2017年9月12日 (火)

天皇の代替わりに向けて~「おめでとう」の前に

 

佐藤愛子の『九十歳。何がめでたい』がベストセラーになったのが、昨年だったか。そんなセリフを吐いて、世に憚りたいもの。「九十歳」のかわりに「〇〇」を入れて、ウサを晴らしてみても、何も解決しない。 

昨年の7月、天皇の生前退位の意向がNHKのスクープという形で突如浮上し、88日には、天皇のビデオ・メッセージが放送された後の顛末は、承知の通りで、67日の参議院特別委員会の「全会一致」で可決し、本会議を経て「退位特例法」が成立した。代替わりはすでに時間の問題となった。すでに、各メディアの今の天皇のへの称揚の記事が始まったし、やがて、昭和天皇の晩年・死去報道よりも大々的に展開されるだろう。歌人も登場して、「御製」や「御歌」を懇切に解説し、その心情に触れつつ、短歌の「奥深さ」を語り始めるのだろう。そして、天皇は、いかに平和を願い、国民に寄り添い「象徴としての務め」を果たしてきたか、歴史家や文化人が、その立場を超えて、こぞって賞賛するにちがいない。それが、現実の政治や経済の歴史や現況を一層見えにくくして、曖昧にしてしまうのは必至だろう。そこで利を得るのは誰なのだろうと思うようになった。 

 

無責任に「おめでとう」とは言えない 

直近では、秋篠宮家の長女の婚約内定発表に、新聞は多くの紙面を割き、テレビは報道に時間を費やした。これから皇族を離れてゆく人に、人々の関心はどれほどあるのだろうか。皇族たちに基本的人権はないのか、プライバシーはないのかと思う一方で、記者会見の日には、「ご婚約内定おめでとうございます」の企業広告も目立った。テレビでは、経済効果1000億に上るというコメンテイターも現れ、12万人が結婚に踏み切るとして~~みたいな皮算用をする。一方、婚約者の男性が、一カ月2万円食費のレシピ本を購入したとか近所の本屋さんが語っていたが、まさに多くの若者たちは、親がかりの住まいだったり、食費を切り詰めたりしながら、非正規で働く場合が大半なのだから、当然のことだろう。あまり縁のないカップルの「婚約内定」に「おめでとう」とは、無責任には言えない情況である。もっとも、皇族の結婚には、国から1億数千万の支度金がつくということであった。

 

日本近代史における5つの元号、もう限界なのでは 

また代替わりを控え、「元号と公文書 西暦併記の義務づけを」という「社説」(『朝日新聞』201787日)が現れた。1979年に制定され、最も短い条文の法律とされた「元号法」の「第1項 元号は、政令で定める。2項 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。」ということになっているが、年号表記が、天皇の在位ごとに変ること自体、憲法は前提にしていない。元号の不便さは、公文書に限らず、生活上、国民に大きな負担と混乱を強いている。それを少しでも解消するために、あらゆる場所での西暦統一するのがベストと私は考えるが、元号のみの年号表記がほとんどの公文書に西暦併記を義務付けてもらわないと困るという意味で、現実的な提案ではある。この国が、憲法上、天皇をいただいていること自体から生じる矛盾は、元号以外にも、というよりは根本的な問題があるが、それには触れようとしない。ずいぶんと腰が引けた社説だなと思ったものだ。 

その後『朝日新聞』の「天声人語」(2017821日)においては、もう少し、敗戦後の元号の歩みに踏み込んで、1975年の桑原武夫はの「元号について」を引いて、天皇という人間の「ご一生」を国民の「あらゆる生活の基準を置くというのは,象徴ということにふさわしいとは申せません」、世界に通用する西暦を使い,元号は廃止すべしという論考を紹介している。そして、「そこまでいかなくともせめて公文書は,西暦を主,元号を従としてはどうか」という「社説」に戻るのである。 

たしかに、私自身、「明治憲法」「大正デモクラシー」「昭和恐慌」「昭和の面影」「昭和一ケタ生まれ」などの使い方をすることもあるが、元号のみによる歴史書は読んでいると、確証のないない不安に駆られることがあるので、自分がものを書くときは、西暦だけか、適宜、元号を括弧に入れて併記することもある。だから、必ず手帖の裏の「年齢早見表」を拡大し、換算表として机の上に置いている。もっとも近頃の「年齢早見表」には、明治末期からしか載っていないので、簡単な日本史年表は目につく所に置いているありさまだ。これに、もう一つの元号が加わることになるのだから・・・。 

なお、今年201741日には、民主主義をけん引するはずの日本共産党の「赤旗」は、平成以降、年号は西暦表示だけだったのが、元号併記を28年ぶりに復活させている。その理由というのが、45日付で、「今回の措置は、『西暦だけでは不便。平成に換算するのが煩わしい』『元号も入れてほしい』など読者のみなさんからの要望」によるとしている。続けて、元号の使用は、 

「歴史と国民の選択にゆだねるべきで、法律による使用の強制には反対するというのが、日本共産党のかねてからの主張です。1979年の元号法制化に際しては、天皇の代替わりごとに改元する「一世一元」は、主権在民の憲法下ふさわしくないとして、その法制化・固定化に反対しました。そのさい、元号の慣習的使用に反対するものではないこと、「昭和」後の元号についても慣習的使用の延長として憲法の範囲内で法的強制力をもたない適切な措置を検討する用意があることも表明していました」との見解を示している。 

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-05/2017040504_02_1.html

  これとて、元号法には主権在民の憲法下ではふさわしくないとした一方で、「慣習的使用の延長線上で強制力を伴わない措置を検討する用意がある」とした趣旨は、かなり分かりにくい。これは、一昨年2015年末に、それまで天皇を議場の玉座に迎えての国会の開会式には、「主権在民」の憲法下における議会にふさわしくないと参加しなかった日本共産党が「天皇の政治的発言はなくなったとして」開会式にも参加すると表明したことと、無関係とはいえないだろう。この件については当ブログでも言及したことがある。 

◆ことしのクリスマス・イブは(3)~なんといっても、サプライズは、国会開会式出席表明の共産党だった!(その220151228  

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/12/2-2dd0.html 

この問題については、『朝日新聞』は、「保守系の議員も抱える民進党などとの野党共闘も意識して柔軟路線を進めている。今回の対応についてはそうした<柔軟姿勢>の一環との見方もある。」(201741日)と解説していた。 

『毎日新聞』は、次のように伝える(「『赤旗』に元号復活 読者の要望 柔軟路線に 28年ぶり」201741日 夕刊 )。「共産党は昨年の通常国会から、天皇陛下が出席する開会式に幹部が出席し始めた。陛下の退位に関する法整備の議論にも参加し、民進党より先に特例法容認を打ち出した。 長く党を支えてきた赤旗購読者や党員の減少に悩む共産党は、保守層への支持拡大をうかがっている。元号の使用にはそうした思惑もあるようだ。党によると、赤旗の発行部数は日刊紙と日曜版を合わせて約113万部。党関係者は1日、『元号の慣習的な使用には反対しない。読者の要望に応えた』と説明した。」  

 共産党が共闘を探る、その民進党が、いまのような有様では、その「野党共闘」「柔軟路線」はすでに意味も薄れ、こんなことで、保守派の取り込みができるとは思えない。 

 

  「象徴天皇制」、その背後で
「象徴」が付される「天皇制」って、何なのだろう。私たちがかつて学校で学び、そしてまもろう、まもってほしいと努めてきた平和と自由と平等をうたう日本国憲法は、どこへいってしまうのか。そもそも、主権在民や平等とは両立しない「象徴天皇制」を擁しながらも、その本質が持つリスクをなんとかなだめつつ、憲法をまもっていきたい、国にはまもらせたいというのが、いまの正直な気持ちである。しかし、これまでも、元号・日の丸・君が代の法制化、皇族の死去や結婚などのたびに、そして、皇族の活動が活発になればなるほど、「象徴天皇制」の名のもとに、というより「象徴天皇制」を「かくれみの」として、政府は、市民の生活や思想の自由を徐々に、徐々に、脅かし続けていくだろう。もはや、天皇や皇族個人の心情や願望とは無関係に、事態は進んできてしまった。

 

災害の避難所の床にひざを折っての言葉がけや戦争犠牲者への長い祈りによって、励まされ、慰められ、感動する人々はいるだろう。しかし、被災者や遺族が、現実に立ち返ってみれば、生活環境が劇的に改善され、それぞれの不安や心痛が解消されるわけではない。それどころか、政府は、基本的な解決策を持たないまま、原発再稼働や輸出を促進し、安全保障体制を強化、軍拡を進めている。被災者や犠牲者の心情とは真逆の方向に突き進んでいるのが、現実である。

 

天皇夫妻が、皇太子時代を含め、沖縄訪問を重ねるが、戦争犠牲者に祈りを捧げ、沖縄の伝統文化を愛でる一方、沖縄をがんじがらめにしている米軍基地に一言も触れ得ず、平和を語るむなしさが、「象徴天皇制」の象徴的な姿のようにも思う。 

 

代替わり前夜でなされようとしていること
   
最近の新聞では、代替わり企画の先取りともいえる、天皇中心の平成回顧が盛んである。「退位特例法」が成立前後から、各社さまざまな連載が始まった。私は、とくに天皇と沖縄の関係に着目しながら読むことにした。直近で、手元にあるものだけでも以下の通りだ。 

①『東京新聞』:「沖縄と戦争を思い続け」<象徴天皇 いのちの旅3>(53日) 

②『朝日新聞』:「沖縄訪問 両陛下の信念」(下)<平成と天皇・第2部 平和を求めて(下)>(811日) 

③『毎日新聞』:「象徴として 第1部・沖縄への思い15」(831日~95日)

 朝日の②は、2017411日から、「平成と天皇・プロローグ 退位をめぐる攻防」として 連載が始まり、5月には「平成と天皇・第1部 退位これから」へと続いた。上記の三本の記事の基調は、いずれも、沖縄県民の「皇室」に対する「複雑な感情」が、平成の天皇夫妻の皇太子時代からの沖縄への「思い」「心遣い」と合わせて10回に及ぶ「訪問」によって、沖縄の人々の気持ちを変えていったという流れであった。「複雑な感情」の要因は、「沖縄戦」での多大な犠牲者が出して「天皇のために戦争し」、「戦争が終われば突き放されたことに県民の怒りがあったため」とする、故大田昌秀元沖縄県知事の言葉に表れているとするのが、①の記事であった。「突き放された」とは、昭和天皇が終戦2年後、連合国軍総司令部(GHQ)に沖縄占領の継続を望んだとされることを指すとも語られる。いわゆる「天皇メッセージ」と呼ばれるものである。また、③では、天皇夫妻に直接面談した大田元知事をはじめ、沖縄について進講した有識者たち、訪問の際、案内役を務めたひめゆり同窓会事務局長、対馬丸記念会理事長らは、だれもが夫妻の沖縄への深い思いに接して感動したという証言にまつわるエピソードが、切り取られて綴られている。こうしたエピソードや報道の共通点は、天皇夫妻と直接ことばを交わしたり、直接声を聞いたりした人たちの体験が基本になっている。それだけに、非常に情緒的な受け止め方に終始する。そんな体験をなし得ない一般国民との違いは明らかであろう。しかし、繰り返される、こうした報道が、いわば、大掛かりな代替わり報道の助走のような役割を果たしているのではないか。

 

ざわつく中で、親天皇へ 

さらに、上記の報道に登場するような、直接体験を経ない人たちで、これまでは、少なくとも、皇室や天皇と距離を置いていた人たち、「日本にとって、天皇制の問題は難しい」とその考え方を明確にしなかった人たち、さらには、立憲主義と天皇制は相容れないものと主張していた人たちが、近年、急にざわつき、いまの天皇・皇后は、なかなかリベラルな平和主義者である、国民に寄り添う姿勢がまっすぐに伝わって来る、天皇夫妻の慰霊と祈りの旅には、心打たれるものがある、というような声が聞こえ始めたのである。 

テレビの、ワイド番組や報道番組のコメンテイターになるようなジャーナリストやタレントや評論家は、もう当然のように、天皇に関しては、敬称と敬語をぎごちなく使い、無難なコメントか、まったくしないでスルーするか、いまの天皇夫妻をねぎらう発言があるくらいである。 

そんな中で、リベラル派とされ、多分野で活躍中の内田樹が「天皇主義者」になったと、取りざたされたので、ブログ「内田樹の研究室」で『月刊日本』(20175月)のインタビューを読んでみた。その末尾に、つぎのような発言があった。 

「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が住みやすいのだ」と言いたい。単一原理で統治される「一枚岩」の政体は、二原理が拮抗している政体よりもむしろ脆弱で息苦しい。それよりは中心が二つの政体の方が生命力が強い。日本の場合は、その一つの焦点として天皇制がある。これは一つの政治的発明だ。そう考えるようになってから僕は天皇主義者に変わったのです。」

 

つまり、「両立しがたい二つの原理」とは、天皇制と立憲デモクラシーを指すのだが、日本に、天皇制に拮抗するほどの立憲デモクラシーが確立しているのかも疑問な現状である。すなわち「日本国憲法」の第一章は「天皇」。「日本国民統合の象徴」であって、「この地位は、主権の存する国民総意に基く」という条文の「象徴」、「総意」が何を意味するのかも明確ではない。 

先のいわば「天皇キャンペーン」ともいえる情報があふれるメディア社会、それと現在の天皇夫妻への心情的な、人間的な傾倒、それは「人気」にも連動し、政権の暴走の歯止めのような役割を期待する社会が出来上がるが、結局は、天皇の言動が、現政権への監視・抑止機能を果たし得ることは、憲法上不可能な上に、むしろ、体制への不満の受け皿ともなり、補完機能を果たすことになっているのではないかと考える。とすると、二つの楕円は幻想にも近い。天皇が替り、逆に、強権的な言動がなされる場合も当然想定してみるとよい。さらに、上記インタビューでは、昨年8月の天皇のビデオ・メッセージは、全身全霊で果たすべきは「祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること」を自ら宣言した画期的な「おことば」と受け取らなければならない、ともいう。 

 こうした考え方が「天皇主義」といえるのかどうかも分からないが、天皇の人権は、さらに狭まってゆくことになろう。 

 こうした内田のようにかつての自らの主張を変えたり、あるいは明確にして来なかった「作家や知識人、政治家らがこのところ、つぎつぎと宗旨がえしつつある」として、その「思想的退行」を指摘する論者もいる(辺見庸「天皇主義宣言の思想的退行」『生活と自治』20179月)。 

 

短歌の世界でも 

同じようなことは、私が長年、眺めて来た短歌の世界でもみられる現象である。すなわち、これまでも何度か書いても来たことだが、「歌会始」の選者になったり、「歌会始」の席に陪聴者として招かれたりして、一度、二重橋を渡った歌人たちは、どういうわけか、「天皇と親しく」なって帰って来て、近頃は、安心して、それとなくあちらの様子を語り出す歌人も多くなった。さらに、これまで、「歌会始」について沈黙していた歌人やまだ二重橋を渡っていない歌人たちも、「歌会始」の世界の魅力を語り、「歌会始」へ疑義を無視するようになったのである。 

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2017年8月28日 (月)

国税庁のPR動画、ご覧になりましたか~どんな証拠も見逃さないマルサ?!

 国税庁の意見投稿窓口を開いたついでに、Web-TAX-TVというPR動画サイトを見てしまった。佐川国税庁長官の、ついこの間の理財局長時代のあの国会答弁が脳裏にに焼き付いているものだから、何を見ても笑ってしまうのだ。「国税査察官の仕事」というシリーズで、滞納者の家宅捜査の徹底ぶり、庭の発掘、同窓生への尋問にまで及び、「どこまでも追跡するぞ」との意気込みを、ドラマ仕立てで訴えているのだが、なんとそらぞらしいことか。そのトップ、就任会見も開けず、だんまりの佐川長官!籠池前理事長にも「通常の丁寧な」対応をした部下たち、国有財産をいとも簡単に大幅値下げ、10年間の分割払いという異例の措置に踏み切った「諸般の事情」のすべてを国民に語るべきでしょう


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いずれも、「国税査察官の仕事Ⅱ」の動画より
上:査察の厳しさを強調、滞納者の電子データの保存や解析、消去されたデータやファイルの復元も可能なだと伝えているではないか
下:税金の滞納者は、婚約者から、納めるべき税金は納めて、店を続けていこうと勧められて改心するストーリー。「世間から後ろ指をさされるようなことはするな」とは、そのまま、佐川長官に返したい

  

◆財務省:税務行政に関する意見(メールでの投稿画面)
 https://www.nta.go.jp/suggestion/iken/information_form.html
  

◆国税庁Web- TAX-TV
https://www.nta.go.jp/webtaxtv/

◆国税査察官の仕事Ⅱ
  https://www.youtube.com/watch?v=wld9Q_JrEvs

 

 佐川長官罷免要請署名、一万突破、締め切り後も、各地から署名が届いているそうだ。この現実をみよ。麻生大臣、安倍総理、高笑いしている場合ではない。8月15日と言えば、安倍首相は、全国戦没者追悼式での挨拶をそそくさと済ませて、こんなところで、麻生財務大臣たちと。

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8月15日鳴沢村の笹川陽平氏の別荘で。8月23日、笹川氏のブログから

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わたしの八月十五日~薄れゆく記憶をとどめたくて(3)兵隊さんの解散式?

 前後の記憶がなくて、断片的に思い出す一シーンがある。これは八月一五日の数日後のことだと思うのだが、母親から「今晩は、ゼッタイ、家の外に出てはいけない」と。兵隊さんたちが、(この馬市場の)草っぱらに集まるから」と言われたことだけは覚えている。暗い家の中、息をひそめて、板戸の細い隙間から見えた光景の、何と頼りないことか。

 兵隊さんの列の後か先だったのか、暗闇の中を、たしかに馬に乗った人が、道路につながる家の脇を横切って、原っぱに向かったのだ。じっと一部始終を覗くこともできなかったのだろう。次の記憶は、真っ暗な、馬市場跡の広場に、兵隊さんたちが並んで、誰かの話を聞いている場面である。何を話していたのかは、もちろん私には分からなかった。わけも分からず、私は、ただ、母にしがみついていたのだろうと思う。そして、小一時間の後に、原っぱを去っていく隊列の足音を聞いたのだった。暗闇から聞く、暗闇の足音の、今から思えば、重くて、鈍い音だったに違いない。家の灯りをつけたときの、裸電球の眩しさは格別だったろう。

ほんとに不思議なことなのだが、そのことについても、家族と話した記憶が思い出せない。随分後になって、当時中学生で、7つ離れた次兄からは、あれは部隊の解散式だったはずだとの話を聞いたことがある。なんで、軍の施設や学校の校庭などもっとちゃんとした場所でやらなかったのだろうね、という話もしたことがある。佐原市史でまた調べなければならないことが増えた。

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今年のイチジクは、小ぶりながら、たくさん実をつけた。雨が続き、一時は、青い実のまま固まってしまうのではと、心配した。ヒヨもあきらめたのか、今はあまりつつきには来ない。ほのかな甘さが私は好きだ。8月27日写す

 

 

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2017年8月24日 (木)

佐川国税庁長官の罷免要請署名、1万余名分を麻生大臣に提出!

 「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」による署名活動では、自分もネット署名をし、知人にもお願いしていたので、どれほど集まるのか、気がかりでした。21日の締め切りには、10706筆に達したとの報告がありました。821日の提出当日は、テレビ局などの囲み取材があったようで、21日から22日、そんなニュースやツイートが駆けめぐりました。

第一報は、21日の日テレのeveryの冒頭近くの4時過ぎの放映だったらしく、知人の電話で知らされました。といっても、新聞では、日刊ゲンダイが署名の展開中から伝えていましたが、朝日は提出をうけて、翌日の朝刊で小さく伝えました。他の全国紙は、社説などでは、佐川長官の就任記者会見ボイコットについて異議を申し立てていたのに、市民のこうした運動には冷やかなのがわかりました。テレビ局は、籠池夫妻の再逮捕とからめての報道が多かったと思いますが、国会での答弁で、ウソをつき通したことが日に日に、明らかになってきたのに、「国税庁長官への出世はオカシイよね」、「記憶がない、記録がない、あった記録は消去した、と言い続けた人がトップの国税庁に税金は払いたくネェ」という視聴者、市民の目線にやや近いのかなと思いました。

森友問題の地元の関西テレビが、近畿財務局と籠池夫妻の交渉の音声記録を入手したこともあって、地道で熱心な取材を続けているらしい。21日の「報道ランナー」では、どんなニュースになったのか、当地では、見られなかったのが残念でした(一部が下記の4で見られます)。

ちなみに、ネット上でわかった情報は、以下の通りです。

 

1「森友文書廃棄は違法~佐川氏の罷免求め署名」
(
日テレニュース242017821 17:01
 
 http://www.news24.jp/articles/2017/08/21/06370306.html
2
「籠池夫妻を再逮捕 詐欺の疑い」
 
FNNニュース、8/21() 21:23配信)
 
 https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20170821-00000897-fnn-soci
3
「籠池前理事長夫妻、再逮捕」
 
(テレビ東京、2917821日、ゆうがたサテライト)
 
 http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/you/news/post_138868/
4
「籠池夫妻 府の補助金詐欺容疑で再逮捕」
 
(「関西テレビ」8/21() 20:03配信)
 
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170821-00000004-kantelev-l27
5
「佐川国税庁長官の罷免求め申入書 市民団体が財務相に」
 
(朝日新聞デジタル 2017821日、1833
 
 http://www.asahi.com/articles/ASK8P56TJK8PUTIL027.html

8月14日の当ブログの記事を通じまして、署名にご賛同いただきました方々に、お礼申し上げます。ありがとうございました。

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2017年8月23日 (水)

わたしの八月十五日~薄れゆく記憶をとどめたくて(2)変電所への機銃掃射を見た

 疎開先の佐原での落ち着き先が、仁井宿の馬市場跡の管理さんの家だった。前回は、815日の薄れた思い出をたどった。

 そして、それよりどのくらい前だったのか。「変電所」への「キジュウソウシャ(機銃掃射)」の様子を、お手洗いの窓から、この目で見ている。まだ、私の背丈では、窓には届かないはずだから、母か兄かに抱っこされて覗いた窓の先、たしかに幾つもの「ショウイダン(焼夷弾)」が斜めに落ちて来るのを見たのである。大人たちが騒いでいたので、「ワタシも見たい」とせがんだのかもしれない。夜のような気もするし、昼間だったのか、棒状のバクダンが斜めに流れで落ちていくのを瞬間的に見たのだ。何日のことだったのか、佐原市の市史でも見れば出てくるだろうか。

 ネットの限りでは、確かな情報は出てこないので、あきらめかけたころ、「終戦のころの思い出」の寄稿を集めているサイトがあった。そこに、谷口敏夫さんという方が、仁井宿の変電所への爆撃で、家族を亡くされたことを書かれていたのである。http://www.s-s-m.jp/hiroba/zuisou/shusen_04.htm

 

 谷口さんご自身は、19439月、中学校3年の2学期に予科練を志願、土浦海軍航空隊に入隊し、19454月に鹿島海軍航空隊の飛行練習生課程を修了し実戦部隊の霞ヶ浦海軍航空隊に転属し、6月頃から筑波山麓の真壁の農家に民宿して、そば畑をつぶして飛行場を作る作業に従事していた。720日過ぎに上官から、佐原の実家が空襲に遭い、家族が怪我をされているからと知らされ724日に帰省すると、74日の爆撃で、弟さんが即死、母上は重傷のまま亡くなり、葬式も済んでいた。父上は、東京電灯(後の関東配電、現在の東京電力)勤務で当時は銚子営業所に通勤されていて、変電所前の社宅に家族で住まわれていたという。

 

 私が見たのは、この74日の爆撃ではなかったのか。正午前で、警戒警報の直後で、谷口さんのお宅では、小学校から帰ったばかりの弟さんと母上を亡くし、妹さんも大怪我で回復まで苦しんだという。すぐそばで、こんな悲劇があったことは知らずにいた。大人たちは知っていたのだろうか。そんな話は、後にも聞いたことがなかった。爆撃機は、P51 ムスタングだったという。

 降伏が伸びていたら、この疎開先の佐原の町も焼け野原になっていたかもしれない。77日、千葉市では、「七夕空襲」で多くの犠牲者を出している。610日の日立航空機工場の被害と合わせて、死傷者1595人、千葉市街の7割が焼失している。

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2017年8月15日 (火)

わたしの八月十五日~薄れゆく記憶をとどめたくて(1)

 地元の9条の会でも、高齢化は免れないが、戦前生まれは、どうやら私一人になったようなのだ。「語り継ぐ」というのは、難しい。なにせ、私の「戦争体験」は、小学校に上がる前のことなので、記録はないし、断片的なカスレカスレの記憶しかない。わずかな記憶を、家族の記憶とわずかな資料、そして多くは、公刊された資料や資料館、体験談などに頼るしかない。私自身の家族、父母、二人の兄も亡くなってしまって久しい。疎開先でお世話になった親類とも、叔母が亡くなってからは、お付き合いも間遠になってしまった。そんな中で、先日、数十年ぶりに、少し年上の従姉から電話があって、積もる話で長電話となり、近く会うことになったのである。

 これまでも、このブログで、折に触れ、思い出話として、当時のことを書いてきた。最近では、新聞記事に触発されて、「奉安殿」前の「拝礼」について書いたのだった。馬市場と佐原事件については数年前にも綴っていた。

71年前のきょう、1946629日、何があったのだろう(2017629日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/06/711946629-0991.html

* 祭りの後の佐原を行く~ふたたびの疎開地(2)(201010月15日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/10/post-3ba9.html

 

 すでに、どこかで書いていることと重なるかもしれないが、私の1945815日は、疎開先の千葉県佐原の仁井宿(現香取市)の借家で迎えた。簡易な馬小屋も並ぶ、馬市場が開かれていたという、広いくさ原の端っこに建つ、管理人さんが住んでいたという二階家だった。といっても、遠くから見ると、3~4本の「つっかい棒」に支えられている古家だった。それでも、1944年、池袋の店を続けていた父、学生だった長兄を残し、東京の空襲を怖れて、母と次兄と私が転がり込んだ母の実家の「ヒサシ」のひと部屋と比べたら別天地のような気がした。といっても、母の実家には、すでに母の長兄は病死したばかりで、叔母と三人の子供たちがいたのだ。そんな中で、私たち家族とやはり東京の蒲田から疎開してきた母の妹家族を受け入れてくれていたのだ。この時の恩は忘れることが出来ないのに、不義理を重ねてしまっていたのだが。

 その仁井宿の家で、裏にあった、近所の農家と共同の井戸端から戻って来た母は、815日の午後だったのだろう、「日本は戦争に負けたんだって」と、暗い土間に肩を落として立っていたのを覚えている。この日の記憶はたったこれだけなのだ。ただ、母の実家から、この家に引っ越してきてまもなく、叔母がサツマイモなどを持って、訪ねて来たとき、叔母から聞いた話は覚えていた。「負けた」と知らされ、とっさに、その話を思い浮かべたに違いないと思う。叔母は、どこから聞いてきた話だったのか、「日本が戦争に負けたらよォ・・・」と話し始め、「女はみんな、ボウズにされてヨッ」と続けたのは、みんな捕虜になって食べるものは、雑炊いっぱいで、アメリカ兵にこき使われる・・・というのだ。幼い私には、なんか怖ろしい話として、頭にこびりついていただろう、今でも鮮明に思い出す。叔母は、これに限らず、一家の大黒柱でもあったので、気丈で、情報通でもあって、話術にも長けた女性だったと、今から思う。

 この家での記憶の断片を、随時、たどっていきたい。

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2017年8月14日 (月)

佐川国税庁長官、この声届けます~怒りを署名に!

  トカゲでいうとどの辺りになるのだろうか。森友問題で、籠池夫妻は、いま勾留中で取り調べを受けています。まさに、トカゲのしっぽ切りです。籠池夫妻周辺の国有財産値引きや補助金取得には相当強引な手法が展開されていたことは、彼ら自身が公にした資料や音声データからでも明らかであるが、それにもまして、実に軟弱な、というより国側のさまざまな助け舟を出す対応も明白になりました。 国側の対応や資料を、記憶シテゴザイマセン、記録シテゴザイマセン、廃棄シテゴザイマス、消去シテゴザイマス・・・というウソの答弁を繰り返して、国家公務員法、公文書管理法違反しまくりの佐川理財局長が、なんと7月の人事異動で、国税庁長官に出世しましたね。そして、恒例の就任会見は、「諸般の事情」?!で見送りになりました。納税者の国民の怒りは、あちこちで噴出しています。 これまで、関係者の証人喚問の要請署名やシンポジウムなどを続けてきた「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」は、8月1日より、「佐川宣寿国税庁長官(前財務省理財局長)の罷免を求める要望署名」を始めました。ネット署名と用紙署名の二本立てで、当初の締め切りは、きょう、8月14日でしたが、署名提出先は麻生財務大臣なので、呼びかけ人と財務省との交渉で、提出日は8月21日になりました。

ネット署名の締め切りは前日の8月20日(日)まで受け付けていますので、お気持ちのある方は、メッセージとともに、ぜひ署名を寄せられたらと思います。もちろん署名だけでもよろしいと思います。

ネット署名とメッセージの記入は、こちらへ  

      http://bit.ly/2uCtQkK

メッセージを読みたい方は、こちらへ  

 http://bit.ly/2h5AR94

 

*署名された方の熱いメッセージの数々は、上記をお読みいただきたいのですが、ランダムに、区切りの良い辺りを拾い、コピーしました。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/coment.pdf

もちろん、署名用紙による署名も続けています。集約先の局留めの私書箱は週末閉じてしまいますので8月18日(金)必着です。

署名用紙はこちらへ

 http://bit.ly/2ub1F8W

<速報>

8月15日、0時25分現在、署名現在数、6889筆となりました由。締め切りも迫りました。引き続きの署名活動へのご協力を。

<速報>

8月18日24時現在、9278筆となりました。目標の10000筆、あと一歩です。19日、20を残すのみとなります。賛同の方は、ぜひネット署名を。ネット署名のメッセージを読みますと、同じ思いの方がたくさんいらしゃるのがわかります。お名前の公開はありません。

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2017年8月 3日 (木)

『「利己」と他者のはざまで』に触れて

  長兄の命日でもあったので、実家に出かけた。店を休みにしていた義姉を囲み姪たち家族も集まっていて、久しぶりの思い出話や親戚の消息などにもおよぶ。やがては自分たちの健康や体調の話にもなってしまう。実家を出ると、小雨が降り出し、傘を貸してもらい、先を急いだ。 

 

その日は、大学時代の恩師の松本三之介先生が卒寿にして出版された、新著『「利己」と他者のはざまで―近代日本の社会進化思想』(以文社 20176月)の合評会であった。集まるメンバーは先生のゼミ出身の研究者ばかりで、私などは参加資格がないのだけれど、メンバーの方に声をかけてもらい、末席に加わった。ただ、事前に、幹事役の五十嵐暁郎さんからは、新著へのコメントや質問を提出しなければならないという、重い宿題が課せられていた。先生はお元気で、ときには熱い講義となる場面もあり、学生時代を思い出すのだった。

 

新著は、副題にもあるように、ダーヴィンの進化論に端を発した社会進化論が、加藤弘之、内村鑑三、有賀長雄、中江兆民、徳富蘇峰、丘浅次郎、大山郁夫、穂積陳重らの思想形成にどんな影響を与えたのか、という日本における進化論の受容の系譜をたどるというものだった。素人の私には、ダーヴィンの進化論が、日本の近代思想史に、こんなにも影響を与えていたのかという驚きさえあった。

 

私の浅い理解で申し訳ないのだが、ダーヴィンの進化論は、社会進化論においても生存競争の成り行きのまま、「利己」のための集団、社会が形成され、それがやがて国家への奉仕という形で全体主義的な思想を肯定する根拠へとなってゆくのが、日本での受容の流れとなった。その流れのなかで、上記の思想家たちの受容の内実を綿密に検証されたのが新著の核だと思った。この日集まるメンバーには、兆民や蘇峰の専門家もいらっしゃるので、そこはほとんどスルーをして、私は、ともかく、これまで何らかの接点や関心があった人物への興味を糸口にするという幼稚な読み方となった。加藤弘之の天賦人権論からの明治国家近代化への転向、内村鑑三の義戦論から非戦論への転向という、真逆の「転向」にどう影響したのかを読み取ろうとした。社会進化論が、多くの場合は、リベラルな考え方や社会主義的な考え方の抑制機能を果をたしているなか、穂積陳重が法社会学的な方向を目指していたということを知ったり、大山郁夫が人類的普遍性、倫理性との融合に苦慮しながら、未成年や女性などの社会的弱者への保護に向かっていたということも知ったりした次第。

 

松本先生は、社会進化論が、自らの生命をまもるという「利己」の考え方が、日本では自然権思想に結びつく可能性が失われてゆく近代化の過程のなかから、その可能性を、現代から問い直し、探ろうという道筋を示されたのだろうと思う。本当は『「利己」のすすめ』という書名を考えないではなかったけれど、今の世の中では、理解されそうにもないともおっしゃっていた。

 

席を変えての夕食会では、大田昌秀元知事の県民葬の準備で多忙だったという比屋根照夫さんと隣り合わせになった。若いとき、短歌も詠んでいたという話から、現代の沖縄歌壇の話にも及んだ。すでに大学のリタイア組が多いメンバーの話は、1960年代から70年代の学生生活や研究生活に及び松本先生の厳しい指導や何事にも真摯に向き合われているエピソードが語られたりした。

 

帰宅してみると、この辺りは、夕方にかなり降った跡が見えた。その日も、神奈川の各地で局地的豪雨による水害が報じられていた。久しぶりの出会いもあった一日、今夜はゆっくり眠れるだろうか。

 

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2017年7月27日 (木)

アンジェイ・ワイダの遺作『残像』を見て~ワイダと画家からのメッセージ

 友人の映画評論家の菅沼正子さんから、早くよりお勧めのあった映画『残像』を見に、岩波ホールまで出かけた。昨年、90歳で亡くなったワイダ(19262016)の遺作である。ワイダの作品『カティンの森』と『大理石の男』を見たのが2009年だから、久しぶりのことである。このブログにも、つぎのようなレポートを書いている。

◆『カティンの森』『大理石の男』、ワイダの新旧二作品を見る

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http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/12/post-9c03.html

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プログラムの表紙から

640_2 画家のアトリエは正面のアパートの階上の一室、ある日突然スターリンの垂れ幕が下ろされ、窓からの光は断たれた。 画家は、自らの松葉づえで、それを引き裂くのだった。写真はいづれもプログラムから
         


 今回の『残像』は、ポーランドの実在の抽象画家、ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ(18931952)が、社会主義政権下の最も弾圧の厳しかった中で、自らの芸術的信条を曲げずに貫いた晩年の4年間を描いたもの。私は、この画家の名前は初めて聞くが、ポーランドを代表する芸術家の一人で、両世界大戦間期に国際的な前衛美術運動に大きな役割を果たした画家であり、理論家であったという。1931年には、妻の彫刻家コブロとともに、ポーランド中部、ワルシャワとクラクフの中間に位置する都市ウッチに美術館も設立している。映画は、そのウッチを舞台に、造形大学の教授として、学生たちからも絶大な信頼を得ていた教育者でもあった彼が、社会主義リアリズムこそが、政治と一体化するという文化政策に抵抗したとして、さまざまな迫害を受け、職も奪われ、絵具も食料も入手できない状況に追い込まれ、病に倒れるまでがリアルに描かれる。プライベートでは、宗教の違いなどから別れた妻と娘ニカはともに暮らしているが、病弱の母親の介護と第一次大戦の戦傷で手足が不自由な一人暮らしの父親を気に掛けて、両親のもとを行き来する一人娘との葛藤をも丁寧にたどられる。

官憲による弾圧・迫害は、徐々に過酷なものとなる。大学での講義が、文化大臣の演説で中断され、その会場で自説を述べれば、以降一方的に休講とされ、馘首される。美術館の展示室から彼の作品は倉庫入りとなり、彼の学生たちの作品展の作品はすべて打ち砕かれ、造形芸術家協会からは除名されてしまう。悩む学長、美術館長も体制にのまれてゆく。それでも、古くからの友人の詩人ユリアン、慕う学生たちの陰ながらの支援で得た生活のための仕事も、密告のため失ってしまう。また、画家を慕い、アトリエでの口述筆記に通う、教え子の女性すらも拘束される事態となるなか、映画には一度も姿を見せない元妻の様子は、娘を通してのみ語られるが、画家には知らされないまま病死する。それしかない赤いコートのまま、母の棺に従うのは、ニカの一人だけという墓地の場面、行き倒れのような形で救急車で運ばれた病院から抜け出した画家が、そのコブロの墓に青い花を捧げる場面、やがて、画家が仕事先のマネキンが並ぶショーウインドウのなかで壮絶な死を遂げるが、通行人の一人にも気づかれないという場面の寂寞と荒涼は、胸に迫るものがあった。

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自宅のアパートのアトリエに集う学生たち
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職を失った画家の仕事先の似顔書きの工房を訪ねる娘のニカ

監督のワレサは、クラクフの美術大学を中退して、ウッチの映画大学を卒業したという。生前の画家との出会いはないが、この映画に寄せたメッセージの末尾でつぎのように述べている。

「私は、人々の生活のあらゆる面を支配しようと目論む全体主義国家と、一人の権威ある人間との闘いを描きたかったのです。一人の人間がどのように国家機構に抵抗するのか。表現の自由を得るために、どれだけの対価を払わなければならないのか。全体主義国家で個人はどのような選択を迫られるのか。これは過去の問題と思われていましたが、いまもゆっくりと私たちを苦しめは始めています。どのような答えをだすべきか、私たちはすでに知っている。そのことを忘れてはならないのです」

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自らの病をおして元妻の墓を訪ねる

 

 また、映画で語られる画家のセリフのなから、断片的に飛び込んでくるいくつかの言葉があった。同じく抽象絵画を目指したカンディンスキー(18661944)やモンドリアン(18721944)の名前も飛び出し、「彼らは、自分の模倣を続けている」と学生たちに語り、公安当局に呼ばれて、大事な分かれ道、体制に従うのか従わないのか、どちらの側につくのか、と選択を迫られたとき、「私の側だ」と立ち去る場面が印象的だった。

モンドリアンといえば、昔のことになるが、私の第一歌集『冬の手紙』(1971年)の「あとがき」の冒頭で、つぎのように書いているのを思い出した。合評会で、この「あとがき」に言及される方はいなかったが、立ち話で、玉城徹さんが「モンドリアンとはねェ・・・」と苦笑されていたのも思い出の一つである。

「モンドリアンの抽象に出遭ったとき、あの冷徹さに戸惑いながら惹かれていったのはなぜだろうかと考えています。そこには猥雑なものをいっさい拒否しようとする、ひとりの人間の生き方の美と思想があると思いました。この画家の幾何学的な構成にいたる過程は、<樹木>連作が雄弁に語っています。さらに光と影から解放された垂直と水平の世界の展開を見せられたときの感動を忘れることができないでいます。主観的な表現を極度に排し、求めてやまなかったものはなんであったろうか・・・・」

恥ずかしいけれど、歌集の最終章には、こんな歌も残していた。

・描かれたる<樹木>連作たどるとき闇に熱き思いを放つ

・老画家のひとりの冬の死のまぎわコンポジションの原色冷ゆる

 ところで、映画では、ストゥシェミンスキの絵画作品を正面から映し出すことはしていなかった。美術館での展示室での作品群、コラージュ帖やアトリエで制作中の絵としては、何度か映される程度だった。ネット上で検索しても、すぐには出てこない。どんな作品を残していたのか。一度ゆっくり鑑賞したいと思っている。

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2017年7月15日 (土)

自治会の法人化について~総務省に尋ねました~

総務省での担当は住民制度課でした。あらためて、確認したことが、いくつかありました。当ブログの前の記事にも書いた私自身の疑問にも通じるのですが、次の二つが重要かと思いました。

1.法人化された自治会の構成員になるかならないかは、住民個人の自由です

自治会の法人化の際、法人の構成員になるかならないかは、住民のまったくの自由です。構成員になるかならないかは、法人の構成員の名簿に記名するか、しないかで決まります。ただ、記名しなかった、その人個人は自治会に不参加ということになります。

自治会には、これまで、世帯主の名で加入し、世帯ごとに会費を納めていますが、世帯全員が自動的に自治会員でした。

法人化した場合は、そこが違います。しかし、世帯の誰かが構成員となっていて、会費を納めていれば、他の構成員になっていない世帯員が自治会から不利益を受けることは、まずないでしょう。

法律上の意思表示ができない幼児や子供たちは、親権者の意思で構成員にならないという選択が可能であることは確かです。役所に提出する構成員名簿に記入しなければいいわけです。例えば、自治会執行部から「法人化にご協力ください」という勧めはあるものの、お子さんの名前をすべて名簿に記入することをためらう親御さん(親権者)は多いでしょう。その名簿は、当然、自治会会長(役員)を経て市役所に提出されるわけですから、個人情報の管理の問題が生じます。はっきり言って、情報漏洩の防止の担保は、官民どこにもありません。あり得ない人や場所から個人情報が流出しているのが現実です。

そのような心配をされる方は、構成員名簿に記入しない選択をすることができます。 

それにしても、意思表示が不可能な子供たちの意思が親権者の意思にプラスされることになって、本来平等であるべき議決権に、親権者故に自動的に複数の議決権が行使できることになり、一票は決して平等ではなく、制度本来の意思の個人表明、議決権の平等とは裏腹の逆の結果を生じてしまいます。総務省でも、その点を、今後十分協議して、実態に合った法改正をと、担当者には要請しておきましたが。

 

2.総会議決事項の議決の方法~世帯1議決も可能、議決権を行使しない構成員の議長委任は自治会規約の行き過ぎです

総会議決事項は、法人構成員全員の議決権行使による議決を経なくとも、従来通りの世帯による議決ができるとした特段の規約を設けることで、可能になるということでした。だから、総会に参加できず、議決権行使をしないことを以て、委任状もなく自動的に議決の賛否を議長に委任するとの自治会規約を地方自治法は要求していない。法人にかかわる重大事項には、棄権を含めての構成員の全員の意思表示が必要だが、日常的な自治会の総会議決には世帯単位の意思表示で足りるという規約を排除するものではない、というのが総務省の「地方自治法260条の18の3:の趣旨だとのことであった。

となると、「議決権を行使しない構成員の議長委任」は、これまでの、議決権行使書を含めての会員世帯の二分の一以上の参加で、二分の一以上の多数決で議決していた会則を、大きく変更するもので、会員世帯の意思表示を、より正確に反映するのでなく、おおきく歪めることに通じはしないか。議決方法の効率化のみが優先するのと、少数意見を葬る手段にもなりかねないのではないか。当自治会の一考を促したい。

<地方自治法>
第260条の18 認可地縁団体の各構成員の表決権は、平等とする。
 認可地縁団体の総会に出席しない構成員は、書面で、又は代理人によつて表決をすることができる。
 前二項の規定は、規約に別段の定めがある場合には、適用しない。

 

 

 

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