« 土地区画整理事業における住民参加(2)―行政と業務代行のはさまで― | トップページ | 道路用地費11億円はどのように決まったのか(2)―井野東土地区画整理事業における不動産鑑定の怪― »

2006年3月 7日 (火)

道路用地費11億円はどのように決まったのか(1)―井野東土地区画整理事業公管金の謎―

 千葉県佐倉市の井野東土地区画整理組合による開発において、制度としての「住民参加」が形骸化、セレモニー化している実態はすでにレポートした。そうした状況の中で住民は何を目指したらいいのか、私達の模索過程も綴った。

公管金とは

さらに、私が問題にしたいのは、「公共施設管理者負担金」、いわゆる「公管金」の決まり方である。井野東の開発区域を縦断するはずの都市計画道路(1.6kmの20m幅)の道路用地費用分として、千葉県から組合に支払われる負担金は11億余円と決まっている。この負担金の額がどのように決まったのかについても、さまざまな疑問が浮上してきた。この疑問を解くには、私たちの唯一の手立てともいえる、厄介な情報公開制度を利用するほかない。

公管金とはなにか。土地区画整理法第120条は、土地区画整理事業が都市計画で定められた幹線道路その他の重要な公共施設の造成を主たる目的とする場合、施行者の求めに応じて公共施設の管理者が当該施設の新設・変更に関する事業費の全部又は一部を負担する旨定めている。公共施設管理者とあらかじめ協議し、負担の額、負担方法などの内容を事業計画において定めておかなければならない、とする。したがって、井野東の場合、組合と上記都市計画道路の管理者である千葉県は、事前協議により道路用地費としての負担金の額、負担方法等の内容について定めているはずである。

 この条文の背景には、造成する公共施設が区画整理区域内の住民の利便にかなうというよりは、他の地域の居住者によって利用されるものである場合、これに要する費用を組合に負担させるのは過酷に過ぎるためとする考え方がある。井野東における、この都市計画道路の必要性自体に私は疑問を持つものではあるが、とりあえず、法律の主旨は認めることにしよう。

公管金11億余円はいつ決まったのか、関係文書は不存在!?

井野東土地区画整理組合の準備会は1998106日に届出されているが、それより半年以上も前の199823日に、組合設立準備会と県の印旛土木事務所(現在の印旛地域整備センター)とが公管金について協議したという記録が残されている。にもかかわらず、その文書が「存在しない」という。私がはじめて公管金11300万円の数字を見たのは、200076日に事前協議申請の際に提出された、20006月付「事業計画書(案)」の縦覧時であり、「第5.資金計画書」の「収入」欄においてある。

  区分             金額(千円)         摘要
保留地処分金        15,097,000   (105,875円/㎡×142,592.68㎡)
公共施設管理者負担金
 1,103,000    (都市計画道路34.18号分)        
   計                     16,2
00,000

保留地処分金のように摘要欄に算定基準らしきものが示されているわけでもない。保留地処分価格に加えて162億という総収入額を丸めるための端数を公管金に付しているようにもうかがえる。少なくとも「事業計画書(案)」の作成月の「平成12年(2000年)6月」前に何らかの協議でこの金額は決まっていたと思われる。それがいつの協議だったのか、その算定根拠が何であったのかを明らかにする文書の開示請求をしても「不存在」なのだ。県が支出するはずの11億余円がいつ協議されたかがまったく不明なまま、以降この金額だけが一人歩きを始める。協議の記録文書を探したが見つからないとする担当者は、すべての協議について記録をとるわけでもない、出張すれば復命書を提出するが、電話や挨拶程度の話合いでは記録をとることはしない、と弁明する。ということは、11億余の支出(予定)額が電話や挨拶程度で決まってしまうものなのか。いくら自分の懐が痛まないからといって、納税者軽視も甚だしいではないか。ほんとうに文書はなかったのか。

すでに公管金の支払いは始まっている!

さらに、この公管金の総額に一切の修正がないまま、15年度末、2004330日千葉県の決裁で支払いが開始された。

2003314日 組合から県に公管金に関する覚書締結依頼提出

20036 4日 「国道道路改築事業国道296号バイパス工事に係る佐倉市都市計画事業井野東土地区画整理事業の費用負担に関する覚書」組合・県知事締

20043 9  「佐倉市都市計画事業井野東土地区画整理事業に伴う国道296号バイパス工事に係る協定書」(15年度)締結

 このような手続きを経ての支払いであったが、この土地価格の下落が著しい時代に、いわば道路用地買収費の形を変えた公管金の額がその端数まで変わらずに決定し、15年度分11100万円が支払われたのである。この公管金の額が定められた過程を知りたく、あらたに入手した行政文書も含めて精査することにした。前記の日付が実に意図的な意味を持っていることにも気づかされるのである。(続く)

|

« 土地区画整理事業における住民参加(2)―行政と業務代行のはさまで― | トップページ | 道路用地費11億円はどのように決まったのか(2)―井野東土地区画整理事業における不動産鑑定の怪― »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 土地区画整理事業における住民参加(2)―行政と業務代行のはさまで― | トップページ | 道路用地費11億円はどのように決まったのか(2)―井野東土地区画整理事業における不動産鑑定の怪― »