2024年5月19日 (日)

GWG(ミーヌス)8号、先程発売開始しました。。

 今日、5月19日東京流通センターで、文学フリマ開催中です。

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 昨年の11月、GWGミーヌス同人の方々との座談会に参加しましたが、下記のような表題でGWGミーヌス8号に収録、刊行されました。同時に、本日19日の「文学フリマ東京38」ブースH-22で発売中です。

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 座談会の紹介は、つぎのようになっています。かなり過激な?表題や見出しになっていますが、私の発言は、私の素が露わになることもしばしば。若い日本文学研究者に囲まれての気ままな発言を根気よく聞いてくださり、まとめてくださいました。古い合同歌集や歌集『冬の手紙』(1971年)にまでさかのぼり読んでいてくださり、身の引き締まる思いがしました。

 座談会:「臣下」の文学――「勲章」としての短歌】短歌によって天皇/制を「撃つ」ことは可能か。内野光子氏を迎え、短歌と天皇/制、「60/70年安保」と革命、結社と資本主義、第二芸術論・前衛短歌と「私性」、阿部静枝の「フィクション」、齋藤史・瀏と2・26事件をめぐり、大いに議論を展開した。

 8号の諸論文も力作で、広くて深い分析と考察には、いまさら私には手が届きそうにもないのですが、教えていただくことも多く、楽しんで読み進めています。一つでも関心のあるテーマがありましたら、お手に取ってみてください。

 

 

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皇族たちの”公務”って~愛子さん、佳子さんの”働き”を通じて

愛子さんの「夢“みる光源氏」見学が「公務」ですか

 愛子さんの日赤就職のニュースとともに、4月1日からの勤務と成人皇族としての活動の両立をはかるとの報道がなされた。さらに、5月11日には「 初めての単独公務で平安文学に関する特別展」に出かけたことが報じられていた。

「平安文学に関する特別展」とは、東京の国立公文書館で3月から開催中の「夢みる光源氏‐公文書館で平安文学ナナメ読み!‐」で、5月12日が最終日だったのである。この特別展は、今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」と連動しての企画であったのだろう。

なぜこれが「公務」なのか?違和感があったので、宮内庁のホームページで4月以降の愛子さんの単独での活動を調べてみた。

4月10日 明治神宮参拝(昭憲皇太后110年祭)
4月11日 仙洞御所(上皇・上皇后)訪問(大学卒業・就職の挨拶)
4月14日 雅楽鑑賞
4月25日 武蔵野陵・東陵参拝(昭和天皇・皇后陵)(大学卒業・就職の報告)
5月11日 国立公文書館訪問(特別展「夢みる光源氏‐公文書館で平安文学ナナメ読み!」見学)

 こうしてみると、5月11日前の4つの事案は当然のことながら、公務とはいえず、私的行為である。祖父母への大学卒業・就職の挨拶、昭和天皇墓前への報告はもちろん、神社参拝という宗教的な行為は、公的行為ではあり得ない。とすると、雅楽鑑賞が私的行為という位置づけになるが、上記特別展見学とは何が異なり、「公務」になったのかが不明である。一つ思い当たることと言えば、「主催者の願い出」により訪問したという報道であったが、「願い出」に応じると公務?というのもおかしな論理である。

天皇の「国事行為」については憲法上の定めがあるが、「国事行為」以外の天皇はじめ他の皇族たちについての行為や活動についての法令上の規定はない。宮内庁のホームページには、天皇の「宮中でのご公務など」として、以下のように例示し、あわせて、「行幸啓(国内のお出まし)」と「国際親善」が挙げられている。

新年祝賀・一般参賀/天皇誕生日祝賀・一般参賀/親任式/認証官任命式/勲章親授式/信任状捧呈式/ご会見・ご引見など/拝謁・お茶・ご会釈など/午餐・晩餐園遊会/宮中祭祀

 これらの行為は、法令に基づかない行為ながら、天皇以外の皇族をも含めて、純然たる私的行為と区別して、慣例として行われてきたにすぎない。いわゆる「公的行為」として、実施されてきた行為・活動であった。

 とくに、平成期における天皇・皇后は、災害被災者・被災地訪問、戦地慰霊の旅、福祉施設などの訪問、全国的な行事―植樹祭・国民体育大会・豊かな海づくり大会・国民文化祭・歌会始への参加、全国的な各種団体の美術展・コンサート鑑賞などの文化的な行為に積極的に取り組んできたことは確かである。「国民とふれあい、国民に寄り添う」と喧伝されて、結果的にどんどん拡大してきた「公的行為」であったとも言える。それに重なる宮中祭祀の負担も大きく、背負いきれなくなって、平成の天皇は生前退位に至ったと言えよう。

 令和期は、コロナ禍に見舞われ、活動全体が縮小したが、天皇皇后は、平成期の在り様を目指しながら、戸惑っているようにも見える。そうした中で、宮内庁サイドの広報強化策によって、愛子さんの「公務」は、どのように演出されていくのだろうか。

 佳子さんのギリシャ訪問が「公務」ですか

  佳子さんについても、宮内庁のホームページで、4月以降の単独での活動を調べてみると、4月1日全国高等学校女子硬式野球選抜大会観戦、4月12日林野庁長官の説明(森と花の祭典参加準備)、5月10日伝統工芸染色展・陶芸展見学以外は、5月25日から6月1日の日程でのギリシャ訪問関連の事案で、ギリシャ事情に詳しい専門家の進講4回受けている。他に、このギリシャ訪問を昭和天皇陵に報告し、5月16日には、ギリシャ代理大使による昼食会に招かれている。ギリシャと日本との外交関係樹立から125年を迎えるにあたり、招待されたものであるという。

 今回、進講が重ねられているには、訳があるらしい。昨年11月のペルー訪問の際、その先々での発言というか、随行記者に問われての感想がお座なりだったり、案内人への質問が的外れだったりして、ネット上での批判が多かったということである。私が知らなかったことなど以下の記事に詳しい。

「佳子さま ギリシャご訪問に“観光旅行”と批判再燃の懸念…前回ペルーでは「語彙力がない」と批判噴出」(『女性自身』2024年05月15日 )
https://jisin.jp/koushitsu/2324605/

  そこで今回のギリシャ訪問に際しては入念な事前準備がなされたのではないか。「公式訪問」と銘打たれた国際親善も、いわゆる「公的行為」、「公務」とみなされているのが現状である。

そもそも皇族の「公務」は必要だったのか

 天皇の国事行為と純然たる私的行為の間の広く曖昧な部分を公的行為として「公務」とみなし続けてきた慣例、その公務を拡大してきた経緯を見直すことなく、公務を担う皇族が減ってしまったから、何とかその担い手を確保したくて、出てきたのが有識者会議での一案、女性皇族が結婚しても皇族に残るとする案であった。共産党、れいわが反対をしている。他の党は大筋で認めているが、その細部については不透明で、今国会で協議が始まったものの、どこに着地するかは分からないのが現況である。
 「公務」の担い手を増やすより、とりあえず「公務」を縮小することをなぜ考えないのだろう。公務が減っても、国民生活に何の支障もきたさない。困るのは、宮内庁なのではないか。皇族たちが「国民とふれあい、国民に寄り添う」機会が減少して、メディアへの登場も減り、皇室自体への関心が薄れることを一番おそれているはずである。同時に、これまで、天皇はじめ皇族たちの「公務」によって、さまざまな恩恵を受けてきた政権にとっても、その縮小は不都合なのではないか。戦死者慰霊や被災地訪問、施設訪問などに見るように、政権の不始末や失政を補完したり、国民の目を反らさせたりしてきたからである。

 そんなことを考えているときに、若い弁護士の堀新さんつぎのような文献を見つけて意を強くした次第なのだ。

「すべての公務を廃止しても問題はない」皇族に残る佳子さまのために考えるべきこと「皇室の存在意義」はどこにあるのか
PRESIDENT Online 2021年11月2日
https://president.jp/articles/-/51456?page=1

そして行き着くのは、皇室自体、天皇制自体の存在意義なのである。

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2階のベランダに洗濯物を干しに出たら、ヤマボウシが一気に白い十字の苞を開き、花のようであった。

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2024年5月12日 (日)

 断捨離の手が止まる(4)1951年、小学校最後の夏休みは(後)

念願の一色海岸
 父の友人が薬局を開いている葉山へ、とうとう出かける日がやってきた。父母と前日に泊りに来ていた従姉のMさんも飛び入りで、4人となった。逗子駅からバスで15分で一色海岸に着いたのだが、母は車酔いで、顔も真っ青で、全身の汗にびっくりもした。

「波がざぶんーとくると白いしぶきを上げて遠くの方では白ほが三つ四つ、左の方には大きな岩がたくさんあってなんともいえない水の青さまるで絵のような、お母さんもたちまち元気になってしまった。」(8月9日)

 それまで、遠足で潮干狩りに行ったことはあっても、波がしらを目の前にして、いささか興奮した様子が綴られている。私より8歳上のⅯさんも海を目の当たりにして、森戸まで、水着を買いに行ったほどだった。Ⅿさんは、とってもおしゃれが上手で『ひまわり』の表紙から抜け出たようなお姉さんだったが、真っ赤な水着には一同驚いたことも思い出される。父の友人宅では、お風呂もいただき、夕飯もごちそうになって、夜十時に帰宅し、長い一日のようだった。

お盆にミシンを習う
 母の生家があり、親戚も多く、疎開先でもあった千葉県佐原へ、お盆に出かけるのは、我が家の夏のイベントであった。

「三時におきてしまった。でもそんなに早いわけではありません。だって千葉発六時四七分の汽車で行きます。家を出ようというとき停電になった。外は外とうもつかないしまっくらです。けれど新聞屋さんだけはローソクの火がみえました。千葉へついた時は明かった。」(8月14日)

 誤字や送り仮名が怪しかったりするが、はやる気持ちは伝わってきそうだ。千葉から成田回りの汽車で、佐原駅着が八時二〇分と書かれている。家を何時に出たかは不明だが、当時は秋葉原乗り換えで両国から千葉へ向かったと思われる。いずれにしても池袋はそうとう早く出たのではないか。出がけに停電に見舞われたというが、この頃もまだしょっちゅう停電があったのだろうか。新聞屋さんというのは、空き地を挟んだ隣が新聞配達所で、いつも夜更けから、人の出入りも、人声も絶えず、騒々しかった。まだ、その頃は「○○新聞専売所」ではなく、たしか、新聞各紙を配達していたのではなかったか。何人かの男性配達員が住み込んでいたと思う。
 佐原の母の生家には、疎開中、何か月間かお世話になっていた。周辺にはない屋根付きの立派な門をくぐるとき、なんだかいつもドキドキしたものだった。広い土間のかまど、母屋から離れたお風呂場、廊下に外階段が付いている客間などどれもなつかしかったにちがいない。一晩、お世話になって、翌日は、母の妹、叔母の家にまわっている。同い年のいとこもいて、五人きょうだいの賑やかな家だったが、小学校の先生をしていた叔父に、ミシンは習ったかと聞かれた。

「私は見ることはあっても実際にやったことがありません。おばさんにぼろきれをかしていただいておじさんにおさわりながらやってみたがなかむづかしいです。私もいっしょうけんめいですからあせびっしょりになってしまいました。」(8月15日)

 やっとのことで雑巾一枚を仕上げてうれしかったらしい。こんな風にして回りの大人たちの気づかいによって、あたらしい体験をさせてもらっていたのだと、いまつくづくと思う。三日目は、「ていしゃば」と呼ばれていた祖父の再婚先、駅前食堂の二階の大広間に寝かせてもらった。ただ、この家に泊まると、夜中に汽車が通って大きく揺れて、目を覚ましてしまうのだった。
 その日には、一番列車で池袋に帰るということで、かなり早起きしたらしい。目を覚ましたところ、食堂の人たちはもう働いていて、なにやら大騒ぎをしていた。

夕べはすごかったそうです。かすみが浦のそばに共産党の人がいっぱいいて、なにかやっていて、佐原のけいさつのまえにはおまわりさんが自動車にのっていて十台くらいいたそうです。そんな騒ぎを一つもしらづ私はぐーぐーねていました。」(8月17日)

 共産党らしい人たちが、集会でも開いていていたのだろうか。夕べといっても何時ごろのことなのか、霞ケ浦のどこだったのか、会場は?野外だったのか?知る術もない。当時はアメリカとの講和条約をめぐって、その条約草案がアメリカから示されたのが8月16日だったことと関係があるのか。社会党と共産党が全面講和を主張していて、それに同調する識者も多かったらしい。9月8日には吉田茂首相が講和条約と日米安保条約に調印。前年6月には朝鮮戦争が始まり、マッカーサーの共産党への強硬策が露わになり幹部を追放、復刊まもない「アカハタ」の発行停止を受けている。51年2月には、共産党の武装闘争指針が出され、メーデーの皇居前広場開催が禁止された上、企業におけるレッド・パージも盛んになされていた、という。都市部だけでなく、郡部にも緊迫した空気が流れていたのだと思う。

BHCが毒だったなんて

 うだるような暑さが続く夏だったらしく、父親の「夕べはのみかかに食われたのか一ばん中ねなかった」の一言で、畳みを上げる大掃除が始まった。6畳間と長兄の寝室になる4畳半の畳を全部上げたのだが、途中で、どこの畳か分からなくなるからと次兄が地図を書き、畳の裏に印をつけていた。

「ほこりになるからといって頭には手ぬぐいをかぶり手ぬぐいでマスクのかわりにしたちょっとどろぼうみたいでした。畳は上げたあとBHCをまきその上へ新聞紙をひきその上からまたBHCをかけた。とうとうBHCの袋を一袋つかってしまった。でも完全だと思います」(8月18日)

 まるで、一人で奮闘したような書きぶりだが、よほど達成感があったのではないか。その頃、DDTよりBHCの方が強力だということで、店でも、よく売れていた殺虫剤であった。
 ところが、1960年代になると、BHCの毒性と体内への残留性が問題となり、農薬にも使われていたので、汚染された牛乳などが全国で問題になり、1969年使用禁止となったのである。ああ、なんということをしていたのだろう。ツベルクリンも然り。コロナの予防接種は大丈夫だったのか。予防接種を7回も受けた身には、その副反応や弊害が取りざたされているのを聞くたびに不安が残る。

自由主義ってなんだ

「夕ごはんがおわった後、○ちゃん(次兄)とお兄さんが自由主義とはどういうものかまたいいところとわるいところといったようなことを大きな声をだしてしゃべっていました。私はべんきょうやっていました。うるさいので身がはいりませんでした。その話をきいているとむづかしいようでしたが、二人の話をきいている内にすこしわかるようになってきた。その二人のはなしは映画の話にかわってしまった。あのはいゆうはどだとかこうだとかしゃべっている。私はべんきょうがおくれてしまうので「うるさい」とおこってしまった。」(8月30日)

 夏休みも終わろうという夜、やり残した宿題でもあったのだろうか。二人の兄の話を聞くともなく聞いていて、「少しわかるようになってきた」とは? 当時の娯楽の最先端であった映画、兄たちも大好きだったし、父も店を抜け出して見に行くほどで、私も後に映画好きになるのだった。次兄は、大学を出て、松竹の助監督試験を受けて、面接までいった?らしい。受験生の一人に吉田喜重がいたとも。結局、次兄は中学校の教員になり、学校演劇に熱を入れていた。

 遠い昔の一夏のあまりにも個人的な思い出にふけってしまった。これは自ら仕掛けた回想法だったかもしれない。

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上:『年表昭和・平成史』(新版)(岩波ブックレット 2019年8月)より
下:『年表昭和史』(岩波ブックレット 1989年3月)、一番使い古した年表、1995年1月、13刷です

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2024年5月 9日 (木)

 断捨離の手が止まる(3)1951年、小学校最後の夏休みは(前)

 1951年7月21日から8月31日、小学校6年の夏休みの日記が出てきた。当時としては精一杯おしゃれなA5のノートではなかったか。鉛筆はHBだったろうから、うすくて読みにくい個所もあり、担任の乙黒久先生は、誤字脱字を訂正してくださっていた。また、最後には、「熱心に正確によく書けています。これから一生、なるべく日記を書き続けましょう。」と、なんとも作文が嫌いな私を励ましてくださっている。

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  作文がどうしても苦手だった私も、宿題とあって、一所懸命書いたふしがある。一日2行のこともあるが1頁のこともある。主に家庭内のことで、父、母と二人の兄たちがよく登場する。家は、池袋の平和通りで、父母と長兄三人で薬屋を営んでいた。トタン屋根の「バラック」で、定休日もなく、働いていた。次兄は、私と7つちがいの高校3年生であったか、私大のエスカレーターで、きびしい受験の体験はなかったようだ。私も、まだ、中学受験など考えていなかったので、のんきに過ごしている。
  私は何の気なしに書いている風なのだが、家族内の微妙な人間関係や復興途上の池袋という街の雰囲気、講和条約調印直前のかなり騒然とした時代を思わせる出来事もあって、いま思うと興味深い。

ツベルクリン

 父の薬専時代の友人が葉山の一色で開業していて、遊びに来ないかのお誘いがあったらしく、家族みんなで「今年こそ」と楽しみにしていた。ところが、私はツベルクリン反応が陽性になってしまっていた。次兄からは心配とも脅かしともとれる?発言があったらしい。

「『光子、ようせいになったんだからあぶないよ、海水浴は日にあてられて、つかれるから一ばんいけないよ』としんぱいしてくれたが、私はいきたい。」(7月25日)

 調べてみると、学校での一斉のツベルクリン検査もBCG接種も2003年の結核予防法改正により廃止になって、毎年の健康診断時の問診表によりツベルクリン検査やX線検査を実施してきたが、2012年からは、ツベルクリン検査自体が廃止されている。
 小学校で、毎年?ツベルクリン検査とBCG接種を繰り返していたのはいったい何だったのだろう。反応の精度がきわめて低くかったからだという。現在は、結核感染の有無は別の方法が開発されているとのことだ。ちなみに、この1951年には、日本人の死因の1位だった結核が脳卒中のつぎの2位になったと発表されているが、結核はまだまだ猛威を振るっていたことは確かである。
 結核の治療薬「パス」も市販され、店にパスのお客さんが来て、私が店にいたりすると父は店から奥に引っ込むように言われていたことも思い出した。

すいみつ・ばばな・すいか

「すいかははじめて食べるのです。いままでは、おなかをこわすからといって、たべませんでした。それからすいみつやばななはいちどもたべたことがありません。あじがわからないのでたべる気にもなりません」(7月27日)

 そのころ、果物といえばリンゴとミカン、ナシくらいしか食べたことがなく、リンゴだと国光よりデリシャスが、ナシは二十世紀がごちそうであった。家では、桃、バナナ、柿は食べさせてもらえなかった。母は、いつも「おなかをこわすから」といって買ってはくれなかったのである。過保護というより、当時はぜいたく品だったからではないか。風邪で熱を出した時には、ミカンの缶詰を開けてくれるのがうれしかった。父は、ジョホールのゴム園時代の「完熟バナナを知ってるから、青いバナナを日本で黄色くしたバナナなんて食えたものではない」というのが口癖だった。

西の東横・東の西武
「今日は休みだったかなと思ったらやっぱりしまっていた。今度は西武デパートへ行くことにした。東横の品物はたいていケースにはいっているが、西武デパートでは手にとるようにできています。私はちょっとでもめづらしいと手にさわって行きました」(7月30日)

 母と買い物に出て、池袋西口の東横が休みだったので、東口の西武に出かけた日である。東横の定休日は月曜だったのか。たしか西武が木曜、後にできた三越は火曜だった。
 東横は、この日記の前年1950年にオープン、西武百貨店が出来たのは、1949年、その前身は、武蔵野デパートで、私にもかすかな記憶がある。天井の高い、広いスペースに品物が平置きされた市場のようであった。1946年夏、疎開先から、焼け跡に建てたばかりのバラックに住みはじめたころから、池袋西口駅前の闇市には、母に連れられて、よく出かけ、たしか下駄屋さんの奥で、「ヤミ米」をひそかに買っていたこともあった。

登校日?童話会

 8月1日は、出欠自由の登校日だったのだろうか。「童話会」が開かれ、私の大好きだった「みかんの花咲く丘」の合唱の練習で、二部合唱の低音部を初めて知ったと書いている。次は担任の乙黒先生の「新吉の手がら」で、これは先生の創作ではなかったか。先生は学芸会で、自らの創作劇を演出していた。同じクラスから主役が抜擢されて、憧れもしたのだった。童話会の次の出し物はN先生の怪談だったらしい。

「N先生がこわい話をするといったら、私達はみんなしずかになりました。私は、こわい話やたんてい小説がすきですからいっしょうけんめいききました。ところが先生は小さな声を出してこわそうに話すし・・・」(8月1日)

 夏休みの一日のために、先生方は熱心に創作や準備に関わっている様子は、今の学校事情からは想像ができない。

トマトオムレツ

「『晩ごはんにどんなおかずがいいか』いうとおかあさんは、なにかの本をもってきて『これがいいよ」といって「トマトオムレツ」と書いてあった。これならできそうなのでやってみることにした。はじめにトマトに熱湯をかけて、かわをむくことだった。おゆをかけてしばらくしてむくと、おもしろいようにトマトのあのうすいかわがむけます。・・・」(8月3日)

 少し得意げなのが、見て取れる。母は、そのころ、『婦人の友』や『栄養と料理』などをときどき買っていたのを覚えている。父が「料理の本はいろいろあるけど、母さんの料理って、いつも同じだ」とか嘆いているのを聞いたこともあった。商店の主婦の忙しさは、おとなになって、私もわかるのだが、父の認識不足は続いていたのではないか。

豊島園~夢のレジャーランド

 子どもの頃の遊園地となれば、豊島園だった。家族で出かけることも、いとこたちが田舎から上京すると、もてなし?の意味もあってよく連れ立って出かけ、ボートには何度か乗っている。この日は、母と次兄との三人で出かけている。

「豊島園なんてあきるほどですが、私にはなんとなく面白いのです。」

 と書き出している。豊島園の花形はなんといってもウォターシュートだった。小舟が高いところから斜面を走って池へと飛び込むだけの単純な乗り物だった。池に着面する瞬間、船頭さんが飛びあがり、乗客とともに水しぶきを浴びる、というものだった。
 兄は、家で初めて買ったマミヤの小型カメラでその水しぶきを撮り、兄と私も乗ったとある。また、私が初めて仔馬に乗った姿を兄はカメラに収めている。

「おじさんに『すいません、うつしますからちょっとどいて下さい』といって私と小馬をうつしました。私はなんか一人でのったつもりですましてとりました」(8月4日)

 あの豊島園がなくなると聞いたときは、思い出がもぎ取られるようでさびしかった。いまは、何になっているのか・・・。

自転車とそろばん

 その頃、近所の友だちとの外遊びといえば、自転車乗りだった。三角乗りから覚えた自転車だったが、走ると言っても、平和通りから路地に入った辺りをぐるぐる回るくらいのことで、途中で友だちを誘ったり、空き地にとめておしゃべりをするのが楽しみだった。また当時、塾といえばそろばん塾で、塾のバッチもあって、4級になったとか何級に受かったとかの話になると、私にはうらやましかったが、とうとう塾に通うことはなかった。近所の音楽の先生にオルガンを習ったり、低学年のとき絵を習ったりしたことはあったが、長続きしなかった。(つづく)

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1階の一室のリフォームが始まるので、タンスを移動した。その小さな抽斗から、何枚かの新しい風呂敷が出てきた。その中の一枚に、私が短歌の手ほどきを受けた阿部静枝先生の一首が染められていた。「日の差せるまま時雨来ぬふるさとへ入る木の橋が白くながく見ゆ」であった。亡くなった数か月前に刊行された短歌研究社の短歌研究文庫『阿部静枝歌集』(1974年3月)の「地中以後」に収められている晩年の作。包み紙や箱でも残っていたらと思うが。おそらく前年10月14日、宮城県の出身地での歌碑除幕式(中田町石森伊勢岡神明社)の参加者に配られたものではないか、と思われる。ただ、歌碑の短歌とは異なるのだが。

 

 

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2024年5月 1日 (水)

「天皇制はない方がよい」3%、そこに留まる一人として

  4月29日は、天皇誕生日、いや、みどりの日だった。いや、いまは、なんと「昭和の日」だった。2007年から、みどりの日は5月4日に移動して、「昭和の日」になっていたのだった。そして、もう忘れかけそうな、4月30日には、どんな事情があったのだろう、5年前の、この半端な時期に、平成の明仁天皇が退位し、2019年5月1日に徳仁天皇が即位している。きょうの 朝刊を見ると、天皇家の令和の5年間を振り返る記事が並んでいる。「時代や社会に応じ<象徴>を模索/国民と苦楽を共にする」(東京)「国民の中に広がる活動」(朝日)、「苦難と向き合い 国民と歩み」(毎日)という見出しであった。「国民とともに」といわれてみても、私たち国民にその実感はない。訪問先や被災地でのふれあいは、限定的でもあり、一過性でもある。歌会始や園遊会、文化勲章など国家的な褒章制度などは、国民の栄誉欲と権威付けが伴う活動の場となっているのではないか。

そんなカレンダーを踏まえ、しかも、「安定的な皇位継承の在り方」に関するか各党の見解が出そろった4月28日、共同通信社は「皇室」に関する世論調査結果を発表した。

 近年の皇室に関する世論調査には、女性天皇、女系天皇の賛否を問う質問が必ず登場するようになった。上記の世論調査でも、全体で20の質問事項の中で、2問への結果はつぎのようであった。どちらも圧倒的に賛成と出た。

 問7女性天皇の賛否:

 賛成52%、どちらかといえば賛成38%、 併せて90%
 反対3%、 どちらかといえば反対  6%、 併せて 9%

問10女系天皇の賛否:

 賛成38%、どちらかといえば賛成46%、 併せて84%
 反対  5%、どちらかといえば反対 9%、 併せて14 %

(2024年4月 共同通信社世論調査)

  なお、4年前の共同通信社の世論調査結果は以下のようであった。

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「女性・女系天皇 「支持」が高く 天皇に「親しみ」58%」東京新聞 2020年4月26日 

  これは、高齢者にとっては男女平等、若年層にとっては、ジェンダーによる差別なくそうとする考え方がある程度浸透してきたことと女性皇族—美智子さん、雅子さん、愛子さんらの行動とその報道などが反映されていると思う。

 しかし、このことは、当ブログでも何度も述べているように、天皇制自体が平等を前提としておらず、男女を問わず皇族たちのごく当たり前の基本的人権が認められていない仕組みなので、女性天皇、女系天皇で皇位をつなげたとしても、その平等・人権に反する状況は何も変わらない。

 今回の世論調査で、私が着目したのは、以下の問3であった。

 問3あなたは、日本に天皇制があった方がよいと思いますか、ない方がよいと思いますか

 あった方がよい:        44%
 どちらかといえばあった方がよい:44%
 どちらかといえばないほうがよい: 7% 
 ない方がよい:          3%
   無回答:             1%

   この種の世論調査で、「天皇制」の存否をストレートに問う質問事項が登場するのは稀である。さらに、その回答は、私にとっては、“どちらかといえば” 想定外なものであった。これほどまでの差があるとは思わなかった。あわせて88%があった方がよい、であり、ない方がよい、10%という低さだったのである。私は、この質問をするならば、その理由も聞いてみたかった。が、別の問15において、即位後の活動について、評価する活動の二択において、以下のような結果だった。

海外訪問や外国賓客のもてなしなど国際親善53%、
訪問先での国民とのふれあい42%、
被災地のお見舞い38%、
憲法の定める国事行為18%
戦没者の慰霊、宮中祭祀が各8%

 ここに、あった方がよいとする理由を垣間見ることができるような気がする。国事行為の18%をのぞいては、法的根拠のない、公的行為か、私的行為に過ぎない。平成期の天皇夫妻が、拡大してきた「公的行為」であり、「私的行為」の広報や公務化を、令和期の天皇夫妻も踏襲してそのままに報道するようになった。そうしたことが、問15や問3の回答結果に反映しているのではないかと思う。

 「天皇制」はない方がよい3%にとどまって何ができるのか、どちらかといえばない方がいい7%とともに、進む道はあるのか、心細いながら考えていきたい。

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 「「皇室」世論調査の詳報」(一部) 東京新聞 2020年4月26日
読みにくいのですが、クリックすると拡大します。

 

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2024年4月28日 (日)

赤ちゃんにも選挙権!? 吉村知事、おかしくないですか?

町内会・自治会ではすでに始まっているが

  大阪府の吉村知事が、4月26日の記者会見で、前日4月25日、「人口戦略会議」の府内12市町村が消滅危機になるという分析を踏まえてか、ゼロ歳から選挙権を認めるべきとする持論を展開した。意思表示のできないない子どもたちは、保護者が選挙権を代理行使するというものだ。

ええ?? そんなことをして、地方議会や国会議員が決められたらどういうことになるのか。保護者って誰になるのか、父親か母親か、とだけ考えても、ムリ筋なのがすぐにわかる。たとえば、施設に暮らす子どもたちの保護者は誰になるのか。要するに知事は、目の前のことだけ考えて、単純に有権者を家族単位で束ねたいのだろう。かつての戸主、いまでも問題がある世帯主を中心とする「家族」制度的な発想なのではないか。「子どものころから政治や選挙への関心が高まる」?「日本の未来を決める権利がある」?というのが理由で、すでに維新の会の政策にもなっているというから、少々おそろしくなった。

  もっとも、吉村知事の「持論」なるもの、これに近い発想で、地域社会ではすでに進行している政策をご存じだろうか。私は、2017年、地元の自治会=地縁団体が法人化するにあたっての臨時総会で、詳しく知ることになった。当時の、以下4本の過去記事に詳しいが、私の疑問は、自治会が法人化されると構成員であるゼロ歳児から、議決権があることになり、子どもたちの議決権を保護者が代理行使できることによる弊害であった。意思表示ができない、まだ判断能力がない子どもたちの議決権を、多くの場合は、当然、親が、世帯主が行使してしまい、議決は住民の意思を反映することができないのではないか、という疑問であった。保護者の意見が根拠なく増幅されることを意味する。

多数決原理をゆがめることに

 地元の佐倉市でも、自治会区域のすべての住民の三分の二を自治会の構成員としなければ、法人化が認められない。住民であっても自治会に入会しない世帯、退会する世帯は年々増えているので、自治会が法人を維持しようとすれば、役員たちは、構成員の確保に必死で、まず、家族全員の登録を勧める。総会の議決権行使の際など、登録の家族の全員の記名、各議案について各人が〇☓を記すよう要請される。ということは、普通に考えて、世帯主、保護者の〇×がそのまま反映され、集計の効率化、議決の安定化が図られるかもしれないが、住民の意思を正確に反映することにはならない。どうして、赤ちゃんにまで議決権があるのかを、佐倉市に問い合わせると、納得できなければ、自治会構成員として登録しなければいいというが。

 だが、法人化のメリットとして、不動産登記が可能になることが挙げられる。地域住民が共同保有してきた山林や共同墓地などが、団体名義での登記できるようになることであった。また、法人化前は、世帯単位でしか議決権が行使できなかったのが、構成員一人一人が意思表示できることになるのは、確かにメリットであろう。たとえば、夫婦や家族で意見が異なる場合は、反映されることになる。個人単位になったことはよいのだが、だからと言って、子どもの議決権を代理行使するのは、多数決原理をゆがめることになるはずである。

無関心を助長することに

 地元の自治会は、コロナ禍のなか、対面での定時総会は中止になり、書面での議決権行使となった。ところが、今年の4月初旬の定時総会も、書面での議決となった。630世帯前後の自治会だが、構成員は約1800名、今年の表決結果は、予算・決算・事業計画・会則改訂いずれも、反対5票以下の数字であった。近年は対面の総会、行事なども中止、会員、班員同士の交流は皆無に等しく、自治会への無関心は顕著になってしまった。コロナが収まっても、法人化と相俟って、自治会活動は低迷、形骸化は進むにちがいない。 自治体や国政の選挙であっても、選挙権は18歳以上になったが、若年層の投票率は低い。自治会も、ゼロ歳からなどとせず、構成員は18歳以上として、個人あての投票用紙を配布し、要望を尋ねたり、小さな単位での、班会などでの茶話会を開いて、情報交換したり、とくに若い人にスポーツやアウトドアの行事への参加や協力を要請したりしたら、少しは関心を持ってもらえるのではないか。工夫次第だが、ダメかなあ。

いずれにしても、 吉村知事、その持論では、政治や選挙への関心は、ますます遠のきますよ。それがねらい?

<当ブログ関連記事>

<参考>

自治会・町内会等の法人化について -認可地縁団体設立の手引き-

(令和5年4月1日改訂版)(佐倉市)

https://www.city.sakura.lg.jp/material/files/group/16/jichikaihoujinka-r5.pdf

 

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開き始めたモクレンとテッセン、ツバキとツツジは、いま満開です。

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2024年4月24日 (水)

苗字を持たない人たちの人権はどうなるのか、しかし、その前に

  先に、安定的な皇位継承の在り方についての有識者会議報告書をめぐる各党、メディアの対応を当ブログ記事にまとめた。そのあと、断捨離の一環で、袋詰めの資料を整理していたが、皇室関係の切り抜きの一袋を開いたところ、つぎの記事の見出しが飛び込んできた。「うーん、これって、いったい、いつのこと?」と読んでみると、自民党が「女性天皇」と「自らの退位可能」=生前退位を認める方針を固め、皇室典範改正の検討を開始した、というのである。2001年5月9日の読売新聞だった。20年以上前、そういえば小泉首相の時代だったかも。紙もだいぶ劣化しているので、背景処理してコピーしたものだ。

 先週4月23日には、春の園遊会が開かれた。最近のメディアは、もっぱら愛子さんにスポットを当てているのを見ていると、世論調査の結果や今回の女性皇族は結婚しても皇族として残る案への傾斜を示しているように思われた。

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自民党が皇室典範改正の検討を早めたのには、前年の2000年に皇太子妃の雅子さんが流産したことがきっかけになったと思われる。

  今般、4月19日、皇位継承に関する自民党の懇談会では、2021年にまとめた有識者会議の二案 ①皇族女子が結婚後も皇族に残る ②旧皇族男子との養子縁組による皇籍復帰できる、の両案を妥当とするものだった。これまで、自民党の態度が決まらなかったのは、①案が女系天皇・女性天皇につながりかねないという懸念からだった。しかし、20年以上前は、「女性天皇」を認める方針だったことになる。
 おおよそ時代ごとになっている袋を開いていくと、皇位継承をめぐる記事がいくつか出てきて、その経緯を、あらためて知ることになった。こうしてみると、皇族たちは、なんと時の政府に翻弄されてきたことかがよくわかる。

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 2001年5月には、雅子さんの懐妊が発表され、12月に愛子さんが誕生する。2005年11月、小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」の報告書は、女性天皇、女系天皇を容認するものだったが、 2006年2月秋篠宮の紀子さんの懐妊の発表、9月に男子悠仁さんを出産すると、即日、皇室典範改正は見送りとなった。つぎの安倍首相はもともと男系維持論者であったため、以降、皇室典範改正は棚上げされた。

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現行の皇室典範によれば、当時の徳仁皇太子から文仁秋篠宮、悠仁さんへと皇位は継承される。もし、皇室典範改正されて、第一子優先の女系天皇・女性天皇が実現されていたら、徳仁、愛子、文仁、眞子、佳子、悠仁さんの順位となるはずであった。

  2009年9月、政権交代で民主党鳩山内閣に続いて、11年、野田内閣のもと、女性宮家創設を検討し始めた。小泉時代の「皇室典範に関する有識者会議」の報告書を下敷きに、「女性宮家」は一代限りの皇族となることを前提で、子どもが生まれても皇位継承権はないというものだった。しかし、2012年12月、第二次安倍政権が発足すると、「女性宮家」は、検討対象とはしない方針を固めている。安倍首相は自らの持論も踏まえ、自民党内保守派の男系維持論に与したことになる。

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  そして、2016年8月、明仁天皇の生前退位の意向表明がなされたのを機に、2017年6月には、生前退位特例法成立、2019年5月1日に徳仁皇太子が天皇になり令和期に入る。

その後も、皇位を継げる男子皇族は秋篠宮文仁、悠仁さんの二人であることには変わりがなく、「安定的」な皇位継承対策は、重要課題となっていて、2021年11月の有識者会議報告書の二案に至ったわけである。
 しかし、その内容は、当ブログ記事にも書いたように、何ともお粗末な、時代離れしたもので、二案とて、「安定的」な皇位継続が見通せるものではない。

 現在の皇室典範自体が憲法に定める人権に抵触しているし、二案による改正がなされれば、天皇家の人々、皇族の人たちの人権はむしろ広く縛られることになるのではないか。そうまでして皇位を継承して、天皇制を維持しようとする人たちは、皇族たちをなんとか利用しようと企んでいるようにも思えてくる。国民の多くは、特に若年層にとっては無関心、あるいは週刊誌的興味からながめているのではないか。

 皇位継承問題が浮上した今こそ、私たちは、憲法の基本原則と両立しがたい「第一章天皇」を持っていることを、真剣に考えなければならない時だと思う

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2024年4月19日 (金)

国民体育大会・オリンピック・大阪万博、どうする!どうなる?

 4月8日、宮城県の村井嘉浩知事は定例記者会見で、47都道府県のほぼすべてのスポーツが一堂に会し、持ち回りで開催されてきた国民体育大会(2024年から「国民スポーツ大会」に改称)の開催方法について、「継続する必要があるのか検討を始める。廃止も一つの考え」と述べたとの報道があった。見直しに賛同の知事も現れている。ようやくその声が 上がったかの思いがする。規模の縮小など図られてきたものの、開催自治体の負担がかなり大きかったからだ。「国体」は、開会に際して天皇(夫妻)を迎えることになっている。全国植樹祭、豊かな海づくり大会と並んで、天皇を迎える三大イベントの一つである。天皇の登場場面が一つ減ることになると、宮内庁は慌てているかもしれない。

 そもそも、都道府県代表の競技者が一堂に集まって競い合うことにどんな意味があるのかを考えてしまう。そのために自治体にとって、経済効果どころか、競技場やスタッフの確保、選手たちの受け入れの準備や実施は財政的にも大きな負担になってきたのだと思う。敗戦後のしばらくは、地域復興や地域振興の促進に役立っていたり、スポーツに親しむきっかけになったり、郷土愛を深めたりする時期もあったかもしれない。しかしいまはどうだろう、スポーツ観戦はテレビやネットでも大方見られるようになったし、スポーツ自体が趣味や健康志向へとシフトしている時代となった。にもかかわらず、勝敗第一主義がもたらす高校・大学の体育会、スポーツ界のパワハラ・セクハラ、暴力事件や違法薬物事件などの不祥事が絶えない。なお、冬季の国体は開催地の難航から、都道府県にまたがり種目別の分離開催となっているのが現状である。

 昨年2023年の鹿児島国体は、2020年第75回として開催予定がコロナ流行のため延期、三年の空白後の10月7日から、回数を付けず「特別国民体育大会」として開催されている。来年は、「国民スポーツ大会」として佐賀県で開催されるというタイミングで、村井知事の発言であったわけである。

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”最後の国体”「燃ゆる感動かごしま国体」の開会式には天皇夫妻が出席、「おことば」を述べ、航空自衛隊のブルーインパルスによるアクロバット飛行がなされた。自衛隊にとってはここぞと、広報のチャンスと思ってのことだが、スポーツとなんの関係もない。前日には試験飛行も行ったという。その出費を考えてしまう。また、この国体には、秋篠宮夫妻、佳子さん、三笠宮信子さんも訪れている。宮内庁も「広報効果」をねらってのことだろう。写真は「FlyTeamニュース」から拝借した。

 オリンピックについても同様のことがいえる。2年延期しても2022年実施した東京五輪にみるように、その開催地決定から、国立競技場建設、選手村建設・処分、大会運営にいたるまで、スキャンダルや汚職まみれで終わった。「選手ファースト」どころか、コロナ禍で開催され、五輪のおもて・うらで暗躍する人たちがいるのがよくわかったのである。2030年を目指して札幌の冬季五輪の招致運動が進められてきたが、2023年末時点で、招致運動の停止がきまった。IOCでは、30年、34年、38年の開催は、フランス、アメリカ、スイスと一本化されつつあるという。コロナ流行、東京五輪の一連の不祥事、機運が盛り上がらなかったことがその要因であった。

 五輪開催国は、経済効果どころか負担が大きいので、毎回、名乗りを上げる開催国は少なくなり、先細りの感を歪めない。そもそも、国民には、実施時期の選択や実施競技の種類の出入りなど不明な部分も多い。各スポーツ競技は、それぞれ世界的規模の大会を持っている。そこで競えばいいのではないか。また、さまざまな民族や出自が異なる人々によって構成される国単位で競うというよりは、個人やチームで競う場があればよいのではないか、と思ってしまう。

 また、大阪万博には、60か国の参加予定が40か国になり、建設費だけに限っても、工事費、人件費の高騰で、当初予算1250億から2350億と2倍近くになった(2023年11月現在)。他人ごとではない。大阪府民、大阪市民ならずとも3分の一は国の税金から拠出されるのである。

「万国博覧会」という発想は、もはや、前世紀、いや19世紀の遺物ではないのかと。航空機もネットもない時代は、各国情報の集約・拡散の場であり、人的交流の場であり、開催国の国威発揚にもなり、経済効果も大きかったのかもしれない。

今回の大阪万博への国民の関心はといえば、昨年12月、大阪府と大阪市が全国6000人(大阪府民4000人、その他2000人)を対象に行った世論調査によれば、以下のような結果で、地元でさえ盛り上がってないのがわかる。

「万博を知っている」88.6%
「万博に行きたい・どちらかといえば行きたい」33.8%
(21年51.3%、22年41,2%)

 国体も、オリンピックも、万博も、国民の生活向上に役立つことは何一つない。私はどれも不要だと思っている。

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2024年4月18日 (木)

安定的な皇位継承って何?~「天皇家」の存続を願う人たち

各党の対応

 2021年12月、安定的な皇位継承の在り方について検討した有識者会議の報告書が政府に提出された。22年1月には国会に提出されている。昨年末、衆議院議長より、各党に見解を早急にまとめるよう要請した。

有識者会議の報告書に示された二案というのが、(一)女性皇族が結婚後も皇室に残る案、(二)旧皇族の男系男子を養子に迎える案であった。各党はにわかに意見書をまとめ、議長に提出し始めた。

しかし、上記の二案では、安定的な皇位継承ができるかの具体策は見えない。その二案と言っても、よそ様の家に向かって、女性は結婚後も実家に残って仕事をせよ、(直系の男子がいなければ、)血のつながった男系の親類から男子を養子に迎えなさい、と言っているに等しい。天皇家の各人に、法律でそんなことを強制できるのか。結婚の自由や人権の番外地と言って済むものなのか。

 にもかかわらず、各党が議長に提出した意見書などによると、上記二案への対応は以下の通りと理解した。

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この表を作成のさなか、「読売新聞」オンライン記事で以下の表を見つけた。ご参考までに。
「政府有識者会議報告書2案に対する主な与野党の立場」(2024年4月16日)
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 なお、自民党は、4月19日の懇談会で、両案妥当の方針が固まった。それを踏まえて、毎日新聞は、以下のような表にまとめた。シンプルで見やすいかもしれない。

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 まとめてみて、あらためて驚いた。こんなにまでして、「天皇家」をまもりたい人たちがいるということだった。長い歴代の「天皇家」の継承が、グダグダであったことは、歴史的にも明らかなのに、これから先も、旧皇族の男系男子にこだわる(二)案、さらに国民民主党や自民党のいう「直接皇族」の付与など、皇族を離脱して80年近くにもなる旧皇族の子孫をたどることになるのだろうか。この時代に、現実離れした案としか言いようがない。立憲が、(二)案について、「法の下の平等」の観点から憲法との整合性を検討すべきなどとの見解をしめすが、むしろ滑稽にも思える。「天皇家」の存在、天皇制自体と憲法との整合性が問われなければならないのに。

メディアの対応

メディアは、有識者会議の二案と各党の見解をどう報じ、論じているのかを「社説」でたどってみたい。

「日本経済新聞」は、開かれた議論の必要性を説き「皇室への国民の視線は時代とともに変化してきた。近年のいくつかの世論調査で女性天皇の容認論が多数を占めていることも、多様性を重んじる現代社会の考え方の表れだろう」とし、「皇室の伝統と安定、皇族の方々の理解をどう調和させるのか。日本社会として制度を大事に守るのなら、私たち一人一人がその将来像を真剣に考える必要がある」と結ぶ(「皇室の将来見据えた継承策を」2024年1月2日)。ここでは、「皇族たちの理解」に言及し、「日本社会として制度を大事にまもるのなら」と、国民に対して「制度」自体への問題提起をしているようにもとれる結語であった。

「読売新聞」は、「皇族数の減少は、皇室制度の存続にかかわる問題だ。令和も6年となった。政府と与野党は様々な課題を放置せず、結論を出すべき時期にきているのではないか」とし、皇族女子は、「歌会始や国民の幸せを祈る 祭祀さいし など宮中行事に参加」「海外訪問を通じた国際交流」「スポーツ団体の名誉総裁などの立場で競技の普及」などを担っている現状から「皇族女子の離脱が続けば、様々な公務の継続は難しくなる。婚姻後も皇族の身分を保持できるようにすること」は、検討に値すると、(一)案を支持する。(二)案については「長く民間人として暮らしてきた旧宮家の子孫が、唐突に皇室の一員となることに国民の理解は得られるのだろうか。本人の意向を確認する作業も必要だろう」と懸念を示している(「皇族数の減少 多様な公務を担う策考えよ」2024年3月24日)。

「毎日新聞」は「国のあり方に関わる問題である。政治の責任で速やかに結論を出すべきだ」と大上段に論じ始める。皇位継承の維持が、果たして「国のあり方」に関わる問題なのか。(二)案ついては「旧宮家が皇室を離れたのは70年以上も前にさかのぼる。その子孫の民間人が唐突に皇族となることに、国民の理解が得られるのか」と疑問視する。「両案が実現したとしても、一時的に皇族数を確保するための、その場しのぎの策にとどまる」とし、「皇位継承権を女性に広げるかどうか」の議論も避けられないとする。憲法では、天皇は日本の象徴と定められ、「その地位は「国民の総意に基づく」と明記される。与野党は、国民の幅広い支持が得られる制度改正の道筋を示さなければならない」と結ぶ(「皇族確保の政党間協議 もう先送りは許されない」2024年4月10日)。
 皇位継承が途絶えたとして、現在の国のあり方が大きく変わるとも思えない。たしかに憲法第一章を削除しなければならないが、国民の暮らしが変わるとは想像しがたい。困るとすれば誰たちなのだろう。「毎日新聞」は、毎週金曜日に「皇室スケッチ」あるいは「識者に聞く皇室」という記事を連載するが、天皇家のエピソードや秘話などの紹介であり、登場する「識者」たちも象徴天皇制を前提にしての解説の域を出ない。

「朝日新聞」は、有識者の報告書が政府に提出された直後の時点の社説で。両案とも「皇位は男系男子が継がねばならない」という考えが前提で、国民の間に一定の支持がある「女性・女系天皇」の芽を摘んでしまっていると指摘する。
「価値観の一層の多様化が見込まれるなか、報告書の考え方で皇室は安定して活動・存続できるのか」、いずれの案にせよ、「(皇族)本人意思の尊重をどう考えるか」、「与野党の立場を超えた真摯(しんし)な議論が求められる」としている(「皇位の報告書 これで理解得られるか」2022年1月13日)。(二)案は、養子になれるのは男系男子に限るとし、戦後改革で皇籍を離れた旧十一宮家の男子と明記したことについて、「門地による差別を禁じた憲法に違反する恐れ」に応えていないことも指摘しているが、ここには、両案の欠陥、批判はあるが、提案や方向性が見えない。
 「朝日新聞」の不明確な論調を補う意図があったのかどうか、3月13日のオピニオン欄に原武史へのロングインタビュー記事がある。皇位継承問題にかかわり、記者の石川智也の「では、どう皇室の存続を図ってゆけばよいのでしょう」の問いに、「どう存続させるか、ではなく、そこまでして象徴天皇制を維持する必要性があるのか、もはや存廃に踏み込んで議論すべき段階です」と答えている。また、「むしろ右派が逆説的に存廃の話をしているのに、左派リベラルは存続が前提の議論ばかりしています。平成流を過度に理想化し、上皇を戦後民主主義の擁護者かのように仰いでいるのも主に左派です」という指摘も重要である。

 上記の各党の対応でみるように、日本共産党が、天皇制(天皇制度?)を前提に女性天皇、女系天皇を認めるべきだとの見解を示していることでも明らかである。

 私も、最近、ある研究会で、多くは文学におけるジェンダー論やフェミニズムの研究をしている研究者たちから「女性天皇を認めないのはジェンダー平等に反する」とか「女性天皇や女系天皇を否定するのは偏狭ではないか」といった意見が出ていたのを聞いて、マスメディアの論調や世論調査結果などの影響が大きいのではないか、左右されているのではないか、と驚いた。天皇制自体の存廃には踏み込もうとしないマスメディアの責任の重さを思うのだった。

 

 

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2024年4月16日 (火)

“春風のようなお手振り”って何なの?

 宮内庁は昨年度から、「広報室」を新設、4月1日からは、インスタグラムをスタートさせた。皇室への関心を高めようと必死といってもよい。

 昨年から今年にかけて、天皇夫妻、秋篠宮夫妻の外国訪問はじめ、佳子さん、愛子さん、悠仁さん情報の発信が活発になり、それを右から左に流すメディアは、横並びである。

 一時は秋篠宮家の佳子さん情報が目立ったが、今は、愛子さんにシフトしているようである。今年一月以降の愛子さんに触れた記事を拾ってみたい。正月の一般参賀は、能登半島地震のため中止となった。「歌会始」は、学業優先のため欠席していたが、大学卒業以降は、急増し、一人での行動も増えた。現段階では「公務」は皆無だし、「公的行為」にもなり得ず、ほとんどが私的行為である。広報室は、これでもか、これでもかと発信し続けている。それを報じる記事は、愛子さんの服装や笑顔に触れる横並びには違いないのだが、文面には若干の違いがある。なかには、あまりにも情感たっぷりの、思い入れの著しい記事、例えば、下記にあげたような、朝日新聞系列の「AERA dot.」(朝日新聞出版)の「堂々たる品格」「春風のような初々しいお手振り」「格式高い三つ紋の本振袖と凛とした紺袴で花のような美しさ」とまでの手放しの「称賛」となると読者の方が気恥ずかしくもなる。こんな情報が拡散していくのを見過ごしてしまっていいのだろうか。

<今年の1月から4月までの愛子さんの動向>

1月1日  新年祝賀の儀に参加後、一家で上皇夫妻に挨拶、女性皇族のティアラ着用復活
1月11日 「講書始」初めて出席
1月17日  一家阪神大震災への黙祷

2月6日  一家で能登半島地震の救助活動や復旧状況の説明を聞く
2月9日  ケニア大統領夫妻との昼食会デビュー、スワヒリ語で挨拶
    「堂々たる品格」AERA dot. (太田裕子)
2月23日  天皇誕生日お手振り「春風のような初々しい」AERA dot.(永井貴子)

3月9日  一家で日赤による能登半島地震被害地の支援活動の説明を聞く
3月11日  一家で東日本大震災への黙祷
3月20日  学習院大学卒業式
          「格式高い三つ紋の本振袖と凛とした紺袴で花のような美しさ」
    「春風のようなほほ笑み」AERA dot。(永井貴子)
3月26日・27日 単独で伊勢神宮、神武天皇陵参拝(大学卒業報告)
    「本物の笑顔」AERA dot.(太田裕子)

4月1日  日赤入社(嘱託職員、青少年・ボランテイア課)
4月10日  明治神宮初参拝(昭憲皇太后没後110年祭)
    「オフホワイトのロングドレスに帽子姿で」FNNニュース
    「まばゆく映えるロングドレス姿」AANnews
4月11日 大学卒業・就職報告のため上皇夫妻を訪問
4月14日 単独で雅楽鑑賞
    「めがね取り出し熱心に鑑賞」 朝日新聞デジタル(中田絢子)   

 

<関連過去記事>
女性皇族は皇室の広告塔?生き残りをはかる天皇制!20231218日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/12/post-cfe584.html

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はや、庭のツジが咲き出した

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蕾のまま終わるかと思いきや、今年は一気に咲き出した、気まぐれツバキ

 

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