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2009年4月27日 (月)

インターネット「歌壇」はどうなるか(2)

インターネット受容の行方2
      つい、この十年間のことであっても、同時代に進行していた事柄であっても、自分がことさら関心を寄せてこなかったことについて知るのは難しい。まして、その評価はなおさらのことである。まとまった記述の歴史書もまだない。ただ、最近、断片的ではあるが、これまであまり論評の対象とされなかった、踏み込むことが避けられていた、インターネット上の「歌壇」のいわば仕掛け人だった歌人やその作品、そこに育った歌人や作品について語り出した文章が目につくようになった。インターネットと短歌という、いまの私の地続きの世界のことなのだから、先入観はなるべく持たないように、と思う。さしずめ手探りの、もはや手遅れの「熟年のためのインターネット短歌案内」になるかもしれない。
 手探りのなか、インターネットと短歌にかかわる出来事として、最近印象に残った次の三件は、一つの時代の象徴にも思えた。

①前掲二〇〇三年創刊の『短歌ヴァーサス』が二〇〇七年一〇月に一一号をもって終刊したこと。
②二〇〇〇年一〇月に開設された藤原龍一郎による「電脳日記・夢見る頃を過ぎても」が二〇〇七年九月末日に終了したこと。
③二〇〇五年の歌葉新人賞(選考委員荻原裕幸・加藤治郎・穂村弘)を受賞、『ひとさらい』を刊行した笹井宏之が二六歳の若さで、二〇〇九年一月に亡くなったこと
①『短歌ヴァーサス』は、短歌の世界にインターネット導入に先駆的、精力的な活動を続けてきた、荻原裕幸が責任編集を務める雑誌であり、発行は、それまで短歌とはあまり縁がなかった、名古屋で地道にどちらかと言えば「硬い」書籍の刊行で頑張ってきた風媒社であった。私の旧著『短歌と天皇制』『現代短歌と天皇制』の出版で世話になった出版社でもある。『短歌ヴァーサス』の編集部には、拙著刊行の折に出会った若い編集者も加わっていた。そんな関係もあって、注目していた雑誌ではあったが、正直、あまり熱心な読者にはなれなかった。風媒社社主の稲垣喜代志氏の年賀状などには「若い人に任せている」という主旨のことが何度か書き添えられていた。
②『短歌人』同人の藤原が荻原裕幸を管理人として、発信し続けたサイトで、藤原の仕事柄、歌壇関係に限らない、放送・文芸全般にわたる知見を基盤にした日記だった。とくにその分野を超えての書評やイベントの記録は私もときどき覗いていた。また、掲示板「抒情が目にしみる」と合わせた形で、既存の歌壇と新しいインターネット歌壇の橋渡し的な役割を果たしてきたように思う。サイトの終了を知った枡野浩一は、上記掲示板に「当時、〈歌人〉の知り合いがいませんでした。ここは、インターネット短歌活動のスタート地点でした。そのことを忘れません・・」と感謝の言葉を書き込んでいる。
③笹井は、二〇〇七年、「未来」に入会、加藤治郎に師事しているが、それに先立って、二〇〇五年には、SSプロジェクト(荻原裕幸・加藤治郎・穂村弘)によるオンデマンド歌集出版サイト「歌葉(うたのは)」の新人賞を「数えてゆけば会えます」(三〇首)で受賞し、その副賞で『ひとさらい』(二〇〇八年一月)を出版した。『短歌年鑑平成二一年版』の「今年の秀歌集10冊を決める」の座談会出席者の一人、穂村弘の強力な推薦で、ベストテン入りする。笹井は、自らのブログで、少年期からの病歴も公表しているが、風邪をこじらせて急逝した。ベストテン入りを手放しで喜んでいた直前の文章は切ない。

・ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす 

・拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見られません

 これらの三つの出来事に何らかの形で共通するキーパーソンは、前掲「SSプロジェクト」の荻原であり、加藤であり、穂村であった。ここに至るまでの過程をたどってみたい。インターネットと短歌との出会いをいつ頃とみるか。冒頭に掲げた年表「現代短歌クロニクル」の起点は一九八四年であるが、これは、担い手が少しずつ重なるライトヴァース、ニューウェーブを視野に入れてのことで、インターネットと短歌との接点は、一九九〇年前半ではなかったか。
ネット歌会の起源を「詩のフォーラム」(一九八七年八月にスタート)の中の一つの「電子会議室」とみれば、一九九三年一二月に発足したらしい(小林信也「ネット歌会の功罪と未来」『歌壇』二〇〇五年四月)。まだニフティサーブの時代のパソコン通信上での歌会であった。それを受け継ぐ形で、短歌だけの会議室「和歌の部屋」の時代が一九九七年まで続く。
一方、マイクロソフトからウィンドウズ95が発売されたのが一九九五年一一月であったが、『かりん』同人で電子情報学専攻の坂井修一が「マルチメディアと短歌」(『短歌』一九九五年一〇月)「ようこそ短歌ホームページへ」(『短歌研究』一九九六年六月)などを発表、インターネット上の短歌の可能性を示した。一九九五年一月阪神淡路大震災の折、もっとも機動力を発揮したコミュニケーションの手段が携帯電話だったという時代でもあった。坂井らが中心になって歌人有志のメーリングリスト(登録による一斉送信が可能な仕組み)を開設、ASAHIネット歌会もこの頃発足している。


・一九九六年四月二六日(カウント開始日) 結社を超えた「短歌ホームページ」(管理人大谷雅彦)がスタート
・一九九六年四月 『塔』が結社としてはじめてホームページを開設(「年表」『塔』二〇〇四年四月)、一〇月にはネット上の歌会「e歌会」もスタート
・一九九七年三月 『短歌人』ホームページ開設
・一九九七年一〇月七日 「短歌フォーラム」開設、二〇〇五年三月一二日終了、二月二〇日「新・短歌フォーラム」に引継がれる
・一九九八年二月 加藤・荻原・穂村による「SSプロジェクト」により、短歌ウェブリンク集「電脳短歌イエローページ」及び掲示板が立ちあげられ、荻原裕幸を管理人とする。

  九〇年代後半に入ると、歌壇・結社横断的な短歌のサイトや結社のホームページが競うように新設されてゆく。一九九七年から一九九八年にかけては、坂井修一、加藤治郎、荻原裕幸、大谷雅彦、大塚寅彦、大辻隆弘、穂村弘、江戸雪、川野里子ら一一人のメーリングリスト「現代歌人会議」上での合評や歌合せなどの活動が記録としても残された。一九九七年といえば、一九〇八年創刊の『アララギ』が九〇年の歴史を閉じて廃刊、一九四九年創刊『女人短歌』が一九一号をもって終刊した年でもあった。さらに、世紀末と言うこともあって、一九九九年には、『岩波現代短歌辞典』、二〇〇〇年には『(三省堂)現代短歌大事典』が刊行され、戦後短歌が総括なされる時期とも重なった。
パソコンソフト、ウィンドウズ98の普及とあいまって、二〇〇〇年に入ると、メーリングリストからさらに、歌人個人が運営するホームページ上での作品・エッセイ・日記などの発表が活発になり、お互いがリンクし合い、さまざまなリンクリストも発表され、インターネットによる情報発信力は相乗的に、爆発的に激増し、やがてピークへと向かう。

            (『ポトナム』20094月号、5月号所収)

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