定額給付金と佐倉街歩き
現金給付がそんなに難しいか
久しぶりに天気がよかったので、のびのびになっていた定額給付金を市役所に取りに行くことにした。これまでには曲折がある。バラまきの何物でしかない、腹だたしい給付金ながら、受け取らないというわけにはいかず、口座振り込みではなく、直接受け取ることにした。給付通知を受けた際、問い合わせた窓口、商工観光課?!は「どうしても口座振り込みができない場合のみしか現金では渡せない、渡せても非常に遅れる」と繰り返していたが、「口座振り込みにはしたくない」と、その旨返信した。無駄な抵抗?!とは知っても、個人情報がいつどこで漏えいするか信頼のならない時代でもある。8月下旬、給付可能の通知がきていた。そのうち市役所に行くついでがあるだろうと放置していたら、明日期間が切れるがいつ取りに来るのか、との電話問い合わせがあった。通知書にはなるほど小さな字で1週間ほどの給付期間が示されていた。1年間も放置すれば別だが、期間があるなど考えてもいなかった。一両日中には出向けないというと、9月中には来てほしいので、前日には必ず連絡をせよとのこと、なんと大げさなこと、と思う。
市役所行きも、車のない我が家では天気に左右される。思い立ったので、朝一番に連絡、午前中のついでで、午後受け取りに行くことにした。近くのスーパー開業の件で何度か足を運んだ商工観光課に出向くと、特設窓口は別棟の1階の由、これも通知書に小さな字で書いてあった。窓口は、しっかりした衝立を背に長い机といすが並べられている。もちろん無人なので、衝立の後ろに回ると、数人の職員がくつろいでいた。給付金受け取りの旨を告げると、誰かが「窓口おねがいします」と叫んでいて、ようやく係員が出てきた。相変わらずの勤務姿勢だな、と思う。
ほんとは、受け取った後、川村美術館に出かけたかったのだが、1時間に1本の送迎バスには間に合わないので、2月の「アド街」(2009年2月14日放送)、つい最近「ちい散歩」(8月18日)にも登場した「一里塚」に寄ってみようと思った。知り合いのYさんたちが「歴史遺産を次世代に」のコンセプトで立ち上げたNPO法人による運営の施設だ。場所がはっきりしないので、窓口には「佐倉さんさく」のリーフレットも置いてあることだし、商工観光課ならばと気軽に尋ねてみると首をかしげている。この際、学習してもらおうと、「アド街やちい散歩でも紹介されてましたよ」とオバさんぶりを発揮、しばらくの間、その係員が電話で問い合わせるのを衝立の外で聞いていた。いかにも勉強不足ではないか。
佐倉の古い街並み、郷愁を誘うのだが
市役所を出て、海隣坂とは反対側に行くと、右にヤマニ味噌があり、進んで左にピーナッツの大津屋がある。店じまいをした和菓子屋もあり、コンビニの跡とわかる店舗には自動洗濯機が並んでいた。信号を右に曲ると麻賀多神社、車で通ったことはあるが、お参りするのは初めてだ。佐倉の総鎮守で、境内には、戌辰の役での藩士2名の慰霊碑、日露戦争出征者慰霊の「忠君の碑」、戌辰の役から日清戦争出征者慰霊の「義烈の碑」という3基の碑が目立つ。本殿は、天保年間1843年堀田正睦により造営されている。なお、階段のわきには「香取秀真おいたちの地」の碑もみられた。真新しいトイレの裏に何やら気配がと思ったら、なんと猫のエサの器がいくつも置いてあって、どれにもエサは残っており、そこから2匹が逃げて行くところだった。階段を降りた、道路の向かい側に「佐倉養生所跡」とあり、日本では長崎についで、慶応年間に開院された西洋式病院(佐藤尚中による)の跡という。雑草に邪魔されて碑面の文字も読みにくい。
少し戻って、市立美術館の屋根を右に見て進むと、左手に千葉銀行、中井せともの店、右手に蔵六餅本舗木村屋(銀座木村屋総本店からののれん分けで1882年創業)、三谷屋呉服店(1884年建造)と続き、目当てはスーパーのぐちやの先の「佐倉一里塚」である。美術館は、その案内を見ると、川崎銀行の支店をエントランスに見立てて改造し1994年にオープンしたとある。川崎銀行は1937年、当時の佐倉町に売却、役場として使用し、1954年市制以降も市役所として使われた。1971年市役所は新庁舎に移転、以後、公民館、市立図書館、新町資料館と変遷し、美術館になったのである(佐倉市教育委員会『佐倉細見』)。
佐倉一里塚を覗くと、ちょうどYさんが奥にいらして、案内してくださった。「まだ、庭の手入れまで手が回らないのです」と。深さ25mある井戸では、近くで何げなく話していても声がこだまする。土蔵もあり、さらに奥の庭も広い。「間口6間で200坪ですから細長いです。10月の秋祭りには、あずまやを3つほど設けて、夜も店を開きますから、ぜひまた」とも。歴史案内人として活動していたYさんたちが、もともと呉服屋さんだった家を譲り受け、2008年お休み処としてオープン、佐倉の歴史伝承の拠点の一つとして活動している。この途中でNPOの立ち上げに踏み切ったらしい。「このあいだは、蕨市長がお忍びで訪ねてきてくれて、この街筋の電柱の地中化計画の話もしていきました」と語るYさんだった。
市立美術館を背に京成佐倉駅に下る道は、何度か通っている道だ。この通りにも、シロタ写真館、佐倉煎餅、小川園(お茶)、藤川本店(酒)、赤松種苗店など古い店が続く。そして、駅に着いて振り返ってみると、なんと「まき書房」にシャッターが下りているではないか。川村美術館行きバスの待ち時間によく利用していた書店だ。「貸店舗」の張り紙が見える。いったい閉業はいつのことだったのか。出版も書店も、新聞も雑誌も、この情報社会での行く末が危惧されて久しい。町の本屋が消えてゆく現実をまた一つ目の当たりにしたのである。
ようやく手にした定額給付金、どこにカンパするかは、まだ思案中である。
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