恋人までの距離(ディスタンス)」~古い映画をテレビでみるのも
ウィーンが舞台との予告を読んで見る気になった(2009年6月9日)。映画の邦題の「距離」にはカナがふってある。原題は「BEFORE SUNRISE」(1995年)とそっけない。
ブタペストからパリに向かう列車、隣席のドイツ人夫婦の喧嘩に嫌気がさして、パリに戻るソルボンヌ大学の学生(ジュリー・デルビー)が移動した席の向かいは、アメリカ人青年ジェシー(イーサン・ホーク)だった。会話が始まり意気投合した二人は、食堂車でも話は弾み、青年の提案で、ウィーンに途中下車して翌朝まで街中を歩いてでも一緒に過ごそう、ということになる。夕暮れの環状道路リンクを走るトラムの最後部座席、ドナウ川での事故や自殺で亡くなった人たちの小さな墓地、プラター公園の観覧車、シュテファン寺院と、いかにもウィーンらしい場所と状況の中で、二人は、自らの生い立ちや家族、人生観、恋愛観から死生観までを語り合うなか次第に惹かれあう。あてもなく街の路地裏を歩きに歩き、二人だけの会話で進行するのだが、その自在な演技とドキュメンタリタッチの街のたたずまいに引き込まれてゆく。さらに、ドナウ河畔の詩人やカフェの占い師との暗示的なやり取り、レコードを探しながら、ゲームをしながら、ワインを飲みながらも会話は続く。私がとても気に入ったのは、二人がカフェで向き合って、お互いが今の顛末を友人に電話で報告をするという設定で、それぞれの気持ちの虚実が語られる場面だった。公園の広場で朝を迎え、いよいよ駅での別れのシーンはやはり切なかった。半年後に再会が約束されて、なぜかホッとするのだったが・・・。
映画は1990年代のウィーンの街だったが、私が旅に出たのは今世紀に入ってからだ。わずかな海外旅行体験ながら、ウィーンには3回出かけている。今回の映画や「第三の男」に登場した観覧車は遠くから眺めただけだったし、「第三の男」のラストシーンの中央墓地にもまだ行っていない。もしチャンスがあったら、新しいホイリゲも開拓したいし、見逃した絵画にも出会いたい。小さな教会のコンサートもいい。
ちなみに、2004年には、続編「BEFORE SUNNSET」が、同じリチャード・リンクレイター監督と二人のキャストで制作された。9年の歳月が流れ、二人は偶然パリで再会するらしい。見たいような、見たくないような・・・。
映画館はめったに行かなくなったし、いっときほどテレビで映画を見ることもなくなった。ビデオを借りる習慣もない。学生時代は年間200本以上見ていたような気がする。もっとも2本立て、3本立てというのも珍しくなかった時代である。1960年、安保闘争のさなか、シナリオ研究所というところに半年ほど通ったこともある。シナリオライターの話は色々だったが、登川直樹の名画鑑賞は楽しみだった。「カサブランカ」「会議は踊る」「舞踏家の手帖」などの「古典」を毎週ここで見た。志賀信夫の「講義」は無理に難しくしたような内容だったし、寺山修司には、妙に反発して質問したこともあったなあ。
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