連休前、フェルメールとオランダ風俗画展
六本木交差点にて
連れ合いは午後遅めに水道橋に所用があるといい、天気のよさも手伝って、フェルメールを見に行こうか、ということになった。六本木の国立新美術館は黒川紀章設計という、その外観や使い勝手はどんなものだろう。「フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」の混雑が予想されるので早めに家を出た。久しぶりの六本木、というより麻布や表参道あたりまでは来ているものの、この六本木交差点に立つのは何十年ぶりか。たしかに角のアマンドは健在だ。その店を背に交差点から少し進んだところに「国立新美術館近道」とある。飲食店や古いマンションの間に「六本木7丁目プロジェクト」なる再開発のビル工事が続く。路地を抜けると、まず「政策研究大学院大学」の看板、右手が、目当ての国立新美術館である。
展覧会、ちょっとその前に
かつては、東京大学生産技術研究所・物性研究所があったところと聞いている。前者は、駒場キャンパスに、後者は柏キャンパスに移転しているはずだ。文部省がらみの国有地なので政策研究大学院と新美術館に転用したことになる。それにしても、この大学院大学、大田弘子が教授を務めていたことでも知られる大学、埼玉大学に設置されてスタートした大学がいつの間にか、こんなところに移転していたのだ。設置が取沙汰されて、目的がいま一つ分からなかったし、そして、現在何をやっているのかも分かりにくい。かつての中教審大学、筑波大学の大学院版にも思えたのだ。官・産・学に政治が一体となった、短期集中・実務重視、学問の国際化・多様化に備え、社会人・外国人歓迎の研究・教育機関というのが「看板」らしい。だが、国費を投じて新設した意味は何ほどなのか。既存の大学で十分機能は果たせたのではないか。御用学者や審議会メンバーの養成所や待合室にならなければよいが。
一方、国立新美術館にも、開館までの紆余曲折があるらしいのだ。当初の「ナショナル・ギャラリー」構想は後退して、収蔵品は持たない、学芸員はわずか、貸し展覧会会場という、ハコモノに近いコンセプトになった。たしかに、都美術館のどの企画展に出かけてみても、団体公募展などがびっしりという状況だったから、こうした貸し会場も必要だったには違いない。ハードの後追いにはなるが、ソフトを考え、変えていくのは利用者の当事者意識がカギになるのだろう。
フェルメールと「風俗画」
オランダには出かけたことはないが、ベルギーの美術館で出会ったフランドル絵画やルーブル、ウィーンの美術館でのフェルメールに思いを馳せながら、会場に入る。入り口の混雑をひとまず通り抜けると、「牛乳を注ぐ女」の遠近法、光線、絵の具の下まで細部にわたって分析したコーナーがしばらく続いて、ようやく本体が遠くの壁に見える第2室に入った。絵が浮き立つ、かなり強い照明に意表を衝かれたが、「ゆっくり見たい」コースと「遠くから眺めるだけでよい」コースに分かれているのにも驚いた。混雑緩和の便法なのだろうけれど、少々味気ない思いで通り過ぎる。たしかに「本邦初公開」なのかもしれないが、鑑賞者にとって、科学的な解説もコース分けも少し「やりすぎ」で、押し付けがましい感じもする。フェルメールは、この一点のみなのだが、展示の大部分は、展覧会の表題のように、宗教画でもない、歴史画でもない、静物画でもない、室内で働く女性を丹念に、精密に、描き続けた「風俗画」であった。窓からの日差しに微妙な翳を落とす、女使用人たちの服の大きな襟のしわ、大鍋の底のへこみ、籠の少し歪んだ網目、そこここに登場する幼子や犬、猫にも思わず近寄りたくなる親しみを覚える。少なくともここに集められた絵には、酔っ払っている男や女に言い寄る男などが登場するが、働いている男にはお目にかかれなかった。男は外で働き、女はもっぱら家事にいそしむという分業が確立していたのだろう。一方では、ヤン・ステーンの描く乱雑で放埓な室内や家族たちや眠り込んでしまった主婦や女使用人の姿もしばしば描かれているのには、興味を抱かせられる。17世紀の半ば、独立新興国となったオランダの一面への風刺や警告になっているのだと思う。また、「女の仕事」という連作版画は、当時の働く女の姿が克明に描かれているが、カタログの解説によれば、作者は、当時では珍しく女性だったということで、いっそう印象深いものとなった。
時代は一挙にくだって、19世紀の風俗画の中で、ひときわ私の目を引いたのは、そこだけにやわらかい日差しが届いているような、窓辺で読書をする少女を描いた「アムステルダムの孤児院の少女」であった。ニコラス・ファン・デル・ヴァーイという名の画家であった。覚えておこう。
全面パソコン検索の図書館へ
東京駅近くでの昼食後、連れ合いとは別れて、国立国会図書館に出かけた、議事堂裏の銀杏並木も、図書館へと渡る交差点の日当たりのいい数本だけが見事に黄葉していた。ここ国会図書館のなかの様変わりは、出かけるたびに目を見張る。あの膨大なカードボックスと冊子目録が後退して久しいが、本館も新館も入ったところのホールは、検索用のパソコンの列が何重にも連なる。つい先日は、判例を調べに行ったが、冊子の判例集を見ることなく、画面からの操作で必要なコピーが取れるようになっていた。自宅でのネット検索やCDROMでの検索はやっていたものの、ここでは、さらに、その対象は広く、複写もかさんでしまった。今日は、雑誌記事のコピーを取りにきた。閲覧・複写時間の延長はありがたく、民間委託の効用であろう。かつては、昔の同僚に一寸の間、会うのもの楽しみであったし、館内で偶然出会ったりする後輩職員もいたが、今年の三月、一番若かった友人も定年退職してしまった。
はや、暮れかけて、議事堂も、周辺の高層ビルの壁いっぱいに明かりがともると、何枚もの光りの板に照らし出されるようだ。丸の内線の議事堂駅までの数分、いつも走るように通勤していたのは、三十年以上も前のことになる。
家に帰ってみれば、四隅に本が積まれているかのような居間、買いすぎた生協の野菜が転がりだしそうな台所、まるで「ヤン・ステーンの描く部屋」になりそうな・・・。
(2007年11月27日記)
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