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2008年9月28日 (日)

「やっぱりおかしい、NHK7時のニュース」その後、どうなったか

 

926日午後、最寄りの駅近くで、NHKの関係職員と面談することになった。来訪はサービス局視聴者センター長A氏、同総括担当部長B氏、視聴者センター室長C氏の3人。事前に私から提出しておいた質問書への回答という形で、回答文書(差出人はA氏)が手渡され、主にA氏によって説明がなされた。コールセンターの窓口業務は、財団法人NHKサービスセンターが担当しているらしく、その責任者がC氏ということらしい。

 

 説明に先立って、意見を寄せた私に「大変ご不快なお気持ちにさせてしまいましたことを心からお詫び申し上げます」との謝罪があった。私の質問要旨に対する回答文書からの引用と要約で、以下のようにまとめた。「 」内は文書からの引用、( )内は文書の要約とした。

 

①何が不適切で、何を反省し、どうすべきだったか

 

「窓口担当者が、自民党総裁選のニュースに関するお問合わせ中で、ご指摘のような発言をしたことは、極めて不適切でありました。後述しておりますが、NHKの基本姿勢について丁寧にお答えし、ご理解いただくようにすべきでした。窓口担当者も、そのような発言をして対応してしまったことについて深く反省しています」

 

②対応者・監督責任者の措置、処分はなされたのか

 

「ご指摘の事実を確認後、視聴者への対応責任者としての業務を解き、直接視聴者に接する業務からはずしております。また、現在、この担当者及び監督責任ある者の処分について、懲戒規程に基づいて検討を行っています」

 

(日常的な研修や打ち合わせ等による研鑽を実施しているが、今回のような対応が視聴者の指摘により判明したことも合わせては謝罪したい。これまでの取り組みの不十分さを痛感し、教訓としたい)

 

③自民党総裁選報道についてのNHKの基本姿勢について

 

 「自民党総裁選挙は、与党第一党の党首を選ぶ重要な選挙であり、国民の関心も高く、丁寧にお伝えしてゆくテーマと考えています。NHKは同時に民主党代表選挙でも、小沢代表の記者会見を生中継するなど、各党の政策や主張も伝え、NHKの放送全体として公平性を確保することに努めています。報道機関として不偏不党の立場を守り、公平・公正な報道に努めていきます」

 

④視聴者の意見の集約、報告、反映のシステムについて

 

 (ホームページでの「週間報告」掲載、年刊の冊子「報告書」、今年の4月から始めたホームページ上での「視聴者対応報告」掲載、月に1回の「マンスリーボイス」の放送(総合テレビ第3日曜日午前11時~1120分内)、番組担当者と視聴者との直接の意見交換の場としての「ふれあいミーティング」の実施などを通じ、寄せられた意見は放送現場に伝えられ、番組作りや番組編成などに活かしている)

 

①②の回答に対して、私は、家族的、温情的な処分ではなく、あいまいな結果とならぬよう期待する、しかし、今回のような視聴者対応は、個人的な責任というよりは、日常的にも当然その萌芽はあり、それを放置していたNHKの体質が問題なのではないか。現に、処分者の子会社再就職など「面倒見の良さ」にも端的に表れているのではないか、と述べた。

 

これに対しては、「今回の窓口対応者の言動は想像を絶するもので、予測ができなかった」と繰り返したが、私は、どうしても信じられないでいる。

 

 ③の回答は、聞く前から予想がつく、実に手短な「模範解答」ではあった。国民の「関心」をタテに、夜の7時というプライムタイムの報道番組を普段の倍に拡大し、60分のうちの45分間を費やしたことには、納得できない。5人の候補者にあれだけの時間を割くのは、与党総裁の選挙というよりは、次の総選挙に向けての自民党の広報戦略に加担していることになることは明らかで、放送法に反している。あのニュース番組全体を通して45分間の放送内容・実態を目の当たりにした視聴者がどう捉えたか。また、国民の「関心」とはいうものの、「関心」の中身も問題だし、「関心」がありさえすれば時間をかけるのだったら、民放がよくやる興味本位の事件報道や視聴率稼ぎと一緒ではないか。視聴者がNHKの報道に期待するものとNHKが考える視聴者の「関心」に大きなずれがあり、視聴者の期待を見誤っているのではないか。

 

これに対しては、「不偏不党」の姿勢とバランスを取っていることを強調するとともに、他の番組では「おほめいただいている」内容の番組も多く、NHKの放送をトータルに見てもらいたい旨も繰り返していた。

 

私からは、トータルといっても、一方でいい番組をやっているから、他方で少々偏向してもバランスをとるという意味なのか。一つ一つの番組で、とくに報道やドキュメンタリーにおいては、十分慎重を期してほしい旨、付け加えた。

 

④について、私は、ホームページ上の情報には、アクセスできない視聴者も多いだろうし、視聴者には番組上で答える必要があるだろう。月一回の放送では、応えられるわけがなく、担当者に伝えられるシステムがあったとしても、それがどう活かされたのかが、視聴者には見えないので、さらに工夫をしてほしい旨、伝えた。

 

そして、最後に、私は、コールセンターの今回のような対応が、インターネット上で思わぬ反響があったことの意味を何回も伝えようとするが、3人とも、どうもそれには無反応で、ひたすら、私個人に迷惑をかけたという姿勢に終始していたような印象であった。

 

私がブログで発信したコールセンターの対応とその中身に対して、多く読者の方が自らのブログで紹介やコメントをしてくださったことはありがたかった。NHKが無視できないと判断した、大きな要因となったであろう。そして、アクセス件数が万を超える日もあって、驚くとともに、インターネットの世界を垣間見たような気がしている。細々ながら、思うところ、ときには楽しみながら発信していきたいと思う。

 

 

 

 

 

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2008年9月21日 (日)

「やっぱりおかしい、NHK7時のニュース」のその後

 私のブログ史上、はじめての展開に戸惑うことが多かった。これまでご縁がなかったブログに紹介・引用いただき、アクセス数も予想をはるかに超えた。それだけ、NHKの自民党総裁選報道の異常な偏向ぶりとコールセンターの異様な対応ぶりに怒る視聴者が多かったのだと思う。


 9月18日夕刻、たしかに、コールセンターのSさんという人から、電話が入った。先日のコールセンターの対応ぶりに不適切なところがあったので、お詫びに伺いたいという主旨であった。その日、私は、療養中の身内に不幸があって、すぐにでも駆けつけなければならなかった。ともかく1週間後にもう一度電話をもらうことにした。電話で私は、コールセンターの窓口の対応の「まずさ」とはいうものの、NHKの体質を端的に表しているのではないか、面談の際には、今回の番組編成についてのNHKの公式見解を伺いたいと、付け加えた。
 
 現在、面談の折の質問書を作成しているが、できれば事前に送付しておきたいと思っている。質問の骨子は、10日当日のコールセンターとのやり取りを含めて、次の3点とした。①コールセンター窓口の対応の何が不適切だったのか。窓口担当者への措置、監督責任者の責任②公共放送が、なぜ、自らの世論調査の結果にことよせて自民党広報の役割を果たすのか③視聴者の意見集約・報告・反映の制度的な保障、番組検証システムについて
 しかし、なぜ私の電話番号がわかったのだろう。最初はほんとにNHKなの ? と少々疑いもした。私の過去のブログ記事の、あるNHK番組の視聴者と番組制作者との交流会参加報告からたどって、当時の参加者名簿から判明したという。個人情報の流用?少し怖い気もした。コールセンターのやり取りは、一部始終録音しているということもわかって・・・。

 

 

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2008年9月12日 (金)

ドイツ気まま旅(1)ポツダム

ポツダムの傘

8月下旬、今回のドイツ行きは、私にとっては初めての街ばかりだ。それに7泊機中2泊というこれまでで一番長い旅だった。順序も気ままに書きあがったところから・・。

出発前の週間予報では、ベルリンの気温20度前後、晴れ間が続くはずだった。着いてしばらくは、やや曇りがちで、長袖のジャケットを羽織っていた。ポツダムに出かけた日は、とうとう雨になった。ホテルから地下鉄一駅分、サヴィーニ広場の駅まで歩いて、REGIOに乗った。連れ合いは家から持って出た傘が役に立つことになったが、天気予報を信じた私は、ポツダム中央駅構内のスーパーで7ユーロ近い傘を買うはめになった。

 まず、ポツダム会談が開かれたツェツィリエンホフ宮殿に向かうことになるのだが、トラムやバスの路線図を見ずして乗ってしまった92番、乗り換えの駅を見過ごしてか、とうとう20分以上先の終点(kirschallee)まで連れて行かれてしまった。乗客は私たちだけとなって、運転手は不思議そうに近づいて来る。路線図の前での説明でようやく私たちも納得、また同じ路線で戻ることになった。途中、ナウエン門近くで下車した頃はかなりの本降りになってしまったが、今度はバスで宮殿に向かう。町では選挙が近いらしく、やたらにポスターが目につく。長い石の塀が続く狭い通りに入ると、塀の中はもう宮殿らしい。降りた客は私たちだけなので心細く進んでいくと、右手の入り口からは駐車場には車も観光バスも多く、遠くには人の賑わいも見えるではないか。

 1945年夏、イギリス・アメリカ・ソ連の首脳が集まった宮殿、というよりは、木枠の壁と格子窓、煙突群など、立派な山荘のようなたたずまいである。宮殿は、1917年、当時ヴィルヘルムⅡ(1918年退位)の皇太子夫妻の住まいとして建てられたという。日本語のオーディオガイドを端折りながら聞いて進む。そのガイドでは、世界史の教科書に出てきたような、英米ソ3国首脳の写真や史料など展示物の解説から、会談のため、ロシアから取り寄せられた円卓、首脳やスタッフの並び方、各国の控室などのさまざまなエピソードまでが語られる。この宮殿は皇太子妃ツェツィリエンの名をとり、彼女の書斎は庭に張り出し、4人の子供が庭で遊ぶのに目を配りながら、読書に励んだといい、数か国に通ずる知的な女性であったらしい。近づくソ連軍を前に、19452月、彼女は子どもたちを連れてこの地を後にしている。

 会談の地がなぜポツダムとなったのか。すでにベルリンの街は爆撃のため廃墟となっていた。ソ連の勢力下にあったポツダムは警備もしやすいとして、道路から会議場の宮殿、宿舎など、すべてソ連軍兵士によって整えられたという。そういえば、フランス首脳が参加していないポツダム会談、チャーチルは会期中の総選挙で大敗、帰国し、アトリー首相に代わっている。ルーズベルトもテヘラン、ヤルタ会談後に倒れ、4月に死去、ポツダム会談に参加したのは、トルーマン大統領だった。三つの会談を通して出ていたスターリンの主導で会議は進んだ。717日から82日まで続き、「ポツダム協定」が公表された。この間、726日、日本の無条件降伏を勧告する「ポツダム宣言」が発表されたのだが、日本はただちに拒否。原爆投下が86日、9日であったから、アメリカの外交上の一手段としてなされたのであるならば、その犠牲はあまりにも大きかった、言わざるを得ない。

この宮殿の庭園はユングフェルン湖とハイリガー湖に囲まれている広大なものだ。小雨の中をしばらく歩いてみたが、それは、ほんの一画にすぎない。降りたバス停の一つ先が、遊覧船の船着場になっていた。帰りはそこから、バスで市内に戻り、今度はサンスーシ宮殿に近い停留所をしっかりと教えてもらう。それでも運転手は心配だったのか、降りた私たちに、そちらに歩いて行けと、大きく手を挙げているではないか。

サンスーシ宮殿、棺の行方

 ポツダム一番の観光地、この宮殿は見逃せないと向かったのが、二つの噴水が見通せる並木道だった。サンスーシ公園の地図によれば、遠く正面に見えるのが新宮殿、2km位先らしい。まず右手に見えてくるのが最初の噴水前の絵画館、さらに進むと、いっそう高く水を吹き上げる大噴水とその右手には、ガイドブックでもおなじみの階段状の巨大な葡萄棚とサンスーシ宮殿、近づいてみてようやくその造りがわかってくる。大きな6つの段ごとに植えられているのは、葡萄ばかりではないらしく、よくのぞいてみると、いちぢくの木と交互に植わっていた。さらに扉も付いていて閉じれば温室になり、チェリーやプラムが植えられている段もあるらしい。踊り場もかなり広く、段差を私たちは階段で登ることになる。見上げてみても、登りきって見下ろしてみても、壮観な眺めである。宮殿の裏手のこれも巨大な風車が気になるが、宮殿の中ではなく、ご近所の粉ひきやであったらしい。今は修復されて博物館になっている。宮殿内部の見学は、裏手の入り口からで、ちょっとした行列ができていた。入場制限をしているらしい。順番がきたので入ろうとすると、チケットを見せろという。打刻の順番ということで、後に回される。

18世紀の半ば、フリードリヒⅡ(大王)が夏を過ごすレジデンスとして、大王自らが意を尽くしたロココ調建築で、「憂いのない」宮殿と命名、ギャラリー・図書室・バッハも訪れ、自らもフルートを奏したコンサート室など、その華やかさだけが印象に残っている。床も天井も壁も調度も、ゆっくり鑑賞できないもどかしさがあった。共通券で見学できる絵画館に移る前にと、大王と11匹のグレーハウンド犬の墓地に参る。大王は生前から愛犬とともにこの地に葬るように墓地を作らせているが、大王自身の棺は、別の父王の墓地に埋葬されたことにはじまり、第2次大戦末期からは、時代に翻弄されながらも、教会を転々として守られ、ドイツ東西統一を迎え、1991年にようやく、没後200年以上もたって、自身が望む地に眠ることになったというドラマも大王らしいと、今回の旅の収穫の一つであった。

ギャラリー、走り抜けるように

 入り口では英語版の展示作品リストが借りられ、130点近くが見られるらしい。しかし、天井までの壁いっぱいに大作が2段、3段と展示されると、時間を急いでいる身には何となく落ち着いた雰囲気とはほど遠く、走り抜けるようなことになってしまった。そう簡単には再訪できないというのに。フリ-ドリヒⅠの時代からのコレクションというが、ルーベンス、ファン・ダイク、カルヴァッジョ・・・、多くの宗教画や食材の鳥獣や果実を綿密に描いた絵画の物量に圧倒される。それでも「テーブルを囲む犬と家族」、「老婦人像」など作者を確かめることもなく、通り過ぎながらも印象に残ったいくつかの作品があった。

 道草を食った分、当初の計画よりだいぶ遅れてツオー駅に着いた。やれやれ小さな旅も終わった。

aDeBeのワイン売り場

 今日のうちに、娘にも頼まれているお土産のワインを買いに行かねばと、一休みしてまたホテルを出る。案内係から歩いても5分といわれて、歩きはじめたものの、目的のデパートにはなかなか着かない。途中、空港からの車でも見かけた、カイザー・ヴィルヘルム記念教会の廃墟とそれに寄り添う高層ビルを仰ぐことになる。大戦の惨禍の象徴として残されたといい、広島のドームのような役割を果たしているのだろう。

 食品売り場は6階で、地下というわけではないらしい。もう、どのコーナーも目をみはるばかりで、チーズ、ソーセージ、パンなど買い込みたくなるのを我慢して、ワインを目指す。ここもかなりのスペースで、棚には、国別・メーカー別のプレートがついている。白の辛口と店員にいえば、ドイツワインは白がほとんどで、赤は稀だという。目当てのボトルをとにかくゲット、加えて数本を見繕い、別送を依頼すると、サービスカウンターにつれて行ってくれた。3階に下りて、免税分を日本円で受取り、一件落着。世界各国のチョコレートの売り場、ベルリン土産の定番、熊の人形にも未練を残しながらも7階のビュッフェで夕食とする。バイキング方式なので、メニューと格闘することもない。レジでの計量で値段が決まる。デザートのケーキの二人分はやはり残してしまった。ただ、後から計算してみると、割高感があり、カフェかレストランの方がよかったかな、とも思う。勤め帰りの人たち、お年寄り夫婦、おばあちゃんと息子、小さな子ども連れ、ひとり者と庶民的な雰囲気で、ドリンクのみという人たちも結構いる。旅行者風情は少ないように思えた。

こうして長い一日がようやく暮れた。

(ツエツィリエンホフ宮殿)

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(サンスーシ宮殿からのぞむ)

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2008年9月10日 (水)

やっぱりおかしい、NHK7時のニュース

NHKは自民党の広報か

 

きょう910日のNHK7時のニュースは、自民党総裁選挙特集の拡大版で、候補者5人を仮スタジオに並べて局から聞く、というスタイルで、延々と745分まで続いた。アナウンサーと政治部記者が、テーマごとに5人の意見の違いをわざと際立たせるかのような形で、質問を繰り返していた。そして、そのあと5分間でほかの政党のコメントが流され、結局50分が総裁選で終始した。あとの10分、事故米、金総書記の病気などのニュースに続きスポーツ、天気予報で終わった。 

やっぱり、おかしい。一政党の総裁選になぜこれほどまでにNHKはリキを入れるのか。国民に総裁や首相の選挙権があるわけでもなし、妙なキャラの候補者たちの顔をこの23日見続けて、いいかげん食傷気味なうえに、総裁選が何なの?まるで自民党の広報ではないか。候補者の中には、自分の選挙区で次の選挙が危ないという候補者も複数いるではないか。総裁選で名前を売っておくことに尽きるという候補者もいる。 

自民党のその手に乗るな、というマスコミ批判もある中で、このニュース番組編成の異常さにあきれて、NHKのコールセンターに、730分過ぎから電話をかけ続けるが、つながらない。夕食後ももちろんつながらず、9時過ぎにようやくつながった。

 

コールセンター、異様な対応がまかり通る
 

 以下が主なやり取りで、「 」の中がコールセンターの対応、最初が女性、代わったのが男性だった。
 

・一政党の総裁選に45分間もかける必要があるのか。その意図するところは何か。視聴者は自民党のコマーシャルを見るために受信料を払っているわけではない。 

「そういうご意見はたくさん頂戴いたしまして、番組の担当者に伝えます」 

・どういう意見がどのくらい来ていて、担当者はどう考えているのか。 

 「申し訳ありませんが、担当者に直接おつなぎできないことになっていますが、必ず伝えます」 

・視聴者の意見、担当者の考え方、今後の番組に活かす手立てが視聴者にはまったく知らされないのはおかしい。そういう番組やコーナーがあっていいのではないか。 

 「コールセンターの責任者につなぎましょうか。しばらくお待ちください」 

 そこまでは、よくあることで、案外早く責任者につながるらしい、と思っていたら、 

 「はいはいはい、なんでしょうか」 

・総裁選のニュースをあれほどまでに、長く丁寧に流す目的は何ですか。 

 「はいはいはい、そんなことはっきりしてますよ、そんなことも分からないですか。わははは・・・。自民党のコマーシャルですよ」 

 (ここで、これって、NHKのひと?耳を疑ったのだが、) 

・はいはいはい、は止めてください。なぜNHKがコマーシャルをするのか。 

 「必要だからですよ。必要だから」 

・なぜ必要なのか。 

「国民の関心が高いから。これはNHKの世論調査でもはっきりしてます。それに」

 ・世論調査の人気や関心だけで、番組が決まるのか。NHKの公共放送としての見識はないのか。
「人気でなく、関心ですよ。お客さん間違っては困る。わははは・・・」

  ・笑いごとではない。
「世の中明るくいきましょう」

  ・ふざけないでください。ほかに理由はあるのか。
「総裁は、国会で首相に決まります。だれが首相になるか、国際的関心も高いですよ」

・国民にとって重大な別のニュースを犠牲にまでして、時間をとってやらなければならないことではない。 
「お客さんの意見でしょ。それは。意見は全部ドキュメントとして、上は会長から担当者まで読めるようになってますから」

・視聴者の意見はどう反映されるか。
「放送で応えていますかね。番組を見てください」
 

・24時間見ているわけにはいかないでしょう。どういう意見があって、どう応えるのかを伝える番組があってもいいではないか。
「24時間見ていたら死んでしまいますな。他に質問あるの?」

・・・・

 といった具合。名前を尋ねると、「バカ!」「バカですよ!」という罵声が耳をつく。「ハッ?」とさすがに驚いた。すると「バカ!のカですよ、四足のシカ、角のあるシカと書きまして、カと読みます・・・」と叫んでいる。どうも「鹿」がつく姓らしいのだ。あきれてもう話す気がなくなった。というオマケまでつく。身分を聞いてみると、「対応の責任者」ということだった。しゃべり方といい、人を小馬鹿にした態度といい、異常にも思える、もっとも不適切な人物を、受信料で雇っているかと思うとやり切れず、落ち込んでしまった。そういえば、前にも少々突っかかる担当者がいた。処分者の再雇用がまかり通るような体質なのだろう。

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2008年9月 6日 (土)

住宅街の真ん中に、24時間営業のスーパーができる、大店法は何を守るのか

 

窓を開ければ、屋上駐車場が 

 1か月以上、更新ができなかったのは、世の中、夏休みというのに、妙に忙しかったからだ。隣接の井野東土地区画整理事業の中の一つの街区に、スーパー出店の商業施設建築計画が、今年20083月に当地の地元ディベロッパー山万から発表された。向かいの街区に建築中の14階建てのマンションの来年3月の入居にあわせて、購入者に約束したスーパーの開業をなんとか間に合わせようというのだ。その商業施設は、2階建てながら、屋上に駐車場ができるというのだ。300戸越えるマンションの足元に、屋上駐車場付きのスーパーが建つというわけだ。私たち、20数年来、まがりなりにも閑静な戸建て住宅街に住み続けてきた近接の住民は、驚いた。自治会と専門部会たる開発対策協議会は、早速ディベロッパーと協議を始めることになった。道路やモノレールの軌道を挟み、第一種低層住居専用地域とマンションに隣接し、さらに将来は、高齢者施設も計画されている、その真ん中に、屋上駐車場はないだろう、というのが正直な感想であった。まだ、周辺には空地がある、平置きの駐車場にならないか、少なくとも地下駐車場にできないか、と要望したのだが、業者は土地の有効活用と経済性の観点から一歩も引かない。屋上駐車場への導入路を若干低くして、駐車台数を数台減らしたのが相手の譲歩だった。駐車場への主たる導入路は、大店法の「指針」では原則禁止している右折だった。ディベロッパーや市役所・県庁に、その危険回避対策を迫っても、「指針」に強制力はないと涼しい顔なのである。 

それでも、予想できる照明、騒音、排気ガスなどの被害や交通被害を極力抑えた建築物にするよう協議は重ねられ、ともかく協議の確認書を取り交わせたのが8月上旬だった。続いては、着工に先立って、建築主のディベロッパーと施工業者を相手に「工事協定書」を結ばなければならない。その協議も始まった。

 

大店法手続きの虚実 

そして、予定より早く、抜き打ち的になされたのが、出店届の申請・受理と約10日後の住民説明会開催だった。同日の午前・午後の2回開催、その壇上に行政も含め関係者は居並び、物々しいが、要は、大店法にかかる手続きの代行業者コンサルタント会社が説明の主役なのである。この大店法手続き上の住民説明会は、半径1kmの住民に対する、いわば、建築主(家主)とスーパーの事業計画のお披露目でもある。このときの住民の意見は、県へは数行で報告されるのではないか。いわば大店法手続きの最初のセレモニーである。説明会後、事業計画書が縦覧に付され、4か月間、住民の意見提出を受け付けるという。しかし、一方では、建物の建築工事の着工は、建築確認が下りさえすれば、大店法の手続きとは関係なく可能なのである。本来、スーパー出店の建物の「建築計画」と建築主(家主)であるディベロッパーによるスーパー入居と併設施設にかかる「事業計画」は一体的なものと思われるが、手続き上は、大店法と建築基準法の二流れで進行するのだ。もし、住民の強い意見等で事業計画に変更をきたし、建築計画自体の変更を迫られたらどうするのだろうと、素人は心配するが、役所は、事業者や建築主がそのリスクを背負うといい、ハード面での変更など最初から変更する気がないのが実態らしい。

 

縦覧中に提出された、市町村の意見や住民の意見は「県報」の公告・縦覧を経て「審議会」に掛けられ、出店届から8か月以内に審議会での審議・答申により県として「意見を有しない」のか「意見を有する」のかに分かれ、有すれば公告・縦覧に付する。意見がなければ、手続き終了ということになる。 

さらに、県の意見がある場合、建築主の設置者は、その対応策として届出事項の変更をするのかしないのかを判断し、その変更は、再び4か月間縦覧に付されることになり、その変更が適正か否かにしたがって「審議会」は設置者に「勧告」するか否かを決定する。「勧告」に強制力はなく、勧告に従わなかった場合は「公表」するというぺナルティがあるのみである。 

この「大規模小売店舗立地法」の手続きの流れを、資料をもとに県庁の役人からレクチャーされたが、気の遠くなるような話で、住民の意見が反映されるか否かの観点から、どのくらいの機能を果たしているのだろうか。いや、むしろその「無能力化」にいかに寄与しているのか、「形骸化」に貢献しているのか、その「むなしさ」が先に立つのだった。 

住宅街の真ん中で24時間営業って、「あり」? 

ディベロッパーとの協議の中で、6月にようやく、出店業者が発表された。イオン系のスーパーで、全国に600近く店舗を有し、24時間営業が「売り」という。まず、スーパーの本部に自治会は面談を申し入れ、事業計画を尋ねようとすると、商業施設の建築主たるディベロッパーがバリアになって、なかなか実現しない。スーパー本部の担当者は、説明会に先立って、近隣自治会長への挨拶まわりには怠りないが、店長も決まってない段階で、自治会という住民組織と面談するつもりがないと突っぱねる。

 

私たち地元住民が、いちばん心配しているのが、24時間営業の近隣の住環境への影響だ。まず、幹線道路から引っ込んだ、住宅街の真ん中での終夜営業は不要ではないか。たとえ、わずかな利用者がいても、その利便性のために、近隣住民が受忍しなければならない騒音、光害、防犯・風紀上の悪影響などが大きすぎる。 

最近、自治体でもコンビニの24時間営業に規制を打ち出すところが出てきた。上述のような理由に加えて、エコロジーの観点からも規制を強めたい、夜型の生活スタイルを変えていこうとする考え方によるものである。規制反対派は、おもに業界からは、利用者がいる限り営業面で不利になる、たとえ自粛してもエコへの寄与はわずかなものだし、なぜコンビニから始めるのか、防犯面からはむしろ交番の代替としての役割を果たしているではないか、などが主なところらしい(朝日新聞2008630日、200896日参照)。繁華街や駅ビルならいざ知らず、住宅街の真ん中での終夜営業は、私にとっては理解に苦しむところだ。

 

3回目の住民説明会が近づいてきた。住民の関心は高まりつつある。

 

 

補記: 

①2009年4月に24時間営業で開店したスーパー「マックスバリュユーカリが丘店」は、2009   年11月21日より、開店7か月で営業時間が短縮され、午前9時~午後12時営業となった。 

②開店当時より医薬品コーナーの営業は短縮されて限定的だったが、2010年2月半ばで、医薬品コーナーは撤収した。

 

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2008年9月 5日 (金)

短歌の「朗読」、音声表現をめぐって(7)戦時下の「短歌朗読」5 

   

紀元二六〇〇年、一九四〇年初頭より日本放送協会は各種の記念番組を編成、一一月一〇日には「宮城外苑」で紀元二六〇〇記念奉祝式典が開催され、北原白秋はつぎのような詩を作る。

紀元二千六百年頌(北原白秋)

 盛りあがる盛りあがる国民の意志と感動とを以て、盛りあがる盛りあがる民族の血と肉を以て、個の十の百の千の万の億の底力を以て、今だ今だ今こそ祝はう。紀元二千六百年ああ遂にこの日が来たのだ。

(中略)

ラジオは伝へる式殿の森厳を、目もあやなる幢幡銀の鉾、射光の珠を。嚠喨となりわたる君が代の喇叭。金屏の前に立たします。(後略)

  

一九四〇年一二月、内閣情報部が廃止され、情報局として強化され、放送番組の指導監督は逓信省からこの内閣情報局に移管されることになる。一九四一年二月「特別講演の時間」が「政府の時間」に、「戦況日報」が「戦時報道」になり、同年四月一日からは、「学校放送」を「国民学校放送」に、「子供の時間」を「少国民の時間」とそのネーミングを変えている。振り返れば、一九四一年一二月八日の三日前、同月五日に情報局により「国内放送非常時態勢要綱」が制定されていた。その一項目に「警戒管制中は放送番組は官庁公示事項、ニュース、レコード音楽に重点を置き、講演、演芸、音楽等一般放送は人心の安定と国民士気昂揚を中心とし積極的活用を図る」とある。(『日本放送史』上巻、以下同書、五〇一頁)また、また「番組確定表」でわからなかった部分を別の資料で補いつつたどってみると、いくつかの講話、開戦の臨時ニュース、経済市況、音楽(レコード)、君が代、時報の間を各種行進曲の吹奏楽が放送され、そのメインは正午から始まったとされる「詔書奉読」(中村茂代読)「大詔を拝し奉りて」(内閣総理大臣陸軍大将東条英機)であった。午後は大日本陸海軍発表、政府声明朗読、定時・臨時のニュースが続き、夕方からは吹奏楽に加えて、合唱や管弦楽が入る。この日に登場する歌人としては、合唱曲「敵性撃滅」(伊藤昇作曲)の作詞者としての土岐善麿の名であった。短歌だったのか、詩であったのか、その内容が分からない(『現代史資料四四マス・メデイア統制』みずず書房 一九七五年 三七一頁)。ただ、『短歌研究』一九四二年一月の「宣戦の詔勅を拝して」特集にて善麿は、「敵性撃滅」と題した五首を発表しているので、参考のため記しておこう。

・撃てと宣らす大詔遂に下れり撃ちてしやまむ海に陸にそらに

・悪辣なるかの敵性はわが眼にもしみたり撃たさら

・ルーズヴェルト大統領を新しき世界の面前で撃ちのめすべし

以降、番組の中核は、戦況ニュースを中心とした報道番組となった。放送現場でも番組検閲と国策への積極的な活用が喫緊の課題となった。

この時代の文学作品の朗読は、番組編成上は、教養・芸能・報道のくくり方で、「芸能」の中で扱われている。大江賢次の戦記もの、徳川夢声朗読による吉川英治「宮本武蔵」、富田常雄「姿三四郎」などが人気であったという(五四八頁)。開戦直後から企画された「愛国詩朗読」は、前述のように、大政翼賛会文化部の指導のもと詩人たちが活躍したのだが、その実際を「番組確定表」に登場する詩人やその作品を探ってみたい。(『ポトナム』20089月号所収)

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