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2009年4月21日 (火)

NHK「この人にトキメキっ! 安野光雅」~さえぎられた発言

       

  417日「生活ほっとモーニング」で、偶然に安野さんに出会った。熱烈なファンということでもなく、娘が小さかった時の絵本やその後も欲しくなって買った本を数冊持っている程度である。あの優しい水彩画の原点ともいえる、郷里津和野の風景、幼少時の思い出などが語られた。

1945年、敗戦直前に召集された軍隊での辛い体験とともに、現代の飽食の時代への痛烈な批判の言葉も明快であった。「百年に一度の不況」と言いながら、なぜテレビが朝から晩まで料理番組やグルメ番組をやっているのか。そして、正確には再現できないが、安野さんは、おだやかな話しぶりながら、明らかに怒っているようにみえた。こうした不況に至らしめたものは何であったのか、一部の人たちが儲けるだけ儲けていたからではないか・・・、と話が展開しそうになったとき、男性の聞き手がそれを遮って、女性の聞き手が、4年前、肺がんを患った話へと切り替えた。とても不自然な遮り方だった。このインタビューシリーズは、よく再構成して再放送されているのを見たことがある。年度替わりなどはとくに多い。再放送のとき、ばさりと削除されなければよいが。

安野さんは、病気のことでもなかなか含蓄のある話をしていた。「がんになったにもかかわらず」とか「闘病しながらも」という「まくらことば」が嫌いだという。「宣告」「告知」という大げさことばも気にくわない。なぜなら、病気、それがたとえ「がん」であっても、長い人生のプロセスであるはずなのだから・・・、それを受け入れる姿勢が大事なのではないか、と。最近、とみに「闘病」や「介護」をまるで売り物にしているような、当事者やメディアが顕著なのを苦々しく思っていた矢先だったので、心に沁みた。

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