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2009年7月 6日 (月)

町の名前、こんな風に決まるんだ~「ユーカリが丘」って、どこまで?!

  

町名の変更はどのようになされるのか

井野東土地区画整理組合の事業期間が3年間延長になったのは、前号でもお知らせした。今回の開発地区の、宮ノ台5丁目と4丁目に挟まれた第2工区は、私の散歩コースでもある。知り合いに出会って、「ここは宮ノ台6丁目にでもなるのかしらね」などと話していたものだった。昨年末には、「西ユーカリが丘○○街区」の看板を立てた1戸建ての工事が始まり、その内、販売センターもできたと思ったら、間取りなどの建築概要の看板のトップに、いつの間にか「ユーカリが丘ビューガーデン」と書き換えられていた。建築済みの家には、契約済・申込・商談中などの張り紙が貼られた家がちらほらあらわれている。商売とはいえ、隣接の北公園も正式には「ユーカリが丘北公園」だが、住民はもっぱら「北公園」だ。今どきの住宅購入者は、町の名前などには騙されはしない、その現地の住環境をシビアに検討しているに違いない。
 近所の友人から、井野東の町名が審議されているらしい、と聞いた。佐倉市のホームページをみると、129日「住居表示審議会」で議題になっていた。この審議会の諮問を受けた後、市長が決定して市議会に報告する、という手順をとるそうだ。
 
引き続きの416日の審議会も気になるものの、所用で傍聴できなかった。つい最近、その会議要録が公表されたので、審議会2回分を合わせて読むと見えてきたことがある。結論的にいえば、第123工区は、何回目かの投票で「西ユーカリが丘」に決まった。マンションやマックスバリュが建っている第4工区はすったもんだの末、「北ユーカリが丘」案を抑えて「宮ノ台」に決定した。今後は、丁目や学区割りについて審議が続けられるという。

事務局が用意した5つの案の不透明性

1月の審議会では、議題「井野東地区町名変更について」について、事務局はすでに次の5つの案を用意していた。

第1・第2・第3工区

第4工区

西ユーカリが丘

北ユーカリが丘            

宮ノ台7丁目/ユーカリが丘8丁目

宮ノ台6丁目

ユーカリが丘8丁目/9丁目

北ユーカリが丘

井野長割1丁目/2丁目

ユーカリが丘8丁目

西ユーカリが丘

宮ノ台(6丁目)

会議では、①の組合案の位置づけが問題になっていた。市の事務局は、組合が実施した地権者160人へのアンケート調査の集計結果(回収率72%)なので参考にしてほしいといい、同様のアンケートを周辺住民全体に実施してはという意見に対しては、関心のない住民の無責任な回答が出かねないと答えている。委員からは、昔の地名を大事にすべきだとする意見も出ていた。                  

 私は歴史的な地名を大切にするとともに、少なくとも開発実績を踏まえながら、意見の協議・調整するのが審議会の仕事だと考え、その際に周辺住民や自治会が発言できるチャンスは当然あるべきだと思っている。
 
組合案は、「ユーカリが丘」の知名度とブランド力?を強引に引出した感があり、他の案も「ユーカリが丘」にひきずられて、どこか不自然な組合せ案に思える。事務局提案の選択肢が恣意的にも思える。開発実績・町名定着度からいえば②案あたりが妥当かとも思う。昔からの字(あざ)名を重視すれば一部④案なのだが、井野本村を挟んだ第4工区がなぜ「ユーカリが丘」なのかが分かりにくい。現在、第4工区にぽつんと残された八社大神だが、社を囲む里山一帯の小字名は「宮ノ台」で、現在の「宮ノ台」もそれに由来すると、郷土史の勉強会で聞いたことがある。委員からも出ていたが、ユーカリの木は燃えやすいとのことだったが、私は、風に弱く、折れやすいとも聞き、げんに近くの中学校や公園のユーカリの木は数年前切られている。

地名研究が専門の委員からは、昔からの地名を大事にするという佐倉市の方針はご破算になったのか、ユーカリが丘は地名としてちょっと違和感がある、と。また、志津北部地区在住の臨時委員からは、ユーカリの木がたくさん植えられているわけでもないのに、ユーカリが丘と名付けたのは開発業者の営業のためではないか、経緯も知りたいが、井野13丁目という案もある、などの疑問が出されていた。

性急な、強引な採決の中で

これらの5つの案について、委員は書面で意見を提出していた。4月審議会の冒頭で集計結果が事務局から発表された。多い順に、前回の①案「西ユーカリが丘・北ユーカリが丘」、「ユーカリが丘・宮ノ台」、「井野長割または井野を含んだ町名」、その他3名と発表。さらに、事務局から、前回の5つの案を本日、委員の無記名投票で行い、1位が過半数に達しない場合は、上位2位で決選投票とするという提案があった。なお、それに先だって、採決方法について「挙手」か「投票」かについての議論の末、多数決で「投票」を採用した。投票結果は、第1回が①案7票、②案3票、④案3票、⑤案4票、白紙1票。どの案も過半数が取れず、第2回・第3回の投票でも、①案6票、⑤案8票、白紙3票は動かなかった。議長は白紙投票者の退席まで提案し、決着を急ぐ。さらに①⑤案共通の第123工区の「西ユーカリが丘」案は68票とカウントし、18人出席委員の過半数にあたるので決定とした。残る第4工区を「宮ノ台」か「北ユーカリが丘」の決選とし、挙手の9対7で「宮ノ台」に決まった。

民主主義への道のりはまだまだ遠い。

結果もさることながら、私は組合案に固執した委員名とその理由が知りたい。公的な審議会の採決にあたって、なぜ挙手や記名投票がなされないのか。挙手を忌避する理由が、傍聴人がいると地元代表委員の本音が出にくいというものだった。しかし、委員を引き受けた以上は、自らの名前で発言し、採決に参加するのは当然の責任と義務ではないのか。これは、私がかつて公募委員として参加した情報公開(現在は「個人情報保護審議会」と合併している)審議会で、会議録で個々の委員の発言に名前が明記されなかったので、記名を提案したが否決されたこと、審議会のボスのような長期にわたる学識経験者委員と事務局がなれ合いのような場面が多々あったことなどを思い出す。住居表示審議会は、従来複数の担当職員が審議会メンバーになっていたことが、今回の条例改正で改められた。それでも実質的な役人主導は拭いがたいが、形式的にも出題者が回答作成にかかわっていたようなものではなかったか。

補記①2009年12月21日の佐倉市市議会において、この町名変更は原案通り可決された。 ② 2011年6月4日より、井野東土地区画整理事業の換地に伴い、第1~3工区は「西ユーカリが丘1丁目から5丁目」、第4工区は「宮ノ台6丁目」に町名と地番が変更された。

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