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2008年6月23日 (月)

旧著『現代短歌と天皇制』が紹介されました

 出版後7年を経た『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001年)が、最近いくつかの文献で紹介されているのに接し、正直、少し元気も出、うれしいことだった。ありがとうございます。

①大野道夫:短歌と天皇制論議に思う ( 『短歌・俳句の社会学』 はる書房 2008年3月、所収)
 これは出版直後の大野氏執筆の「時評」(『歌壇』 2001年5月号)が著書に再録されたのである。『現代短歌と天皇制』の第2章「歌会始と現代短歌」の中で、私が古橋信孝「短歌形式と天皇制」(『短歌と日本人Ⅱ』岩波書店 1999年)への反論を展開した二つのエッセイを対象に、論評をしている。国文学界、古代文学の「鉄人」とも評されていた古橋氏への私の反論は、無謀にも近かったのかもしれず、この反論に触れる論者は少なかったのだ。古橋氏の批判というのは、私の旧著『短歌と天皇制』(風媒社 1988年)の冒頭の一部を恣意的に取り出して、全体を読もうとしない、「ためにする」批判に思われた。大野氏の時評は、私の<激昂>にも近い反論を真正面から読まれていることがわかり、私をかなり冷静にさせてくれたことなどを思い起こす。

②橋本三郎:短歌と現代(4)天皇制と短歌 (『短詩形文学』 2008年4月号)
 『現代短歌と天皇制』とあわせて旧著『短歌と天皇制』とが紹介されていた。勉強不足で、私は橋本氏の名前を知らなかった。1950年代から60年代にかけて、『現代短歌』や『樹木』で活躍された論客であったことも初めて知った。そしてその主たるテーマは、「前衛短歌」批判であり、岡井隆批判でもあったことは、最近、橋本氏から頂いた著書『いい短歌とは何か』(光陽出版社 2003年)で知った。その著書の「あとがき」で、すでに、私の二つの旧著が紹介されていることも知ったのである。本を出すということは、多くの未知の読者と出会っているというありがたさと責任の重さを同時に味あうことなのだろう。身のひきしまる思いであった。

③鈴木隆夫:『現代短歌と天皇制』 (『短歌研究』 2008年6月号) 
特集<歌人が選ぶ平成二十年間の歌集歌書100>の1冊として選定された。半頁ほどの紹介の後半で、鈴木氏は次のように述べる。「(短歌のもつ)<私性>を、作品・その他の表現活動・生活の三者を貫く姿勢に読み取れる心情と考える著者は、その<私性>の放棄が横行しはじめ、右傾化が著しくなっている現実のなかで、歌人ひとりひとりの<私性>の軌跡の振幅に着目したいと述べている。歌壇の閉鎖性と歌人の時代迎合を撃つこの書は、短歌を詠み、また読むことの意味を改めて考えさせてくれる。巻末の資料もその参考になる」ちなみに、編集部によれば、1889年1月~2008年春までに刊行された歌集歌書で、この時代に残すべきもの、読み継がれるべきものとして、200人の歌人にアンケートをとり、複数回答のあった注目すべき中から100冊を選定したという。

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