土地区画整理事業における住民参加(2)―行政と業務代行のはさまで―
杜撰な資金計画
こうした不備を縫って、これまたいわば、時代遅れの土地区画整理組合方式の開発、さらに、業務代行方式の運営・施工は、バブル時代の申し子に過ぎず、さまざまな破綻を見せている。行政は、事業自体の成功・破綻を左右する資金計画に一切踏み込まず、いわば言いなりを黙認しているのが、私の知る現状である。最近、千葉県流山市三輪野山の道路建設計画について都市計画審議会には、建設反対の意見書が千通以上届けられたにもかかわらず、審議会は住民との信頼関係回復、環境対策を講ずるという曖昧な付帯意見を付して原案通り可決してしまった。つくばエクスプレス開通の陰に進む住民無視の構造をここでも見る思いがする。
当地の組合認可時の資金計画の保留地処分価格は、私たち住民の意見、要望書などで、周辺の土地の実勢価格と大きな隔たりがあり、処分不可能となり清算が危ぶまれることを繰り返し指摘した。ところが行政は、今後地価がさらに値下がりして資金計画に狂いが起っても、事業計画の手直しで対応すれば問題はないと強弁し、認可した。案の定、組合は認可後1年も経たずして、総事業費162億を89億に縮小するという大幅な資金計画の変更をおこなった。最初の資金計画の根拠は何であったのか、事業計画の何を縮小するのか、工事内容の安全性を問いただせば答えに窮し、区画整理事業の工事内容は、レベルを落とせばなんとでもなるとさえ、行政は言い放った。組合は保留地処分価格設定の誤りに気づき、組合理事によれば銀行借入金が予定通り運ばないこともあって、縮小を余儀なくされたことになる。この時勢、当然の成り行きであったが、事業計画・資金計画自体の甘さのツケは誰がかぶるのか。
そして、安上がりの工事内容は、てきめんに周辺住民の環境に影響を及ぼした。地元開発業者である業務代行が自分の所有地に放置した産廃は、トラック800台近くにも及び、その残土で盛り土の造成がなされた。さらに、別の工区では、産廃の山を崩し、大きなコンクリート塊、金屑、シート、木材などをより分けただけで、公園予定地に埋め込もうとした。急斜面の盛り土は、1昼夜70~100ミリ程度の雨で崩落、モノレール軌道に流れ込んだのである。傾斜10度弱の9m道路では車椅子の移動は不可能だし、自転車通行は乗ったままでは危険で、車を押して上り下りしなければならないこともわかった。
暑い夏、署名や議員回りに奔走して
盛り土出現以来、ともかく私たち対策協議会は組合に4回の住民説明会を開かせた。回を追って住民の情報も多くなり、参加者の熱意も高まり、組合の運営や工事内容、説明自体にも破綻が顕著になってきた。組合は4回目の最後に一方的に説明会を打ち切った。住民代表の少人数の話合いには応ずると逃げる組合を、もう一度住民との話合いのテーブルに引き出すにはどうしたらいいのだろうか。住民運動などとは縁遠い私たち住民が何度も集まって計画したのは「盛り土を元に戻せ、適正な産廃処理をせよ」などを趣旨とする署名運動と「組合は住民との話合いに応じよ」との請願を9月市議会に提出することであった。
地元選出の市議会議員回りをして請願の紹介議員になってもらうことを当面の目標とした。600世帯の私たち自治会と100世帯近いマンション入居者を対象にした署名運動。署名の趣旨、表現、集め方などについて対策協メンバーの中でもさまざまな論議があったが、最終的には、自治会の班長会議で了承しての文面でスタートした。自治会では7割以上の世帯、マンションでは4割の世帯の賛同を得た。そして、8月末日、9月市議会開会直前に渡貫市長と組合に署名簿を手渡すことができ、コピーを堂本県知事にも届けたのであった。
暑い夏、お盆休みもいとわず、地元にかかわりのある議員との面談、全ての会派の議員との面談を目指した。30人いる議員の内、半数弱の議員と話し合ったが、請願の紹介議員を依頼すると、7人以外は、お互いに様子を探り合って即答がえられないまま、提出期限を迎えてしまった。多数決での採択を目標にして、請願が未提出に終わったのは残念であった。後から考えれば、採択が少数であっても提出の意義はあったのかもしれない。個人的にはそんな風に考えたのだが、対策協メンバーの多くは不採択になると今後への影響が大きいというものだった。地元企業の業務代行との関係を考えた議員も多かったのか。中には、臆面もなく、業務代行の代弁者のような発言をする議員もいた。議員の中には組合の地権者もいて、同僚議員への遠慮があったのかもしれない。
しかし、暑いさなか、都合のつくメンバーが集まっては、盛り土の崩落写真や対策協ニュースなどを携えて議員回りをしたことは、決して無駄ではなかった。9月議会では、3つの会派の3人の議員が、井野東土地区画整理組合と住民との話合い続行、盛り土の危険性などについて質問をしてくれたのである。組合と住民との話合いについて行政が仲介する、盛り土の安全性について配慮をさせるという回答を市長から引き出したのである。
話合いの続行―住民参加、一つのかたち
2005年10月からは、市を仲介者として、組合と対策協メンバーとの話合いがスタートした。まずは、盛り土の安全性と盛り土による周辺住民の眺望権の侵害や圧迫感の緩和のため、その高さをもとの地山線に戻すという要請から始まった。組合からは、私たちの要請は、コスト面と土地の有効利用面から不可能だとの回答がもたらされた。さらに交渉の結果、組合は、限定的に50センチ下げる案が精一杯だと、盛り土崩落の改修工事の一部手直し案で間に合わせようとして、住民はもとより、行政からも検討に値しないと突き放された。
そして、いまは、さらに高さ1m、奥行き10mの盛り土削減が最終案だと硬直的である。しかし、その根拠がさっぱり示されない。コスト、造成後の建築計画がネックになっているわけではない、と曖昧なのだ。さらに、「この国土が狭い日本の都市計画で、周辺の環境や眺望権などを配慮する必要はない」とまで、業務代行業者と組合幹部が公言するのを聞いて情けなくなってしまった。しかも、件の工区の換地では、業務代行の所有になる特約がすでに組合と交わされているという。そこにはいくつかの高齢者福祉施設を集める構想も公表した。
いま、全国的にも開発業者は、住宅地・マンション・リゾート開発だけでは立ち行かなくなったため、その商いは多様化せざるを得ないだろう。当地の地元業者、組合の業務代行も、踏み出したホテル業の業績も伸びず、福祉産業へと大きくシフト、福祉施設を複合的に集めようとするゾーンを「福祉の街」構想として打ち出している。素人目にもノーマライゼイションとはあきらかに逆行するものではないか。残念ながら、日本の福祉産業のウサン臭さをぬぐいきれないのである。
私たちの組合との交渉の着地点はいまだ見えない。しかし、これまで仲介役を務めている市の担当者の努力に感謝しつつも、不安も大きい。話合いの先には、用途地域変更の縦覧、意見提出、都市計画審議会の答申などのスケジュールもある。
土地区画整理事業区域に接する従来の戸建ての住民、マンションの住民の住環境の劣化から少しでも守るために、行政、組合、業務代行、施工会社などとの交渉は続くだろう。不安は大きいが、結局は住民が結束することの大切さを痛切に感じる。今後も続きをレポートしたい。
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