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2007年6月29日 (金)

このところ、縁あってマルク・シャガール

行列のできない千葉市立美術館、

千葉市立美術館のシャガール展をのぞいてみた。この美術館の雰囲気や企画に惹かれて、千葉寺のハーモニープラザの歌会の帰りに立ち寄ることがある。きょうのシャガールは、油彩の24点をはじめ、「聖書」「そして地上には」「わが生涯」シリーズのエッチング、「ダニフスとクロエ」「出エジプト記」「サーカス」シリーズのリトグラフなど国内所蔵の作品が大部分だったが、バラエテイに富んでいた。空を飛んでいる恋人たち、あちこちに姿を見せる人間と同じような表情を持つ愛すべき動物たちを見ていると、心がなんとなく和んでくる。入場者が少ないので、「パリの空に花」、「枝」「ふたり」などのやや大作もゆっくり鑑賞できる。

シャガールにもナチスの影が

それにしても、このところ、マルク・シャガールには縁があるような気がする。近くでは20024月、上野の都美術館でのマルク・シャガール展。「ポンピドーセンターとシャガール家秘蔵作品」と銘打って油彩だけを集めていた。真っ赤なチラシやチケットには「盃をかかげる二重肖像」がおさまっている。住んでいた地によって、ロシア、パリ、ロシア、パリ、ニューヨーク、南フランス時代に分けての展示で、そのスケールの大きい生涯を知ることができるようになっていた。

思いがけず飛び込んだシャガール美術館

忘れがたいのは、思いがけず訪ねることになった、ニースの、何の準備もなく飛び込んだシャガール美術館だった。南仏のアヴィニヨンに3泊した折、少し遠いかな、と思いつつ日帰り旅行を試みた。駅はホテルの横だったからTGVに乗れば3時間弱で着く。マルセイユを過ぎて、地中海が見えたときは、向かいの席の年配の女性も「オオ、メール!」とお連れ合いを起していたっけ。ニースでは、海岸通り、旧市街と大急ぎで回ったあと、向ったのは閑静な住宅街のなか、広い芝生に囲まれたシャガール美術館だった。この建物は、シャガールの晩年、フランスに寄付した作品「聖書のメッセージ」を収める国立美術館として、当時の文化相、アンドレ・マルローが新設を決め、1973年に開館している。シャガール自ら手がけたという展示には工夫が凝らされている。泉の部屋の正面の大きなモザイク絵も預言者エリヤを描く。コンサートホールのステンドグラスは「聖書の教え」美術館らしい宗教的メッセージというよりも、その青のあざやかさに目を奪われた。シャガールは、白ロシア(現在のベラルーシ)にユダヤ人として生まれ、パリでの仕事も長かったが、二つの大戦を体験し、1941年にはナチスからの迫害を逃れてニューヨークに亡命する。そこで最愛のベラ夫人を亡くす。晩年は、ニースの近郊ヴァンスに居を構え、1985年、98歳の長寿を全うする。波乱に満ちた人生ながら、充実した最晩年を思いつつ美術館を後にした。高級住宅地シミエの一角からさらに高台にあるマチス美術館を目指した。地図の上では、歩いて行ける距離なのだが、迷いに迷ってしまったのだ。途中何度か街の人に尋ねるのだが、なにせフランス語の上に、お年寄りが多く、指差す方向がまちまちで、たどり着いたときは連れ合いともども汗ぐっしょりになった苦い思い出のあるニースであった。

シャガールの描く動物たち

昨年20065月には、佐倉市内の川村美術館の「マルク・シャガール ラ・フォンテーヌ『寓話』」と題する版画展に出かけた。美術館のある庭園は四季折々の風情が楽しめるのだが、池に面する藤棚の藤が見事で、近くには車椅子のお年寄りたちがお弁当をひろげていた。『寓話』は、17世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌが、イソップ物語をはじめとする寓話を集めて人気を博した書だという。シャガールの版画は1927~30年制作、1952年刊行されたもので、高知県立美術館所蔵のものが中心ながら、この寓話やイソップ物語が日本でどのように受容されたかも、挿絵などで示されていた。エッチングにわずかな彩色がほどこされ、主人公の動物たちの表情をいっそう際立たせている。「カラスとキツネ」「2羽のハト」「オオカミと母親と子ども」など手元に残っている絵葉書をあらためて楽しむことになった。(2007629日)

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2007年6月28日 (木)

マイリスト「短歌の森」に「戦後における昭和天皇の短歌―その政治的メッセージとは(6)」を載せました

六 昭和天皇退位をめぐる状況の推移(続き)
・戦ひにやぶれし後の今もなほ民のよりきてここに草とる(1947年1月1日)
などの短歌を残すが、1946年5月3日開廷の極東軍事裁判での天皇訴追の流れは薄れてはいたものの、その年の年末には東条英機の「天皇に開戦責任あり」、翌年頭の「開戦責任なし」の証言の揺れなどもあり、心休まることはなかったと思われる。

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マイリスト「すてきなあなたへ」に51号を載せました。

目次
井野長割遺跡はどうなる~佐倉市は6.7億円で土地購入へ動いたが~
私の好きなジョギングコース~ラベンダーの香りを楽しみながら~
夜のウォーキング~きつく減量を言い渡されて~
菅沼正子の映画招待席23「リトルチルドレン―とまどいながら自分の生き方をさがして」
後期高齢者医療制度が始まります!高齢者に相応しい制度とは?
編集後記6月27日の朝日新聞に

本体には、はじめて写真を載せることができたのですが、ブログのpdf上には、載せられませんでした。

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2007年6月13日 (水)

首相夫婦の、あの全面広告はナンだったの?(その2)

 6月5日、環境の日の「電球形蛍光灯」を勧める、安倍夫妻の新聞全面広告の評判はすこぶる悪い。8日の記事の続きがある。マスメディアは、この広告関係の記事を出さない、と記したが、私がブログを書いた時点で、前日6月7日19時1分、次のような「時事通信配信」があったのを後で知った。
民主党の末松義規衆院議員(シャドウキャビネットの環境大臣)が、あの広告は「税金の政治利用」であって、再広告防止の抗議を環境省にし、広告費は1億6500万円であったとの記事があった。
 6月9日の朝日新聞には、二つの小さなべた記事が載っていた。
・首相夫妻の広告 「公示前で問題なし」:衆院外務委員会で、末松議員が「参院選の1か月前に、政治的中立性を害する」とただしたが、環境賞地球環境局長は「選挙期間中ではない。公示後であれば配慮が必要だが」問題はないという認識を示した。
・民主が公開質問状:末松議員は若林環境相あてに「環境省広報予算の政治的中立性について」と題する公開質問状を出した。
マスメディアは相変わらず口が重い。

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2007年6月12日 (火)

マイリスト「短歌の森」に「『批評と礼節』をめぐって、少し考えたこと」を載せました。

今年に入って、佐佐木幸綱の作品時評(短歌研究07年1月号)の短歌の「読み」をめぐって、論争が起きている。佐佐木評に松村正直が疑問(短歌年3月号)を呈し、佐佐木が「批評と礼節」(短歌4月号)と題して反論しているのだが、その内容が題にある「礼節」にかなうものかどうか、私には疑問に思われた。青磁社のホームページ上の大辻隆弘・吉川宏志による「週刊時評」もそれに参入した。健全な論争が育たない「歌壇」でどんな軌跡を残すのか。

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2007年6月 9日 (土)

マイリスト「野の記憶」に「『すてきなあなたへ』は何を目指すか―50号記念おしゃべり会から」を載せました。

時期が少し前後してしまいました。51号はただいま準備中です。

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2007年6月 8日 (金)

首相夫婦の、あの全面広告はナンだったの?

今年のバラは、どこのお宅でも勢いがいい。わが家では夏ツバキと山ボウシが高いところから花をつけはじめた。山ボウシは「花」というものではないらしいのだが。

6月5日の朝刊を見て驚いた。「環境の日」だそうだ。購読している3つの全国紙のどれにも、「電球から日本を明るくしよう。」なる安倍首相が奥さんと並んで登場する全面広告が載っている。その広告主は「地球温暖化対策推進本部」、要するに、我々の税金であの寝ぼけたような広告が打たれたのである。一気に目がさめた。動いたお金、広告費は?

その日の朝刊のトップ記事は、社会保険庁の不明年金記録5,000万件の照合を1年間で完了するという、なんとも信じがたい政府の対応策であり(毎日・東京)、それを参院選の重点公約にする(朝日)というものであった。同じ日、ドイツに旅立った安倍首相は、6日から始まるサミットで環境問題での主導権を握りたいと記者団に語っていたが、各種の世論調査で安倍内閣支持率が下がるなか、その挽回策とでも思っているのだろうか。第一、この全面広告は、居間の明かりを電球形蛍光ランプに替えようとしている安倍首相、それをにこやかに見守る夫人という構図なのだが、まったく生活感のない空間の二人から届くメッセージといえば、まさに「モッタイナイ」「この紙がモッタイナイ」、「温暖化促進」に尽きる。参院選へのイメージ戦略とすれば、これって公費を使っての公職選挙法違反なのでは?

思えば、2004年の年金未納問題ってナンだったのだろうか。国民年金法改正の国会審議中に、いわゆる議員たちの年金保険料未納問題が浮上、与野党未納者続出のなか、議員年金という特権的な制度が国民に広く知れ渡るところとなったのが、そこは改められないまま、6月5日に法律は成立した。オロオロする政治家たち、連日書きたてた新聞、未納政治家に怒って見せたワイド番組のキャスターやコメンテイターたち、あれはいったいナンであったのか。20047月鳴り物入りで長官に迎えた村瀬清司(損保ジャパン副社長)、企業の論理?とかで保険料納付率を高めよとの声で進められたのが、2006年、全国的に発覚した社保庁自らの保険料不正免除であった。要するに、納付率の実態が変わらないのに、分母の数字を減らすべく、申請もしないのに免除をしてしまうという手段に出たのだ。この責任って誰が取ったんだっけ。そして、今年の3月に閣議決定されたのが社保庁改革。社保庁を解体して「年金事業機構」にするという国会審議の最中に、何千万件の中に浮いた年金記録により「消された年金」問題が発覚した。時効撤廃特例法や24時間相談窓口、たんなる看板の付け替えではナンの解決にもならないことが明らかになった。

メディアによる政府批判は、もう不可能なのだろうか。この全面広告以後、広告に触れる新聞記事は見出せない。新聞社にとって政府は、大事な大事な広告主というわけである。一つだけ、6月7日『朝日新聞』、やくみつるの一こま漫画「昼行灯だって困ります」(新聞広告と同じ構図で、安倍首相が行灯のなかに立ち入って「ぼーーー」と広告と同じポーズをとっているものだ)があった。安倍の「鈍感さ」をやんわり皮肉ったものだろうか。メディアの音なしの構え、スポンサーである政府批判の回避は、もうここまで来てしまったのだろうか。

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