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2008年7月20日 (日)

<竹山広20・8・9以降>アンケートに答えました  

「短歌往来」8月号の竹山広特集の私のアンケートの回答です。

評論は三枝昂之と森本平の2本と年譜(馬場昭徳)と50首抄(佐藤通雅)でした。

①竹山広の3首を上げて下さい。

核反対の立看板を引き倒す風あれば風を敵として坐る(『葉桜の丘』)

無用なる天皇制といふ論にこころ傾きて七十となる(『残響』)

傲る者を無力なものとなしたまふ神よと讃ふ日日の祈りに(『遐年』)

竹山短歌の魅力について自由に記して下さい。

 竹山短歌の鑑賞に欠かせないキーワードである「核」「天皇」「神」について直截的なメッセージが込められている三首をあげた。竹山の原爆詠の背景として長い沈黙と決断があったことはすでに知られている。長崎での被爆以来、作歌自体を中断していたが、一九五五年以降は断続的に原爆詠を詠みつづけている。年譜には、一九八四年「この年から、市民による核実験反対の座り込みに参加」とあり、実践する者の底力を見せ、同時期に「うすにごる反・反核の歌にあそぶ岡井隆もさびしかるべし」がある。一九六一年に天皇の巡幸を迎えたときの「現つ神にあらず人民にまたあらず機関車二輌みがきつらねて」(『とこしへの川』)以来、天皇(制)を繰り返し詠み続ける。また、佐藤通雅は、竹山の信仰について永井隆との比較で言及するが、私も永井の通俗性と原爆投下「神の摂理」論、「長崎の鐘」出版をめぐる米占領軍との経緯を知り、竹山の「神」との距離が貴重なものに思えた。

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