腹立たしいのを通り越して、あきれて、ばかばかしくもなるが、やはり、書き留めておかねばと思う。テレビのニュースや翌日の新聞記事からは全貌が見えにくい。4月29日、さすがに、テレビ局の中継はなかったが、YouTubeで閲覧した。首相の挨拶は、官邸のホームページで確認した。注1
注1)昭和100年記念式典配信ページ
https://youtube.com/live/JeNNacZ08e4
首相挨拶(首相官邸)
https://www.kantei.go.jp/jp/105/actions/202604/29showa100shikiten.html
入場が済んで静まり返った武道館、あちこちに空席も目立つ。読売新聞によれば参列者約5600人の由。司会進行は、元NHKアナウンサーの青山祐子、着席からだいぶ時間が経過していたらしい。式典の進行について、天皇夫妻の入退場の際の起立・着席などについての説明から始まった。それから、天皇夫妻入場までの「しばらくお待ちください」と、7・8分前後の沈黙の時間が経過、天皇夫妻入場、木原官房長官の開会、国歌斉唱の後、首相の式辞7・8分、三権の長の挨拶が併せて10分ほどか。そして、その後の30分間がなんと、下のような流れで、海上自衛隊東京音楽隊の伴奏による男女隊員の歌唱だったのである。最初は誰が歌っているのかわからなかったが、最後に、指揮者と歌い手の名前が発表されていた(植田哲生二等海佐、三宅由佳莉二等海曹、橋本晃作二等海曹)。6曲の選曲は、首相なのか、イベント会社なのか不明だが、いずれにしても、懐メロの昭和戦後版といてもいい。自衛隊員に熱唱されても、時代の雰囲気は伝わらないだろう。官邸の動画では端折られていたが、天皇夫妻が退場してからも長い間、沈黙の着席の時間が長かった。

「産経新聞」2026年4月29日、より
以上のような流れだったのだが、私は、つぎのいくつかの点に大いなる疑問を持たざるを得なかった。
1.「昭和100年」という区切り方にどんな意味があるのか。
この式典については、超党派議員連盟の麻生太郎会長(自民党副総裁)が2024年、当時の岸田文雄首相に要請し、政府は「『昭和100年』関連施策推進室」を設置し、昨年11月に閣議決定している。注2
注2)内閣官房「昭和100年」関連施策推進室による「「昭和100年」関連施策について」https://www.soumu.go.jp/main_content/000990655.pdf
式典の主旨として、「<昭和100年>を契機に昭和を顧み、先人の躍動に学び、昭和の記憶を共有すること」をうたっているが、ここには、日中戦争、太平洋戦争への反省が捨象されている。この点については以下の過去記事をご覧いただければと思う。注3
注3)4月29日は祝日だった~「昭和の日」はどのようにして決まったのか。(2025年5月 2日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/05/post-e63d11.html
2.高市首相の「式辞」って何だったのか。
その内容に、大いなる疑問が生じたのだ。今回の言葉を聞いていて、「?」、どこかで聞いたような言い回しと思ったのが、ふりかえれば、首相の年頭所感だったのである。まさに、焼き直し、コピペに近い。注4
注4)高市首相年頭所感
https://www.kantei.go.jp/jp/104/statement/2026/0101nentou.html
①
式辞:昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有(みぞう)の変革を経験した時代でした。
年頭:昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有(みぞう)の変革を経験した時代です。
②
式辞:令和の現在、日本と世界は大きな変化を迎えています。日本においては、静かな有事とも言うべき少子化・人口減少の進行、長期にわたるデフレから一転しての物価高、潜在成長率の低迷、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境。そして、世界を見渡せば、国家間の競争が激化・複雑化・常態化し、私たちが慣れ親しんできた自由で開かれた安定的な国際秩序は大きく揺らぎ、政治・経済の不確実性が高まっています。
年頭:令和の現在も、日本と世界は大きな変化を迎えています。 日本においては、静かな有事とも言うべき人口減少や、長期にわたるデフレから一転して国民の皆様が直面されている物価高、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境。そして、世界を見渡せば、我々が慣れ親しんできた自由で開かれた国際秩序は揺らぎ、覇権主義的な動きが強まるとともに、政治・経済の不確実性が高まっています。
③
式辞:今年初めて投票してくださった18歳の若者も、生まれたばかりの赤ちゃんも、その多くが、22世紀を迎えることができるでしょう。その時に、日本が安全で豊かであるように。『インド太平洋の輝く灯台』として、自由と民主主義の国として、世界から頼りにされる日本であるように。若者たちが、日本に生まれたことに誇りを感じ、『未来は明るい』と自信を持って言える。そうした国を創り上げていく。『日本列島を、強く豊かに。』日本に希望を生み出していくことを、改めてここに決意いたします。
年頭:今年初めて投票する十八歳の若者も、生まれたばかりの赤ちゃんも、次の時代を担っていかれる方々です。彼らに、日本の未来を信じてほしい。「希望」を抱いてほしい。今の時代をお預かりしている私達には、「日本列島を、強く豊かに」して、次世代に贈る責任があると考えています。
「日本列島を、強く豊かに」は、先の衆議院選挙の自由民主党のキャチフレーズであり、総裁メッセージであったのである。また、ちなみに、「年頭所感」と4月29日「式辞」の間にあたる2月20日「施政方針演説」にもつぎのような一節がある。注5
「「挑戦しない国」に、「未来」はありません。「守るだけの政治」に、希望は生まれません。「希望ある未来」は、待っていてもやって来ない。誰かがつくってくれるものでもない。私たち自身が、決断し、行動し、つくり上げていくものです。」
注5)第221回国会における高市内閣総理大臣施政方針演説(令和8年2月20日閣議決定)https://www.kantei.go.jp/jp/105/statement/2026/0220shiseihoshin.html
さらに、4月12日の自民党大会での首相の挨拶にはつぎのようなくだりもあった。注6
「今年初めて投票して下さった18歳の若者も、生まれたばかりの赤ちゃんも、その多くが、22世紀を迎えることができるでしょう。その時に、日本が安全で豊かでありますように。「インド太平洋の輝く灯台」として、自由と民主主義の国として、世界から頼りにされる日本でありますように。そのために、日本の「成長のスイッチ」を押しまくり、日本の可能性を解き放ちましょう。「日本列島を、強く豊かに。」 挑戦しない国に「未来」はありません。守るだけの政治に「希望」は生まれません」
注6)第93回党大会 高市早苗総裁演説(全文)
https://www.jimin.jp/news/press/212972.html
「インド太平洋の輝く灯台」という唐突なフレーズは、2月8日の衆院選挙で圧勝した直後の2月18日に出された「大臣指示書」に登場する。前年のそれを大幅に変更して、内閣全体の基本方針に「日本列島を、強く豊かに」「インド太平洋の輝く灯台」を加えたというのだ。
以上見てきたように、中身を伴わない、強い口調の同じキャッチフレーズが何回でも使われていることがわかる。身近で聞く議員たち、ひいては有権者、国民も、なめられたものである。野党は細って内輪もめばかりで、きちんと質すことをしない。NHKはじめメディアも気づきながら、毎回、適当に概略しか報じない。つまらない、些細なことなのだろうか。
そして、この間、高市政権は、すでに、閣議で殺傷能力のある武器輸出を解禁することにした。また、インテリジェンス機能を強化するとして「国家情報局設置法案」は、野党も巻き込んで、4月23日衆院で可決させ、連休明けには参院での審議が始まる。
「昭和100年記念式典」は式典と称して、なんと、自民党、高市内閣、高市首相の広報、パフォーマンスの場であったのである。
3.天皇の臨席は何のためだったのか。
天皇夫妻は、式典の半分以上、30分以上にわたって、昭和の歌謡曲6曲を披露されるとは思わなかっただろう。どことなく戸惑っている表情も伺われた。式典を権威づけ、重々しい雰囲気を醸成するなかで、首相のメッセージを際立てるために利用したことが明確になったのではないか。天皇としては、政治的活動の一端を担わされ、違憲の疑いさえ生じる。加えて、天皇を壇上に迎え、日頃の言動を牽制するような内容の「式辞」ではなかったか。
4.重光葵の短歌の登場、なぜ短歌を持ち出すのか。
首相の「年頭所感」の冒頭では、昭和天皇のつぎの一首を引用して、以下のように述べている。
「『山やまの 色はあらたに みゆれとも 我(わが)まつりこと いかにかあるらむ』御即位後初の歌会始での昭和天皇の御製です。昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有(みぞう)の変革を経験した時代です。まるで昭和が激動の時代となることを見通していたかのように、移り変わっていく山々の色を詠まれています。」
昭和天皇の短歌は、1928年(昭和3年)、歌会始の題「山色新」のもと詠み、公表された一首である。首相は、どこから引用したのか、宮内庁侍従職が編纂した昭和天皇の歌集『おほうなはら』(読売新聞社 1992年)の表記とは、漢字や濁点などの表記が異なる。1928年といえば、2月に第1回普通選挙が実施されたが、大陸政策を強行するなか、関東軍による張作霖爆殺事件が起こり、内務省に特別高等警察が新設され、思想弾圧の強化が始まった年でもあった。「まつりこといかにかあるらむ」を首相は自分事のように読んだのかもしれない。となると。
今回の式典の「式辞」では、重光葵の辞世とも言われる一首を引いて、つぎのように述べた。
「『霧は晴れ 国連の塔は 輝きて 高くかかげし 日の丸の旗』、同じ年(1956年)、日本は国連に加盟します。重光葵(まもる)外務大臣は、ニューヨークで高らかに詠い上げています。国際社会への復帰は、日本の悲願でした。」
重光の短歌をあげて、国連復帰の功績をたたえるというより、「日の丸の旗」を強調したかったのではないか。式典の中で「国歌斉唱」の前に、司会者は、ことさらに参列者に「国旗」への注目を促していた。これって「国旗損壊罪」を新設したい首相の「悲願」の伏線?にも思わるのだった。昭和に学ぶといっても、たとえば、国連復帰を称える前に、1933年、なぜ国際連盟を脱退するに至り、日本は世界から孤立していったのか、を学ぶ方が有効だし、先だと思う。
「昭和100年記念式典」は式典と称して、なんと、自民党、高市内閣、高市首相の広報、パフォーマンスの場であったのである。肝心なところから目を反らされるようなことばかりが続く。
「戦争の足音」が近づき、抗議デモへの参加者や集会は、各地で確実に増えているが、メディアは、なぜか伝えようとしない。事件や災害報道、スポーツや皇室報道には熱心だし、物価高やホルムズ海峡封鎖による業界や暮らしへの影響、株価の乱高下などは盛んに報道されるが、その拠って来たるところには分け入らない。そして、その分、いま国会でどんな審議が行われているか、何が論点なのか、などの報道量は、確実に細っている。上記で触れなかった「国論を二分する」と豪語する高市政権の公約は、以下のように目白押しなのである。
スパイ防止法、非核三原則を見直し、憲法9条改正、緊急事態条項新設、防衛力強化、皇室典範改正、旧姓使用法制化、外国人政策の厳格強化・・・。


池の端の一本の梅、長い間花を楽しんだと思ったら、もう大きな実をつけていた。子どもの日を前にいつのまに賑やかになったコイたち。親たち3匹は、屋根のついた避難所でお昼寝中だったが、餌をやり始めると、がぜん動き出した。(5月2日)
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