短歌の「朗読」、音声表現をめぐって(7)戦時下の「短歌朗読」5
紀元二六〇〇年、一九四〇年初頭より日本放送協会は各種の記念番組を編成、一一月一〇日には「宮城外苑」で紀元二六〇〇記念奉祝式典が開催され、北原白秋はつぎのような詩を作る。
紀元二千六百年頌(北原白秋)
盛りあがる盛りあがる国民の意志と感動とを以て、盛りあがる盛りあがる民族の血と肉を以て、個の十の百の千の万の億の底力を以て、今だ今だ今こそ祝はう。紀元二千六百年ああ遂にこの日が来たのだ。
(中略)
ラジオは伝へる式殿の森厳を、目もあやなる幢幡銀の鉾、射光の珠を。嚠喨となりわたる君が代の喇叭。金屏の前に立たします。(後略)
一九四〇年一二月、内閣情報部が廃止され、情報局として強化され、放送番組の指導監督は逓信省からこの内閣情報局に移管されることになる。一九四一年二月「特別講演の時間」が「政府の時間」に、「戦況日報」が「戦時報道」になり、同年四月一日からは、「学校放送」を「国民学校放送」に、「子供の時間」を「少国民の時間」とそのネーミングを変えている。振り返れば、一九四一年一二月八日の三日前、同月五日に情報局により「国内放送非常時態勢要綱」が制定されていた。その一項目に「警戒管制中は放送番組は官庁公示事項、ニュース、レコード音楽に重点を置き、講演、演芸、音楽等一般放送は人心の安定と国民士気昂揚を中心とし積極的活用を図る」とある。(『日本放送史』上巻、以下同書、五〇一頁)また、また「番組確定表」でわからなかった部分を別の資料で補いつつたどってみると、いくつかの講話、開戦の臨時ニュース、経済市況、音楽(レコード)、君が代、時報の間を各種行進曲の吹奏楽が放送され、そのメインは正午から始まったとされる「詔書奉読」(中村茂代読)「大詔を拝し奉りて」(内閣総理大臣陸軍大将東条英機)であった。午後は大日本陸海軍発表、政府声明朗読、定時・臨時のニュースが続き、夕方からは吹奏楽に加えて、合唱や管弦楽が入る。この日に登場する歌人としては、合唱曲「敵性撃滅」(伊藤昇作曲)の作詞者としての土岐善麿の名であった。短歌だったのか、詩であったのか、その内容が分からない(『現代史資料四四マス・メデイア統制』みずず書房 一九七五年 三七一頁)。ただ、『短歌研究』一九四二年一月の「宣戦の詔勅を拝して」特集にて善麿は、「敵性撃滅」と題した五首を発表しているので、参考のため記しておこう。
・撃てと宣らす大詔遂に下れり撃ちてしやまむ海に陸にそらに
・悪辣なるかの敵性はわが眼にもしみたり撃たさら
・ルーズヴェルト大統領を新しき世界の面前で撃ちのめすべし
以降、番組の中核は、戦況ニュースを中心とした報道番組となった。放送現場でも番組検閲と国策への積極的な活用が喫緊の課題となった。
この時代の文学作品の朗読は、番組編成上は、教養・芸能・報道のくくり方で、「芸能」の中で扱われている。大江賢次の戦記もの、徳川夢声朗読による吉川英治「宮本武蔵」、富田常雄「姿三四郎」などが人気であったという(五四八頁)。開戦直後から企画された「愛国詩朗読」は、前述のように、大政翼賛会文化部の指導のもと詩人たちが活躍したのだが、その実際を「番組確定表」に登場する詩人やその作品を探ってみたい。(『ポトナム』2008年9月号所収)
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