めますよ」(217日衆院予算委員会)と啖呵を切っていた。いずれ、すべてが公開される日もあるかもしれないが、自民党による首相夫人と籠池夫人のメールの一部公開は、安倍首相擁護が裏目に出て、安倍夫妻への疑問はさらに深まったのではないか。今となっては、安倍首相の辞めない理由を探すのが、むしろ困難な状況に至ったようだ。

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2017年3月16日




従来、政治が危機に直面したときは、冷たく「粛々と進める」冷酷さで突破するか、内外の批判には「前向きに検討し」「真摯に受け止め」「万全を期して」、「推移を見守る」と成り行きに任せることもできたのに、どうだろう、今回は。それにしても代わるべき受け皿がないのは、如何ともしがたい現実であるが、とりあえず「野党頑張れ」としか言いようがない。
 

政治家の資質と人格

このところの安倍首相は、国会の質疑で「不愉快だ」「失礼じゃないですか」「まるで犯罪者扱い」「悪意に満ちている」など、感情的な言葉を口走り、政治家の資質が問われる発言を繰り返している。

324日の衆院予算委員会での質疑では、さらに驚いた場面があった。共産党が入手した鴻池事務所の「面談メモ」をめぐっての麻生財務大臣の答弁。当初は、だれのメモかを明かさないままだったのだが、当日31日の夜に鴻池議員が自ら記者会見に及んだ経緯がある、あのメモだ。宮本議員が、麻生大臣に、そのメモについて鴻池議員に確認した件で質問したところ、次のような発言が飛び出したのだ。「訳の分からないところから『メモを取った』と偉そうにいっていたじゃないか。偉そうに」との発言に野党側からのヤジが飛ぶと、麻生大臣はさらに声を張り上げ、「俺は偉そうに聞こえたんだからしようがないだろ」と。人を指さすジェスチャーをしながら「いつも人をこうやって指さしてワンワンしゃべってる。偉そうに。失礼だろ、それは」と言い切った。実際の発言は、もっと口汚い、まるで、チンピラやくざの口ぶりそのままで、再現できないのだが、聞くに堪えなかった。麻生大臣の品格のなさは、知っていたが、こんな人間がかつて首相をやっていたかと思うと、情けない。その発言を、笑いながら受けている野党も野党だ。山本一太委員長の「麻生大臣、ご表現には気を付けてください」で、当の大臣はじめ、大笑いで落着となったのだ。

麻生発言といえば、メディアでは問題にされなかったのだが、今年の、麻生大臣の地元、九州の飯塚市の成人の日の「来賓祝辞」だった。例の昼間から賭けマージャンをして「賭けないでマージャンする人はいないだろう」と豪語していた斎藤市長が辞任を表明した直後のことだ。さすがに成人を前に挨拶できなかったとみえ、有力支持者の一人だった市長に代わっての来賓としてよばれた麻生大臣だったのか。その挨拶が、これまたびっくりだったのである。「あんたたち、成人になったら、これまでと何が違うかといったら、強姦罪、賭博、麻薬・・・でつかまったら少年A じゃすまない。自分の名前が出るんだ」と。いや、もっと罪名をあげていたと思うし、言葉も汚かったし、あくまでも「要旨」なのだが。「責任を持て」という成人へのメッセージにしては、ひどい。ひどすぎる。

「劇場」のカーテンは降ろしてはいけない

小池劇場、トランプ劇場、籠池劇場とも呼ばれて、メディアを賑わしてきたが、今回の森友問題は、政治の根幹、安倍首相夫妻に大きくかかわる問題だけに、このままの幕引きは許されない。この間、共謀罪の法案も閣議決定された。こちらの国会審議もしっかり、丁寧にした上で、廃案に追い込んで欲しい。追い込まなくてはいけない。テロ対策ができない?オリンピックが開催できない?一般人には関係がない?から共謀罪新設が必要であるというのだが、その目指すところを見極めなければならない。テロ集団か一般人とはだれが何を以て判断するのか。要するに国民全体への監視のシステムが合法化することになるのだ。天皇退位をめぐる動向、南スーダンPKO部隊派遣問題にしても、課題は山積みである。

福島県はじめ東日本大震災の実質的な復興がなかなか進まない実態、熊本地震も同様だし、沖縄の高江・辺野古基地建設問題、原発再稼働が始まった川内と伊方、再稼働を控えている地での安全対策というより原発・エネルギー政策、東京都の豊洲市場問題は、一地域の問題ではなく、国民一人一人、自分の問題として考えなければならないはずではないか。

地元では、千葉県知事選挙が展開されているはずだったが、今日は投票日。冷たい雨となった。佐倉朝日健康マラソンの日でもある。森田健作知事は、ミス〇〇とかアスリートの表敬訪問でガッツポーズをしている写真ばかりが報道され、何をしているのかがわからない。役人にとってはありがたい知事だという。県庁への出勤状況は、石原元都知事といい勝負かもしれないが、投票率は如何。

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2017年3月24日 (金)

「歌会始」を通して考える「天皇制」

「歌会始」を通して考える「天皇制」

以下の文章は、昨年の7月下旬に発売された雑誌『ユリイカ』(20168月号)に寄稿したものである。以降、天皇をめぐってのさまざまな環境も変化した。私自身の周辺でも、以下の文章をめぐって、いくつかの批判も公にされたし、論争の的にもなった。その一方で、いささかの励ましもいただいた。『ユリイカ』を読む機会が少ない当ブログの読者や歌人の方にも是非お読みいただければと、掲載することにした。「歌会始」は、憲法上規定のある天皇の「国事行為」でもなければ、「私的行為」でもない「公的行為」とされているが、憲法上にも皇室典範上にも規定があるわけではない。 


( 3月27日補記)

下記のエッセイと直接関係はないのですが、昨日、下記のブログ「短歌のピーナツ」に、牛尾今日子さんという方が、拙著『現代短歌と天皇』(2001年)の書評を書いてくださっているのを知りました。ありがとうございます。1994年生まれの京都にお住いの歌人です。ていねいに読んでくださって、疑問を呈されている個所もありますが、ともかく、拙稿に記された「事実」と文献をたどって、役に立つことがありましたら幸いです。

「短歌のピーナツ」の書評シリーズの51冊目に当たります。私も、時々寄らせてもらっています。読んでない本は、読んだ気になってしまいそうになるほど長いです。最近では、「万葉集の発明」、「短歌のジェンダー」「窪田空穂の身の上相談」などが面白かったです。

「短歌のピーナツ」

2017年3月25日

http://karonyomu.hatenablog.com/

◇◇◇◇◇

タブーのない短歌の世界を―「歌会始」を通して考える

今回の特集の企画書によれば、筆者は、まさにアウェイの感を免れない。あえて飛びこんだのは、現代短歌は、歌会始・天皇・天皇制を看過できないはずとの思いからである。

「歌会始」、無関心を標榜する歌人たち

岡野弘彦や岡井隆の世代はもちろんのこと、穂村弘、さらに山田航の世代に至るまで、無関心であろうはずがなく、必ずや少なくとも、歌会始の現況を見極めているはずである。和歌御用掛り、選者、召人となった歌人自身が、そのことを世間にあらわにして、その地位を誇らしげに語るのは、岡野・岡井どまりで、以降、多くの歌人は、選者、召人になったり、陪聴者になったりしたことすらも、身内や仲間内ではともかく、自ら世間には公けにせず、語らないのが流儀のようなのである。「歌壇」を構成する歌人たちといえば、まったく無関心のふりをしながらも、横目で一瞥していることは確かであろう。天皇や天皇制について考えるのは面倒な上、いつか自分が招ばれる日が来るかもしれないと、静かに控えている歌人は多いにちがいない。

 

①ゴージャスな背もたれから背を数センチ浮かせ続ける天皇陛下(穂村弘)

(『短歌往来』20102月)

②天皇は死んでゆきたりさいごまで贔屓の力士をあかすことなく(穂村弘)

(『短歌研究』200610月) 

穂村弘は、①について「これは、歌会始での天皇陛下の様子なんです。歌会始に招待されるシステムみたいなのがあって、毎年いろんな人が呼ばれていますが、それに行ったことがあって、わりと近くで天皇がいらして・・・これはわりと、リアルな歌で、現在の天皇のことです」と自作を語り、平成に入って、歌会始の陪聴者になったことをさりげなく明かしている(『世界中が夕焼け 穂村弘の短歌の秘密』新潮社 二〇一二年、178 )。また、同書の山田航の解説によれば、①は、岡井隆、石井辰彦らと朝日カルチャーセンターの朗読会(二〇〇九年九月六日)の「皇居を詠む」のテーマで朗読した作品だったという。続けて、山田は、①について、穂村は、ある時期「天皇であるということは尋常ではないほど厳しい自己規律が必要なのだと気づき、そこに激しい他者性を見て」「時代と自己との関係性を見つめなおすようになった」として、②では、平成の天皇には「昭和天皇に見出している人間くささとはまったく異なっている」ものを見て取る(177p)。

穂村の「歌会始に招待されるシステムみたいなのがあって、毎年いろんな人が呼ばれていますが」の書きぶりからは、あえて深く考えないポーズをとる。山田は、「他者性」「関係性」といった用語を使用するが、近頃のテレビタレントのキャスターでさえ好んで口にする、一種の流行語にも思え、内容的には何も踏み込んで語っていないことになる。

世代的には確かにバランスをとっている現在の歌会始選者、篠弘から三枝昂之、永田和宏、内藤明、今野寿美の五人に至るまでの曲折や現状について触れる時評や論評は極端に少ない。選者の出自や師系をたどると、篠(まひる野)、三枝(かりん⇒りとむ)、永田(塔)、 今野(まひる野⇒かりん⇒りとむ、三枝の妻)、内藤(まひる野⇒音)ということになり、アララギ系の高安国世創刊の「塔」の永田を除いて他の四人は、すべて窪田空穂・窪田章一郎系にたどり着く。かつては、いいも悪いも偏らない配慮がなされていた。現在にあっては、多くの歌人が、所属結社の主張、師の系統による特色を厳密に受け継いでいるとはいいがたく、薄らいでいるとは言うものの、いかにも偏向のそしりは免れないだろう。

かつて、岡野・上田三四二の戦中派が選者入りした一九七九年、そして、天皇の代替わり後の岡井隆が選者になった一九九三年のときには、歌壇の反応は熱く、持続していた。さらには、敗戦直後の論争にもさかのぼることができる。 

戦後短歌史における「歌会始」

戦後短歌史における短歌と天皇制の問題は、具体的には「歌会始」の問題に集約されるだろう。詳細は、拙著『短歌と天皇制』(一九八八年)『現代短歌と天皇制』(二〇〇一年、ともに風媒社)『天皇の短歌は何を語るのか』(御茶の水書房 二〇一三年)にゆずるが、ここで、要点をさらっておけば、つぎのようになる。

一九四七年からの“新生”歌会始は、宮内省の御歌所の旧寄人二人と佐佐木信綱、斉藤茂吉、窪田空穂のいわゆる民間歌人三人を選者としてスタートした。御歌所主事を経て、当時は歌詠課課長、その後長い間侍従長を務める入江相政が実務を取り仕切っていたことは『入江相政日記』に詳しい。天皇制自体、天皇の戦争責任論、退位論などが取りざたされる存亡の危機に瀕した激動の時期であり、昭和天皇の歌会始以外の短歌を一般の雑誌や新聞にリークするなど、現在では考えられないほど、その政治的利用も活発であった。

一九五〇年六月に始まった朝鮮戦争による日本は特需景気を経て、一九五二年四月のサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約発効により独立することになるが、同時に、沖縄はアメリカの軍政が固定化し、日本の各地での米軍基地は強化されていった。さらに、日本遺族会設立、軍人恩給復活、自衛隊法成立、小学校に「道徳」復活など「逆コース」をたどる。一九五八年皇太子の婚約が決まると、皇室ブームを週刊誌ブームが支えることになる。歌会始の選者も、木俣修や五島美代子の起用によって、四賀光子と女性二人の時代がしばらく続くことになる。一九六〇年新安保条約成立後は、安保反対の国民運動も後退し、経済高度成長期を迎える、そのころの岡井といえば、現代歌人協会が歌会始入選者の祝賀会を開催したことについて、かなりのハイテンションで、つぎのように述べていた。

 「(宮中の)の一行事に文学の仮面をかぶせた歌人たちは、その仮面性を知っている以上、腹であれらの歌の形をしたものどもをわらっているか、否定している筈である。あるいは仮面でも詐称でもないという人がいるかもしれない。その人には、あの皇室関係者の御歌を一つ一つ自己の文学観に照らして価値づけてもらわねばならない」

「この歌会始の儀につながる一切事は、旧支配者に対する民衆の残忍な戯れなのであろうか。尊王の至誠が、皇室の民主化の至情が、とにかくそうした熱情のたぐいをすっかり凍結しつくしたところに生まれる非情な遊びなのだろうか。しかし、そこには美がない。この非情な穢醜を、私を肯定することができない」

(「非情の魅力について」『現代歌人』創刊号一九六〇年五月 4748頁)。 

一九七九年いわゆる「戦中派」の中核でもあった上田三四二(一九二三年生)と岡野弘彦(一九二四年生)が佐藤佐太郎と宮柊二に代わって、歌会始の選者になったとき、一九六〇年代には角川『短歌』の編集にも携わった同世代の片山貞美は、つぎのように批判した。

 

「事は天皇・皇族の参加する宮廷行事である。当然のことに参加する者の意識は改って、天皇を頂点とする制度の秩序のなかに整然と組み入れられることをあらわにする。(中略)つまり詠進歌の行事は今日では短歌の文学的問題をほとんど含まず、政治的問題が主だと見なければならないのだ。だから選者は選歌を通して天皇制支持という姿勢をあらわにすると見なければなるまい」

(「二人の戦中派」(角川)『短歌年鑑一九七九年版』) 

さらに、天皇制は家父長制とともにわたしたちの生活の根にかかわる問題で、「戦中派はそうした問題に一九四〇年代の戦争体験によって最も鋭く迫った人びとのはずである」から、選者になることは許せないと言い切った。しかし、一九七九年六月元号法が施行され、『短歌』は、一九八四年から、翌年の「宮中歌会始詠進要領」の掲載を開始する。短歌総合雑誌が「要領」を掲載、選者の一人岡野弘彦の詠進の勧めともいうべきエッセイや宮内庁での歌会始のプロモーターである入江相政のエッセイなどが続く時代の始まりとなった。戦後の短歌史上、短歌総合誌が、国の皇室行事に加担するというエポックをなした。さらに菱川善夫の『短歌』論文削除事件などが明らかになるのもこの時期であり(菱川善夫「変化と病―昭和五十年代の時代状況」『短歌現代』一九八五年二月)。歌壇全体が自粛ムードのなかで推移することになったことは、ある年代以上の歌人には覚えがあるのではないか。

一九九年の歌会始選者に岡井隆が就任することが公になった一九九二年秋、歌壇の様相は少し違っていた。「前衛歌人」の岡井が選者になったことの衝撃は少なからずあった。詳しくは筆者作成の「岡井隆歌会始選者就任関係書誌(一九九二~二〇〇〇)」(前掲『現代短歌と天皇制』所収)を見ていただけばわかるように、全国紙から同人誌に至るまで、必ずしも網羅的ではないにしても、その反響は数年にも及び、八〇点近く、アンケートなどを含めればその発言者は一〇〇人に達するだろう。岡井自身の発言も7点ほど含んでいる。岡井が、繰り返し主張し続けたのは、「歌会始は、だれもが参加できる奔放最大の、知名度の高い短歌コンクールで、国家や皇室との関係はいまや薄くなってきた。これからの歌会始は、参加する多くの応募歌人により、反権力を歌ってきた歌人らが選者になることによって、イメージは変わる」ということだったのだろうか。座談会やインタビュー記事からだけでは不明確な点が多い。さりとて、岡井自身の執筆になる、たとえば、「あるニヒリストの演舌―歌会始の件につき」(『未来』一九九三年一月)、「歌会始の選者として」(『短歌往来』一九九三年二月)などを読んでも、独特の言い回しではぐらかされた感じがしないでもない。代表的な反響として、上記『短歌往来』の一五名による「アンケート・岡井隆氏が歌会始の選者を引き受けられました。そのことにつき率直な意見を述べてください」の回答が、温度差はあるものの、裏切り、嫌悪、遺憾、不可解、失望、好ましくない、納得できない、天皇との距離を保つ、などが一〇名、一方、騒ぐこともない、興味がない、ぴんと来ない、驚くこともない、今後に注目したいという五名だったというのも興味深い。当時、『未来』で岡井隆の選歌から離れた会員、『未来』から離れた会員もいたという。

 近年の岡井隆は、歌会始の選者はやめたが、和歌御用掛として、皇居に通っているし、メディアへの露出度は高く、その発信力は衰えてはないようで、むしろ焦りさえもかんじさせる。昨年から今年にかけて、短歌誌ばかりでなく、つぎのような一般メディアにも登場する。

『朝日新聞』(夕刊)「人生の贈りもの」(二〇一五年二月)という一〇回のインタビュー記事では、

「かつてのマルキストが、歌会始の選者を引き受けたのはなぜか」の質問に、一九七〇年に蒸発して九州へ行った後で考え方を変え、五〇歳前後で思想転向したとして、つぎのように続ける。 

「ぼくみたいに若いころ天皇制を否定していた左翼の人間が転向したわけです。日本の文化人って、転向しても理由を述べない人が多いねえ。あれはやっぱり書くべきだと思います。説明責任があります。僕はその理由をいろんな機会に『自分が若いころには分かっていなかった』とちゃんと書きましたよ。それを経たあとは、ずーっと揺るがない。その一つの表れとしての歌会始です」(『朝日新聞』二〇一五年二月二六日付夕刊) 

ここでは、明確に「転向」に言及し、何度も「説明責任」を果たしてきたというが「若気の至り」

では、説明したことにはならない。現に、二〇〇八年の段階では、これも、小高賢との対談で「岡井さんの選者就任で一番足りないのは、ご自身の論理的説明ではなかったか」の質問につぎのように答えていた。

 「振り返って客観的に眺めてみると、やっぱり僕は転向したのだと思う(中略)。自分自身のためだけでもいいから、きちっとあきらかにしておく必要があったかなあと思う。ただなにか書こうとすると、みんな、大島史洋君もそうだったけれど、『岡井さん、もうやめなさい。何を言ったって、全部、言い訳に取られるから、何も言わない方がいいですよ』というから、そう思っちゃった」

(『私の戦後史』角川書店 二〇〇九年 二九六頁)

 

私の検索の限りでは、以後も論理的に説明している発言が見当たらない。岡井は、さらに「宮内庁和歌御用掛が明かす 佳子さまの和歌の素養」(『文藝春秋』二〇一五年六月)においても、歌会始を「国民参加型の文化行事」と位置づけ、最近体調を崩した折に(和歌御用掛の)後継者を探したが「適任者が見つかりませんでした」と記す。しかも、天皇・皇后は平和への特別な想いを持っているので「お歌に助言をさせていただく人間として戦争体験者の私がお役にたてるのではないかと、考えるようになり」、「両陛下がご公務に頑張っておられるわけですから、私も頑張らねばいけません。体力が続く限り、御用掛を続けさせていただこうかと思っております。」と結ぶ。

二〇一六年に入って、『朝日新聞』の「はじめての歌会始~皇室と国民 同じお題で心詠む」(「文化の扉」一月一〇日)にも登場、「2万人以上の人が一つのお題で定型の詩を作りあうのは、他国にはない」「歌会始は、日本の伝統が脈々と続いていることを世界に知らせる良い機会なのです」と述べている。はたして「日本の伝統が脈々と続いている」歌会始なのかは、明治以降の歌会始のありようを見ても、そんな素朴なことではなく、戦略的な結果が今に至っていることを承知の上、見て見ぬふりをしていることではないか。

現在五〇代以下の歌人たちは、先にも述べたような歌人への言論統制・圧力について、今の世の中においては、なおさらそれはありえない、自分はそんな目には合ってはいないと、楽観している向きも多いかもしれない。しかし、現在にあっても、天皇・歌会始のことに言及するとき、選者と師弟関係・友好関係があったり、自分に目をかけてくれる選者であったりすると、たとえ異議があっても、急に言葉を改め、敬語が増えたり、慎重な言い回しになるか、無関心・無言をつらぬくことが多いと、私は見ている。自覚的、無自覚的を問わず、すでに自粛や萎縮にもつながっていることを指摘しておきたい。

 

聖域やタブーをつくらない議論の場を

こうした歌壇の大きな流れのなかで、私は、最近、一つの事件に遭遇した。それに連なるもろもろのことに共通して見えてくるものは、やはり国家権力の文芸への介入を受忍する、民主主義の衰退であった。

二〇一五年一二月、現在の歌会始選者の一人今野寿美が二〇一六年から『赤旗』の歌壇選者になるという記事であった(『赤旗』1228日)。今野寿美の思想の自由、『赤旗』の編集の自由だといって、片づけられる問題なのだろうか。今野の選者としての歌会始の自身の作品と『赤旗』歌壇の選歌の結果を比べてみてほしい。明らかにダブルスタンダード的な要素が伺える。『赤旗』歌壇の選者を務めたことのある歌人の「なんかおかしい、今野さんの選歌は、明らかに『赤旗』におもねすぎている」との感想は聞いていたが、この件についての論評は、今のところ見当たらない。だが、これには、前触れがあった。一九四七年以来、七〇年近きにわたって、「玉座」から天皇の「おことば」が述べられている国会開会式には参加していなかった日本共産党が、二〇一五年のクリスマス・イブに、二〇一六年の通常国会から出席すると発表したのだった。そのために開かれた記者会見の模様を、『赤旗』より詳しく報道したのが『産経新聞』であった(一二月二五日)。「共産党、国会開会式に出席へ 天皇陛下御臨席に反対方針を転換「アレルギー」払拭へ」の見出しで、共産党は安全保障関連法の廃止を求める野党連立政権「国民連合政府」構想を提案しており、従来の対応を変えることで他党に根強い「共産党アレルギー」を払拭する狙いがあるとみられる、と報じた。ちなみに、「朝日新聞デジタル(12241249分)」では、「共産党が通常国会開会式へ 党として初、野党と同調」の見出しで、これまで天皇陛下の出席を理由に欠席してきたが、方針を転換した。開会式に出ている他の野党と足並みをそろえることで、来夏の参院選での共闘へ環境を整える狙いがある、とした。

さらにさかのぼれば、二〇〇四年の新綱領、昨二〇一五年一〇月の「日米安保条約廃案一時凍結」の発表で、野党共闘、アレルギー払拭をめざし、一枚一枚、たけのこのように、皮をはいで行って、残るものは何なのだろう。そういう流れのなかで、一見、寛容で、ウイングを広げたかのような『赤旗』紙面への著名歌人の登場、歌会始選者の『赤旗』歌壇への起用であったのである。だが、一方、歌人に限らず、いささかでも異を唱える者の排除や無視という非民主的な要素、開かれた議論の場を想定しがたい状況が、蔓延しているのではないかが懸念される。思想の自由、表現の自由を守ることの難しさを痛感するのである。

歌壇に限って言えば、そんな風潮を早くよりキャッチし、警鐘を鳴らし続けている歌人もいる。そして、二〇一六年の年末になって、佐藤通雅は、拙著3冊をあげて「果敢にタブーに踏み込んだこれだけの作業を、見て見ぬふりをいいのかと義憤の念にかられて、私はいくつかの文章を書いてきた」との論考が発表された。拙著で述べた「天皇・皇后の被災地訪問は、政府や企業あるいは自治体の被災地・被災者対策の不備を補完する役割」とすることについて、佐藤は、「補完の域を脱した、内部からの抵抗を感じることが何度もある」「為政者への無言の異議申し立て」であると、私の考えとの違いをも踏まえ、「いずれにしても、選者になったとたん黙して語らないのも、周りが見て見ぬふりをするのも不健全にはかわりはない。タブーはもう脱ぎ捨てて、さまざまな角度から意見を出し合い、問題を共有していくことを私は望んでいる」と結論付けた(「歌の遠近術12短歌と天皇制への視点」『短歌往来』二〇一五年一二月)。

しがらみのない、インターネットの世界から巣立つ歌人たちにも、ぜひ、歴史から学び、聖域やタブーをつくらない議論の場を構築し、こまやかな感性とゆたかな感情を大切にしてほしい、と願う。

 

 

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2017年3月20日 (月)

「天皇の退位」は実現する見込みだが~衆参両院正副議長の「とりまとめ」をめぐって

「とりまとめ」への経過

201688日には、天皇の「生前退位」の「お気持ち表明」が一斉にテレビ放映された。先立つ713日にはNHKのスクープとして、天皇が「生前退位」の意向を宮内庁関係者に示していたと報じられた。これまで、政府は、面倒な問題として先送り、避けて来た問題が浮上し、慌てての対策が、コントロールが効く政府の諮問機関「有識者会議」なるものを立ち上げた。その中間報告が政府の意向を受けたものだったので、両院の議長が事前協議の形で、各党・会派の協議を行い、317日、与野党は、衆参両院正副議長による「議論のとりまとめ~特例法の制定によって退位を可能にする~に合意し、首相に提示した。4月下旬、有識者会議の「最終提言」を経て、5月の連休後に国会に提出、成立する見込みとなった。昨年11月の段階で、私なりの情報の整理を試みたので、ご覧ください。 

天皇「生前退位」の行方~天皇制の本質については語られない(1)(2

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/11/post-dd45.html20161129日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/11/post-e43f.html (20161130日)

 現在も、上記の段階から基本的な方向が変わったとは言えない中で、官邸の意向を十分忖度した上での10の各党・会派の妥協の産物ではなかったかと思う。「とりまとめ」自体にも矛盾点がいくつかある。しかも、これとて、今後の有識者会議の最終提案、国会での法案審議と進行する中で、何が起こるかわからない。安倍首相は、特例法に「今上天皇」を書き込むことにこだわり、女性宮家創設の検討と退位が先例になることを極力さけたい意向だったという。今回の提案には、ともかく「今上」の文言はなくなり、あとの二つについては皇室典範付則などで、その可能性を残した。さらに、典範付則には特例法との一体化を明記し、憲法との整合性をはかり、特例法には、今回の天皇の意向表明が広く国民の理解を得たという経緯を書き込むことで、天皇の気持ちが反映されることを確保したということだ。 

「とりまとめ」と付された「政党の意見」

この「とりまとめ」は、あくまでも「国会」「立法府」としての見解ではなく、「衆参正副議長による議論のとりまとめ」であったということである。この見解への各党の対応がどうだったのかでも、今回の問題点が浮き彫りになるだろう。安倍首相は、「重く受け止め、直ちに法案の立案に取りかかりたい」旨の発言が報じられた。また、この「とりまとめ」には7つの党・会派の意見も合わせて付された。朝日新聞によれば(5面、「7党・会派の意見(要旨)」、民進党は、主張してきた「恒久法に規定されるべき退位」が事実上制度化されと理解する、などの意見を付した。共産党は、①特例法の立法理由が退位を認めることについて広く国民の理解が得られていることに置かれるならば、憲法にてらして適合的だ②「おことば」を政治の側が「重く受け止めて」立法措置をとるとなると、憲法に背いた政治的機能の行使になりかねず不適切であり同意できない③「象徴としての行為」のすべてを肯定的に評価する記述は同意できない④「とりまとめ」は、全会派を拘束する文書すべきではない。今後の国会審議を縛るものとしてはならない、とする意見を付した。

今回の「見解」自体が不透明で、文意が曖昧な個所がある上に、付された意見を読むと、さらに、混迷が深まる。民進党の意見は、念押しや確認のつもりなのかもしれないが、これってたんなる「勝手な期待」としか読めない。共産党は、見解への「反対意見」ではなかったのか。「とりまとめ」に、これだけの問題点があるのに、なぜ合意したのだろう、というのが素朴な疑問である。318日の「赤旗」では、全体会議での小池書記長の「発言」として、「天皇退位の立法化の理由が退位を認めることについて広く(主権者である)国民の理解が得られていることに置かれるならば、憲法にてらして適合的であり、了としうる」と「とりまとめには問題点があり、全会派を拘束する文書とすべきではない」の2点をあげ、「意見」としては、上記「朝日」の「意見(要旨)」②をあげている。③は、「発言」としても「意見」としても、記事には登場しない(2面「全会派拘束するべきではない 天皇退位『とりまとめ』小池書記局長問題点指摘」)。それにしても、小池発言の「天皇退位の立法理由が…了としうる」という仮定の問題を想定しての「期待」にすぎず、意見としてどんな意味があるのだろうか。要するに、この際、天皇のことなので「仲良きことは美しきことかな」の発想なのか。こと、天皇の件となると、「突出」したくなかったのか。憲法上の疑義がある「とりまとめ」に、こうした意見を付すくらいなら、なぜ反対しなかったのだろうと。もっとも、このブログでも何回か記事にしているように、共産党は、天皇制へのスタンスを、確実に転換したのにもかかわらず、きちんとした説明責任を果たさないまま、ポピュリズムへと雪崩れていく姿に戸惑い、驚いている。

一方、今回の「とりまとめ」報道、新聞各社の社説をのぞいてみると、いずれも、「とりまとめ」への一定の評価を踏まえ、皇位の安定的継承のための課題を残し、法案審議の過程に着目する、という姿勢のようだ。

毎日新聞:退位の議長見解 政治の土台は固まった 

朝日新聞:天皇退位 「総意」が見えてきた

読売新聞:「退位」特例法案 一本化を促した「国民の総意」(いずれも318日朝刊) 

天皇に、憲法上疑義のある発言をさせた責任~原武史氏の発言

また、さまざまな識者のコメントや発言も溢れた。その中で、私が注目したのは、原武史へのインタビュー「『お気持ち』と政治」(「朝日新聞」318日)であった。天皇の退位の意向を受けて、立法に動くこと自体が憲法に反する、という。こうした疑義が憲法学者から出ないこともおかしな事態だと。現実として、国民の多くが高齢の天皇夫妻の言動を見て、退位容認に傾いていると思うが、どういう過程をとるべきだったのか、を記者に問われて、まず憲法上の「摂政」で対応した上で、国民の多くの声に動かされ結果、政治が動くか、天皇からの意向を早くより伝えられていた政府が動くかして、立法審議へと進むべきだったと。保守派・伝統派の一部での「摂政」での対応を可とする考え方との相違を問われて、「退位のよしあしよりも、過程全体が憲法や皇室典範など現行法にのっとっているかどうかです。次元の違う問題です」と答えていた。

さらに、原は、昨年の天皇の「お気持ち」表明を敗戦後の「人間宣言」と重ねて、リベラルと言われる人からも評価されていたが、あの「人間宣言」は、『昭和天皇実録』の記述によれば「万世一系イデオロギーを継承していた、と指摘、比較というならば敗戦時の「玉音放送」との比較にこそ意味がある、と主張する。「いったん天皇からその意思が示されるや、圧倒的多数の国民が受け入れました。これが天皇と国民の関係です。この点で458月と現在は変わっていません」と結論付ける。

今の時期、こうした明確な発言は、貴重であると思った。護憲や立憲主義を主張するリベラル派と称される識者や護憲政党までも、皇室典範改正や特例法を可とする風潮を理解しがたく、高齢の天皇への同情や言動への敬意・親近感をそのまま「国民の総意」としていることを不安に思っていたので、大いに共鳴したのだった。

また、どのような文脈での発言からなのか、インタビュー記事からでは不明ながら、皇居前の肖像写真のコメントに「天皇に会えば、どうしても感情が入る。研究者として、会うべきではないと思います」の言葉にも説得力があった。

というのも、私が、これまで様々な機会で述べてきたように、「歌会始」選者となった歌人たち、「歌会始」に陪聴者として招かれた歌人たち、それに連なる、もしかしたら声がかかるかもしれない歌人たちの短歌作品や発言に目を止めるだけでも、親天皇、親天皇制へと傾いていく現実を目の当たりにしてきたからである。それが、研究や文芸にかかわる者、表現者としての自律性を大きくゆがめているのではないか、の疑問が増幅していく昨今なのである。

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2017年3月15日 (水)

今年の「建国記念日」は、甲府へ、石橋湛山記念館、山梨県立文学館と美術館と(2)

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文学館でも時間が足りない

 しっかりと時間もとって、ゆっくり見学するつもりであった。最初に入った文学館ではボランティアの説明の申し出があった。常設展の深沢七郎コーナーで、夫が「笛吹川論争って何ですか」と質問をしたところ、別の人に交代した。彼女は、熱心なあまりついに大きな声になってしまったのか、係員が飛んでくることもあった。途中で、2代目紅野敏郎館長の功績を讃えていたので、いまの三枝館長はどうですか、と思わず尋ねると「天皇家にも出入りしていて、近寄りがたいのですが、でも気さくな方ですよ、著書にも気軽にサインしてくれました」とのこと。

深沢七郎の「風流夢譚」が引き起こした出来事をどのように、説明・展示がなされているかが知りたかった。常設展示のカタログはないということであった。2011年の企画展「深沢七郎の文学<楢山節考>ギターの調べとともに」というガイドブックでは、「笛吹川論争」も「風流夢譚」もつぎのような説明であった。戦前のギタリストとして活動、「楢山節考」以後の小説家としての活動、「風流夢譚」以降のいわば身を隠すような暮らし、日本には本当に表現の自由を支えるベースがなかったことを表す一連の出来事、その後の執筆の傍ら農場や市井での暮らしに、ほっとする一面もあった。

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  なお、このハンドブックから、ハンセン病の医師、『小島の春』の小川正子の生家が春日居(現笛吹市)にあり、生家の近くには資料室や歌碑が何基かあるということをも知った。彼女は、光田健輔弟子であったが、1943年にっは結核で没している。光田は戦後もハンセン病患者の強制隔離を主張して、ハンセン病史に大きな汚点を残している。皇室とハンセン病のことを調べ、沖縄愛楽園を訪ね、ハンセン病のことを少しばかり知っただけに、今度は、訪ねたいと思った。

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 常設展の中では、飯田蛇笏・龍太、山崎方代などもゆっくり見たかったのだが、美術館のロビーコンサートもあるということで、だいぶ端折ってしまったのが残念だった。「新収蔵品展―直筆に見る作家のリアル」も開催されていて、ゆかりのある文学者の手紙や短冊が多かったなかで、新宿ハモニカ横丁“伝説の”文壇バー「みちくさ」関係の出品が多く、戦後まもないの文士たちの一面が見えてきて、興味深いものがあった。また、甲州市出身という竹内勇太郎の「赤胴鈴之助」や「三匹の侍」などの台本もかつてを思い出させる品々であった。

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文學館の窓から美術館と甲斐駒ケ岳を望む

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美術館入り口、企画展大きな看板

美術館へ 

美術館のレストランで昼食をとり、見学し始めたのだが、思いのほか時間がかかり、甲府の乗車予定を大幅に繰り下げた。ミレー館のミレーはやはり心落ち着くコーナーである。私は、バルビゾン派と言われる画家たちが描く、さまざまな「空」に引き込まれてしまう。ミレーの「空を見上げる羊飼いの少女」、トロワイヨンの「近づく嵐」の暗雲が迫るもと牛と牛を追う親子ののどかさ、テオドール・ルソーのフォンテンブローの森の空、ドービニーのオワーズ河の朝焼けの河面と空・・・。クールベは、その生き方も含めて、興味をそそられる画家の一人だが、ここでの「嵐の海」の印象はむしろ“激しさ”は感じられなかった。何年前か、オルセー美術館の入り口に陣取っていたクールベの「世界の起源」に衝撃を受けたことを思い出す。

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ミレー「空を見上げる羊飼いの少女」。リーフレット下段左がコロー「大農園」
右がルソー「フォンテンブローの森のはずれ」

 企画展の「没後100年野口小蘋」、野口小蘋(18471917)の名前は初めて聞いた。明治の女性南画家として、著名とのことであった。幼少より、四条派の絵画などを学んでいたが、父亡きあと19歳のとき、すでに絵を描くことを生業としており、上京後は、官命により皇后陛下御寝殿に草花図を八枚を描き、皇室にかかわる仕事が増し、華族女学校の嘱託教師も務めている。1907年には、女性で初の帝室技芸員に任命され、宮廷では絵画や装飾、調度品なども手掛け、優雅で、こまやかな作品を残す。その技法も確かな写生力がベースにあり、展示の鉛筆書きのスケッチや草花、昆虫などの写生帖には、説得力があった。

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「写生帖」より

 一泊の旅で、見残しが悔やまれる旅でもあったが、元気でありさえすれば、また出かけられると思うことにした。帰途の車中、長い笹子トンネルを通過するとき、昨年の小学校のクラス会で、担任のO先生から聞いた話を思い出していた。小学5年の遠足は昇仙峡だったという話で盛り上がったとき、先生は「トンネルに差し掛かると、あなたがね、このトンネルの長さは何メートルか、しきりに尋ねて来るんだよ」と話された。そういえば、小学校の高学年になったころ、私は、毎日、厚い『少年朝日年鑑』を風呂敷に包んで通学していたことを思い出していた。あまり夢のない「愛読書」だったわけである。作文は大嫌いだったが、壁新聞や夏休みの課題で模造紙に図表や年表を書いたりするのが好きだったなあ。そんなことを思い出していると、いつの間にか眠ってしまったようだった。

 帰宅後、「笹子トンネル」を調べてみると、このトンネルは、新旧2本あり、旧トンネルは 1902年に開通し、全長 4656m、下り線に使用され、上り線の新トンネルは1966年開通、全長 4670m、であることが分かった。遠足時には、まだ旧トンネル一本の時代だった。

 

 

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