2012年5月16日 (水)

自治会での募金や寄付に疑問をお持ちの方へ

 これまで、私も何度か、自分の住む町の自治会や自治体での体験を通して、自治会における寄付や募金への疑問とその対応を記事にしてきました。それらの記事へ、多くのコメントをいただいているのですが、このたび、盛田守さんとまっとうさんからいただいたコメントを紹介させていただきます。
 自治会の役員になられて、あらためて疑問を持った方、疑問を呈するものの自治会の旧態を変えることが出来なかった方、あるいは問題解決にどんな方法があるか模索されている方が多いように思いました。お二人はご自分の自治会で奮闘されてきた方です。これらのコメントをヒントになさってはいかがでしょうか。

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2012年5月 9日 (水)

紫木蓮からテッセンへ

 

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今年の紫木蓮の開花は遅く、あっという間に散ってしまった。(4月22日撮影)

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今年の北海道のサクラが開花の同日に満開を迎えたというニュースを聴いていた。我が家のテッセンも蕾の期間が長かった割には、一日で一気に花開いた。(5月9日)

 

 

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2012年5月 8日 (火)

新松戸、「関さんの森」へ行ってきました

  連休は、何処へも行かずじまいだったが、最後の6日、ミニコミ誌「すてきなあなたへ」65号にも紹介のあった、「関さんの森」へ出かけてみた。ウメやサクラの花の季節にも誘われながら叶わず、はや新緑の季節となっていた。
 武蔵野線、新松戸には、初めての下車。北側に降りて、ガードをくぐると、畑が広がり、高台への坂道や階段を上る。天気がよければ、右手にはスカイツリーも見えるらしい。5分も歩くと、広い道の三叉路に出る。 

関さんの森って 

ここからが今年着工した「関さんの森」を貫通し、国道6号線へ向かう道路になる。梅林をやや迂回しながら通り抜けるようにして、伐採を少しでも減らし、梅林と関家の長屋門や土蔵を残そうという、市民や「関さんの森を育む会」の努力が実ったことになる。それに、道路用地にあった、樹齢200年以上というケンポナシの古木を今年一月、木への負担が少ない「立曳き」という方法で16mほど移植したことは、新聞やテレビでも報道されていた。移植まもない、そのケンポナシを見上げると、あちこち養生されながら、痛々しくも見えたが、若葉が出はじめていた。しかし、ほんとうに根付いたかどうかは3年ほど様子を見ないと分からないという。 

「関さんの森」とは、松戸市幸谷に17世紀から続いた名主、関家のお住まいと屋敷林を擁した約6000坪、2ヘクタールに及ぶ里山であった。都市計画道路の土地収用に際して、梅林を横断することから、地権者の関家をはじめ多くの市民たちと松戸市が交渉を続けていたが、上記のような迂回の条件で決着を見た。昨年、緑の保全のために地権者・市民・行政による協議会も発足し、回を重ねている。収容に先立って、道路予定地と関係ない森の大半は、埼玉県の環境保護団体に寄付され、管理されていて、市民も自由に立ち入れる。

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移植間もないケンポナシの若葉

関家のお庭 

ボランティアのYさんの案内で、まず、関家のお庭を拝見。立派な通用門前の見学者の受付を経て、木戸をくぐると、右手にはサクラの古木に挟まれた形で、大ぶりなツツジ、キリシマツツジが満開だった。樹齢200年以上という、その根方には、古くから近隣の村人たちの願いごとを聴き続けてきた熊野権現の小さな祠。Yさんは「あ、ジャコウアゲハ」といって重そうなカメラを構える。そろそろ産卵期に入るという。ジャコウアゲハはウマノスズクサという毒(薬効?)のある草を食し、餌として狙う鳥たちから身を守っているという。ジャコウアゲハを食べた鳥たちは、思わず吐き出し、2度とは食べない学習をするというのだ。やや離れたところには立派なカヤの木、しめ縄をまとっていて、権現様の神木ということだった。カヤの枝を引き寄せて、Yさんは雌花と雄花の違いをよく見せてくださる。これからの季節に受粉をするが、カヤの実となるにはふた夏を越さねばならないらしい。一年目のカヤの実というのは、いまの時期、米粒くらい。足元には、小指ほどの、よく見かけるカヤの実がたくさん落ちていた。 

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樹齢200年のキリシマツツジ、手前のサクラは樹齢110年とのこと

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カヤの木の木洩れ日と通用門

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カヤの木の雄花

曲がり家と土蔵と長屋門 

関家の母屋は、昔は厩もあった曲がり家で、関東地方では珍しいらしい。いまも7代目の関さん一家が住んでいる。1986年建て替えられているが、それまでは茅ぶきの屋根だったそうだ。裏には竹林、前庭には、三春の滝桜の苗から育てたというベニシダレザクラ、178年というが、すでにかなりの高さとなり、若葉をそよがせていた。今年はどんな花を咲かせたのだろう。長屋門の左右には二つの土蔵、いずれも江戸時代に建てられたもので、古い方の土蔵の外壁は、上部の白壁と腰の部分のツートンに分かれる。土台に近い方は、土の壁を黒い板で覆っているように見えたが、よく見ると木目ならぬ節が見える。竹をのした「ヒシギ竹」という板が黒くなったものらしい。いまは、痛んだところから木の板に替えているとのことだった。この土蔵のそばでは、河津サクラの愛らしいサクランボを見つけた。これらの土蔵には、生活道具や古文書が保管され、古文書の一部はすでに松戸市に寄贈されているが、残る文書の調査・整理も市民有志によって始められたばかりで、1670年代の「幸谷年貢取帖」や村人全員が記名捺印した決まりごと文書などが見つかっている。 

長屋門といえば、私も千葉県佐原の母の実家に在ったのを思い出す。門自体はめったに開けられることはなく、母の里帰りの折の出入りはもっぱら小さなくぐり戸だった。小学校に入る前の、疎開の思い出の点景でもある。 

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ヒシギ竹のフシが見られるだろうか。梅林の枝を伐った後

放射線量が高いかもしれないと、使えずにここに。

 

広い屋敷林 

母屋の裏の塀の外は、屋敷林の続きで、いまは、環境団体の管理下にある。エノキの巨樹や竹林が、強い風に煽られ大きく揺れていた。いったん関家の門を出て、工事中の道路を進むと左手に森への入り口がある。階段を登り、やや平地になったところにはベンチやアスレチック遊具などある。木の橋を渡ってくだると湧水池があり、隣接の民家や駐車場が見えてくる。池は手入れが行き届かず、やや荒れた感じだったが、起伏のある一帯は、格好の散策路、昨年の原発事故さえなければ、まさに森林浴と深呼吸でもしたいところである。 

1回オープンフォレストin 松戸 

受付では、関さんの森を支えるボランテイア団体「関さんの森を育む会」代表の武笠さんと再会することができた。昨年は、佐倉市での放射能測定が進まない中、私の参加する市民グループで武笠さんに測定をお願いしたのだった。まったくのボランテイアで、松戸から猛暑のさなかと1229日の2回も駆けつけてくださったのだ。放射能ホットスポット同士、松戸と佐倉の情報交換となった。松戸市の放射能対策は随分と進んでいるので、佐倉市の情けないような状況をつい愚痴ってしまったのだが。 

その武笠さんから、5月の12日~20日「第1回オープンフォレストin 松戸」のチラシをいただいた。実行委員会と松戸市の共催で、ボランティアが活動する市内の民有樹林や里山14か所を一挙に公開、散策と自然観察などのイベントを実施するとのこと。もちろん、「関さんの森」も参加、里山保全でも松戸市は進んでいるのがうらやましかった。

関家のご当主の関さんにもお目にかかれて、長屋門の前でご一緒のスナップを撮ってもらった。

 帰宅後、テレビを見て、つくばの竜巻被害を知った。関さん森での強風は、ただの風ではなかったのかもしれない。

 

以下も合わせてご覧ください。

 

関さんの森エコミュージアムのブログ:http://www.seki-mori.com/

 

1回オープンフォレストin 松戸:

http://www1.koalanet.ne.jp/forest-in-matsudo/

 

 

 

 

 

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2012年4月29日 (日)

『GET Back,SUB!あるリトル・マガジンの魂』を読む

 2009年の春、当ブログに4回にわたって、私が参加している「ポトナム短歌会」の昭和初期からの大先達である小島清について書いたことがある。プライベートでもお世話になり、私にとっては大切な歌人のお一人であった。ここでは、ふだん通りに先生と呼ばせていただくが、その拙文を書いているさなか、1970年代、私の職場へカメラマンとして訪ねて来られ、初めてお会いしたことがある先生の長男であるMさんのことが気になっていた。インターネット上で、Mさんについてらしい情報がいくつか散見されたが、不確かなまま打ち過ぎていた。 

今年に入って、下記の当ブログへのアクセスが少し増えたかな、と思っていたところ、Mさん(19412003)の関係記事に歌人小島清の名が登場していたことが分かった。さらに、サブカルチュア雑誌の編集長だったというMさんの足跡をたどった『GET Back,SUB!あるリトル・マガジンの魂』(北沢夏音著、写真・浅井慎平、跋・草森紳一 本の雑誌社)が昨年10月に出版されていたことを知り、さっそく読んでみた。そこには、これまで、私たちの知らなかったMさんの姿、その全貌と劇的な生涯を知って衝撃を受けるのだった。1970年代から80年代にかけて、神戸や東京で、『ぶっく・れびゅう』『SUB』『季刊ドレッサージ』『季刊ギャロップ』などの編集長として、当時もその後も、伝説的に語られることが多かったという。本を読んでいると、広告の企画者や雑誌の編集者としての才能やジャンルの広さ、交友関係の世代の幅や華やかさに息をのむものがあった。執筆者としてジョン・レノン、小野洋子、瀧口修三、秋山邦晴、寺山修司、谷川俊太郎、三島由紀夫、横尾忠則、植草甚一・・・と続き、諏訪優、富士正晴の連載まである。小森和子や淀川長治、森茉莉、石津謙介、辻まこと・・・。著者は、関係者への取材を丹念に続け、この一冊をなした。今回の本に写真や跋文を寄せている浅井や草森らはじめ、かかわった多くの人々が迷惑をこうむりながらも彼の個性や才能を惜しみつつ、いわば破滅的ともとれる最期やその生き方を受け入れようとしているのがよくわかった。「サブカル」が「サブカル」であることすら難しい、すべてがメジャー化に向かってしまう現在からみると、少しだけ前の話なのに、時代の熱気を思い起こさせる一冊であった。

 

小島清先生は、1979年に亡くなっているので、Mさんのもっとも充実した仕事を見守っていたことになるのではないか。

 

小島清(19051979)~戦中戦後「節をまげざる」歌人(1)~(4 

2009315日、16日、48日、22日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/03/19051979-d9df.html 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/03/19051979-d76e.html 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/04/19051979-b513.html 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/04/1-1f4a.html

 

 

 

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「朝日歌壇」、小学生短歌の入選について

 『ポトナム』で「歌壇時評」の連載が始まりました。4回ほど続きます。5月号では、「朝日歌壇」で今、盛り上がっている小学生短歌について書きました。

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 新聞歌壇のあまり熱心な読者ではないが、近頃、「朝日歌壇」の妙な現象が気にかかっている。四人の選者が競うように、小・中学生の短歌を入選作として選び、お孫さんの成長に目を細めているような光景なのだ。二〇一〇年頃からか、ある小学生姉妹と母親の家族三人がそろって同じ日の「歌壇」に発表されることが多くなり、話題を呼んだ。二〇一一年には、父親も加わって家族四人の歌集まで出版されていた(松田わこ・梨子・徹・由紀子『たんかでさんぽ』角川出版)。これまでも、坂口弘、公田耕一、郷隼人ら、その境遇とあいまって一般読者の話題になったこともあった。 

 昨年の大震災以降、私は他の新聞歌壇とともに少し目を通すようになり、被災者の入選作からは、多くのことを学ばせてもらっている。「朝日歌壇」では、依然として、小・中学生たちの入選が相次ぎ、一過性のことでもないようである。大震災後の四月一〇日、「地震の中で赤ちゃん産んだお母さん温かいシチューとどけてあげたい(富山市・松田わこ、馬場あき子、高野公彦選)」「炊き出しを笑顔で手伝う中学生青いジャージに粉雪が降る(富山市・松田梨子、佐佐木幸綱選)」に加えて、「地震きて水が止まって水くみの手伝いママになった気分(笠間市・篠原空、高野選)」の一首も加わった。 

 以下はいずれも九月二六日の入選作だが、永田の短評には「梨子ちゃんは子どもの歌の域を脱している。早く大人になりたい妹と逡巡する青春と。十首目の結ちゃんは小学一年生」とあり、馬場は「好調の梨子ちゃん。〈さなぎ〉の形容がいい」と記す。 

①今すぐに大人になりたい妹とさなぎのままでいたい私と 

(富山市・松田梨子、永田・馬場選) 

②夏の日に車いすの輪の中で弾くモーツァルトを私は忘れない 

(富山市・松田わこ、永田選) 

③わたしはねきょうはたいへんえにっきでちがうこともしないといけない

  (つくば市・藪崎結・永田選) 

また、今年二月六日には、年齢は不明ながら、次のような幼い作者たちが加わっていた。常連の松田わこ作品も馬場・高野選となり、四〇首の入選作の内、八首が小学生らの作品に思われた。 

④冬休みあやとりのわざできたんだきょうがはじめて四だんばしご

(京都市・室文子、佐佐木選) 

⑤大みそか初めて打った除夜のかね寒さがいっしゅんおどろいてにげた

(笠間市・高野花緒、高野・永田選) 

⑥直己兄ちゃん成人になる赤飯は梅の形に私がぬいた 

(横浜市・高橋理沙子、永田選) 

 歌壇人口の高齢化が進むにしたがって、短歌総合誌の新人賞の受賞者たちの低年齢化が進み、主催者と選考委員、選者たちの一種の焦りのようにも感じられた。だからと言って、たとえば「新聞歌壇」における幼い者たちの片言のような作品を珠玉のように褒めそやすのはいかがなものだろうか。年少者のナイーブな感性を大切にし、育てたい気持ちは分かるが、現代短歌史において新聞歌壇や短歌新人賞の役割~短歌入門者習作・発表の場、新人の発掘、多くの読者の意見表明・感情表白交換の場でもあったことも忘れたくはない。「大人」の切磋琢磨の領分を侵すことにはならないか。歌人団体や新聞社・放送局の短歌大会、有名歌人名を冠した短歌賞などにはジュニア部門が設けられている。「学生百人一首」(東洋大学)、「短歌甲子園」(盛岡市)など対象を限る例も多い。私には「住み分け」が必要と思われるのだが、新聞社や選者たちの意見が聞きたい。

 

                                  (『ポトナム』2012年5月号)

ポトナム短歌会のホームページ<短歌時評/5月>でもご覧になれます。

http://www4.ocn.ne.jp/~potonamu/index.html 

 

 

 

 

 

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2012年4月24日 (火)

社協って、福祉って、自治会って~全国で、徐々に、着々とその意味が問われています

  当ブログでも、自治会における寄付金の会費上乗せ、一括払いなどについての疑問や判例などを紹介してきました。それらの記事は、この拙いブログへのアクセスのなかで、コンスタントに上位を占めています。大きな励ましをいただいたようでもあるし、いささかの責任も感じています。コメントや私信を頂いた方々との情報交換をほそぼそ進めているところです。一度コメントいただいたnavajoさんが、「地域活動<自治会 社協>」というブログを立ち上げましたので、ご紹介いたします。身近な自治会での実践をもとに、社協と自治会との関係についてわかりやすくまとめていらしゃいます。ご努力の結果、自治会では「社協の会員募集はおこなわない」「会費徴収はおこなわない」ということが今年度の自治会総会で決まったそうです。どうか、下記でご覧ください。

http://tiikikatudou.blogspot.jp/2012/04/23-400-4-23511-23-20-httpwww.html

 

 また、自治会などの役員になられて改革の努力をされている方、自治会で一括一律で寄付をした場合、役員を背任罪で告発することができるかについて準備をされ、記者会見の開催を計画されている方、同様の告発は不受理になりましたものの、告発には録音などの証拠が必要なこと、自治会で一人でも反対の意思表示をすれば、多数決による決議があっても 一律一括の寄付金集めを強制することはできないこと、などの助言をもらった方、何人かの方からの報告を受けております。さらに詳しいことがわかりましたら、ご紹介できればと思います。

 

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もう、佐倉市はどうなっているの?その除染実施計画

 1.側溝の放射能を放置するつもりらしい

毎年、梅雨の前に、市と自治会が協力して実施する側溝清掃が、今年は中止だそうだ。「清掃で発生したU字溝の土砂については処分先が確保できないため、本年度の回収は行いません」とある(『こうほう佐倉』41日号)。市の測定でも、側溝周辺の空間放射線量がかなり高い。道路わきの側溝や枡には、雨水で流された放射能が土砂とともに滞留するからという理由がはっきりしているので、その土砂を取り除くことによって、周辺の放射線量を有効に低減させることができる。現に、学校などの施設や公園などではそうした土砂を現地で保管管理することによって、除染をしてきている。道路側溝で生じた土砂は、市が集めて処分するか保管するしかないだろう。すでに、原発事故から一年以上経っているのに処分先が確保できないなんて。私たちの市民グループや個人でも、昨年の6月頃から側溝を含めた除染実施の要望を何度かしている。9月になってようやく佐倉市独自の基準値と除染実施計画が発表された。しかし、測定し、その結果を発表するも除染実施までにはなかなか至らなかった。ようやく、年末から今年にかけて、除染工事が実施されているが、近くの小学校や公園などでは、原発事故から1年後の3月中旬に工事中というところも多かった。通学路や側溝の測定も始まり、その結果が発表されるようになったが、少なくとも現在のところ一番有効な方法でありながら、佐倉市は自ら側溝清掃を見送った。保管場所が確保できないからという理由で、側溝の土砂を放置しているのだ。幼い者たちは、その命への危機を抱えながら暮らさなくてはならない。より安全、安心な環境の確保もできずして、部署の編成替え、婚活事業だ、企業誘致だ、などとうつつを抜かしているのが、いまの佐倉市の現況と言っていい。

環境保全課に、処分先、保管場所の確保のためにこの1年間どういう努力をしていたのかを問えば、「繰り返しになりますが、ただ今調整中です」としか答えない。この答えは昨年7月からの回答の繰り返しである。候補地はないのか、検討した過程を教えてほしいといえば「それ以前の問題で、市有地の近くの方から、ここを保管場所にしないで欲しいとの声も届いていますので」だって。それは、そうでしょう。そういう市民も、企業もいるでしょう。そこを、安全性を確保した上で、説得するのが市の仕事ではないのですか。放射能は見えないからと言って、市民には随分と過酷な仕打ちをするのですね。

 

2.読めない地図、意味のない色分け、何とかならないの

 市のホームページでは、これまで、道路側溝の放射線量測定結果は、2度ほど発表している。

11報(2012319日発表)は、昨年の1027日~1124日までの測定結果であり、第14報(201245日発表)は、2012123日~22日までの測定結果である。発表がこんなにも遅いのも大いに問題なのであるが、いまはさておき。測定した地点の番号を各ブロックごとに地図上に落とし、3枚のマップが発表されている。我が家のあるブロックをクリックすると、小さな地図に小さな赤い丸、これは高いのかも・・・と眺めてみるが、番号の数字が読めない。いくら拡大しても、数字がかすれて見えない。測定結果一覧表の一連番号と地図で示された測定地点の番号とが連動しているというのだが。それに、測定地点は赤い点、緑と黒色の点で示されているらしいが、色分けは何を意味するのか。凡例を探してみるがどこにも見当たらない。仕方なく、市役所の環境保全課に電話をしてみて驚いた。「番号の読めない地図があるんです。読めるところと、読めないところと・・・」とのこと、読めない番号など打たないでください。さらに、赤・緑・黒色の点の意味や違いは、どこに説明があって、どういう意味かを聞けば、「その説明はありません。色の違いに全く意味がありません」という答えであった。そんな紛らわしいことはしないでください。

 この顛末にも呆れたが、ことほど左様に、ホームページは、アクセスする市民の目線に欠けていることこの上ない。アップした後、点検しないのだろうか。それにこんなことも言っていた。「パソコン環境の悪い市民の場合は、見られないこともあるんです」

 市政情報の公開性を問えば、ホームページで公開している、「こうほう佐倉」で公表しているという答えが返ってくるが、パソコンを日常的に見ている市民の数は?莫大な予算をとって新聞に折り込んでいるいるという「こうほう佐倉」、新聞を購読している世帯は激減している状況をどうとらえているのか。

http://www.city.sakura.lg.jp/0000004099.html(第11報2012年3月19日付)

http://www.city.sakura.lg.jp/0000006016.html(第14報2012年4月5日付)

4月25日補筆:

ホットスポットと言われている野田市では、昨年、市役所配布の袋で汚泥回収を実施していたが、最終処分業者の受入れが出来なくなって、11月以降、回収を中断していた。今朝4月25日の新聞報道によれば、側溝汚泥を脱水処理後、市役所敷地内に設置した鋼鉄製タンクに入れ、仮置き場とすることで、側溝汚泥の回収を再開したという(毎日新聞千葉版、東京新聞千葉中央版)。二歩も三歩も遅れている佐倉市、どうするのか。

 

 

 

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2012年4月18日 (水)

佐倉のサクラ散る

4月に入って咲き始めたサクラ、ご近所のサクラもいろいろで、ウオーキングの折にデジカメだったり、ケータイだったり・・・。

①宮ノ台5丁目、庚申塚前の井野のサクラ(4月6日)↓

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②井野中、西門横のさくらの花吹雪(4月12日)

ピンクの絨毯・・・(4月16日)↓

4月1日より、ちょうどこのあたりに、村上のフルルガーデン行きの無料バスが停まるようになったばかり、買い物事情好転か。

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③西ユーカリが丘、安坂山公園のサクラはまだ見ごろだった(4月16日)↓

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↑公園から左の井野小学校と右の井野長割公園を望む

先月21日開通したばかりの都市計画道路を、その起点でもある宮ノ台からユーカリが丘方面に歩いていくと、左に井野小、右に北志津保育園、さらに先の右側に入ったところに大きなサクラの木が見える。安坂山(あさかやま)公園だ。

確か、安坂山という字(アザ)名だったと思う、2006年の夏、井野東土地区画整理事業の第1工区宅地造成のさなか、雷が鳴り出し、配管工事を中止しようとした矢先、落雷に遭い、若い監督が亡くなられたという事故があった。このサクラが墓標のような気もする。私たちの町内に隣接する、第2工区(西ユーカリ1丁目)や第4工区(宮ノ台6丁目)でもいろいろなことが起こっていた。雨が降って盛り土の土砂が幾度か流れたり、公園予定地にだけ残された木立が突然伐採されたと思ったら、プールのような穴が掘られ、産廃が埋められそうになったり・・・。

この都市計画道路は、まだ16号につながるわけでもないので、車の往来もまばらな、新しい道路を複雑な思いで歩いている。

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2012年4月11日 (水)

自衛隊機、500メートルの低空飛行~50年も続いている

 佐倉のサクラもほぼ満開で、今日あたりの風雨で散り始めているのではないか。季節が移って気になり始めるのが、航空機の騒音である。このブログ記事でも何度かお伝えしているが、約4000フィートの南風仕様の低空飛行が増加する。国交省の羽田事務所に聞いてみても、基本的には、昨年とは変わらないが、千葉市中央区の通過が、若干、東側に寄ったので、佐倉市上空も北からの着陸便がやや東寄りのコースに飛んでいるという。便数も変わらないというから、35分に一機という時間帯もある。これから窓を開ける季節を迎えるので、騒音の悩みは尽きない。国交省でもコースの分散化と高度化は課題として取り組んでいる、と強調はしていたが。
ウオーキングの途中、近くのAさんに出会った。Aさんは、一昨年の羽田空港の国際化以来、早くより、航空機騒音について、佐倉市、県や国にもいろいろ聞き合わせて、市や市議にも働きかけてきた方だ。「また、悩ましい季節ですね」と、異口同音に。 

なお、この12年、友人とのウオーキングは、夏を除いて、午後2時から3時ごろに定着しつつある。そこで気が付いたのは、午後3時前後の超低空飛行の航空機であった。住宅街の真上を、超高層ビルを掠るようにも見える航空機は、何なのか。問い合わせて、下総基地の自衛隊の訓練機とわかった。高度は15002000フィートというから500700mということになる。民間機の低空の折のちょうど半分の低さ。騒音もさることながら、2機、3機続いたりするとやはり怖い。2・3日前には、民間機と自衛隊機が高度こそ異なるが、交差する場面を目撃した。頼むから落ちないでくれ、部品を落とさないでくれ、と願うばかりだ。 

下総基地の環境専門官につないでもらって尋ねてみた。下総基地には10機あるそうだが、訓練機として使用するのは25機で、土日を除く原則、毎日、天候にもよるが、8時~5時の間、9時過ぎに基地を離陸して、房総沖に向かい、着陸のため3時前後に佐倉市上空を通過するという。そういえば、10時前にも、よく低空飛行に出会っていた。ときには、午前中と午後に分けて訓練することもあるので、離着陸の回数は2倍になるという。実績として、月や年でどのくらい飛んでいるのかと言えば、国防秘密だからお答えできない、防衛省に情報公開で聞いてみてはとのこと。志津地区は、住宅密集地だし、超高層ビルもあるのだから、コースを変えるつもりはないか、と問えば、この50年間、コースは変えていないともいう。意見として伺っておくと。関係自治体には、週単位で、飛行予定を知らせていて、変更があれば当日報告するとのことだ。陸上自衛隊の市内での訓練予定は、佐倉市のホームページに載っていたが、航空機については載っていない。 

国交省、羽田事務所:03-5757-3000 

下総航空基地、環境専門官:0471-91-2321(内線2217)

 

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2012年4月 2日 (月)

「すてきなあなたへ」65号をマイリストに登載しました。

4か月ぶりの「すてきなあなたへ」65号です。
きょうの午後、サポートセンターで印刷してきたところです。
左側の「すてきなあなたへ」65号をクリックしてください。
(目次)
都市に残る<関さんの森>を訪ねてみませんか
佐倉市の液状化は大丈夫?「被害状況図」をこの目で確かめよう
菅沼正子の映画招待席―マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙

なお、3頁目の液状化の地図は、編集中の3月には、当該のURLで、閲覧できたのですが、ただ今、佐倉市のホームページはリニューアル中で、見られないような表示が出ます。
しばらくお待ちくださるようようお願いします。まさか削除されるようなことはないと思いますが、リニューアルの工事はいつまで続くのでしょうか。まだ完了していないので、どのくらい便利に見やすくなるのか、市民も見守らなくてはいけません。原図は、交通防災課と志津図書館で閲覧可能ですので、お確かめください。

ホームページのリニューアルに注文です。

佐倉市ホームページの、本日現在、閲覧可能な個所の一部を見た限り、画面は確かにすっきりしたところも見られますが、今、自分が知りたいところまでたどり着くのはかなり難しかったです。相変わらずの立縦割りや「市政情報」などという荒っぽいくくりにはかえって混乱します。市民の日常生活は、役所の縦割りのようには進みません。日常的な空間から、日常的に発生する事柄や言葉から検索できる仕組みができないものでしょうか。きれいな写真ばかりが多くて、不動産屋や旅行会社のカタログのような雰囲気の情報よりは、もっと実質的な、機能的な情報が欲しいです。佐倉市をよく知らないままの業者に丸投げしているのではないかとさえ思える個所があります。

その後、以下の「東日本大震災液状化等の地盤被害を伴う住宅等の被害状況について」において地図を見ることができます。2012年4月3日にリニューアルされていました。

http://www.city.sakura.lg.jp/0000004904.html

 

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