『象徴天皇の現在』(世織書房)に書いています
数年前に、再校を返送してから音沙汰がなかったので、半ばあきらめてもいたのだが、一昨日『象徴天皇の現在』(五十嵐暁郎編 世織書房)が届いた。2008年6月28日が発行日となっている。編者の五十嵐先生の「あとがき」にもあるように、この論文集の始まりは十二年前にさかのぼる。当時、私は、30余年の勤めを退き、立教大学社会学部の院生であった。指導教授の一人、服部孝章先生の紹介で、法学部の五十嵐先生が立ち上げたばかりの象徴天皇制研究会に参加することになった。10人近いメンバーが交代でレポートをする研究会が、私には毎回新鮮で楽しかった。ほとんどが研究職に就かれている方たちなのに、なぜかリラックスして通ったことを思い出す。若手では、最初の頃は原武史氏も参加されていたし、川島高峰氏は皆勤ではなかったか。五十嵐先生は、松本三之介門下だったので、数十年前同期生に誘われて参加したゼミ旅行でご一緒したこともある。同世代の高橋紘氏は、当時MXテレビにいらしたが、共同通信社時代は、宮内庁記者クラブに長かったこともあって、とても紳士的な方であった。今は、大学教授として、皇室問題ではテレビにもときどき登場されている。記者駆け出し時代は、池袋警察が担当なこともあり、昔の池袋界隈に詳しく、話が盛り上がったこともある。研究会の2次会「放課後」の多くは、池袋西口の「がんぴ」だった。
今回の論文集に、私はつぎのようなテーマで執筆している。このブログでも紹介済みのように、『ポトナム』という短歌結社誌にその一部をすでに発表している。
第6章 昭和天皇の短歌は国民に何を伝えたか―象徴天皇制下におけるそのメッセージ性と政治的機能(239~255頁)
はじめに
1.天皇の短歌発信の場としての歌会始
2.天皇の短歌は国民の天皇像形成にどれほど役に立ったのか
これを執筆していた頃は、ちょうど『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001年)のまとめにかかっていた。もちろん、上記の論文は収録されていない。私の書くものに「天皇の短歌」作品自体がまったく登場しないのはなぜか、の指摘をよく受けていたので、この論文では、昭和天皇の短歌作品に即した形で、論を進めるようつとめた。これまでの著の繰り返しの部分もあるが、歌会始戦後史における選者と歌壇の関係、選者と国家権力の関係などにも言及している。関心のある方は、ぜひ身近な図書館にリクエストしてほしい。それに、以下の収録論文は、天皇周辺における知らなかった出来事、知っている事柄でも、脈絡をたどって分析している論文が多く、あらためて読み返し、興味深かった。服部先生、原氏、高島氏の論文がないのは寂しいけれど、ぜひ一読をお勧めしたい。
序論 現代日本と象徴天皇(五十嵐暁郎)
第1章 象徴天皇と政権党(五十嵐暁郎)
第2章 胸に一物―評論家における「昭和天皇の戦争責任」論(ボブ・T・ワカバヤシ)
第3章 天皇制文化の復活と民族派の運動(ケネス・J・ルオフ)
第4章 皇太子訪米と60年安保―外交文書にみる「皇室外交の政治利用」(高橋紘)
第5章 戦後日米関係と「天皇外交」―占領終結後を中心に(吉次公介)
第6章 (内野光子)*上記参照
第7章 日本民族宗教としての天皇制―日常意識の中の天皇制モジュール(栗原彬)
院生時代、法学部の栗原彬先生のゼミにも潜り込み、原書を読んでのレポートはお手上げで迷惑をかけたことがある。ベネデイクト・アンダーソンの『想像の共同体』などもここで知り、基礎学力のない自分を思い知った場所でもある。先生は、現代短歌にも関心をお持ちであることはあとで知った。今回の論文でも、岡野弘彦、上田三四二の昭和天皇追悼歌を俎上にのせている。
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