「イル・ポスティーノ」を見ました
「イル・ポスティーノ」(1994年)~詩人ネルーダと郵便配達夫の交情
―ことばの海に揺れる船は―
ナポリ沖の小さな島に亡命してきたチリの国民的詩人パブロ・ネルーダと郵便配達夫のイタリア青年との交流が、地中海と小さな漁村を背景に、丁寧に描かれてゆく。「愛と革命」の詩人ネルーダの俗っぽい一面も、仕事は詩人宛ての郵便物を届けるだけという配達夫の純朴さ、共産党員という一途さを垣間見せながら、国を超えた、老若を超えた友情、詩を通じての師弟関係がほほえましく、展開される。
ネルーダに届けられるファンレターを運ぶ青年が、詩人が口にする「隠喩」とは何かと尋ねる。「別の言葉で説明すると詩ではなくなる」との答えに戸惑いながら、いつしか詩における「隠喩」を体得していく過程が興味深かった。港の郵便局から岬の丘の上のネルーダの家まで、自転車での往復、時には詩人を案内、散策し、詩作の教えも乞う。時には、青年の発するナイーブな、鋭い質問に詩人が頭を抱える場面もある。やがて、この少し晩生の青年も食堂の娘と恋に落ち、詩人の力を借りながら結婚にこぎつける。島の下水道工事をめぐる政治家の利権なども絡み、港町が翻弄されるさまなども淡々とユーモアもって語られる。ネルーダは、母国での逮捕命令が解かれ、あわただしく帰国してしまう。青年にはこれまで濃密だった時間の空白をなかなか埋めることができない。彼は、上司であり、ネルーダを尊敬してやまない郵便局長と新聞切抜き帖を繰りながら詩人のその後の活躍に思いを馳せ、島を讃えていた詩人の言葉を懐かしむ。詩人の家に残されていた録音機で、二人は、打ち寄せる波、木立の風、巻き上げられる魚網、夜のしじま、果ては身ごもった青年の妻のもう一つの心音にいたるまで、島にまつわる「音」を採取、それをネルーダに送ろうと思いつく。録音に添えられる簡明なナレーションは、一つの長編詩のようにも聞こえ、美しい「映画詩」を見るようでもあった。
数年後、ネルーダは、突然、この島に立ち寄って、青年との再会を果そうと港の食堂を訪ねるのだが、その妻と幼子から思わぬ成り行きを知らされる。妻の出産を間近に控えていた青年は、イタリアの共産党大会に参加し、自らの詩を朗読するために島を離れたのだが、その集会で警官たちの挑発にのった群集が逃げ惑う中、事件に巻き込まれ、すでに死亡していたのだ。思いがけないラストではあったが、二人の男の物語は、優しく胸に迫るものがあった。
ネルーダのイタリア亡命時代と1970年人民連合のアジェンデ政権のもと駐仏大使として赴任、71年にはノーベル文学賞受賞などの活躍の時期が、映画ではうまくつながらないのであるが、彼が島に再訪したのが、1972年フランスで病を得て、帰国する途上ではなかったか、と思う。帰国後、癌と闘病中であった1973年9月11日、ピノチェットの軍事クーデターによる精神的ダメージも大きく、9月24日に、69年間の波乱の人生を閉じる。彼の詩集も読んでみたいが、スペインでの人民戦線支援、反ファシズムのためのソ連支援、1945年チリ共産党入党、ベトナム戦争ではアメリカを批判し続けた、強靭で、不屈の精神にも分け入ってみたいと思う。
青年を演じたマッシモ・トロイージは、もともと喜劇俳優だったが、この映画の撮影終了直後に持病の心臓病で急逝、彼にとって、まさに命をかけての最後の仕事となった。ネルーダの先鋭的というよりはむしろヒューマンな、親しみやすい一面をたくみに演じていたフィリップ・ノワレも2006年に76歳で亡くなっていた。
(2008年2月21日、NHK衛星映画劇場放映)
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