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2009年7月13日 (月)

「今、読み直す戦後短歌1」(7月12日、青学会館)に行ってきました

 このイベントをシンポジウムと名付けてよいものか。プログラムは、以下の通りであった。参加予定者名簿によれば280人に近い盛況ぶりであった。歌壇のイベント事情には疎いながら、圧倒的に女性が多く、20代~40代の参加者、とくに若い男性もちらほら見えていたのでやや驚きもした。

 ミニ講演:(約2時間)
   
戦後の表現の模索―森岡貞香を中心に(花山多佳子)
   
私の歌、公の歌―柳原白蓮と戦争(秋山佐和子)
   
歌うことの意味―生方たつゑに触れて(今井恵子)
   
5人の女性歌人たち―S27年「短歌研究」作品から(西村美佐子)
   
空間変化としての戦後―斎藤茂吉と葛原妙子(川野里子)
 
「敗戦後」という出発―斎藤史、森岡貞香を中心に(佐伯裕子)

合同討議:(約1時間)

質疑応答:(約30分)

報告者の6人全員が、先に出版した『女性短歌評論年表19452001』(森岡貞香監修砂子屋書房 200812月)の執筆者たちであったが、案内にも当日の挨拶でも、この書物については一切触れられていなかった。私としては何となく落ち着きが悪かったのだが、それはともかく、報告は、自由研究の趣で、ひとり20分づつ、壇上では誰もが自在に楽しそうであった。しかし、聞き手からいえば、年号表示一つにしても、元号・西暦が混在していて、明治・大正の年表示で、今の若い人に通じるのかと不安でもあった。かつて私は、篠弘の現代短歌史のテキストにおける年表記の混在を指摘したことがある(篠弘『現代短歌史の争点―対論形式による』参照)。また、「戦後」「終戦後」「敗戦後」という表現が無頓着に入り乱れるのが気になった。報告者は、いろいろな場所で話し慣れている歌人たちと思うが、今回の報告で、私には今井さんと川野さんの話は聞きやすかった。が、続く「合同討議」の中でも、さかんに飛び交う「文体」という言葉には閉口した。自明のこととして交わされていた「短歌における文体」とは何なのだろう。他の言葉に置き換えるとどうなるのだろう。会場からの質問にもあったが、「戦後とは」「戦後短歌とは」の各人の認識がバラバラなままの合同討議は井戸端会議風であり、それよりは、早く会場との質疑に移した方が、議論が深まったのではないかと思った。

 各人の報告についていえば、白蓮の再評価、たつゑの評価の行方については興味深いが、会場からは彼女らを「知らなかった」などの発言があったりして、共通認識の難しさを感じた。1934年ポトナム入会の貞香の戦時下、1945年以前の短歌作品を切ってしまう大胆さ、「私の歌、公の歌」などと仕分けること自体の無意味さ、1929年の茂吉作品と1969年の妙子作品を比較し、後者に「空間変化としての戦後」を見る強引さなどが気がかりでもあり、今後の私自身の課題にもなりそうだ。

 なお、上記『女性短歌評論年表19452001』への私の感想を、以下、質疑の時間に申し添えた。

[このような資料的な価値のある書物が完成するまでには苦労も多く、こうした仕事に敬意を表し、私も大いに活用させていただくつもりだ。ただ、このような資料は、それ自体の価値とともに、その成果を後の人に伝えていくという仕事も担うことになる。そこで、自分たちに何ができて、何ができなかったかを明確にしておくことが必要ではないか。たとえば、女性評論文献の採録基準はどうだったのか。文献探索にしても何を調べ、何が調べられなかったのか。採録対象雑誌は網羅的に閲覧が可能だったのか、欠号はなかったのか、2次資料に拠ったのか、採録担当責任者はだれだったのか、などを記録にとどめ、継承することが、次代の資料検索や研究に貢献することになるに違いないからである。]

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