ドイツ気まま旅(3)ドレスデン、マイセン
さよなら、ベルリン
ベルリン中央駅12時46分発のIC(0177)で、最後の目的地ドレスデンに向かう。やや重い空のベルリン、もう一度訪ねることはあるだろうか。少し感傷的になって眺める車窓には、やがて草はらが広がり、刈り残された枯れ草色のトウモロコシだろうか、やわらかな午後の日差しを浴びて傾いていた。しばらくするとピアスをつけた男性の車掌が検札に回ってきた。車窓の三枚羽根の風車が林立する風景も珍しくなくなった。なぜ風車が多いかと言えば、ドイツには「再生可能エネルギー法」が2000年にスタートし、市民レベルの風車建設が盛んだからという。発電された電力を電力会社が固定価格で買い取るシステムで、双方採算が取れるらしいのだ。回らない風車を開発した大学が訴えられたというしまらない話がある日本とは大違いではないか。地図を眺めていると、ドレスデンはチェコ国境にも近く、この列車もプラハに向かう。3時近くに着いたドレスデン中央駅からエルベ河畔のホテルまで乗ったタクシーは、今回の旅では初めての女性ドライバーだったが、重い荷物も軽々上げるたくましさだった。エルベ川を渡ってすぐに目についたのが金色の騎馬像(あとでアウグスト強王とわかる)で、左手に曲がると、ホテルのウェステイン・ベルビュー、部屋からは眼下にエルベ川、川向こうにはいくつもの尖塔が重なり合う、墨色の旧市街が迫っていた。ガイドブックの地図を広げるが、どれが教会で、どれが宮殿なのか見当もつかないまま、ともかく出かけてみることにした。
フラウエン教会のパイプオルガン
真っ先に向かったのが、2005年に再建がかなったフラウエン教会だった。1945年2月13日・14日の空襲で壊滅的な被害を受け、戦後は東ドイツにあって、戦禍のモニュメントとして1990年代まで瓦礫のまま放置されていたという。1994年、ドレスデン市民のあるグループが、瓦礫を可能な限り元の場所におさめて復元するという途方もない手法で、この教会を再建することを目指し、活動を始めたという。再建費用の寄付を世界に呼びかけると、総工費1億3000万ユーロのうち、1億ユーロを超え、予定より1年も早く2005年10月に完成したという。こうした壮大なエピソードを読んでから眺める79mの塔は、格別偉大に思えた。周辺には、建設中のビル、修復中の建物も多い。ドレスデン城北側アウグスト通りのザクセンの歴代君主の行列の壁画は、20世紀の初頭、1200度で焼かれたマイセンのタイルに換えたため、先の空襲にも耐えたという。この壁画をカメラに収めようとすると、前にあるヒルトンホテルの看板がどうしても入ってしまうのだった。フラウエン教会では、夜8時からパイプオルガンによるバッハ演奏会があるというので、連れ合いはチケット売り場をようやく探しあて、入手後、夕食に向かった。といっても教会の目と鼻の先の路地ミュンツガッセにある、スペインの小皿料理の店(Las Tapas)で、満席に近かった。ドイツでスペイン料理というのもおかしいが、メニューと格闘しないで済み、バラエティに富んだ料理を楽しめた。まだ日の暮れない街に出て、フラウエン教会に入る。私たちの席は、4階まである座席の3階であった。オルガン奏者は正面の2階の高さくらいだろうか、姿は見えないものの頭が動いているのがわかる。真新しい、ベンチ様の木の座席は必ずしも座りやすいものではなかったが、荘厳なパイプオルガンによるバッハの楽曲は、教会再建の物語に思いをはせ、やがては眠りさえ誘うものとなった。エルベの風に吹かれながら、アウグスト橋にさしかかると、対岸では、野外のロック・コンサートが開かれているらしく、辺りにはすごい音量と光が交錯していた。
エルベ川遊覧
翌日の朝食は、これまでのホテルと若干雰囲気が異なり、ドリンクには紅茶のパックに加えて3種類ほどの緑茶も混じっていて、思わず飛びついてしまった。北インド産の表示がみられるが、まあいいか。ハムやソーセージ類が豊富で、迷うのだが、ほどほどにしなければと、通院先の医師の顔が目に浮かぶ。外は快晴で、つば広帽子がほしいくらい。週末とあって、河畔や旧市街の賑わいは相当なものだった。10か所位に分かれている遊覧船乗り場にも行列が出来ていて、チケット売り場をのぞいてみると、早めの出発はすでに満席となっている。少し焦ったのだが、11時出発90分の遊覧コースを予約(11.50ユーロ)、ツヴィンガー宮殿に向かう。アルテマイスターなどは10時開館なので中庭から王冠の門をくぐってお堀端に出てみる。国民劇場前広場から大聖堂前に戻り、大階段からブリュールのテラスを経て、修復中のノイエマイスター、中国美術館など川沿いを散策する頃に、ようやく旧市街の概略がおぼろげながら頭に入る。船では2階のデッキに座席がとれた。左手の斜面にはブドウ畑が見え始め、右手の道路にはサイクリングの人たちの列が続き、河畔の牧場で牛や馬が草を食むのどかな風景を楽しんだ。Blasewitzの橋をくぐり、Pillnitz宮殿を左に見て、Pirnaまで下り、折り返す。途中のBlaues wunderと呼ばれる大きな鉄橋は、1893年の建設当時、橋脚のないつり橋構造の橋として注目されていたという。日差しは暑いくらいで、腕は一気に日に焼けた。船上からの旧市街の眺望も格別で、下船が惜しまれるのだった。 午後からは、再び向かったツヴィンガー宮殿、中庭は、夜のコンサートの準備か椅子が並べられているさなかでもあった。磁器博物館は省略し、ようやくのアルテマイスター入館である。1階の入り口近くでは、カナレットのドレスデンの風景画に迎えられるが、クラナハ、デユーラー、ライスダールはじめレンブラント、ルーベンス、ジョーダンスらの16世紀から17世紀のドイツ、オランダ絵画に圧倒されるのだが、その展示室が、メインの中央室の両脇に細長い画廊があり、入り組んでいるので、まんべんなく見るのが難しい。中央の部屋からは、何室か先のいちばん奥の突き当りに、ラファエロのマドンナの絵があるのが見通せる。3部屋ほど進み階段を降りたところにホールがある。ここも6角形の展示室となっている。再び階段を上がると、ティトレット、カレッジョ、ティツィアンなどイタリア絵画が続き、ラファエロにたどり着く。ラファエロのマドンナは、この絵もやさしげで宗教臭がほとんど感じられないので、親しまれるのではないか、とひとり納得する。絵の下の方に描かれている二人の天使がなんとも愛らしかった。2階は、時代が下り18世紀のヨーロッパ各地の画家たちの作品が多い。しかし、ガイドブックによれば、ここでもフェルメールや地下に特設された工事中で休館のノイエマイスターの作品を見逃してしまっているのである。 少し並んで入館した城内の宝物館は、これでもか、これでもかという、贅を極めた工芸品などが並び、最後には、むしろ疲労感だけが残るのだった。
心やすらぐ新市街の街路樹
夕食までには時間があったので、ホテルのある新市街側を歩いてみる。幅広い道の中央の緑地帯には、プラタナスの並木が続き、緑の少ない旧市街と比べて、何かほっとする空間である。彫刻あり、噴水ありで、ベンチありの細長い公園になっていて、まだ、日差しの強い噴水の辺りでは、子供たちが濡れるのもいとわず、走り回っていた。新市街の方が街としての成り立ちは古いということで、ややこしい。緑地帯の木陰から眺める街並みは、一部バロック形式の建物が残っていて、おしゃれな店も多い。つきあたりがアルベルト広場になっていて、何本もの放射線状の道はどれも緑が豊かでゆったりとしており、歩いてきた道はどれだったか錯覚を起こすほどだった。この広場にも立派な噴水が二つもあり、広場の端には、ドーム状の屋根と4本の支柱で囲まれた掘り抜き井戸があって、大事にされているようだった。帰路には、旧市街からも尖塔が見えていた古い教会に寄ってみる。18世紀初め建設のドライケーニッヒス教会であった。 夕食は迷ったのだが、せっかくだからとドレスデン風ザワーブラーテンということで、探し当てた店はなんときのうの店の近くだったのである。
エルベ川の花火
この日は朝から欲張った上、夕食の白ワインがまわってしまって、早々に寝込んでいた。そして、地響きとともに爆発音?に起こされたのだが、何事かと窓を開けてみると、眼下の河原から花火が打ち上げられている。ライトアップされた川向こうの旧市街の尖塔よりはるか上空にひらくさまざまな仕掛け花火、河原や水上をいくつもの輪が追いかけるように転がる花火、思わず声をあげてしまう。東京の花火はもちろん、今の住まいに近い印旛沼の花火もこんな近くから見たことはなかった。すでに10時半を回っているではないか。こんな遅くからの花火、日本だったら許されないだろう。もっとも8時をだいぶ回らないとあたりは暗くならないのだから、仕方がないのかな、とも。旅先での思いがけない花火にいささか昂ぶり、しばらくは眠れない夜となった。
マイセンの小さいミルク入れ
翌朝、チェックアウトを済ませ、荷物だけ預かってもらい、当初の予定にはなかったマイセンに出かけることになった。ドレスデン中央駅から30分ほどでマイセンだ。駅の売店で日本人ご夫妻から磁器製作所へタクシーで行くので、よかったら一緒にと誘われた。お二人ともやきものが好きで、念願のマイセン来訪のようだった。国立の磁器製作所では、白磁の等身大の馬に迎えられた。見学コースは、製作過程を4室ほどに分けて、職人さんが実践して見せてくれる。日本語のオーディオガイドがあって助かった。磁器博物館で丹念に見入るお二人とは別れ、私たちは、売店をひと回りして、その値札に驚きながらも、記念にと小さなミルク入れを購入、アルブレヒト城へと急ぐ。メインストリートは、こぎれいな店やレストランがある一方、空き家も目立つのだ。東ドイツ時代に、マイセンは年を追うごとに人々は町を離れ、廃れていったといい、空き家もその後遺症なのだろう。城壁沿いの階段を登り切って展ける眺望、エルベ川沿いの町はザクセン王朝発祥の地で、ドレスデンより歴史は古いという。18世紀、白磁器の発明者は、技能流出を防ぐため、この城に監禁同様の身であったという。城内は、ヴォールト天井はじめ壁や床に至るまでさまざまな工夫がなされ、装飾的にも優れた床面には思わず目を見張る。城とつながる大聖堂に入るには一度外へ出なければならない。二つの尖塔を背景に白い壁と赤い屋根が映える、その姿の全容を知るには、マイセン駅に通じる橋上から眺めるのがいいかもしれない。エルベの川風も夏の終わりを告げるかのように。
いつかまた、ドイツへ
ドレスデン空港は、何もないターミナルで、並ぶのは格安航空券の代理店ばかりだ。フランクフルトへ向かい、空港の店は延々と続くが、このころはもう土産のことはどうでもよくなって、ひたすら搭乗口まで歩きに歩いて、この旅行もいよいよ終わりに近づく。遅い搭乗なので、腹ごしらえと思うが、1・2軒のカフェしかない。それでも「ゲーテ」という名のカフェがにぎわいを見せており、店員さんたちも多国籍だ。このフランクフルト空港は乗り継ぎばかりで、まだ、街に出たことがない。離陸までしばらく続く機内の喧騒のなかで、ドイツへの再訪を願うのだった。
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