2026年10月 3日 (土)

「高塚一成作品展」に行ってきました。

 知り合いの佐倉市にお住いの高塚一成さんの作品展に行ってきました。京成臼井駅から佐倉方面の線路に沿って約10分、高校時代、高塚さんに絵を習って美大に進んだ方のギャラリーで開催中。私は、野の花などを描いた作品が気に入っています。何点かの具象もあり、稚拙な鑑賞ながら、やさしいひとときを過ごすことができました。

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  こんな絵が描けたら、いいな、と思いつつ、思わず手にした絵葉書(「柿」)です。作品展の案内は、以下をご覧ください。
Gallery and 工房M
https://gallery-and-kobo-m.jimdosite.com/

 10年ほど前に、高塚さん出身の行方の吉崎美術館で個展が開かれたとき、私が一番に気に入ったという絵(「夕暮れ」)をあしらってカレンダーにしてくださったことがあります。当時は、福島の原発事故による放射線量の高い地域とされた印旛沼畔を想起したのでした。

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 臼井駅からの道には、稲荷台と臼井田の境なのでしょうか、歩行者専用のこんな道もありました。千葉豪雨、台風25号の豪雨でこの辺りの用水路は無事だったのだろうかと。

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2026年10月 1日 (木)

第五歌集『野をわたる』ができました。

 拙歌集『野をわたる』ができました。この年になって、やはり少々焦りもあり、まとめてみました。読み返してみると、成長していないな、と思いながら、開き直った感じです。カバーの写真は、一目でわかるでしょうか。茶箱に大事にしまっておいた、母手縫いの「防空頭巾」です。現物は少し明るい色の端切れを縫い合わせたもので、虫食いもありました。転居の際、写真に収めたものの、深く考えず処分してしまったのです。この防空頭巾が、私の出発点のような気がして、カバーとなりました次第です。2026年前半まで、こんな具合に収めました。目次の一部です。前歌集同様にペイパーバックですが、各年の扉には、その年の私の出来事と世の中の重大ニュース?も記しました。

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2026年9月28日 (月)

なつかしい山川惣治さん、高橋真琴さん、「昭和のメディアとひとびと」展へ

  佐倉市立美術館で開催中の「昭和のメディアとひとびと」、27日が最終日と知って、あわてて出かけた。展示内容が定かでなかったが、なつかしい山川惣治さんと高橋真琴さんに出会えればの思いだった。かなり昔、2009年に「山川惣治展」は見ているので、今回の展示はやはり寂しかったし、高橋真琴さんについてもそんな思いだった。
 晩年の山川さんが同じ町内に住んでいらしたこともあり、また、小学生時代に見た街頭紙芝居の思い出もある。参考として示した2009年の当ブログ記事にもあるように、つぎの葉書は、町内の空き店舗で開かれたミニ絵画展の案内である。立ち寄った会場では、おふたりにお話しするきっかけもなく、ただ絵を見入るばかりだった。山川さんはこの絵画展の数か月後に亡くなられている。戦時下には戦意高揚のための「勇犬軍人号』(1938年)『護れ軍艦旗』(1939年)などの紙芝居、『愛国絵話集』(1941年)『陸軍落下傘の神兵』(1941年)などの本が展示され、敗戦後も1946年には『白い牙』『十六に秘密』を出版、『少年ケニヤ』や『少年王者」などの冒険もの制作を始めている。戦時下の作品に対して、戦後どのように考えていたのか聞くすべもないが、絵物語本のブームが去ったのち、興した会社の破産、レストラン経営では詐欺にあって破産するなどの辛酸をなめている。住まいは転々とし、最期を佐倉市で迎えたことになる。

 

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「山川惣治展」行ってきました(2009年3月23日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/03/post-9a68.html
 

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紙芝居『愛馬進軍歌』(1939年)

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ケースの中の『少年王者』第一集、復刻版(1977年)である。

 高橋さんの展示作品は、一切撮影は禁止となっていたので、いただいたことのある絵画展の案内状の一部を収めておきたい。2024年に亡くなられたときの当ブログ記事もあわせてお読みいただければと。

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いずれも、いまはなき「船橋西武百貨店」のギャラリーでの絵画展の案内葉書で、左が1993年、右上が1995年、右下が1996年のものである。

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いずれも「西武新宿PePe」のギャラリー「せ・らーる」で開催された折の案内状で、サインのある方が1994年2月、右が1995年3月に開催されているが、船橋の西武には、一・二度出かけた記憶があるが、新宿は失礼していると思う。

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京成電車で一駅の志津のお住まいの隣に開設された画廊の案内で、わたしがはじめて出かけた折に、いただいたと思う。

あの瞳が輝いている~高橋真琴さんが亡くなられた(2024年12月19日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2024/12/post-57b136.html

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6月19日撮影、住まいの敷地に隣接する「さくら庭園」のキンモクセイ、続く雨にもう花は落ちてしまったかもしれない。

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2026年9月26日 (土)

「怖い短歌」? 8首を発表。

 住まいに近い高崎川の氾濫、続いて北印旛沼の堤防決壊の映像は、ほんとに「怖い」の一語に尽きる。救急車、消防車のサイレン、ヘリコプターの音に、その「怖さ」が増幅される数日間であった。しかし、家屋や車、田畑への浸水、倉庫の新米、農機具、ビニールハウス、養魚場の浸水などの被害に遭われた方たちには、復旧、再建のための苦難の道が待ち受けている。政府は「激甚災害」に認定したというが、毎度のことながら、実際被害者に届く経済的支援は細り、その時期を思うと怒りさえ覚える。

 『短歌往来』10月号の特集は「現代のこわいうた」だった。拙作の「こわいうた」8首とエッセイ、短歌のみご笑覧ください。

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『短歌往来』10月号、目次の一部

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そこにある国旗            

重大なニュースはむしろ短めで試合運びは丹念過ぎる

アマゾンの送迎バスはひとらを降ろしこれから働くひとらを乗せる

主催者の最後の発言「ハチドリの一滴」のたとえは慰藉にも似たり

壇上にニーメラーの詩を読む人に私はなぜか苛立ちており

郵便局の「人生ノート」のしばらくは机上にあるも資源ごみとなす

「彼女とは恋愛関係にあったのでパワハラではない」との電話を受ける

回収は半数に満たない世論調査内閣支持率の差は何の意か

会見に先立ち右手に礼をするそこに国旗があるかららしい

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遅すぎないか、「天皇制自体を問う論議」―朝日新聞のインタビュー記事に想う

  きのう9月25日の朝日新聞のオピニオン欄「交論」は、憲法専攻の西村裕一氏と社会学専攻の上野千鶴子氏による「天皇制と憲法一条」論だった。こうした論議が、なぜ、今になってなされるのか。7月17日の皇室典範の改定成立への長い過程にあって、多くのマス・メデイアは、今回のような天皇制自体の論議はスルーして、女性・女系天皇論を盛り上げ、改定手続きなどを問題視してきた。

 それでも、朝日新聞は、皇室典範改定が確実視される段階になった7月10日の社説で、「象徴天皇制と、法の下の平等や個人の尊重など〈人類普遍の原理〉という異質なものが憲法に同居しており、完全に整合させることは難しい」と論じ、改定案成立後の7月19日に、有田哲文記者による「日曜に想う 天皇制〈なぜ〉続けるのかを問う」を掲載した。そして、きのうの両氏によるインタビュー記事だったのである。それにしても、遅すぎたのではないか。皇室典範改定が国会やメディア、ネット上で問題になっているさなかに、こうした問題提起がなされなかったのか。政権への忖度、皇室への配慮があったとしか思えない。後述の『世界』の岩波書店にも同様のことが言えそうである。

  西村氏の論旨は、憲法一条は、天皇の地位は国民の総意に基づく、となっているが、その「総意」を単なる法律に過ぎない皇室典範の改正に持ち出す必要がないということ、天皇制に憲法の平等原理が及ばないのは「飛び地」だからという論は、皇室典範という法律を憲法原理が及ばない領域にしてしまうのは問題であるというに二点にあると理解した。「国民の『総意』に問われているのは、女性差別をはじめとする様々な差別を内包させた天皇制というシステムを、これ以上存続させるかどうかのはず」だと語る。

上野氏は、『世界』の8月号の寄稿の「憲法一条改憲」の真意を問われ「象徴天皇制に幕を引こうという提案です。なので第一条を中心にした憲法改正が必要になります」とし、天皇制は国民の出自によって身分格差を設ける仕組みで、憲法の定める平等原則に反し、加えて、皇族や天皇の人権を無視した非人間的な制度でもある、と語る。

 両者の発言は、まさに、現憲法上の天皇制自体の存否を問うものであり、貴重な発言であった。

  西村氏による現在なされている天皇制存続論議は現憲法にてらしても基本的な不備があり、整合性に欠くとの指摘は重要だと思う。上野氏は、これまで天皇制について「発言を断ってきたのは天皇制への関心が薄れ、いつか制度としてフェードアウトしていけばいい」と思ってきたからという消極的対応も、どこかメディアの姿勢と通ずるものがあったのではないかと思えてしまう。彼女は、池田香代子のインタビューでも、天皇制について語っているが、『世界』よりかなりリラックスした発言もあるので、一見のほどを。ここでは、天皇制は政権にとってはコスパのいいシステムだとも語っている。少なくとも、1945年敗戦後以降の天皇制は、GHQ、政権による政治的利用のためだけに存在しているとしか考えられない私も同意見だが、「安上り」かどうかは、いま一つ検討を要しよう。

 <参考>
①上野千鶴子「わたしが女性を歓迎しないこれだけの理由」『世界』2026年8月号 (WEB世界 https://websekai.iwanami.co.jp/posts/9748) (2026年7月10日)

②シン池田香代子世界を変える100人の働き人41人目・上野千鶴子「続けますか?<人権の飛地>頼みの権威主義」
https://www.youtube.com/watch?v=vednP4QxceE2 (2026年7月2日収録)

③当ブログ記事「『愛子天皇待望論』って、何だったのか~地元の九条の会のニュースに書きました(2026年9月 6日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2026/09/post-8a8fa3.html

 

 

 

 

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2026年9月22日 (火)

佐倉市、またも豪雨に見舞われる!

 今回の台風25号の豪雨は、日付が変わった9月22日、午前零時過ぎなっても、降り続いている。近くに、遠くに、救急車や消防車が行き来しているサイレンの音が何度でも聞こえてきた。国土交通省の川の災害情報マップを見ていると、住まいに近い表町、鏑木町2丁目が高崎川氾濫の被害に見舞われ、たいへんなことになっていた。JR佐倉駅へ出る折や買い物でスーパーや寺崎の商業施設に出かける折のバス道路が冠水して通行止めになっていた。表町は、8月の豪雨の折にも、家屋の浸水被害を受けている。先ほどのニュースによれば、市内の六崎では土砂崩れの被害も発生したという。

 当地、鏑木町1丁目に転居して2年目だが、こんなことがあって初めて、佐倉市内の大きな地図を広げて、あらためて、いまの住まいや、旧居の辺りの位置を確認したりしている。田畑の被害も心配だが、人命にかかわる被害が出ないことを切に願うばかりである。8月の豪雨で、佐倉市は4人もの方が犠牲になっている。 

緊急安全確保レベル5:命を守る行動を:対象地域
表町全域9/21 21:43 発令1,492世帯2,416人
鏑木町二丁目9/21 21:43 発令226世帯372人

  我が家でも、慌てて、かつてから用意していた防災グッズを確認してみたが、衣類や雑多な生活用品はある程度揃ってはいたものの、災害時のための備蓄食品が、まるでない。とりあえずあるのは、ペットボトルの水だけだった。日々の暮らしのための食料や食品に気がとられてしまって、おろそかになっているの気づいたのだった。近頃は地震も多いし、油断は禁物、少しづつ、備えていかねばと思う。

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9月22日の朝は、ヘリコプターの音で目が覚めた。窓を開ければ、きのうと違って青空に白い雲をさっと掃いたように晴れ上がっていた。いつまでたってもヘリの音は続く。上記写真は、羽鳥モーニングショーから拝借した。想像もつかない光景だった。

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2026年9月 9日 (水)

関東大震災朝鮮人犠牲者の慰霊にむかう

『うた新聞』(2026年9月)のコラム「忘れないために」に寄稿しました。
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チョゴリにて生徒ら歌うその声は馬込の野をも鎮めゆくなり      

 私の住む佐倉市に接する八千代市の高津山観音寺で毎年行われている関東大震災慰霊式に二回ほど参列したことがある。寺には犠牲者を悼み、韓国から贈られた鐘と鐘楼がある。一九九八年には、大震災発生時に警察の命令により村人たちがやむなく殺めた朝鮮人六人の遺骨が発掘された。殺戮の場へ連れ立つ朝鮮人と村人の姿を見送ったという教師から話を聞いた方が、いまも慰霊やフィールドワークの重責を担っている。犠牲となった六人と村人たちの悲痛は想像を絶する。政府は事実の認定を避け、犠牲者への謝罪もない。

 また、十年近く前になるが、船橋市馬込霊園での関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に参列した。慰霊碑の横には約百人の方の遺骨が納められている。式の帰りのバスで、朝鮮人学校の引率の先生と隣り合わせになったご縁で、学校行事の案内等を頂くようになった。

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 以下は、2023年、『現代短歌新聞』(2023年10月)<関東大震災100年>特集の折、寄稿したものです。

観音寺の鐘楼 

縛られて〈払い下げ〉られし六人を殺せと命じられし村びと

息つめて向うは高津山観音寺晩夏の雨に鐘楼濡れおり

朝鮮の技にて成りし鐘楼に犠牲者慰霊の礼のひたすら

命じられ殺めし人らを供養せる碑には銘なく落葉とどまる

二九六の往来激しき道の辺に潜まり建つは〈無縁仏の墓〉

 

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2026年9月 6日 (日)

「愛子天皇待望論」って、何だったのか~地元の九条の会のニュースに書きました

 9月4日、地元の九条の会のニュースの印刷に行ってきました。佐倉市の中央公民館の印刷機は新しいし、折り機もあるので、よく利用してきました。転居により、前より近くなったので、手伝う機会も多くなるかもしれません。2006年、会の出発当初は、会員も多く、様々なイベントに取り組んできました。ニュースも3000部ほど刷り、戸別配布、駅頭配布、市内の高校前配布もしてきましたが、今は配り手も少なくなって半減しています。大事なときに残念ですが、それぞれの得意を活かして頑張りたいです。

 以下が、55号です。皇室典範改定については、メンバーの中でも意見が異なっています。さらに議論を進めることができればといいな、と思っています。私の文章は、相変わらずのことなのですが、どうぞ、他の記事もお読みいただければ幸いです。

さくら・志津憲法9条をまもりたい会ニュース55号

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男女を問わず、皇族たちの人権は?「愛子天皇待望論」って、何だったのか

 「皇室典範改正案」は6月30日に閣議決定された。大方のマス・メデイアは、旧宮家の男系男子を養子とする案への疑念を呈し始めた。たしかに、養子案は荒唐無稽な時代錯誤も著しく、非科学的な「万世一系」に根拠もなく、多くの国民は受け入れ難かったに違いない。同時に、新聞などは、自社の世論調査結果を踏まえて女系・女性天皇への期待を、強調するようになった。

 7月10日、衆院での質疑もそこそこに、即日、賛成多数で可決した。翌日の三大全国紙の社説は、一斉に、国会運営の強引さと野党国民民主と中道が従来の主張に反して改正案に賛成したことを糾弾した。与党の恣意的な国会運営、質疑における詭弁、答弁不能、テープレコーダーのような繰り返しにも近い政府答弁に、私は呆れもした。7月15日参院特別委員会で審議入りし、17日には本会議で賛成多数で成立した。国民そっちのけの国会軽視も甚だしく、見直しは30年をめどとする無責任さである。

 これまで、朝日新聞は、その社説で、7月10日「皇室典範改正の暴走」を非難、養子の男性子孫は皇位継承資格を持つという規定は、女性・女系天皇への道を塞ぐものだとし、毎日も、7月1日「養子の子に皇位継承権を付与する」という改正案は「女系・女性天皇を封じる意図」だと疑念を示した。読売は、4月16日「皇位継承の安定 女性・女系を排除せず論じよ」と明言して以来、世論調査を踏まえて、7月1日にも「女性・女系を排さず議論し直せ」と訴えている。女系・女性天皇を容認しないのは、憲法の男女平等に反するという論調とともにネット上も含め、実現に程遠い「愛子天皇待望論」が噴出、盛り上がりを見せた。まるで、改正案に不満を持つ人たちのガス抜きのように。

 現憲法下では、皇族たちは男女を問わず姓を持たず、さまざまな基本的人権を奪われている。改正案の「女性皇族は結婚後も皇族として残る」ということは、基本的人権を奪われたままで、法的な根拠を持たずに増やし続けた「公的行為」「公務」の人材要員となるにすぎない。配偶者や子どもの処遇、住所や生活費はどうなるのかも不明に近い。

 なお、かりに、女性天皇が実現したとしても、従来、天皇が背負ってきた義務や重圧を女性皇族までに拡大することになり、配偶者と子孫の処遇ものの昧である。

 本来、皇族といえども、憲法上は、男女を問わず、皇籍を離れる自由、結婚の自由、子供を持つか否かの自由があるはずである。また、憲法では、天皇は政治的権能を有しないはずだが、果たしてきた役割を省みれば、政権との密接な関係は否定できない。外国訪問、戦死者・被災者慰霊、種々のイベントへの参加によって、政権の施策の欠落部分の補完機能を強いられ、利用され続けている現状に目を向けるべきだ。

 朝日新聞の7月10日の社説に「象徴天皇制と、法の下の平等や個人の尊重など〈人類普遍の原理〉という異質なものが憲法に同居しており、完全に整合させることは難しい」とやや踏み込んだ一文あったことに私は注目した。さらに、改正案成立後の7月19日に、有田哲文記者による「日曜に想う 天皇制〈なぜ〉続けるのかを問う」という問題提起がなされた。憲法の基本理念と天皇制は相容れないはずである。〈なぜ〉この時期に至って、記者名による基本的な問いかけがなされたかをも記憶にとどめておきたい。

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お隣の棟の庭先で出会う。先日の駐車場で見た猫とは違うが、逃げようともせず、かえって怪しまれたかも。        


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2026年9月 2日 (水)

勝手に集めかけた、天皇制に対峙した歌人たち

 こんなことをして何になるのだろうと思いながら、やっぱり気づいた限りで記録にとどめておきたいと思った。私の理解は浅いらしい、表面上のことしか読み取れない。深読みの鑑賞はできない、と開き直ることにした。

 これまでの調査と、いま、渉猟できる手元にあるアンソロジー、ほんのわずかな全歌集、個人歌集、古い雑誌、そしてネット検索の結果である。ほんとは、初出にあたりたいのだけれど、図書館に出かけたり、遠隔コピーを依頼したりする体力・気力が覚束ない。転居の折、手離さなければよかったと思う資料もあったのだが、後の祭り。一応、出典は、メモしているが、さらに確認中である。もし、他の歌人や作品をご存じでしたら、ぜひご教示いただけましたら幸いである。

 若干のコメントも付して、当ブログで発表できる日があればいいと思う。さらに勝手な区分をしながら・・・。

(敗戦直後の歌人たち)

坪野哲久 (1906-1988)

・敗戦の責めの所在を見きはめつつ君をうやまはずまた否定せず

・神にあらず人にも似ざる旅を行き新しき代の感覚のずれ

・切羽つまりしわれらが今日のまなこもて天皇をみる遮ることなかれ

香川進 (1910-1998)

・天皇がただすなほに詫び宜らすことすらなしに何革まるべき  

阿部静枝(1899~1974) 
・雲の上に主権をおきてひれ伏せる暗愚の歴史閉じて起つべし

安藤佐貴子 (1910-1999)

・奉安殿壊つ清しさや古きもの崩えゆく兆しまのあたり見つ

・新憲法かにかく成れど「象徴」の模糊たる二字にわが怡しまず

渡辺順三 1894~1972 

・天皇制廃止のことをこともなげにこの老いはいふゐろり端にて

(抵抗の歌人たち)

大塚金之助(1892~1997)

降伏の日(一九四五年八月)

・真珠湾 奇襲の戦果を その夜の 君は無批判に うけとりました!

人間宣言

・人間が 神になったり その神が 人間になる 国なのである。

・あのやさしい 天皇の名において 十三年、 僕が追放されたとは 信じられまい。

・君のしずかな 態度の底に 暴力を ひそませているのを 見のがしはしない。

・人間を 口にする君が 人間を 虐殺ナチズムを どうしてとったのですか?

木原実(1916~2010)

・襟もとふかく天皇をみた二十歳の未決監房赤い煉瓦みち

・地獄が天皇を待つと書いたザ・サンの記事読みつづける雨のなか

・象徴不信の声もなく早鐘を打つように戦後が終わる

・高速道路に車の影はなく 堵列する亡霊二百十八万八千二百五名の雨しぶく

草野比佐男(1927~2005)

・国会の答弁に似てぬらりくらり歌会始選者受託の弁も

・皇室に御子生れしと祝ぐこゑのとどろきて国はいまも帝国

・皇孫の誕生にまたしばらくはわが非国民はいぢけて過ぎむ

・勲章の人間差別をあやしまずあはれ勲六等感泣す

竹山広(1920~2020)

・現つ神にあらず人民にまたあらず機関車二輌みがきつらねて

・広き窓に並ぶおん顔なほ見えて天皇かなし皇后かなし  

(「前衛」とつらなる歌人たち)

塚本邦雄(1920~2005)

・おどろくばかり月日がたちて葉櫻の夜の壁に若きすめらみこと

・迦陵頻伽のごとくほそりてあゆみますあれはたまぼこのみちこ皇后

山中智恵子(1925~2006)

・雨師(うし)として祀(まつ)り捨てなむみ氷雨は過ぎて昭和終んぬ

・天皇制はいかにあるべき大喪の誄歌(るいか)ながれてやまざるときを

・青人(あおひと)草(くさ)あまた殺してしづまりし天皇制の終を視なむ    

水原紫苑(1959~)

・昭和天皇いまだ裁かれずその裔すゑを崇むる不條理、太陽のごと

・天皇制、自衛隊容認のリベラルを訝しむとき露草濡るる

・裁かれて無惨の生を全うせよ それのみに希ひし延命のこと

・國葬はくにを葬る秋ならばかへらざるべし血の蜻蛉(あきつしま)島(しま)

瀬口真司(1994~)

・二十三区の夜景の黒い本丸よ・何度もジャングルを生き延びて

・君の身体は君のものでも人生は人生は天皇に生きられて 

(釋迢空・岡野弘彦を継いだ歌人たち)

中西洋子(1941~)

・被災地にペリリュー島にひったりとつね寄り添ひてかの女人(ひと)も、老ゆ

・歌びとら、あゝあの歌びとも詠(うた)ふなり、天皇制にふれざるやうに  

一ノ関忠人(1956~)

・抑揚の乏しきこえ聲に帝國の滅びを告げしより半世紀 

・天皇をことほぐこゑに満ち充ちてこのくにあやふしとおもはざらめや

・大嘗祭の天皇の儀のむなしさをこころしておけいまの世の子ら

・天皇の退位ことほぐ声々にかきけされたる慨(うれた)みのこゑ

・毒のごとくに体中めぐりわだかまるわが天皇よいまだ滅びず

・なやましき課題の一つ天皇制解きがたければ幾度(たび)も問ふ

(最近の雑誌などから)

斎藤寛(1952~) 

・歌会始風に自作を音読ししばし怺へてそののち笑ふ     

・神を脱ぎ象徴といふ韜晦に身を躱(かは)しつつ生き延びたりき

・ビックカメラの店内はしづまりをりき'89年1月8日   

・象徴が思想を表明する是非は問はれぬままに代は替りぬ  

・一条より八条までを廃棄せよ 俺もしつかり改憲派だぜ 

 

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施設の東門を出ると、「さくら庭園」沿いに、”昼なお暗い”こんな道がある。一度だけ通り抜けたことがある。今回の千葉県の豪雨で、倒れた木や竹が頭上に迫る個所もあった。

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2026年8月30日 (日)

NHK夜ドラ『税金で買った本』ってどんなドラマになるのかな?

 図書館が舞台のドラマと聞いて、見ないわけにはいかないと、先週月~木曜日の4話分を録画だったり、リアルだったりで、見ることになった。
 原作は「週刊ヤングマガジン」(ずいの作、系山冏画)で、2021年12月からの連載で、人気が高かったという。この頃のテレビドラマには、原作が漫画というのが多いのではないか。
 シングルマザーと暮らすヤンキーな息子が、昔、読んでもらった本が懐かしくなって、町の図書館に出かけ、利用者カードを作ってもらい、手にするまでの間に、図書館には、本を貸すだけではない様々な仕事、レファレンス、未返却本の処理、破損本の修理、プライバシーの保護などが、女性の非常勤職員や男性職員らによって語られてゆく。そんな中で、アルバイト先からクビを言い渡され、途方に暮れていたところに、その図書館のアルバイトに採用されて、4話は終わる。

 原作者は図書館勤めの体験があるというだけあって、なるほどということもあった。でも、当方としては、公共図書館の利用者ではあったが、国立図書館、短大図書館、大学図書館勤めが合わせて30年余りの身としては、ツッコミたいところもあった。それでも、これから、どんな展開になるのか、楽しみでもある。

 今回のドラマのキャストは、ほとんど名も知らない人ばかり。原作漫画でも主人公の女性職員は丸い眼鏡をかけている設定で、いかにもという感じ。一種の固定したイメージがあるのかな。私の記憶にあるドラマの図書館職員は、古くは、1979年と80年の正月に放映された向田邦子原作の「阿修羅のごとく」である。4人姉妹を演ずる加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュンの三女のいしだあゆみが図書館勤めで、まるっきり男っ気がないという設定であった。父親、佐分利信の愛人問題が発覚したところから始まったのではなかったか。また、ついこの間のような気もしたのだが、調べてみると2001年1~3月放映のTBSのドラマ「ビューティフル・ライフ」も、常盤貴子が車椅子の司書を、木村拓哉が美容師を演ずる恋愛ものであった。いわば、図書館のバックヤードにまではいたらない“図書館”が舞台ではなかったか。

 当方は、最初の図書館では、レファレンス部門の法律担当に回された。当時は、来館者、文書の問い合わせとともに、電話での問い合わせも多かった。来館者や電話での問い合わせは、時間との勝負で、部屋にある辞典・事典、文献目録、雑誌索引、先輩たちが残してくれたさまざまな書誌やカード目録が頼りだった。それでもわからないときは、時間をもらって、膨大なカード目録の検索、書庫に入っての文献の検索、確認の必要があった。まだパソコンなどない時代だった。

 連れ合いの仕事の関係で、名古屋の短大図書館に転職してからは、図書・雑誌の選書、発注、受け入れ、分類・整理、カードの整理、配架などを少人数の職員で手分けしてこなし、交代で、図書の貸借や相談を受け付けるカウンター業務につくという過酷な泥くさい仕事だった。エプロンと首に巻くタオルは必需品だった。1970年代後半から80年代は、私にとっては子育てのさなかではあったが、夏休みの1週間、愛知学院大学の司書講習会で、参考業務演習を担当したことも忘れ難い。200人近い受講生にレファレンスの楽しさを、どれほど伝えられたか分からなかったが、自身が学びながら楽しむことができた貴重な体験であった。 そして、千葉県に転居してからは、新設大学の図書館に転職することになったのだが、ここでもわずか数人で、アルバイトや機械の力も借りながら、図書館業務全般をこなさければならなかった・・・。

 そんなこともあって、退職後、公立図書館の様子も知りたくて、市立図書館の非正規職員募集に応募したこともあったが、採用されなかった。現在、公共図書館では、職員の4人に3人が非正規職員というのが実態である。さらに、管理の程度は様々であるが、市町村立図書館で指定管理者制度の導入も始まり、20%を超えている。佐倉市でも、指定管理制度の検討に入ったという。図書館はどこへ行く。

 そうそう、「税金で買った本」に戻れば、アルバイトといえども、あんな簡単に採用されるものかなあ、というのも疑問だった。
 以下、過去の当ブログ記事もご参照ください。

 図書館の「指定管理者制度」についての講演会へ(2025年8月 4日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/08/post-757383.html

図書館を支える人々~非正規と障がい者の方々の待遇の実態(1)(2023年9月10日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/09/post-52425b.html

 

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