すてきなあなたへ No44,45号をアップしました。
昨日「すてきなあなたへ」No45を発行しました。
目次:区画整理は「都市計画の母」?
私の好きな町―ヴィエトリ・スル・マーレ
菅沼正子の映画招待席17「美しき運命の傷痕」
年をとったらどこに住みたい?
回想・茨木のり子さんの詩
なお、バックナンバーNo44もあわせてご覧ください。
昨日「すてきなあなたへ」No45を発行しました。
目次:区画整理は「都市計画の母」?
私の好きな町―ヴィエトリ・スル・マーレ
菅沼正子の映画招待席17「美しき運命の傷痕」
年をとったらどこに住みたい?
回想・茨木のり子さんの詩
なお、バックナンバーNo44もあわせてご覧ください。
規則を変えて、助成が可能に!
佐倉市の井野東土地区画整理組合は、2002年7月の認可以来、コンサルタント業者の変更、資金計画の圧縮、事業計画の変更、長割遺跡の国指定、産廃の出現、地元住民の抗議などにより、2009年3月予定の清算はかなり困難な局面を迎えているようだ。
2004年実際の工事が始まって、周辺住民をまず驚かしたのは、トラックによる残土運搬から受ける沿道住民の振動・騒音や危険であった。また、いくつかの工区に放置されていた産廃の量の多さとその処理方法の杜撰さ、直近の生活道路から6mを超える盛り土と雨による崩落、傾斜10度に近い、モノレールの軌道を跨ぐ陸橋の出現などにより、周辺の住環境は一挙に悪化し、周辺住民が怒り始めたのはしごく当然のことだった。いま、行政の仲介により組合と周辺住民との話合い、組合の業務代行、地元開発業者の山万との話合いが続いている。
折も折、土地区画整理事業への助成に関する規則が行政により改変され、井野東土地区画整理組合への助成金5700万円が来年度予算に計上された。2006年3月の市議会で可決の運びだ。助成金は、佐倉市土地区画整理事業の助成に関する条例及び条例施行規則に基づくものであるが、従来の規則には「3分の1」条項というものがある。不動産取引・住宅建設その他これに類する業者所有の土地が施行地区面積の3分の1以下であることが条件であった。しかし、その「3分の1」条項を行政は規則から削除した。そのねらいは、業務代行の山万がすでに3分の2以上を所有している井野東土地区画整理組合事業に助成をするためであった。1998年に「3分の1」条項がなぜ設けられたかは、つぎの議会答弁にもしばしば出てくるように「営利目的の事業者の所有する土地の割合が一定以上を越える場合、公金を支出することは好ましくない」という判断からであった。
3分の1条項、迷走の果てに・・・
現在開会中の2006年3月の議会で、なぜ、いま3分の1条項をはずすのかについて質問した議員がいた。市長は「土地区画整理事業による都市基盤整備を促進するため、現在の経済社会状況から助成することは必要」といった大雑把な回答でしかなかった。ケーブルテレビの録画では担当部長の回答を聞けなかったので、詳細は議事録を待つしかないが、傍聴した友人によれば「組合による土地区画整理事業は健全な市街地形成にあり、区域内土地についての公共設備整備改善・宅地の利用促進を図るのが目的なので、民間業者と一般地権者を区別する必要はない」といった主旨だったらしい。しかし、それまでの議会答弁でも明らかなように、3分の1条項の制定趣旨との整合性がないのは明らかである。1998年以来、経済社会状況に大きな変わりもない。いや、政府は躍起になって景気回復の兆しを喧伝するくらいであるし、一方、市の財政も悪化している。佐倉市の政策転換は何を意味するのだろうか。
3分の1条項撤廃の背景には、一部の市議会議員の後押しもあったことがわかる。それを議事録で追跡していくと、おかしなことに気づく。以下議事録から要約した。
A(1998年12月議会、同年10月、井野東土地区画整理組合準備会が結成)
T議員:開発業者が「佐倉市も一枚絡んでいる開発事業だから」という触れ込みで区域内の農家を回って買収を進めている。突然に市街化調整区域を市街化区域に変更する線引きが行われたり、区画整理事業が出てきたり、慌てふためくのはいつの一般市民だ。今のままの生活環境で満足しているのにわざと税金を使い、市役所が勝手に調査などをやり、この土地利用計画に従えみたいな、市のやり方は無謀だ。事前に開発業者による買収も進んでいるとなれば、何のための、誰のための土地利用なのか疑いたくもなる、市の区画整理事業の進め方は民主的ではない。
K都市部長:準備組合に対し、地権者と地域住民の理解、協力を得て事業を進めるよう指導する。
B(2000年6月議会、同じT議員から)
T議員:佐倉市の区画整理事業の助成条件は厳しすぎるので見直すべきだ。バブルが
はじけた現在の社会経済情勢の中、資金調達やノウハウ等を考えれば、デベロッパー抜きの土地区画整理事業は非常に難しいので、3分の1条項も見直すべきだ。行政側も或る程度の負担をし、組合負担を軽減すべきである。
市長:今後の経済状況を見極めて検討、区画整理事業に支障がないように支援の方策を考えたい。
Ne都市部長:土地価格が低迷している現在、検討を早めにしなければいけないと判断している。
C(2002年3月議会 別の議員の登場)
Na議員:「3分の1条項」には論理的根拠がない。助成金は道路等の公共部分に主として支払われるのだから、開発業者の土地所有の多い少ないは関係がない。
Ne都市部長:公共施設を整備するのは同じだが、宅地を売って利益を得るのを目的とする事業者に公金を支出するのは好ましくないという判断から、今は3分の1条項を撤廃する考えはない。区画整理は指摘のように60%を超えると事業も苦しいのはわかるが、佐倉市の財政も非常に苦しい時期なので理解いただきたい。今後は、国や県の補助メニューを研究し、区画整理の推進をはかりたい。
D(2002年12月議会、再びT議員の登場)
T議員:営利を目的とする事業者の土地が事業面積の3分の1以上あるから、公金を支出することは好ましくないとするより、むしろ事業の安定的な経営を確保して事業の促進と良好な市街地整備を図るという視点に立てば、3分の1条項は時代錯誤な条項であり削除すべきではないか。
市長:この条項は、助成が事業者の営利につながってはならないということで、一定の歯止めが必要であるという観点から設けられたと理解している。最近の情勢では区画整理自体が非常に難しい時代なので、現実に合わせた今後の対応も必要だが、現状ではこの条項をいまだあてはめ、今後の状況を見極めたい。
A時点とB・D時点との間に、T議員には何が起きたのだろう。土地区画整理事業、開発業者へのスタンスが逆転している。T議員はもともと地権者でもあったが、2002年組合認可時には、組合監事の役職に就任していた。そして、2006年3月の議会で、3分の1条項削除による5700万円余の助成がかなったのである。2002年12月議会の市長答弁でいう「助成が事業者の営利につながってはいけないという歯止め」が取っ払われ、公金をもって3分の2以上を所有する開発業者主導の組合の窮状を助けることになった。「区画整理自体が非常に難しい」時代は、今に始まったことではなく、少なくとも、区画整理事業組合準備会が事前協議申請、認可申請をした時点ほか幾多の場面で、市民たちは事業完遂を危ぶみ、見直しを要望しているのを振り切って、手続きを進めた組合と行政の責任を問わずして、公金投入の拡大を許せるだろうか。助成制度は土地区画整理組合事業、その中核の開発業者への延命装置ではないはずである。
もともと佐倉市の井野東土地区画整理組合による開発区域は、開発業者山万によるユーカリが丘ニュータウン開発の一環として、第3期開発予定区域だった。そのように記述した山万のPR冊子は、1998年10月組合準備会を立ち上げた後も作成・配布され、業界新聞の取材にも、そう答えている。自社だけの開発を不利と見て、組合方式に乗り換え、かつてのT議員の質問にもあるように、佐倉市の後ろ立てがあるかのように買収を進め、2000年7月組合準備会は事前協議申請に臨んだのではないか。そして、そのときの「事業計画書(案)」の資金計画における保留地処分価格の設定が当時の土地価格の下落状況から見て、非現実的であることが素人目にも危ぶまれた。線引き縦覧時、組合認可申請時、事業計画縦覧時などには、私は、個人で、ときには自治会員として、あるときは住民有志の一人として、佐倉市や千葉県の首長に要望書や意見書を提出し、その資金計画の杜撰さも幾度となく指摘し続けた。そこで返ってくる答えといえば、「組合の責任でやることで、保留地処分価格設定も、その時点での算定であって、不合理とはいえない」という類のものであり、さらに、「何十年来の都市計画道路を、行政の手を煩わせることなく、組合が建設してくれるのだから、速く進めなければならないし、認可をしないと行政は損害賠償で訴えられる」などと付け加えていたのである。そして、一方、組合は資金調達がうまくいかないからと事業費を圧縮、それでも運転資金が不如意な昨今、業務代行の業者はなんとしても助成を取り付けたかったのだと思う。
区画整理は「都市計画の母」なのか
「条例や規則を変えて、助成金をもらおう」!? 多数決の横暴はおそろしい。清算が難渋したら、また、次の手を考えるのだろう。市や県は「公共施設用地」として買い上げを余儀なくされる日も近いかもしれない。こうした例は全国各地で多発している。たださえ自治体は財政難にあえいでいる。差し迫って必要もない土地を抱え込んでしまわないように、監視の目を凝らさなければならない。組合と行政による事業計画、資金計画のチェックの甘さのツケ、その無責任体制を税金で尻拭いされるのは、もうこりごりだ。現に、土地区画整理事業がらみの助成金関係の住民監査請求の件数も多くなっている。事業者が土地区画整理組合に限らず、佐倉市では、都市再生機構による寺崎土地区画整理事業も市との土地買い上げをめぐる不透明さを抱えて、先行きが見えない状況である。
「都市計画の母」とさえ言われた土地区画整理事業の時代は、もはや終焉を迎えている。にもかかわらず、それでも、多くの地権者や周辺住民たちは、行政や業務代行の口当たりのいい言葉にばら色の夢を託すのだろうか。区画整理が「環境破壊の父」とならないためにも私たちは監視の目をゆるめてはいけない。
「不服申し立て」にはじめて挑戦!
井野東土地区画整理組合(業務代行、山万)の公管金算定の根拠が協議された会議の記録、協議時の配布文書、作成資料が残っていないはずはないと、まだどこかで行政を信じたい私は、そうした重要文書が消えたことに納得ができなかった。文書の探し方や管理方法に問題があるのではないか。情報公開制度における「不服申し立て」をすることを決意した。
不服申立てとは、県の行政文書の「開示・非開示決定通知書」に必ず付記されるように、その決定に不服があるときは行政不服審査法第6条により、決定があったことを知った日の翌日から起算して60日以内に、知事宛にする「異議申立て」である。
今回は、上記のように、「公管金算定の根拠が協議された会議の記録、協議時の配布文書、作成資料」を「作成していない、保有していない」から開示できないという2005年1月の「決定」に対しての異議申立てとし、60日以内ぎりぎりの3月2日に提出した。まず、書式を県のホームページからダウンロードして、申立人事項と申立ての趣旨、理由を記述する。理由は、形式的な側面から言えば①請求している文書を全て開示していない ②請求している文書の調査・検索・管理に疑義・不備がある、の2点である。以下文書のやり取りはすべて私と千葉県情報公開・個人情報センター間である。
(2005年)
3月2日 「異議申立書」提出
4月25日「諮問通知書」着。情報公開審査会に諮問した旨の通知
6月15日 実施機関(担当部署)から審査会に提出された「理由説明書」(6月7日付)着。意見提出の案内
7月13日「理由説明書」への意見を提出
(7月28日、9月26日、10月27日 情報公開審査会第二部会審議)12月1日 異議申立てに対する決定についての「審査会答申」着、 12月27日 異議申立てに係る口頭による意見陳述を実施
部会制をとる情報公開審査会のメンバーは公法専攻らしい大学教員2名、弁護士2名の計4名で、答申の結果は、「開示された打合せ記録がごく簡易であることなどを考慮すると、開示されたもの以外の打合せ記録を作成していないとする実施機関の説明は不合理とまではいえない。また、現に実施機関の事務室、書庫等からもその存在は確認されないことから、特定された行政文書以外の文書は存在しないとした判断は妥当である」というものであった。
私は、上記の二つの形式的な理由に加えて、③公管金の額と算定根拠という重大事項を協議せずに決めたとは考えられない ④土地公示価格が著しく下落しているのに、鑑定地価格が上昇している鑑定結果に疑義があり、それとの比較によって公管金の額の経済性を主張しているのは不合理である、ということにも触れた。答申では次のように述べる。組合が提示した公管金の額と算定方法の妥当性とその額が実施機関の算定した用地取得費用の範囲内であるかを判断して決定したのだから、上記重要事項の協議を記録した「行政文書が存在しなければならない根拠とは確認できない」と。
脈々と生きている役人の言葉、「不合理とまではいえない」「根拠とは確認できない」・・・。公管金の額が鑑定結果より低いことをもって、経過がどうであれ、実施機関の言い分のみを肯定した答申であった。3回もの審査会で何を審議したのだろう。信じられない思いで、追っかけるように、さらに、審査会議事録の情報公開を請求してみた。なにせ、委員の一人は、私のかつての職場の同僚のお連れ合いらしいのだ。親愛の情をこめて。
情報公開審査会で話し合われたことって!?
私の異議申立てについて審査したのは7月、9月の審査会であった。入手した議事録は、部会長のみは特定するが、他の3人の委員の発言は、ただの委員ひとからげの発言として表記される。なぜ各発言の委員名が開示されないのか。これは私が公募委員として参加している佐倉市情報公開審議会でも同様である。議事録で発言者の委員名まで記すと、委員が自由に発言できない、議事録を作成するのに精査を要して効率が悪い、とかで私の「発言委員の記名案」は多数決で実らなかった。県の審議会にならったということか。委員という公職にある以上、名前を背負って発言するのは当然の責任だとは思うのだが。それはさておき。誰がどういう発言をしているか、特定できないながら、審査会の流れは理解できた。主なやり取りは次の通り。
(2005年7月28日)
事務局:異議申立ての趣旨を「最近の土地価格の下落のため事業計画を変更縮小し、計画自体は減額しているにもかかわらず、公管金は下げていないことに疑問や不満があるようだ」と説明。
「実施機関が申立人の主張する文書はないという説明の合理性の判断」を審査会に託したい。
実施機関(道路建設課・印旛地域整備センター):「あるものはすべて開示したのだから、まだあるはずだという申立人の主張には理由がない。それに誠意をもって探した結果で、異議申立ての理由はない」と説明、質疑応答に入る。
事務局:公管金は事業者が算定し、県に提出。覚書では物価の変更等が著しいときは変更可能となっているが、今は土地の値段が下がっているので、道路管理者・県から提起しなければ変更されることはないと推測される。
委員:11億余の金額を決めたのならば、それなりに大事な会議なので、目録や書庫を探したがないという理由だけでは弱いのでは。
委員:県庁内部・組合内部の会議ならともかく、県と外部組織の組合との会議の記録なのだから残すのが普通ではないのか。
実施機関:おそらく、組合認可前に組合からから口頭で11億余と提示され、事前協議を経て組合認可時の資金計画書に11億余が記載された。いずれも積算根拠は明らかにされていない。組合が最初に提示した額が、偶然、最終的な結論と同じになっただけである。
委員:組合認可前に、8回も公管金についての事前協議の形跡がある以上、金額についてのやり取りがあると、普通の人は考える。そういう市民の疑問に、県は説明責任があるのではないか。簡易な打合せだから書類はないと突っぱねるのはいかがなものか。
委員:公管金を下げたくないから、協議しなかったのでは。
実施機関:道路の計画には変更がない。公管金は、土地区画整理事業がなかったら道路単独として買収した金額との比較だから理論的に変更はない。
委員:それは形式的で、事業見直しがあれば、道路計画の見直しもあってしかるべきだと。それが一般人の認識だ。
(9月26日)
この審査会では、「答申」の下書きにあたる取扱方針案が委員に配布された模様である。
委員:同じ県の中で、資金計画は都市整備課、道路に関する値段は道路計画課が検討というのは、1つの計画の分断ではないのか。今回見直しをしないと決めたのは、一体誰なのか。
委員:土地区画整理事業は事業期間が長い。その間の経済変動による価格見直しのルールはないのか。
組合提示額が“偶然” 最終結論と一致しただけ!
「組合が最初に提示した額が、偶然、最終的な結論と同じになっただけである」と開き直る事務局と実施機関への、委員からの的確な質問にかみ合った回答はついに得られないまま、10月審査会では、委員1名欠席、3人の委員によって事務局起案の「答申」が決定した。少なくとも、食い下がって質問をしてくれた委員がいたことがわかったのは収穫であったが、この議事録を読み終わったときの言いようのないむなしさをどこへぶつけたらいいのやら、ショックは大きかった。 しかし、これですべて終わったわけではない。まだ、要望により申立人の口頭陳述の機会があるはずである。事務局提案で最も早い日程、2005年12月27日と決めた。県庁に出向けということであったが、当時、私には、長時間家を空けることができない事情があったので、志津コミセンでやってもらえませんか、と申出ると、「前例がない、出向かないならば意見陳述は流れる」とまで突っぱねるのだ。しかし、かつて、別件の「口頭意見陳述」の際には、当方が申出たわけでもないのに、県は志津コミセンで開催した。前例はあるじゃないですか、とねばる。コミセンが予約でいっぱいだからというので、身近な自治会館を借りることで、落着。とんだ歳晩のできごととなった。
さて、これからは・・・
そして3月、いまだに、口頭意見陳述を踏まえた「異議申立て」
についての「決定」が届いていない。電話をすれば「遅れてすいません、初めての仕事なもので」というばかりなのだ。決定の内容には期待できないが、それを待って、その後の対応を決めたいと思っている。旭川国保訴訟の杉尾正明さんの例もある。国民健康保険料の徴収方法の違憲性を訴えた裁判を最高裁まで弁護士なしの一人で長く闘ってきた方だ。この3月1日、最高裁大法廷で敗訴と決まったが、その覚悟と努力に敬意を表したい。私にそんなエネルギーがあるだろうか。
いま、千葉県は赤字の土地区画整理組合を全国で一番多く抱えた上、情報公開の実態も最悪なのだ。異議申立てをした場合、答申までの期間ですら、かかる年月が半端でなく他の自治体より長い。たとえば、県の資料によれば、平成13年度、答申数13件、1件平均4年1か月かかっている。首都圏の他県が5か月から1年2か月のところを、である。情報公開請求件数自体も異常に多いことはすでに報道されていたが、どうも根っこには、ある県民と県との信頼関係が著しく損なわれ、その県民からの膨大な情報公開請求が累積している、ということであった。さもありなん。
県職員との接触で、いつも思うのは、県民の立場に立つという視点がなく、常に市町村・県民を指導するかのようなスタンスが前面にでる。そして、対応に詰まればテープレコーダーのように内容のない回答を繰返すばかりなのだ。千葉県ますます危うく、その行方は?。
次はこれも怪しい土地区画整理組合事業への助成金についてレポートしたい。(この項、完)
http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/a_bunsyo/pp/koukai/tousin/tousin-202.html https://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/a_bunsyo/pp/koukai/tousin/tousin-201.html
不動産鑑定は適正に行われたか?
2002年11月12日付の千葉県の関係部局担当者だけの内輪の打合せ記録がある。すでに、公管金総額11億余円の数字が一人歩きしている時点ではあるが、道路建設課国道班、都市整備課区画整理班、印旛土木事務所道路改良課・調整課・用地課のメンバーが出席し、つぎのような基本的な意見交換や確認がなされていた。
①算定する際に、道路用地は保留地と同様に考えるのか、区画整理がなかったら市街化調整区域単価で買収していたはずだから調整区域単価でよいと考えるか
②現在の情勢下では、用地単価の下落が見込まれるが、年度協定締結の際、支払額算定に当たって単価の下落分を考慮する
数日後の11月18日には、上記の県担当者らに組合と不動産鑑定の二業者が参加した会議が開かれ、公管金算定について、組合は市街化区域編入後の単価を希望し、行政は市街化区域編入前の単価を希望した旨が記録されている。この文書の経過説明のなかに、私は、「協議記録では、平成12年12月8日時点での単価で公管金の額が1㎡あたり35,000円の約11億円と算定されている」との記述を発見、この12月8日の「協議記録」の開示を求めたところ、またもや「存在しない」という。さらにその後の鑑定実施においても不透明な事実がいくつか判明してきた。
①2000年12月8日の会議、2002年11月18日当時、資料として机上に置いて打合せしただろう、算定根拠が示されている、その文書が不存在とは、どういうことなのか。狐につままれたような気がした。少なくとも1㎡35,000円という記述があった文書がまさに消えたのである。
②将来鑑定を依頼される不動産鑑定業者は会議に参加し、算定価格・根拠並びに行政・組合の算定意向を十分に知りうる機会があった。
③市街化編入前の2001年3月1日時点の鑑定費用を組合が負担した。公管金の支払いを受けるべき受益者の組合が依頼し、その費用を負担したことになる。
④組合から依頼の市街化編入前の鑑定を受注した、まったく同じ二鑑定業者が編入後の行政の発注の鑑定も行っている。
②③④の事実だけでも、後の「覚書」前に提出された不動産鑑定の結果の信頼性は大きく損なわれているといってよい。業者は鑑定依頼者の意向や思惑を十分知る立場にあり、先入観・予見をもって鑑定に臨むだろうし、依頼者へのサービスもあるだろう、二時点の自らの鑑定結果の整合性を維持するための配慮もあるだろう。客観性や公平性はそれだけでも危ぶまれる。さらに、鑑定にあたっては、取引事例比較方式を採用して、求めた標準画地価格を個別の立地要件ごとにプラス・マイナスの修正をおこなうが、恣意的な操作の余地もたぶんに予想できる。このような鑑定作業や経過から見て、鑑定地の選択やその後の作業の客観性・公平性の担保は困難でもあろう。②③④の状況下では、もはや適正な鑑定を望む環境にはない。
鑑定結果と実態との食い違い!
さらに、関係文書の開示を求めたところ、以下のような表を含む「公共施設管理者負担金認定のための施行種別費用総額比較」(平成15年2月12日現在、印旛土木事務所)という文書が出てきた。その概略は以下の通りである。
施行種別 費用総額 1㎡平均単価
① 公管金方式 11億300万円 35,000円
②買収方式編入前(2001.3.1) 12億5910万円 37,000円
③ 編入後(2002.12.1) 12億9900 万円 38,700円
④保留地方式(2002.7.9認可時) 29億8000万円 105,875円
*
⑤保留地方式(2003.4.11変更後) 15億5428 万円 55,206円
鑑定結果による道路事業施行者の土地買収方式②③と本区画整理組合が採用する11億300万円の公管金方式①とを比較し、①方式が「事業用地取得が最も経済的に思料される」と断定している。④は、総事業費が89億に圧縮される前の数字で、比較に値しないものだ。*⑤は文書には記されてはいないが、参考のため総事業費圧縮後の数字を私が加筆した。
また、①では、平均単価が示されるが、地目ごとで見ると全面積の5%が宅地で、1㎡当たり75,100円、52%の畑が37,500円、40%の山林が32,000円と逆算でき、当時の実勢価格と比較しやすくなるかもしれない。
ここで、まず注目するのは、2001年3月1日時点と2002年12月1日時点の比較で、土地の単価が上昇していることである。当時の国土交通省調査による佐倉市一帯の土地公示価格によれば、2001年から2002年(いずれも1月1日調査)の下落率は15%から19%に達している。下落率が著しい時期にあって、市街化編入が値上がりの要素になり得たのか、たとえなり得たとしてもその値上がり分をはるか超えた下落率であったことがわかる。さらに、不動産鑑定には前述のように取引事例比較法を採ったというが、鑑定地として選択した土地の立地を道路予定地の現況に近づけるという作業を標榜して、意図的な操作がなされたとも限らない。そのように考えなければ、鑑定の事例だけがなぜ公示価格と大幅に乖離するのかが理解しにくいではないか。
厳しい言い方をすれば、①方式の「金額先にありき」の辻褄合わせにしか思えないのである。それに、二つの業者による鑑定対象地の選択が異なるにもかかわらず、その二業者から出た価格の数値は限りなく接近している。そうした鑑定結果は、いわば「談合」に近い構図を推測させるに十分なのではないか。
行政のある担当者は、「公共施設管理者負担金はそもそも事業者の“言い値”でスタートするんですよ、いざ支払う段にその妥当性が判断されるなら問題はないはず」と言い放つ。さらに、別の担当者は、「公管金と言ったって、要するに一種の助成金と考えてもらった方がいいと思いますよ」とも。これまでの経過でも明らかなように、「言い値」の根拠すら不明、その妥当性が判断される手立ては、あまりにもお粗末で、客観性を欠き、納得できるものではなかった。まさに「言い値」で助成金がばら撒かれた事例なのか。私はこれを見過ごすわけにはいかなかった。(続く)
千葉県佐倉市の井野東土地区画整理組合による開発において、制度としての「住民参加」が形骸化、セレモニー化している実態はすでにレポートした。そうした状況の中で住民は何を目指したらいいのか、私達の模索過程も綴った。
公管金とは
さらに、私が問題にしたいのは、「公共施設管理者負担金」、いわゆる「公管金」の決まり方である。井野東の開発区域を縦断するはずの都市計画道路(1.6kmの20m幅)の道路用地費用分として、千葉県から組合に支払われる負担金は11億余円と決まっている。この負担金の額がどのように決まったのかについても、さまざまな疑問が浮上してきた。この疑問を解くには、私たちの唯一の手立てともいえる、厄介な情報公開制度を利用するほかない。
公管金とはなにか。土地区画整理法第120条は、土地区画整理事業が都市計画で定められた幹線道路その他の重要な公共施設の造成を主たる目的とする場合、施行者の求めに応じて公共施設の管理者が当該施設の新設・変更に関する事業費の全部又は一部を負担する旨定めている。公共施設管理者とあらかじめ協議し、負担の額、負担方法などの内容を事業計画において定めておかなければならない、とする。したがって、井野東の場合、組合と上記都市計画道路の管理者である千葉県は、事前協議により道路用地費としての負担金の額、負担方法等の内容について定めているはずである。
この条文の背景には、造成する公共施設が区画整理区域内の住民の利便にかなうというよりは、他の地域の居住者によって利用されるものである場合、これに要する費用を組合に負担させるのは過酷に過ぎるためとする考え方がある。井野東における、この都市計画道路の必要性自体に私は疑問を持つものではあるが、とりあえず、法律の主旨は認めることにしよう。
公管金11億余円はいつ決まったのか、関係文書は不存在!?
井野東土地区画整理組合の準備会は1998年10月6日に届出されているが、それより半年以上も前の1998年2月3日に、組合設立準備会と県の印旛土木事務所(現在の印旛地域整備センター)とが公管金について協議したという記録が残されている。にもかかわらず、その文書が「存在しない」という。私がはじめて公管金11億300万円の数字を見たのは、2000年7月6日に事前協議申請の際に提出された、2000年6月付「事業計画書(案)」の縦覧時であり、「第5.資金計画書」の「収入」欄においてある。
区分 金額(千円) 摘要
保留地処分金 15,097,000 (105,875円/㎡×142,592.68㎡)
公共施設管理者負担金 1,103,000 (都市計画道路3・4.・18号分)
計 16,200,000
保留地処分金のように摘要欄に算定基準らしきものが示されているわけでもない。保留地処分価格に加えて162億という総収入額を丸めるための端数を公管金に付しているようにもうかがえる。少なくとも「事業計画書(案)」の作成月の「平成12年(2000年)6月」前に何らかの協議でこの金額は決まっていたと思われる。それがいつの協議だったのか、その算定根拠が何であったのかを明らかにする文書の開示請求をしても「不存在」なのだ。県が支出するはずの11億余円がいつ協議されたかがまったく不明なまま、以降この金額だけが一人歩きを始める。協議の記録文書を探したが見つからないとする担当者は、すべての協議について記録をとるわけでもない、出張すれば復命書を提出するが、電話や挨拶程度の話合いでは記録をとることはしない、と弁明する。ということは、11億余の支出(予定)額が電話や挨拶程度で決まってしまうものなのか。いくら自分の懐が痛まないからといって、納税者軽視も甚だしいではないか。ほんとうに文書はなかったのか。
すでに公管金の支払いは始まっている!
さらに、この公管金の総額に一切の修正がないまま、15年度末、2004年3月30日千葉県の決裁で支払いが開始された。
2003年3月14日 組合から県に公管金に関する覚書締結依頼提出
2003年6月 4日 「国道道路改築事業国道296号バイパス工事に係る佐倉市都市計画事業井野東土地区画整理事業の費用負担に関する覚書」組合・県知事締
2004年3 月9日 「佐倉市都市計画事業井野東土地区画整理事業に伴う国道296号バイパス工事に係る協定書」(15年度)締結
このような手続きを経ての支払いであったが、この土地価格の下落が著しい時代に、いわば道路用地買収費の形を変えた公管金の額がその端数まで変わらずに決定し、15年度分1億1100万円が支払われたのである。この公管金の額が定められた過程を知りたく、あらたに入手した行政文書も含めて精査することにした。前記の日付が実に意図的な意味を持っていることにも気づかされるのである。(続く)
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