映画『日本の青空』を見て
たった一枚の前売り券だったが
春分の日とて、結構寒い朝だったが、新憲法制定秘話とでもいえる『日本の青空』上映日、午前の部に、佐倉市民音楽ホールまで出かけた。ホールは9割方の埋まりようで、なんとなくほっとした。このところ、NHK・ETV特集やニュース23でも取り上げられた鈴木安蔵が主人公の劇映画である。個人や団体のカンパによっての制作が早くより話題とはなっていた。私はたった1枚の前売りを買ったに過ぎないが。
敗戦直後、1945年10月末に経済学者の高野岩三郎(加藤剛)の提唱でスタートした憲法学者鈴木安蔵(高橋和也、私は男闘呼組時代の彼を知らない)ら民間の識者グループによる「憲法調査会」、12月26日には練り上げた「憲法草案要綱」を政府とGHQに提出した。民主的な憲法としての先進性は、GHQ草案の下敷きにもなったことが次第に明らかにされていく。新しい憲法がGHQから一方的に押し付けられたものでないことをいくつかの挿話で淡々とつづっていく。その物語を進めるのが、出版社の若い女性派遣社員(田丸麻紀)と恋人のフリーターだ。少し頼りないのだが、親しみやすい目線なのかもしれない。
わが青春?の思い出とともに
鈴木安蔵をめぐるわずかな思い出を、このブログにも書いたが、映画を見て否応なくわが青春時代を思い起こさせられた。狂言回しの若い2人が調べに出かけた先が、国立国会図書館であった。国立国会図書館は私が結婚前の11年間勤めた職場である。しかも、憲政資料室は、私が属していたレファレンス部局の法律政治課付きの特別室であった。この課には、もう一つ幣原(喜重郎)平和文庫という特別室もあった。毎週土曜日の午後の利用者のために、少人数で切り盛りしていた「ケンセイ」や「シデハラ」の超勤要員としてローテーションで出向くことが多かった。その憲政資料室には、現在、占領期のGHQ検閲資料「プランゲ文庫」のマイクロフィッシュの閲覧に時々出かけている。幣原「平和」文庫と名づけられた所以は、戦時・講和外交のベテランであったからか、憲法9条が幣原・マッカーサー会談の結果であったからか、図書館職員になったときの研修で聞いたか聞かなかったか、とうに忘れてはいるが、天皇制維持との関係で9条がその会談で議題になったことは確かなようである。
映画で加藤剛ふんする高野岩三郎の「民間でもいくつかの憲法草案が手がけられている・・・」というセリフの中に、「文理大の稲田正次先生も憲法草案を起草しているらしい・・・」というくだりがあった。私が稲田先生の憲法の講義を受けたのは1959年から。当時も、明治憲法制定史が専門の先生が日本国憲法案を起草した話は聞いたことがあったが、私のみならず学生たちはたいした関心を示さなかったのも確かだ。いま、あらためて調べてみると、稲田私案は1945年12月24日に、政府の憲法問題調査委員会(松本丞治委員長)に宮沢俊義委員を通じて提出、その内容は英国にならって君民同治主義、米国を習って人権保障の拡充を主眼とし、条文化にあたっては尾崎行雄、岩波茂雄、海野晋吉らと憲法懇談会を設け、1946年3月に国務相に提出している。立法権を天皇と議会に認め、新たな参議院の設置、違憲審査権などが大きな特徴としてあげられている。
この稲田懇談会私案は3月5日に発表というから、まさに、政府がGHQ案に基づいた政府原案―松本調査委員会案をGHQに提出、その場で協議を開始、30時間余に及ぶ委員会とGHQ間の攻防のさなかでもあったのだ。3月6日には、日本政府の「憲法改正要綱草案」として成立、発表という経緯がある。
白州次郎は格好よく描かれてはいたが・・・
映画では、この30時間余の攻防をかなりの時間を割いて再現していた。政府原案をあきらめざるを得ないと悟った松本委員長は中座し、あとは草案起草実務担当の法制局部長の佐藤達夫、内閣終戦連絡事務局次長でもあり、通訳を務めていた白州次郎(宍戸開)らがその任にあたる。
白州次郎は、近衛秀麿、吉田茂とも親しく、政界・財界に確固たる存在感を示したというが、妻で、日本文化に造詣の深いエッセイスト白州正子とともに、最近は熱烈なファンも多い夫婦である。その貴族趣味は私には無縁であるが、当時では珍しく、語学堪能の上、国際感覚を身に着け、上流の品格を備えもった人物であったのだろうか。映画ではややミスキャストの感は免れないが。
映画を見終わった、その日の午後、同じ町内の友人から、電話が入った。「いま、白州次郎を読んでいるんだけど、憲法のことで分からないことが出てきたの」という。何という偶然!『白州次郎―占領を背負った男』(北康利著 講談社 2006年)というその本も面白そうだ。少し前に読んだ半藤一利『昭和史』も厚い割には、講演風で読みやすかったが、白州などは何と書かれていたものか、また、ページを繰ってみよう。
今回は都留重人と鈴木安蔵に会いに来る場面のハーバート・ノーマン。いつも気に掛っている人物なのでいずれしっかり調べたい。 (2007年3月23日)
| 固定リンク
« マイリスト「野の記憶―日記から」に「ディベロッパーに取り込まれるメディア」を登載しました | トップページ | マイリスト「短歌の森」に『戦後における昭和天皇の短歌―その政治的メッセージとは(3) »
コメント