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2009年5月20日 (水)

インターネット「歌壇」はどうなるか<番外編>~何かが大きく変わりつつあるのか

 私が、今年2月から短歌結社雑誌『ポトナム』に「インターネット『歌壇』はどうなるか」を連載しはじめて数か月が経つ。毎月1頁なので、このブログには2か月分まとめて掲載し、すでに2回になる。私がネット「歌壇」に関心を持ち始めたのはこの1・2年で、いまもネット「歌壇」の実態を探るべく?奮闘中である。文献はもちろんだが、インターネット上で主題や人名、ブログやホームページ名での検索やアクセスを続けている。そんな中で、また少し気になることに出遭って、戸惑っている。

 私がインターネットにかかわってから、たびたびアクセスしていた「銀河最終便・風間祥WEB短歌日記」は、 私の上記の連載記事「インターネット『歌壇』はどうなるか(1)」を「内野光子さんのブログでインターネットと短歌に関しての考察が始まるらしい。何回か続くようだ」(200935日)と紹介をしてくださった。それ以降、その紹介を通して、私のブログへのアクセス件数が増加していた328日、「銀河最終便」は、つぎのような短歌を載せたまま更新がされなくなってしまった。「公開浮遊状態」というのは、更新をしないというメッセージだったのだろうか。

・しばらくは公開浮遊状態の飛行船浮くこの濁り空

・人には人の空には空の修羅があり黄の嵐吹く季節となりぬ

 季節の風物の写真を添え自身の短歌、既成歌壇への鋭い批判、ネット歌壇・若い歌人たちへの応援メッセージ、とくに経済に強く、社会問題にも歯に衣着せぬ発言が多いので、訪ねるのが楽しみでもあったのだ。再開を待つコメントもあったが、私も期待したい。

 また、「奥村晃作短歌ワールド」に見せる、奥村さんの精力的な活動を反映していた活動報告は、ときにはここまでも書くの、と反発したくなることもある内容であった。しばらく、訪問を怠っていた間、この4月にサイト閉鎖の予告があった後、5月になって突如すべてのデータが削除されていたのだ。「ogihara.com荻原裕幸活動報告」(2009423日)には、つぎのような記事が見られた。

 「奥村晃作さんがサイトを閉鎖するという。自身の活動から歌壇のことまで、主に日記のスタイルで、膨大な量の情報を発信してきたサイトだけに、残念であり、淋しくもある。短歌という一つのジャンルに限って見たとき、ネットには、それを見ることによって作歌活動を継続する刺激となるようなコンテンツがまだまだ少ない。奥村さんのサイトはその種のコンテンツを抱えたものだった。読者として感謝のきもちを表するとともに、これまでのデータが何らかの形で維持されることを望みたい」

 そういえば、奥村さんは、すでに数年前につぎのような発言をされていた(「ホームページと私」『路上』102200510月)。短歌結社とジャーナリズム及び投稿歌壇などで構成される従来からの「既成歌壇」、カルチャー短歌教室という短歌の場、そして「ネット歌壇」、という三つの短歌の場に自らもかかわってきたが、これからの歌人は、この三つの場にかかわってこそ将来を担う歌人になるはずであると。さらに「加齢に拠るものか、別の理由によるものなのか、最近はネット歌壇の動向に興味が薄れつつある」として、日々更新する個人誌「奥村晃作短歌ワールド」における、日記、作歌、受増歌集の紹介などに限っても時間は足りず、古典など読むゆとりがないことを嘆いていた。

 それにしても、仕事の帰りに寄り道するような気分で、このサイトに立ち寄る歌人は多かったのだろうか。このサイトのアクセスのカウントを始めたのが2000215日とあり、1200件、月6000件に及ぶと記していた(上記「ホームページと私」)。開設以来の訪問者といい、このサイトの記事に異議を唱えることが多かった「ベレシート・結社ひとり」においても「私には世間に開かれた数少ない歌壇の窓のように思えた」「軌道修正できない真面目さは、何事もあらかじめ軌道が設定されている現代社会では無軌道と同じで・・・」と、やはり閉鎖を惜しみ、再開を期待していた(200958日)。

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