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2009年4月 3日 (金)

天皇・皇后成婚50周年、天皇即位20周年で、何が行われようとしているのか

ざわつき始めたマス・メディア
  先に、N響を中心とする天皇の成婚・即位記念のクラシックコンサートをNHKが特定新聞社、民間団体との共催で開催することについて、公共放送として疑問が多いことは述べた。天皇・皇后が結婚して50年が経ち、4月10日が近づくに従って、テレビ各局の特別番組が多くなった。さかのぼっては、今年の正月辺りにも見たような気がする(『皇室アルバム新春スペシャル天皇陛下と皇后さまご成婚から半世紀~お子さま方の笑顔に包まれて』2009年1月3日だったか)。成婚50年を冠した便乗出版物も目立つようになった。テレビは、私も網羅的に見ているわけではないが、直近のテレビ番組で気づいたものを掲げておこう。ただ、「結婚50年」は、本来、天皇家のプレイベートな記念なので、基本的には内輪で祝うべき性格の行事のはずである。今日のような社会状況、とくに「平和」「災害」「福祉」に関心を寄せる天皇夫妻の思いを忖度するならば、いまのような時代状況の中で大げさに祝われることは望まないのではないか。②は、結婚当初から貫いている夫妻の「強い意志と覚悟」に焦点を当てた証言と映像で綴られていた。沖縄のひめゆりの塔前での火炎瓶事件の映像や写真はこれまであまり見かけなかったものだったという印象であった。③は、訪問先での案内役や戦争犠牲者の遺族が語るエピソードと皇室ジャーナリストの秘話による構成は、いつもながらのワンパターンになりがちであった。NHKはどういう番組にするつもりなのだろう。公共放送としての節度が問われよう。
①フジテレビ・2009年3月28日10時45分~11時40分「チャンネル∑天皇皇后ご成婚50年」(未見)
②TBS・2009年3月25日夜6時55分~「祝!両陛下金婚式スペシャル世紀のご成婚から50年」
③日本テレビ・2009年3月31日夜7時~8時54分「ご成婚50周年記念皇后美智子さまの七つの贈りもの両陛下の50周年祈りの旅」
④NHK特別番組2009年4月10日7時30分~8時43分「天皇皇后両陛下ご成婚50年」(予定)* 放送時番組名「NHKスペシャル・象徴天皇 素顔の記録」 
  これらの②③の番組でも、皇后の短歌が何か所かで紹介されていた。そのうち歌人たちも登場するのだろうか。

即位20年、「奉祝」とは何ですか 
  1999年11月12日、天皇在位10年を記念し、内閣が主催して「国民こぞってお祝いするため」「天皇陛下御在位十年記念式典」(午後2時~)を国立劇場で挙行した。また、「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」(午後3時~9時)を皇居前広場・皇居外苑にて開催した(政府広報による)。2009年は即位20年になるので、政府は式典を行うだろうが、その詳細はまだ明らかでない。
  10年前の「式典」では、上記「国民こぞって祝う」とうたったことに違和感を覚えた。「国民祭典」の方は、主催が天皇陛下御即位十年奉祝委員会(稲葉興作会長)、同奉祝国会議員連盟(森喜朗会長)であり、総理府ほかの省庁が後援している。第1部が祝賀パレードで、警視庁、東京消防庁、陸上・海上・航空自衛隊、在日米軍の音楽隊などと各府県の郷土芸能などによるパレードで、第2部が祝賀式典で、草野仁司会による大型スクリーンでの映写、祝賀メッセージ紹介後は、ステージに登壇という形で、著名タレント、アイドル、アスリートを動員した。YOSIKIは自分の曲をピアノ演奏したとして話題になった。「天皇・皇后陛下のお出まし」を経て、君が代独唱(藍川由美)・斉唱、「参加者の提灯がゆれ、国旗の小旗が打ち振られる中、万歳三唱」と「プログラム」には記された。私もテレビ中継で、一部をみたが、照明はあるものの闇の中をしずしずと天皇夫妻が現れた時は、異様な雰囲気だった。数日後の新聞で政治思想史専攻の原武史はこの祭典の「戦前の皇紀祝典との類似と象徴天皇の不在」を指摘していた(『朝日新聞(夕)』1999年11月16日)。
  また、その年の12月7日、立教大学の法学部学生有志による「シンポジウム・天皇制を考える」に私は報告者として参加していた。学生たちは、先の国民祭典を「誰しも好きな有名人は見たいものです。しかし、それが目当てに集まった若者たちがなぜか“国旗”を振り、“国歌”を歌い、“象徴”である天皇に向かって万歳三唱をしている・・・。私たちはそれぞれ〈なんか変じゃない?〉という、形のない雲のような疑問をいだきました。・・・」とナイーブな感覚で、シンポジウム開催の趣旨を語っている。報告者は、同大学法学部教授の五十嵐暁郎教授、高橋紘氏(共同通信社)で、場違いな私は、栗原彬教授急病のためのピンチヒッターだったというわけだ。前年まで社会人学生として、五十嵐先生や栗原先生の指導を受けていたこともあって声がかかったのかもしれない。栗原先生の「日常意識における天皇制」の代わりにはならなかったけれど、「歌会始と天皇制」についてレポートした記憶がある。 また、国民祭典の翌日の『日本経済新聞』において、編集委員柴崎信三は「昭和終焉から十年」を「バブル経済の崩壊と戦後システムの構造的破たんが重なり、雇用や治安、教育といった身近な生活の局面にも不具合や矛盾が噴出する、痛みの多い日々だった」と総括し、阪神淡路大震災、オウム事件、東海村臨界事故、企業のリストラ、倒産、自殺者最多の現実のただなか「社会の信頼の構造が揺らぐなかで、皇室がその社会的補完と癒しの機能を担う構図であった」と位置づけている。さらに、この10年で、先の状況は加速をし、最悪の状況を迎え、派遣切り、進む高令化に加え、年金・介護問題が深刻化している。2008年の自殺者は32,000人を超え、過去最悪の事態となっている。 そんななかで迎える即位20年、政府が大掛かりな祝賀をする場合ではないし、国民が祝賀を強制される筋合いもない。にもかかわらず、昨年、超党派の国会議員連盟で2009年11月12日を臨時休日とする法案が取りざたされていたが、今年3月2日には「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」(会長:森嘉朗元首相)は、11月12日臨時休日法案の早期成立、すでに昨夏発足している「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」(名誉会長:御手洗富士夫日本経団連会長)とともに政府主催の記念式典、皇居前広場での奉祝行事に取り組むことなどを確認している。共産党、社民党を除く120名の議員が参加、民主党は党としての態度は未定という(『産経新聞』2009年3月2日配信)。即位10周年記念国民祭典の愚かさを思い出してほしい。たとえば、オリンピック選手、野球選手、人気歌手、お笑い芸人までが動員されるであろう。そこに集まる市民も利用されていることに気づいてほしい。しかし、タレント知事が次々と誕生するところをみると、有権者、納税者としての自覚をふいと忘れる市民が多いのだろう。それをどこかでよろこんでいる人々がいることも忘れてはならない、とつくづく思う。

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コメント

はじめまして、間もなく天皇のご即位20年ということもありネットで少し情報を見ていました 僕の両親が10年前には東京で在住していたために式典に参加しましたが決して強制などではないですよ、色々な意見があることはもちろん尊重するべき重要なことですが、あたかも強制的に日の丸の旗をふる、国歌を歌うなどが行われているというのはちょっと考えられないです。。

投稿: ころ | 2009年10月14日 (水) 18時52分

>「誰しも好きな有名人は見たいものです。しかし、それが目当てに集まった若者たちがなぜか“国旗”を振り、“国歌”を歌い、“象徴”である天皇に向かって万歳三唱をしている・・・。私たちはそれぞれ〈なんか変じゃない?〉という、形のない雲のような疑問をいだきました

すみませんが、こんな発言をする学生は頭が悪いとしか思えません。
公共性云々を抜きにしても、コンサート・ライブであればCDやTV番組等の企画で関わりがあったミュージシャン(個人及びグループ)等がゲストとして参加することがあります。
サプライズではなく、チケット発売前から公表されていた場合主催のアーティストファンだけでなく上記のようなゲストのファンもチケットを購入しそのコンサート・ライブに訪れることも決して珍しい現象ではないはずです。
その場合、主となるアーティスト・ミュージシャン側の趣旨に合わせることがやはり求められると思います。
実体験ですが、主催者側の趣旨や演出を無視したゲスト側のファンの言動はかなり批判され、下手するとゲスト自身の評判さえ落ちることがあります。
どんな場であれ主催者側の趣旨に従うのはマナーだと思います。
自ら参加しながら、自分の目的が主催者の趣旨と異なりただ己の好きな有名人目当てであったとしても、あらかじめ判明しているイベントの主目的に後から違和感を唱えてもただの自己中心的な感想としか思えませんね。
お目当ての有名人のイベント・コンサートで突然国旗を振らされたり国歌斉唱を求められたのなら同情しますが。

この記事のご趣旨は理解できますが、取り上げる内容や出来事・意見にも論理性がないと本来の主張も説得力がなくなるのではないでしょうか。
私だったらこんな愚かな意見をもっともだと納得し、主張の裏付けに使う方の見識を疑いますから。
もう一度言います。
『祭典』に参加しておきながら、祝うことに疑問を抱くのは自分勝手でただの我侭です。
自分の愚かさや軽率さを悔やむのではなく、主催者に異議を唱えるなんて論外です。
ご自身と感覚が似ている意見だと思われたのかもしれませんが、甘やかしにしか思えません。

投稿: 若干右寄り? | 2009年10月11日 (日) 04時42分

お祝いしたい人がお祝いしているだけの話。それをファシズムみたいに言うなよバカタレが。
>強制される筋合いはない
一体いつ、だれが強制したというのか。物を言うなら論拠をはっきり示せ。勝手な思い込みで下らない言いがかりをつけるな。
奉祝どころではないというが、山積する問題と行事は話が別。お前は自分が生活保護を受けているからといって、友人の結婚式に呼ばれても断るのか? それに暗い世の中だからこそ、明るい話題をつくるのも一つの方策だ。暗いほう暗いほうへと考えるから、日本が余計に衰えていくのだ。リベラルぶってはいるが、結局はプラス思考ができないだけというところから、お前がいかに「ネクラ」かということが窺える。人々のせっかくの気持ちに水を差すようなことを言う前に、まずはお前の暗い性格を直したらどうだ?

投稿: 左翼の被害妄想にはウンザリだ | 2009年10月10日 (土) 00時44分

>有権者、納税者としての自覚をふいと忘れる市民が多いのだろう。それをどこかでよろこんでいる人々がいることも忘れてはならない、とつくづく思う。

なかなか鋭いですね。
どこかで喜んでいるというのが怖いことです

投稿: ろーりんぐそばっと | 2009年4月28日 (火) 13時40分

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