高良真実『はじめての近現代短歌史』読後~“若い人”の「短歌史」へ
遅ればせながら、高良真実『はじめての近現代短歌史』(草思社 2024年12月)を読んでみた。これまでときどき見かけた書評や感想では大方、好評であったように思う。明治以降の作品を中心とした、その解釈や時代背景もわかるハンディな「近現代短歌史」として評価され、巻末の「参考文献一覧」の量にも圧倒されたようであった。
私が驚いたのだが、著者が1997年生まれというから二十代後半ながら、近現代の短歌通史を書こうと思い立ったことだった。著者が「本書は、これまで多大な気力と体力とお金を学んでいくものであった短歌史を、できるだけわかりやすく、簡潔に伝えることを目的としています」(「はじめに」)と述べ、かなり気合が入っていることは確かである。
これまでの短歌史が、男性歌人による、男性歌人が中心の、評論や論争に偏りがちな通史であったことなどを考え合わせれば、たしかに、若い女性歌人を書き手とする女性歌人・作品が多く語られる短歌史であったのは間違いない。また、「短歌史は秀歌の歴史である」に見るような割り切りのよさは、随所に迷いのない文章となって、明快さを際立たせている。著者は、作品を抄出するのに、全集や選集、あるいはアンソロジーなどからではなく、歌集を典拠にしていることも伺える。そして、今世紀に入ってから活躍し始めた若い歌人たちを対象にしている点も、これまでにはない特徴である
ここからが、私の“注文の多い”読後感になる。
時代区分において元号と西暦が混在するのはなぜか
「第一部 作品でさかのぼる短歌史」では、一九〇〇年代から二〇二一年以降の120年余の間を十年刻みで、各年代に数首をあげて鑑賞している。十年刻みにどんな意味があるのかは不明だが、多分便宜的なものかもしれない。二〇二〇年代からさかのぼるという試みも一興である。まず直面する今世紀の若い世代の歌人の作品には、「ほう」といった驚きもあり、興味深い作品もあった。
ところが、「第二部トピックで読み解く短歌史」になると、「明治時代の短歌/大正時代の短歌/昭和の短歌1(~昭和二〇年)/昭和の短歌2(昭和二〇~三〇年代)/昭和の短歌3(昭和四〇年代以降)/九〇年~ゼロ年代の短歌/テン年代以降の短歌」の七章に分けられる。「テン年代」?最初はなんのことかわからなかったのだが、二〇一〇年代を表すらしい。
近代以降の短歌史の時代区分について、ここでは詳しく述べないが、小泉苳三の『近代短歌史・明治篇』の区分の流れを汲んだ木俣修、篠弘の幾冊かの短歌通史では、元号を用いて、明治、大正、昭和の区分がなされている(拙著「近代短歌史の時代区分」『短歌と天皇制』風媒社1988年10月)。中井英夫『黒衣の短歌史』でも1945年8月敗戦以降の短い期間ながら、昭和の年代を用いている。しかし、1997年生まれの著者が、「平成」「令和」の時代区分を用いることがなかったのは当然のことながら、なぜ「昭和」にこだわっているのかが不思議にも思われた。今の若い人たちに、昭和何年といっても、今から何年前のことかが、すぐには「計算」できないのではないか。
かつて、私が篠弘の『対論形式による現代短歌史の争点』(短歌研究社 1998年12月)の企画に参加した折、篠弘の『現代短歌史Ⅰ~Ⅲ』の中で、西暦と元号表記が混在することは、今後の若い世代には、わかりにくく、読者に混乱を招くのではないかと指摘したことがあった。上記『争点』の「はしがき」において「当初の対論者の一人である内野光子氏のサゼッションより昭和の年号をやめ、原則として西暦を使用した。年号のイメージが有効であったのは昭和四〇年ごろまでであって、たしかに本書のこれからの読者には西暦がふさわしい」と書かれてから、四半世紀も経っている。
いまだに、公文書は原則元号表記だし、若い人からの年賀状で「令和」表記であったりして戸惑うこともあるのも事実ではある。 本書の著者には、短歌史を西暦で整理してもらいたかった。
・女性歌人・作品の扱われ方について
冒頭にも書いたように、たしかに、本書は、女性歌人・作品が多く語られる短歌史であったが、「第二章大正時代の短歌」における「女性歌人はどこへ行ったのか」、「第四章昭和の短歌2(昭和二〇~三〇年代)における「女人短歌・女歌論」「戦後の女性短歌」、「第五章昭和の短歌3(昭和四〇年代以降)」において「七〇年代の『女歌』論リバイバル」「八〇年代女性シンポジウムの時代」という枠内で語られている。こうした扱い方は、篠『現代短歌史』三部作における女性歌人や作品の扱い方を踏襲しているのではないかと思われるのだ。同書も、各章の一節として「女歌」をまとめ、さまざまな章の一部に中城ふみ子をはじめ女性著名歌人の作品が紹介されるという構成であった。
・「見えなくされていた」のは女性歌人や作品ばかりではなかったのではないか
女性歌人や作品に多くのページを割いているというが、明治・大正・昭和前期、本書での「第二部トピックで読み解く短歌史」の「第二章大正時代の短歌」の中で、やや自虐的に「女性歌人はどこへ行ったのか」と題した第五節で、与謝野晶子、今井邦子、若山喜志子、片山廣子が初めて登場するが、女性には性別のイメージが張り付いていて、その存在を「見えなくされていた」という。この間のプロレタリア短歌時代の五島、山田あき、館山一子、あるいは無産運動の中で、短歌や評論も残している阿部静枝がおり、戦後は、各人異なる道を歩んだことなどにも言及が欲しかった。『新風十人』に参加していた五島美代子と斎藤史に触れるのみであった。
「見えなくされていた」のは、女性歌人ばかりでなく、治安維持法などによる言論弾圧、戦争協力を強制された日本文学報国会、植民地における皇民化教育の一環としての日本語教育やそこの登場する短歌なども、あえて見えにくくする体制側の工夫があった。戦後に書かれた短歌史こそ、そこに陽をあてるべきだったのに、見えにくかった部分は、どんどん薄められ、歌人たちの回顧でもまるで「なかったこと」のように語り継がれて、フェイドアウトしてゆくことを、著者は知らないわけではないだろう。敗戦後の米軍による占領期における、それこそ「見えなくされた」言論統制においても同様のことが言えるが、占領期の歌人の対応は素通りされている。
・なぜ「男性中心の歴史をなぞる結果」になったのか
著者が「おわりに」で、述べるように「エリート歌人の作品を引き、かつ男性中心の歴史をなぞる結果」になったのだろうか。 近現代の短歌を支えてきた、いわば、短歌の裾野の人々への目配りが見えにくかった。たとえば、短歌総合誌に登場する「エリート歌人」ではない多くの読者、新聞歌壇の選者と読者、減少したとは言え多くの結社を支えてきた編集者や同人、現代歌人協会・日本歌人クラブによる活動と「国民文化祭」、歌壇における「歌会始」の果たす役割などにも目を向けるべきではなかったか。そういう意味では、1970年代半ば、「昭和五十年」というくくりではあったものの、講談社による『昭和萬葉集』の刊行は、短歌の裾野の人々の「秀歌」を掬い上げ、短歌自体の持つ「記録性」の重要性を再認識させたはずである。「トピック」からも外されているようで、残念なことの一つであった。
いまは、もうこの辺で。
短歌史に取り組んだ著者の意欲には、敬意しかない。資料の探索も丁寧ではある。「短歌史」という「読み物」としては、面倒なこともなく読みやすかった。「第六章九〇年代~ゼロ世代の短歌」「第七章テン年代以降の短歌」では、初めて知ることも多く、これまでモヤモヤしていたことが整理されたこともあった。欲張らずに、今世紀以降にかぎっての、著者にとっては同時代の「短歌史」をぜひまとめて欲しいと思った。さらに、「短歌史」となれば、「参考文献一覧」ではなく、文中に「注」として典拠を示すのが大事なのではないか。
イロハモミジの翼のような若葉は、やがて種子を運ぶという。花も咲くというが、まだ見えていない。ベランダから。
隣接の「さくら庭園」には、様々な樹木に接することができる。手入れされた芝生も心地よいが、松の木の根方に揺れるブタクサもヒメジヨもかわいらしい。
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