今年の歌会始~もう誰も何も言わない
<短歌という文学でないものがあり夫妻でつとめる歌会始>
これは、歌人、風間祥さんのブログ「銀河最終便」(2008年7月23日)の記事の表題である。一首にもなっているようだ。次のような文章で始まる。
元々短歌そのものが、文学とは何の関係もないものなのかもしれないけど。
世の中驚くことが多い。皇室御用掛、岡井隆氏が、初めて歌会始選者を引き受けたのは何年前だったろう。
あれから何年も経って、来年の歌会始には、短歌結社「塔」の主宰夫婦が揃って歌会始選者をつとめるそうだ。
(2009年度、歌会始選者。岡井隆、篠弘、三枝昂之、永田和宏、河野裕子)
大分県の教育委員会も驚くような人事である。(後略)
昨年、この一文を見つけた時は、正直な感想を「勇気をもって」書いているな、と思った。あとに続くコメントや反響があるかと思って楽しみにしていたが、それもなかったようだし、短歌の総合雑誌やインターネット上でも、この選者人事はほとんど話題にはならなかった。風間さんは、私などと違って、現代短歌に精通していて、溢れ出すような短歌作品をネット上で発表している歌人だ。とくに若い歌人たちを温かい目で見守りながら、ときには「歌壇」や著名歌人にも異議を申し立てる、度量もあるし、気骨の人でもあるらしい。お会いしたことはないのだが。
この人事が新聞で発表になったのが昨年7月1日、実は、その翌日の7月2日に、私も当ブログに「節度を失くした歌人たち―夫婦で選者、歌会始の話題づくりか」と題して一文を書いている。かれこれ10年も前になろうか、ある書評紙の時評に「夫婦や家族で売り出す歌人たち―そのプライバシーと引き換えに」と題して書いた時に、「永田和宏・河野裕子一家」に触れたことがある。家族全員が歌詠みで何が悪い、夫婦で選者のどこが悪い、と言われればその通りなのだが、こと、文芸に携わる者として、やはりどこかがおかしいのではないか、と思ったのだ。短歌結社運営、歌集出版社が絡んだりすると同族経営の短歌ビジネスともなりかねない。短歌作品の評価というのは、究極のところ、スポーツのように客観的な基準というものがない上、短詩型なので、さらに曖昧さを残す。いやな言葉だが、「こて先」や「はったり」がまかり通ることもある。売れるか売れないかは、啄木、晶子、寺山修司、俵万智くらいの高い愛唱性が必要だ。だから歌壇では、仲良しグループ、身内同士で、褒めあったり、さまざまな賞を譲り合ったりすること、あるいは師匠筋の贔屓や覚えが幅を利かす場面が多い。
しかし、今回の人事の異様さは、これにとどまらず、もっとキナ臭い底流が見え隠れする。宮中行事の歌会始の選者が「御歌所」歌人から民間歌人の手にわたって60数年、日本の戦後史と重なる。以来、選者人事は、宮内庁からの信頼が厚い選者、木俣修、亡き後1979年からは岡野弘彦の発言権が、長い間、大きかったと思われる。その岡野が2008年の選者を最後に退き、1983年来の御用掛(天皇家の短歌指導・相談役)も辞して岡井に譲っている。岡野の置き土産が永田、篠、三枝だったろうか。というのは、岡野弘彦は、文化庁管轄の芸術選奨の選考委員を1985年以来長くつとめていた。詩、俳句、短歌のジャンルからローテーションで毎年1・2名がつとめるのが慣習らしいので、必ずしも毎年というわけではない。その選考委員を1999年から3年間篠弘が就任し、2003年から再び岡野になった。前者の間に第50回平成11年度には佐佐木幸綱歌集『アニマ』、後者の間に第54回平成15年度には永田和宏歌集『風位』が、第56回平成17年度には三枝昂之『昭和短歌の精神史』が受賞している。選考委員の一時期を岡野から譲られた篠、そして岡野が選考に関与した永田、三枝が歌会始選者に就任している。佐佐木は、岡井が選者になった時、「(歌会始に)俺はいかない」と宣言したこともあって、踏みとどまっているのだろうか。彼は、昨年、部会の推薦で、前登志夫の死去で欠員となった芸術院会員の席におさまった。すでに馬場あき子がなっているので、歌人では、岡野弘彦との3人になった。部会とは、これに、俳句の森澄雄・金子兜太、詩の那珂太郎、中村稔、大岡信による詩歌部会である。となると、国家的褒賞制度ともいえる、歌会始の選者、芸術選奨、芸術院会員のすべてに岡野弘彦がかかわっていたという構図である。裏返せば、国家の文化振興政策がたった一人の掌中に握られていたということではないか。おそらく短歌の世界だけのことではない、と身ぶるいするほど恐ろしくなるのだ。そして、岡野からそのバトンは誰に渡されようとしているのか。それこそ少しばかりのアメをばらまけば、「空気が読める」歌人たちは簡単にすり寄っていく。そのアメが、歌壇ジャーナリズムを媒体に、時評、書評、対談、テレビ出演だったり、出版記念会へのお出ましだったり、受賞・授賞だったりとその手段は限りない。 国家権力は、ほんの一握りの歌人さえ、その気にさせれば「刃物」は要らない、と私自身の物言いがだんだん2チャンネル風になっていくので、この辺でやめることにしょう。
しかし、多くの国民は冷静なのだろう、歌会始の応募歌数はいっこうに増加しそうになく2万首台の前半で低迷している。相変わらず青少年の作品は優遇されているらしく、1・2名の入選作がことさらに報道される。何のことはない、歌の甲子園よろしく、歌会始に熱心な教師がいる特定の学校が、数百の単位で生徒の応募を促しているようなのだ。「歌わせたい」教師たちと「君が代」を強制されることに年々慣れていく教師たちの姿が重なり、重苦しい年初めになるのだった。
歌会始は、宮廷行事の一つとして皇族方が楽しんでいただければそれでよい。国民との懸け橋などと思うのは、天皇制を強固にしたい、また、それを利用したい人たちが考えることだろう。
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