節度を失くした歌人たち―夫婦で選者、歌会始の話題づくりか
選者は若返った?が
7月1日、来年1月の歌会始の選者が宮内庁から発表された。岡井隆(80歳)、篠弘(75歳)、三枝昂之(64歳)、永田和宏、河野裕子ということだ。1979年、戦中派歌人として選者入りした後、今年まで30年近く選者をつとめていた岡野弘彦(84歳)が引退し、あらたに河野裕子が選者になった。一番若い永田が61歳で、河野も同年というから大幅に若返ったことになる。
それ以上に驚いたのが、永田と河野は夫婦歌人で有名でもあった。かつて、私は「夫婦や家族で売り出す歌人たち―そのプライバシーと引き換えに」と題して「永田和宏一家」にも触れ、時評を書いたことがある(『現代短歌と天皇制』2001年 収録)。そこでは、つぎのようにも記している。
夫婦で、親子で、そして家族で歌人というのも悪くはないが、途中で妻が夫の結社に乗り換えたり、夫婦で一体となって結社を取りしきったり、主宰者の夫の没後は妻や子どもが結社を引き継いだりするのは、稽古事の家元や老舗の暖簾の世界でもあろう。自立した文学者や文学を志すグループのすることだろうかと、ときどき不思議に思うことがある。(中略)主宰者への貢献度により擬似家族のような「弟子」を育てる例もある。こうした狭い場での「短歌の再生産」が短歌の衰退に拍車をかけなければいいが。
たかが歌会始の選者に、それほど目くじら立てることもないというのが、「大人」の態度なのだろう。長い間、歌会始の選者人事をおそらく仕切っていた、木俣修、岡野弘彦に続くのは、岡井隆なのだろうか。今回の人事は、御用掛り、選者を退いた岡野の重石が取れた後の岡井の主導権が実を結んだとも見える。木俣、岡野時代は、それでも、選者の出身結社のバランスなどへの配慮も若干目に見えていた。今回の河野登用には、もうそんな配慮は投げ打って、夫婦選者という話題性を優先したと思われるのだ。
しかし、今回の出来事に限らず、歌人に節度を失くしたというのか、節操がないというのか、開き直る傾向が昨今露骨になった事態をどう理解したらいいのだろう。いや、政治家や官僚の世界も同じかもしれない。歌人にも歌人の利権が廻りめぐっているのではないかと思われるのだ。島田修三はかつて歌壇における互酬性とも称した。日常的な短歌の批評や評論の世界でも、歌壇ジャーナルにおける夫婦や結社内での内輪褒めの横行、歌人同士のエールの交歓が顕著なのである。
「光栄」の裏側
一方、選者を引き受けた河野は、コメントで「喜んで引き受けました。大変光栄です」「女性が1人入ることで、暮らしの現場の感じや手触りが反映できれば」と語ったという(『東京新聞』2008年7月1日)。ここでの「光栄」発言の背後には、歌会始の天皇制、皇室、国家との親密性が尾を引いている。1993年選者就任の際の岡井隆の弁に、歌会始とて、全国規模の最大の短歌コンクールであって、新聞歌壇の延長に過ぎない旨の発言があったと記憶するが、現在にあっても、決してそうは言い切れない「蜜」が歌会始には潜んでいるのだろう。また、河野は、久しぶりに一席を確保した女性選者の存在をアピールもするが、歌会始の女性選者の役割というのは、歌壇ヒエラルヒーの男社会の「紅一点」に過ぎないのではないか。歌壇人口、結社や歌壇ジャーナリズムを支えている女性たちの絶対数に比べたら、女性選者の数は男性と逆転するかもしれない状況なのだ。
敗戦後の歌会始の選者に現代歌人が登用されて60年が経つ。それでも、宮内庁という国の機関が主催する皇室行事歌会始の選者というステイタスは、いまだに多くの歌人たちを魅了してやまない、ということなのだろう。短歌の文学としての自立は、ないものねだりなのかもしれない。
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