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2009年6月 3日 (水)

家族旅行は七沢温泉へ

日向薬師から七沢へ~雨上がりの林道を行く

 久しぶりの家族旅行は言い出しっぺの娘にまかせた。ハイキングにしてはやや心配の天気であったが、小田急伊勢原駅北口に着いたころには薄日がさしてきた。改札口で入手した観光案内地図、あらかじめ読んでいた旅行案内書やネットでの検索記事などからも、いま一つはっきりしないながら、日向薬師行きのバスに乗り込み、約20分、歩くコースは現地で考えることにした。

 日向薬師は、終点のバス停からは、結構な階段をのぼって十数分、杉木立に囲まれた日向山霊山寺は八世紀初頭、行基が開いたとされ、日本の三大薬師の一つだそうだ。本殿は宝樹坊と呼ばれ、茅ぶき屋根で、来年20106月から大改修の予定だという。本尊などは開帳の日が決まっていて、他の重要文化財も宝物殿の見学者(300円)のみにしか拝めないらしい。境内には桜も多く、花の季節は格別だろうと思うが、樹齢800年という「幡掛けの二本杉」もみごとであった(かながわの名木100選。樹高約35m、樹囲約7m)。ちょうど店開きにかかった売店の人に七沢への道を尋ねると、この林道を行けば45分ほどで着くという。けさ七沢から歩いてきたという地元のお年寄りも「歩きやすい道だよ」と送り出してくれる。「クマに注意」の看板がやたらに目につくが、雨上がりの林道、薬師林道はまさに新緑のトンネルで、日も照らず快い。途中、鉄砲水の跡らしい個所やネットに覆われた崖が続き、深い谷底を覗くのが恐ろしいようなカーブもある。それにしても、週末というのにハイカーには出会わないねと話していると、ウォーキングの中年男性とジョギングの青年とがあらわれたが、あとは結局、車1台のみであった。

 七沢温泉の宿が見えてきて、2軒とも玄関の横や勝手口には年老いた犬がおとなしく控えていた。3軒目の今夜の宿「福元館」も年配のコリーが看板犬らしい。ともかく荷物だけ置きに立ち寄ると、「きょうは雨上がりだから山ヒル退治に塩をお持ちなさい」とひとつかみほどの塩を渡された。奥からは相当な音量の音楽が聞こえてきたので昼間からカラオケと思ったら、どうもスクエアダンスだったらしい。

 今回の旅のお目当ての一つでもある、地ビールをのませてくれるイタリア料理「セルバジーナ」へと向かう。途中の立派なお屋敷には「黄金井」の表札、続いての黄金井酒造工場、黄金井クリニック、その隣が黄金井酒造直営「セルバジーナ」だった。だいぶ遅い昼食ではあるが、生地の薄いパリパリのピザと素朴な味のパスタは、ややコクがあるカラメル色のさがみビール「アルト」と相性がよかった。きょうは朝から動いていたので、ビールも回った。一同、意見も一致して、宿に帰っての昼寝となった。

大女将からの地酒「盛枡」の大杯

 温泉は、アルカリ質のヌルヌル系で、やや熱めながら肌にはやさしそうで、女性陣には好評である。夕食は、鹿肉の味噌焼、豆腐料理のほか、どこか懐かしい旅館の和食が並ぶ。途中、大女将からといって黄金井酒造の「盛枡」が朱塗りの大杯で届いた。夕食後も一同、普段の寝不足を補うように早めに床に就いたのだった。

小林多喜二が密かに執筆した宿

 「福元館」は、近年、小林多喜二が築地署での虐殺される2年前の1931年、密かに逗留していた宿として有名にもなった。まだ「蟹工船」ブームなどなかった2000年、地元の人によって、いまの大女将古根村喜代子さんの義姉初子さんから聞いた話としての証言が報告、報道されたのだった。70年もの間、身内だけの話として伝えられてきたらしい。多喜二は、福元館本館とは道を隔てた高台の離れに1カ月ほど滞在しているが、「オルグ」を執筆していた時期と重なるという。

 翌朝、その離れに案内してもらった。本館前の細い石段は見城(みじょう)山へのハイキングコースの入り口にもなっている。離れは、石段をのぼったところの小さな平屋で、縁側付きの6畳間が廊下を挟んで二つ並ぶ。多喜二が泊っていた頃の机、火鉢、行火などはそのままだという。衣紋掛けの丹前も多喜二が着たものだというが。玄関の小部屋には、近年の新聞記事や写真、小林多喜二全集などが広げてあった。

 本館に戻ると、フロントに大女将の喜代子さんがいらした。お話によれば、義姉初子さんが厚木の高等女学校に通っていた頃、ある先生から、宿賃は出すから大事な人を預かってほしい、という申し出を受けたという。多喜二は、なかなかの好青年で、離れから本館の温泉に通う以外は、執筆に専念していたという。70年もの間、公言しなかった宿の関係者、当時、石段下の往来の靴音を気にしていたという多喜二の心中を慮ると、歴史の過酷さに思いは至るのだった。

七沢森林公園、尾根のさんぽ道

 きょうは531日、宿を出ると、地元での大掃除が終わったらしく、ほうきやシャベルなどを担いだ人たちが三々五々、坂を下って行くところだった。「観音谷戸自治会倉庫」前では、車座でにぎやかな「反省会」が繰り広げられていた。実は、この日、私たちの住む町内の自治会でも恒例の側溝清掃だったのだが、金曜日に済まして、出て来ていたのである。雨に降られず、側溝清掃は無事済んだか、散歩とエサは知りあいにお願いしてきたものの、置いてきた犬はどうしているか、など里心がつくのだった。バス通りの七沢観光案内所の前を「森のかけ橋」を目当てに、森林公園へと向かう。

森林公園を南北に貫く道路を跨ぐアーチ型の高架の橋は、辺りの新緑に映えて、なかなかの風景で、スケッチするグループにも出会う。広場、展望台を経ての「尾根のさんぽ道」に入る。さんぽ道というものの、結構きついアップダウンがあって、かなり手ごわい。おまけに、娘は、足元を山ヒルに侵入され、宿から持って出た塩が役に立った。東西に長い公園の北側に位置する尾根道では、何組かのハイカーに出会ってほっとする。丸太の階段がないと滑りやすい急坂もある。北側にひらけた住宅街、その真ん中から運動会の歓声が立ちのぼってくる。このまま進めば「順礼峠」までたどり着くはずだったが、端折って、厚木市森林組合の事務所前で伊勢原行きのバスを待つ。万歩計の歩数は意外と進まなかったが、よい汗をかいた2日間であった。

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