美術館とカフェと~ノルウェー、デンマーク早歩き<2>コペンハーゲン自由博物館
(2)自由博物館へ(コペンハーゲン)
この季節9時頃までは日が暮れない北欧だが、5時には閉館するということで、チャーチル公園をめざして、連れ合いは小走りに先を行く。だいぶ疲れが出てきた私は歩くよりしかたなく従いて行く。4時半前には入館、ここも入場・撮影フリーなので、英語の案内リーフレットをもらって、まわりはじめる。博物館はロの字型の1フロアで、1940年4月9日ナチスドイツ軍の侵攻から解放までを次の4つのコーナーに分けていた。
1.1940-41 :Adaptation to avoid Nazification
2.1942-43:Resistance and sabotage
3.1943-44:German terror tactics
4.1944-45:The Liberation, 5th May 1945
レジスタンスとしての工場や鉄道のサボタージュが各地でなされた様子が写真や印刷物で展示される。非合法新聞の印刷所や秘密地下放送局の一部が当時使用されていた機器で再現され、謄写版の印刷機なども置いてあった。一瞬目をそらしたくなるような写真や実写フィルムも多いが、ナチスのテロの残酷さは、冷静な姿勢で次代に引き継ぐべきものなのだ。書類やポスター、武器や制服など多くのものたちに歴史を語らせるのが、まさに博物館なのだろう。閉館時間ギリギリまで粘ったが、見残しも多い。戦争被害の記録すらままならぬ日本だが、レジスタンスの顕彰が国の手でなされていることに感銘を受ける。自由博物館を出た後、ゲフィオンの泉(第1次世界大戦戦没船員追悼)まで歩くのにようやくで、人魚姫の像も近いらしいが、もうどうでもよくなって、タクシーでホテルに帰った。
なお、これは帰国後、ネットで知ったのだが、昨2008年、デンマークで「Flammen & Citronen(誰がため)」という、ナチス占領下のデンマークのレジスタンス運動を描いた映画が製作され、大ヒットしたという。今年の12月には日本で公開の予定である。ぜひ見に行かねばなるまい。デンマーク映画といえば、「バべットの晩餐会」(アイザック・デイネーセン原作、ガブリエル・アクセル監督、1987年)*を数年前テレビで見たのだが、あの抑制された映像詩のような風景描写のなかで展開される物語の意外性に惹かれたのだったが。
*ユトランド半島の片田舎の牧師の家の姉妹とそこに身を寄せたフランス人女性バベットと村人たちの物語だ。19世紀後半、パリコンミューンで家族を失っている彼女は過去を語らないが、信仰の厚い老姉妹の亡父の生誕百年追悼のため、晩餐会の準備を買って出る。彼女はフランスの宝くじが当たったからと、本格的な食材を取り寄せ、心を尽くして料理し、集う村びとたちに振舞う。さまざまな思惑のあった村人たちも、そのひと皿ひと皿を味わう至福の時を過ごしながら次第に心和んでいく過程が克明に描かれる。厨房にひとり手際よく立ち働く主人公のゆったりした時間が思い出される。彼女は、かつてパリの有名なカフェのシェフであったことも明かされてゆく。
(3)開館前の新カールスベルグ美術館へ
8月27日朝、ホテルから近い市庁舎前広場を経て、チボリ公園に沿って新カールスベルグ美術館まで歩いてみる。一方通行の自転車専用道路には自転車出勤の人たちが列をなして走ってくる。その数とスピードが半端ではない。それに、男女ともその走行ファッションが様々で、ヘルメットも全員着用というわけではないらしい。前の小さな籠に造花をあしらったり、大きな二人用の乳母車や荷車をつけたりしている自転車も多い。日本の3人乗り自転車より安全のようにも思える。公園も美術館もまだ開く前なので、記念にと写真に収めてはおく。新カールスベルグ美術館は、例のビール、カールスベルグ社創始者カール・ヤコブソンのコレクションが収められている。ゴーギャンの作品がかなり多いというが、たしか、いま竹橋の近代美術館で開催されているゴーギャン展に何点か「出張」しているかもしれない。現在はピカソの特別展が開かれているようだった。運河にかかるラング橋まで来ると河沿いの兵器博物館、ブラックダイヤモンドと呼ばれている河側に傾斜して建てられた 王立図書館新館が見える。その背後の尖塔はクリスチャンスボー城で、国会議事堂や最高裁判所が入っているらしい。市庁舎前広場に戻って、角のアンデルセン像に敬意を表し、写真に収める。
きょうは、旅の最後の日、いちばんの盛り場、ストロイエに出ることになった。デパートのイルムとロイヤル・コペンハーゲンはのぞいてみよう。途中のガンメル広場の屋台、聖霊教会前の人の往来、ホイブロ広場のカフェはすでに賑わいはじめ、開店間際のロイヤル・コペンハーゲンでは、何人かの日本人に会う。どれもかなりの価格で買う気にもならなかった。3階の特価コーナーにも心動いたが、2階の値下げ品など見ているうちに、連れ合いは普段使いのコーヒーカップと湯のみの別送を依頼した。とにかく旅の思い出の品として、少しばかりの「贅沢?」かな。というのも、世界的に高級食器の需要が下降線だという記事を読んだことがある。日本でも中国製の「百均」で十分用が足りるようになったし、食器の需要自体が減少、結婚式の引き出物はカタログから選ぶ方式が多くなったかららしい。
午後3時45分、コペンハーゲン空港を発つとまもなく海上には白い風車が弧をなして並んでいた。耳も痛くならず、夕食後うとうとしたと思ったら、3時間ほど経っており、窓を開けると雲の彼方に日が没する瞬間であった。少しばかり気の昂ぶる旅の終わりとなった。
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