このところ、縁あってマルク・シャガール
行列のできない千葉市立美術館、
千葉市立美術館のシャガール展をのぞいてみた。この美術館の雰囲気や企画に惹かれて、千葉寺のハーモニープラザの歌会の帰りに立ち寄ることがある。きょうのシャガールは、油彩の24点をはじめ、「聖書」「そして地上には」「わが生涯」シリーズのエッチング、「ダニフスとクロエ」「出エジプト記」「サーカス」シリーズのリトグラフなど国内所蔵の作品が大部分だったが、バラエテイに富んでいた。空を飛んでいる恋人たち、あちこちに姿を見せる人間と同じような表情を持つ愛すべき動物たちを見ていると、心がなんとなく和んでくる。入場者が少ないので、「パリの空に花」、「枝」「ふたり」などのやや大作もゆっくり鑑賞できる。
シャガールにもナチスの影が
それにしても、このところ、マルク・シャガールには縁があるような気がする。近くでは2002年4月、上野の都美術館でのマルク・シャガール展。「ポンピドーセンターとシャガール家秘蔵作品」と銘打って油彩だけを集めていた。真っ赤なチラシやチケットには「盃をかかげる二重肖像」がおさまっている。住んでいた地によって、ロシア、パリ、ロシア、パリ、ニューヨーク、南フランス時代に分けての展示で、そのスケールの大きい生涯を知ることができるようになっていた。
思いがけず飛び込んだシャガール美術館
忘れがたいのは、思いがけず訪ねることになった、ニースの、何の準備もなく飛び込んだシャガール美術館だった。南仏のアヴィニヨンに3泊した折、少し遠いかな、と思いつつ日帰り旅行を試みた。駅はホテルの横だったからTGVに乗れば3時間弱で着く。マルセイユを過ぎて、地中海が見えたときは、向かいの席の年配の女性も「オオ、メール!」とお連れ合いを起していたっけ。ニースでは、海岸通り、旧市街と大急ぎで回ったあと、向ったのは閑静な住宅街のなか、広い芝生に囲まれたシャガール美術館だった。この建物は、シャガールの晩年、フランスに寄付した作品「聖書のメッセージ」を収める国立美術館として、当時の文化相、アンドレ・マルローが新設を決め、1973年に開館している。シャガール自ら手がけたという展示には工夫が凝らされている。泉の部屋の正面の大きなモザイク絵も預言者エリヤを描く。コンサートホールのステンドグラスは「聖書の教え」美術館らしい宗教的メッセージというよりも、その青のあざやかさに目を奪われた。シャガールは、白ロシア(現在のベラルーシ)にユダヤ人として生まれ、パリでの仕事も長かったが、二つの大戦を体験し、1941年にはナチスからの迫害を逃れてニューヨークに亡命する。そこで最愛のベラ夫人を亡くす。晩年は、ニースの近郊ヴァンスに居を構え、1985年、98歳の長寿を全うする。波乱に満ちた人生ながら、充実した最晩年を思いつつ美術館を後にした。高級住宅地シミエの一角からさらに高台にあるマチス美術館を目指した。地図の上では、歩いて行ける距離なのだが、迷いに迷ってしまったのだ。途中何度か街の人に尋ねるのだが、なにせフランス語の上に、お年寄りが多く、指差す方向がまちまちで、たどり着いたときは連れ合いともども汗ぐっしょりになった苦い思い出のあるニースであった。
シャガールの描く動物たち
昨年2006年5月には、佐倉市内の川村美術館の「マルク・シャガール ラ・フォンテーヌ『寓話』」と題する版画展に出かけた。美術館のある庭園は四季折々の風情が楽しめるのだが、池に面する藤棚の藤が見事で、近くには車椅子のお年寄りたちがお弁当をひろげていた。『寓話』は、17世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌが、イソップ物語をはじめとする寓話を集めて人気を博した書だという。シャガールの版画は1927~30年制作、1952年刊行されたもので、高知県立美術館所蔵のものが中心ながら、この寓話やイソップ物語が日本でどのように受容されたかも、挿絵などで示されていた。エッチングにわずかな彩色がほどこされ、主人公の動物たちの表情をいっそう際立たせている。「カラスとキツネ」「2羽のハト」「オオカミと母親と子ども」など手元に残っている絵葉書をあらためて楽しむことになった。(2007年6月29日)
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