2019年8月17日 (土)

はじめてのオランダとハンブルグへのへ旅は始まった(11)ハーレムへ

  アムステルダム中央駅9時17分発、ハーグ行きでハーレムへ、途中のライデンでは、学生たちの乗降が多い。20分弱でハーレム着、ホームや駅前も何となく閑散としていた。

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ホームの階上には、木造の待合室か。


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地味なたたずまいのハーレム駅舎、駅前の花屋さんが店開き。

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新しそうな銅像だが、ガイドブックによれば、オランダ独立戦争、80年戦争(1568~1648年)時代、ハーレムの知事だったヴィッグボルト・リッペルダ男爵と防衛隊の女性の銅像だという。

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駅から、クライス通りを進んで、路地に入ると、ユダヤ人ををかくまった町の時計屋さん、その隠れ家は、いまは、コリー・テンボーム博物館となって、公開されている。私たちが訪ねた時は、どうも閉館中らしく、ツアーの人たちがガイドさんの話を聞いているところだった。

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グローテ・マルクト広場と聖バッフォ教会、立派なパイプオルガンがあって、ヘンデルもモーツアルトも演奏したという。中も見学したいところだが、先を急ぐ。フランス・ハルス美術館もスルー。

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市庁舎の観光案内所で、1ユーロの地図を買い、テイラー博物館への道を教えてもらう。日本からですかと、歓迎される。

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広場の裏手はすぐ川になっていて、跳ね橋が見える。係員がひとりいて、通行人や自転車は、橋が上がると赤信号で待つ。

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垂直に立った橋、小さな船が過ぎてゆくのどかな風景。

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実は通り過ぎていた、目当てのテイラー博物館、右手中央の黒い建物だった入り口は狭いが、中の広さと豪華さに圧倒される。

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博物館のフロアガイド。テイラー博物館ホームページ↓

https://www.teylersmuseum.nl/en/teylers-museum#/en/frontpage/walter-isaacson

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ここでもレンブラントの特別展が5月から開催中で、多くのデッサンが展示されていた。

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博物館のカフェのアップルケーキもおいしかった

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これは「デンハーグの花市」、ヨハネス・クリスティアーン・クリッケンベルグという画家の作品ということが、絵葉書で分かった。

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風車の変遷を示す展示も。

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コレクションの主、銀行家のテイラー(1702~1778)の肖像、絵画ばかりでなく、化石から始祖鳥、万物?の歴史をたどる展示物。とくに失われがちな古い道具や機械類の収集にも圧倒される。

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テイラー博物館からスパーネル川に沿って歩いていくと、大きな風車が見えてきたが、ここも博物館になっていて、見学には20分はかかるということで、パスすることに。途中にあった警察署に寄って駅までの道を尋ねると、川沿いの道から、線路沿いの道へ左折せよとのことで、人っ子一人通らない広い炎天下の道を歩きに歩いて、30分?ハレーム駅に着いた。アムステルダムに戻る予定が大幅に遅れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年8月14日 (水)

 「表現の不自由展・その後」展(あいちトリエンナーレ2019企画展)への公権力介入による中止への抗議と再開を求める署名、今なら間に合います。 

 河村名古屋市長と大村県知事へ提出する署名です。今晩、夜中の12時が第一次締め切りです。ご賛同いただけるようでしたら、ネット署名、よろしくお願いいたします。こちらは、メッセージも記載できます。提出分以外は、名前は公表しませんので、他の方のメッセージもお読みの上、ご記入ください。

ネット署名(入力フォーマット)→  <https://t.co/frbAafjYcq> http://bit.ly/2YGYeu9

署名集計並びにメッセージ ➡ http://bit.ly/2LZz0RR

 用紙署名の方は、今日の局留めで締め切りです。昨日は休み明けだったため、郵便局には一日で2600筆近くが届いていました。開封の手伝いをしたのですが、おひとりで数百筆集めてくださった方も、おひとりの署名を速達で送ってくださった方もと様々です。署名用紙と共に、封筒から出てくる長文のメッセージや一筆箋での励ましの言葉、一通一通、一筆一筆の熱い抗議の思いが伝わってきます。

台風10号のさなかの?名古屋、8月15日に、県庁・市役所へ、発起人の3人が届け、記者会見の予定だそうです。ご協力お願いいたします。

<8月15日付記>本日夕方の朝日デジタル報道です。記者会見にはほかに数社か来ていたようですので、明日の朝刊等ご留意ください。

「不自由展、再開求め申し入れ 学者ら『屈してはならぬ』」

  <https://www.asahi.com/articles/ASM8H578QM8HOIPE012.html> https://www.asahi.com/articles/ASM8H578QM8HOIPE012.html

 

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2019年8月13日 (火)

はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(10)ハーグ国際裁判所へ

 世界史でよく聞く、ハーグ条約、国際裁判所・・・ 、正式には「国際司法裁判所」と呼ぶらしく、裁判所一帯を「平和宮」とも、ガイドブックにはあった。夕方6時近いのに、日差しは強い。

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門の外からの見学だったが、日本語を話す母娘さんがいらしたので、どちらからですか、と尋ねると「カナダからです」とのことだった。

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駅へ向かう帰り道、どうしたわけか中華街に迷い込んでしまった。

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ようやくたどり着いたデン・ハーグ中央駅だった。

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 この日の夕食は、アムステルダム中央駅にある、カフェ・ファーストと決めていた。かつて、列車の一等席の客専用の待合室だったところが今はカフェになっている。なかなか風情のある店内で、写真ではやや見づらいが、正面に三個の時計が掛けられている。真ん中がアムステルダム、右が東京の時刻が示され、時差がわかるようになっていた。地元のグループやカップルも多いようで、看板鳥なのか、カウンターの脇でオームがはしゃいでいた。チーズと野菜たっぷりのサラダとパンで、もう十分という感じだった。ビールのおいしかったこと。この日、21705歩。

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カフェ・ファーストから階段を降りると、こんなスペースもある駅だった。

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はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(9)デン・ハーグ市立美術館のモンドリアン

 ハーグ歴史博物館を素通りして、次に向かったのがハーグ市立美術館である。ここでのお目当ては、モンドリアンコレクションだった。モンドリアンといえば、色鮮やかな幾何学模様の絵がスカーフになったり、さまざまな商品のデザインに取り入れられているので、ご存知の方も多いだろう。私はどういうわけか、1960年代の終わりころ、モンドリアンに出会って衝撃を受けてしまったのだ。私の第一歌集『冬の手紙』(1971年)の「あとがき」は、つぎのような書き出しである。

「モンドリアンの抽象に出遭ったとき、あの冷徹さに戸惑いながら惹かれていったのはなぜだろうかと考えています。そこには猥雑なものをいっさい拒否しようとする、ひとりの人間の生き方の美と思想があると思いました。この画家の幾何学的構成にいたる過程は、<樹木>連作が雄弁に語っています。さらに光と影から解放された垂直と水平の世界の展開を見せられたときの感動を忘れることができないでいます。主観的な表現を極度に排し、求めてやまなかったものはなんでであったろう。・・・」

 なんとも気恥ずかしい書きぶりであるが、モンドリアンの絵画の出発が、「彼の生地、オランダの日常的な海であり、砂丘であり、なんの変哲もない一本の樹木であったのです。対象にはひと一倍鋭い感受性とこまやかな愛情を重ねていた時期は決して短くはありませんでした」ということを知って、自らを省みたという顛末を記していたのである。そのモンドリアンに、このデン・ハーグで、会うことができるのである。1987年の夏、池袋の、今はなくなってしまった「西武美術館」でのモンドリアン展には、その頃暮らしていた名古屋から見に来た記憶がある。まとめてみるのはそれ以来か。その後、私の、暮らしや短歌においても、モンドリアン熱は冷めたけれども、やはり懐かしい。

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ハーグ市立博物館、左右に人工池を見て、進む。

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入場券は、エゴンシーレ(1915)で、パンフの表紙はモンドリアン(1908)であった。入場券は16€。

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”MONDRIAN & DE STIJL”から。居住地、オランダ、パリ、オランダ、パリ、ニューヨーク時代の作品の特徴が記されていた。

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手前が、「明るい色による市松模様のコンポジション」(1919年)
 

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左が「ドンブルフの風車」(1909)、右が「赤い樹木」(1908~10)

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「モンドリアン展」(1987年7月25日~8月31日、西武美術館)パンフの表紙より。上段「樹Ⅱ」、中段「灰色の樹」、下段「花咲くりんごの樹」、いずれも1912年制作。

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思いがけず、モネにもモランディにも出会えた。

 

 

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2019年8月12日 (月)

はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(8)マウリッツハイス王立美術館へ

 ビネンホフに接する池に沿う中世の建物は超高層ビルを背負っていた。美術館は意外にこじんまりした外観だった。受付には、日本の若い女性もいらして、にこやかに迎えてくださった。

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レンブラントの「自画像」(1669)とフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(1665)に出迎えられて

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アムステルダム―デン・ハーグ乗車券と美術館チケットとフロアガイド。

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ヨハン・マウリッツ(1604~1679)像。大航海時代、オランダは、ブラジルを制し、マウリッツは 総督として1644年まで務めたのち、デンハーグのこの地の邸宅に住む。砂糖貿易で大儲けをして建てたとして「砂糖の館」と中傷もされたらしい。邸宅は、オランダ王室に買い取られ、ウィレム五世が築いた絵画のコレクションは、オランダ政府に寄贈された。その後もナポレオン時代のフランスに渡ったりして受難は続いたらしい。それにしても、見聞きしてきた名画が多く、ここでも時間が足りないほどだった。

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ルーベンスの「ローソクを持った少年と老婆」に思わず立ち止まった。

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上はフェルメールの「デルフトの眺望」(1660~61)、下がロイスダールの「ハーレムの風景」(1670 ~75)。今回デルフトは訪ねることはできなかったが、ハーレムは翌日訪ねることにしていた。どちらも雲の描写がすばらしい。フェルメールの絵の前で、夫に写真を撮ってもらおうとうろうろしていると、地元の?年配の男性から一緒にとってあげるよと言われて収まった。旅行中二人の写真というのは貴重なのだけれど、後で見ると、ともにお疲れ?の様子だった。

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美術館から、歴史博物館を望む。この博物館にもモンドリアンの絵などもあるはずだったが、時間の関係で素通りになってしまった。

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館内のカフェで、私はクリームパスタ、夫はコロッケのランチとなった。
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アドリアン・コールテの「苺のある静物」(1705)がクリアファイルになっていた。コールテの桃の絵にも惹かれるものがあった。

 

 

 

 

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2019年8月 9日 (金)

「女性作曲家ピアノ曲マラソンコンサート」に行ってきました。

 おそらく、荻窪の駅に降りるのも、杉並公会堂も初めてのはずである。荻窪駅北口から青梅街道の賑わいはかなりのもので、駅に隣接する商業施設から始まり、歩いて7・8分の間にスーパーやコンビニ、ドラッグストアなどが複数あり、個人商店も健在の中、池袋の商店街育ちの私には、何となく気になるところ。コンサートの開場には少し間があったので、ショーウィンドーをのぞいたり、中に入ってみたり・・・。池袋にしても、いま住んでいる佐倉の街も、「商店街」は年々寂しくなってきているので、なおさらである。

 今日のコンサートは、知られざる作品を広める会主催の女性作曲家のピアノ曲“マラソン”だという。会は、谷戸基岩さん・小林緑さん夫妻の進行で行われた。理屈はともかく?谷戸さんのリラックスして楽しんでくださいの言葉通り、楽しいコンサートだった。クラシックの世界に、こんなにも魅力的な女性作曲家がいたというんだということをに素人の私でも少しづつわかってきたような気がする。学校の音楽室にいまだ彼女らの肖像画は飾られることがないようなのだ。

 8月8日は、セシル・シャミナード(1857~1944)の誕生日だそうだ。フランスのサロンでは「小さなモーツァルト」とも呼ばれていたそうだ。この日の午後の部でも、アラベスク、スカーフの踊り、ピエレット、森の精が四人のピアニストにより演奏された。また、バダジェフスカの「乙女の祈り」の本格的な演奏は初めて聞いた。姉妹篇とも呼ばれる「叶えられた祈り」とあわせて、エミィ轟シュワルツさんの甘いだけではない硬質な演奏が心地よかった。最後がノルウェーのグレンダールの「夏の歌」、夫も今日のコンサートの楽しみの一つだったのだが、所用のため来られなかった。

 

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2019年8月 6日 (火)

はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(7)ハーグへ

  オランダの国会議事堂も王宮も、アムステルダムではなく、ハーグに、デン・ハーグ(というらしい)にある。それに、目当ての美術館もあるので、一日かけて出かけることにした。

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アムステルダム中央駅、9時34分発より9時49分発の方がデンハーグには先に着くはず。

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インターシティの車窓から。下は、帰路の車窓から、風力発電の風車が当たり前の景色になっていた。

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デンハーグ中央駅からメインストリートを進むといきなり高層ビルが。高いクレーンが交差していて、まだまだ建設たけなわのようであった

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ライデン大学ハーグキャンパスがこんなところに

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こんなところに荒物屋さんが、日本では見かけなくなってしまったが。ちょっと寄ってみたいような。道案内の矢印➡が頼りなのだけれど、結局観光案内所にはたどり着けず、国会議事堂を目指す。

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迷い込んで、工事の人にビネンホフはどこか、と尋ねると怪訝な顔をして、この辺全部だよ、と。そして現れたのが、右の「騎士の館」国会議事堂だった。あたりに警備の警官が立つでもなく、のんびりした中庭である。日本の、あの警備は、いったい何を恐れているのだろう。たしか、ベルリンの国会議事堂前の広場だって、実に和やかで開放的だったが。

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トラムの通り側から議事堂を望む。

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池のホフフェイファから13~17世紀の中世の建築群を望む。この右手の奥がマウリッツハイス王立美術館のはずである。鳩を見守るのは?

  

 

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2019年7月29日 (月)

はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(6)運河クルーズというけれど

 国立美術館を後にして、夕方は、といっても、まだまだ日差しが強い。中央駅前の遊覧船乗り場へ。50分弱で、12€とのこと。ここぞとばかり、チケット売り場で、二人の財布にたまった小銭をそろえて渡すと、小銭分は受け取らないというのだ。美術館の売り場などでは使うことが出来たのにと、何となく腑に落ちない。船はたちまちに満席となって、出発した。オランダ語と英語のガイドが流される。どんどん景色が変わっていく上に、窓越しなので、写真も思うように撮れなかったのが残念だった。

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見どころの一つ、七つの橋が見通せるスポットというのだが。

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船の形をした、科学技術博物館でした。

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だいぶ波が荒くなってきた。

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遊覧船を降りて、ふたたび中央駅前、ビクトリアホテル前で振り返ると、旧教会の尖塔が見えた。

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お目当ての、ガイドさんからも進められたお店を探しに、ダム広場に向かう途中、どうもタトゥーの専門店?の看板が見えた。ともかく、若い人に限らず、タトゥーをあらわに見せて?いる人がなんと多いことか。スーパーのレジのおばさんの手の甲にも、家族連れの若いお父さんお母さんも、屈強な男性の腕一杯の見事な花の絵だったり、若い細身の女性の二の腕にも・・・、というわけで、写真を撮りたい衝動にも駆られたが、見送るばかりだった。

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ダム広場では、ミュージシャンと日陰に集う人々、奥の広場では大きなシャボン玉を飛ばす芸人さんもいて、子どもたちが追いかけていた。ようやく見つけた店は、なんと、閉まっていて、しばらく前から休業中らしく、張り紙はあったが、その理由は読み取れなかった。

 夕食は、駅近くのピザ屋さんで。この日、1万2755歩。

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2019年7月26日 (金)

はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(5)アムステルダム国立美術館 2

 

  アムステルダムを夢中で歩いていた日から、はや1カ月もたってしまった。記憶もだんだん薄れてゆくのだが、わずかなメモを頼りに、記しておきたい一心で。

 喫茶室で一息入れてから、まためぐり始める。さまざまな絵に登場する犬、そのさまざまな表情や姿が印象的だったのは、かつてわが家に二匹の犬が暮らしていた頃を思い出したからかもしれない。

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アルベルト・カイプ「旗手と川のある風景」右手の赤い服を着た人の足元に身を低くく座っている犬がいる

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ここにもあったゴッホの自画像(1887年)、パリ時代、歯を抜いた後だったという。

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朝方の涼しさとは違って、強い日差しの中、庭園の噴水、間歇的に低くなったり高くなったり、その間を縫って出たり入ったり、若者たちが楽しんでいた

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はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(4)アムステルダム国立美術館 1

 6月26日、今日は一転して涼しい、過ごしやすい朝だった。朝食のバイキングは、目移りするが、5泊することでもあるし、体重管理もあるしで、あまり欲張らずに行儀よく?済ませた。きょうは、国立美術館、9時過ぎにホテル前のトラム停留所から2番で、きのうのゴッホ美術館の一つ手前で降りればよいはずだ。24時間チケットを車掌さんから買う。トラムの中央車両には、必ず車掌さんが席にいるので、チケットの自動販売機が苦手でも、何となく安心感がある。

 美術館前は、すでに、かなりの人で、正面には、見たことのある、赤い文字の”I am"のモニュメントが迎えてくれた。例のダジャレとでもいうのか”Iam"と、"amsterdam"をドッキングさせているのだが、ただいま、作業中で、”Iam"の後ろの白い文字を読むとamazon? ということになるらしい。 美術館がこの建物に移転して開館したのが1885年とのこと。アムステルダム中央駅と同じ、ペトロス・カイバースの設計による。なんと美術館の地上階の中央は、一般道路が通り抜けになっていて、自転車の往来も頻繁である。

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I amamazon・・・と読めるが、モニュメントはただいま工事中らしい。

 受付で、日本語のオーディ・ガイドがあるというので借りたが、ここでもガラケーの私 は、操作に戸惑う。私は、ふだん日本ではこの種のガイドは借りないことにして、気ままに自分のペースで鑑賞することにしているのだが、ここでは、あればありがたく、選択的に拝聴した。まさに「名画」が目白押しなので、どういう順序で回ればよいのか、いささか迷いもした、というより迷ってしまったのである。フロアガイドを落ち着いてみれば、それなりにわかりやすかったのだが、ともかく17世紀前のゼロ階の展示はスルーすることにした。

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日本語のフロア・ガイドがなかった。

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大がかりなショップ

 

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2階の中央の細長い部屋が「名誉の間」と名付けられ、レンブラント、フェルメール、ロイスダール、カイプなどが並ぶ。

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絵葉書より、フェルメールの「恋文」と「牛乳を注ぐ女」、ほかにも「デルフトの小路」「手紙をよむ青衣の女」があった。

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レンブラントの「夜警」は、かなりの大作と知る。その前で、小学生たちが、学芸員の話に耳を傾けている。こんな光景があちこちで見られたが、日本の展覧会では、あまり見かけない光景ではある。この部屋ではレンブラントの「ユダヤの花嫁」も人気のようだった。

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いずれもレンブラントだが、「老女の読書」も気にかかる絵だった。レンブラントの「自画像」は、現在、プラド美術館に貸し出し中とのことだった。

 昼食も忘れ、途中、アップルケーキでのお茶を挟んで、6時間くらい滞在したことになろうか。連れ合いが熱心に写真やメモを取っている間、私はベンチで休んだりしていることもあったし、もう一度確かめたいと部屋を行き来したり、フロアを上がったり下がったりもした。

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まん中のクッキーには、アムステルダムの市の紋章「アンドレの十字架」が焼かれていた。かなりのボリュームのあるアップルケーキも、美味であった。

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デフルトの陶磁器の展示も見ごとなものだったが、申し訳ない、駆け足で通り過ぎることもあった。

 

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