森林科学園のサクラ、多摩御陵のツツジ
研究所のサクラ
高尾山のそばに名所があるのよ、から始まった太極拳メンバー5人のお花見ツアーである。見ごろ、日程、交通などは若いメンバーにおまかせ。バス停7時40分集合、お弁当も現地で買いましょうと。本八幡からの都営新宿線、京王線の調布乗換えで高尾駅下車、10時25分。目的地はどうも多摩森林科学園というところらしい。熟年の男女が列をなして歩道をふさぐ。甲州街道の国道20号線の角にあるコンビニに入って昼食を調達、トイレも拝借。10分ほど歩いた入り口で400円の入場料と引き換えにもらった冊子には、「この森林はすべて研究施設であって、公園ではありません」とある。順路に従えば両側に広がる樹林の中で、さまざまな色合いのサクラが競うように咲き誇る。根方の名札と幹に括りつけられた小さな名札をみれば、御車返し(ミクルマガエシ)、駒繫(コマツナギ)、白妙(シロタエ)、御衣黄(ギョイコウ)、衣通姫(ソトオリヒメ)・・・、これまで聞いたこともないようなみやびな名前が並ぶ。梢にたわわな大輪の花に名札を読み直したり、濃い紅色の花に見入ったり、ソメイヨシノ・カワズサクラ・オオシマサクラ・ウスズミなど名札に出会ってほっとしたりしながら、谷あいから山への細い散策路を行く。250種1700本以上のサクラの保存林は森林総合研究所の観察の対象というわけである。このあたり一帯は、小田原の北条氏が南下してきた武田軍を迎え撃った古戦場だという。そういえば駅前の店には風林火山の小旗をつけたみやげ物を売っていた。江川太郎左衛門が治めていた地でもあったが、明治になって宮内省に編入、1921年帝室林野管理局の試験場となった。たしか、敗戦直後の昭和天皇は「帝室林野局の農林省移管」と題する短歌を数首詠んでいるはずだ。移管が1947年4月、新憲法施行5月3日の直前だったろうから、天皇自身の身の振り方が落着して安堵と余裕が感じられる短歌でもあった。
・ うつくしき森をたもちてわざはいの民におよぶをさけよとぞおもふ
・料の森にながくつかへし人々のいたつきおもふ我はふかくも
登りきったところからは八王子市街も望める。本格的な望遠カメラと三脚を担いだカメラマンが行き交い、見どころとなればカメラマンが並び、人の流れをせき止めることもある。ところどころに設置された丸太のベンチの一つに陣取り、コンビニ弁当を開けば、崖に群生するスミレやムラサキケマンの花にも気付く。ときどき野イチゴが白い花を咲かせている。弁当のゴミを捨てるところがとうとう見つからなかった。持ち帰れということなのだろう。
今回は樹木園や森の科学館の見学は省略して、歩くにはちょうどよい花曇りとて、せっかくなので多摩御陵まで足を伸ばすことになった。
参道のミツバツツジ
明治天皇・皇后の陵は、桃山御陵と呼ばれ、連れ合いが京都に単身赴任しているときの住まいが、桃山町泰長老であったこともあって、何度か訪ねたことがある。御陵と聞けばあの広大な玉砂利の参道と深い木立を思い出す。大正天皇・貞明皇后、昭和天皇・香淳皇后の陵は、ここ八王子にあって、天皇陵としては初めて関東地方に置かれたことになる。通称は多摩御陵だが、武蔵野陵墓地と呼ばれ、案内板などもそう書かれている。いずれは訪ねたいところであった。森林科学園を出、高尾街道に沿ってすぐに南浅川を越える大きな橋がある。土手沿いにはしばらく見事な枝垂れサクラが続くが、橋は渡らずに、陵の杜に沿った路地を進むとケヤキ並木の参道に出る。たしかに広い参道だが、桃山のそれには及ばない。正面に大正天皇、その東側には貞明皇后の陵、上円下方墳で、大きな台座に白いお饅頭がのっているような格好で、白木の鳥居が時を刻む。参拝の人はまばらだが、「何の説明もないじゃないか。こんな石一つでは、いつ亡くなったかもわからねえ。若いヤツにはなおさらわかるまい」とぼやいていた年配の男性がいた。たしかに、陵の右手に「大正天皇陵」の石碑が建つだけで、案内板があるわけではない。他の三基の陵も同じ。事務所でパンフレットを配っているわけでもなさそうだ。そっけないものだな、と私も感じる一方、これでいいのだろうとも思う。参道沿いには、木々の芽吹きがはじまるなか、いちだんとあざやかなピンクの花をつけている潅木がある。葉よりも先に花をつけるツツジ、ミツバツツジと教えてもらう。
予報どおり、なんとなくあやしい空模様に帰路を急ぐことになった。それでも民家の庭などをのぞきながらこんなところに住むのも悪くないね、などと勝手を言いながら歩く。この辺りは「廿里町」と書いて「トドリチョウ」と読むらしい。秩父から10里、鎌倉から10里に位置するからというのが由来だ。帰宅後、ネットで調べると、この町は、森林科学園・御陵と南浅川の間にあって、二つの南側を包むように広がる面白い形をしている。さらに、東へと南淺川沿いに進むと陵南公園があり、サクラの名所でもあるらしい。1927年に完成した多摩御陵の参拝者のために、1931年に御陵線が開通したのだが、1945年1月には運行休止となり、そのまま廃線になったという。当時の橋梁などが残っているそうで、ネット上には、鉄道マニアによるレポートも多い。たんなるノスタルジアだけでなく、私も今度は、少々調べた上で、ゆっくり出かけてみたいものである。
雨がぽつりと落ち始めた5時10分、帰宅、長い一日であった。
(2007年4月11日)
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