放送を語る会20周年記念のつどい・NHK番組改変事件~何が残された問題か~
石神井公園区民交流センターで開催のシンポジウムに参加した。150部用意した資料はなくなったそうで、会場は200人以上の熱気にあふれていた。
番組改変事件とは、2001年1月30日放送の「ETV2001シリーズ戦争をどう裁くか」第2回「問われる戦時性暴力」が明らかな政治的介によって番組が改変された「事件」を示す。これまで私は、一視聴者として、この件については少なからず関心は持っていた。まず、あれは「事件」だったのかな、という疑問が頭をよぎった。どこからどこまでが事件だったのか。放送番組改変の実態・経過、NHKを被告とする最高裁判決までの裁判経過・報道・反応、番組デスクだった長井さんによる内部告発記者会見、本田記者による朝日新聞の政治介入報道、NHKの証言者への報復人事・退職、BPOによる意見書公表、視聴者団体の活動・・・。「事件」というと、いわば、一過性の特定の番組改変の実態・経過のみに収束してしまわないか、と思ったのである。私は、組織内にとどまっての長井さん、永田さんの発言には特別の敬意を表したい気持であった。退職という結果にはなったが、今もこうしてこのような集会に参加されていることには勇気づけられる。
第1部「そのとき何が起こったのか~担当者に聞く」では、「問われる戦時性暴力」のプロデューサー永田浩三さんとデスク長井暁さんがそろって壇上に立つ。永田さんは法廷の証言で、上司を通じての政治家の介入を明らかにした。ことしの2月、3月相次いでNHKを退職された二人がこのような集会で同席するのは初めてとのことだという。聞き手は戸崎賢二(放送を語る会)さんで、番組改変の経過が、上司からの番組介入と現場との攻防がふたりの話と裁判記録などでなまなましく語られ、番組改変の過酷な状況が明らかになってゆく。
第2部「〈番組改変事件〉から何を学ぶか」の討論には、永田さん・長井さんの二人にジャーナリストの原寿雄さんとバウネット・ジャパン代表の西野留美子さんが加わった。2001年7月にバウネットは「女性国際戦犯法廷」(いわゆる従軍慰安婦問題の責任を問う)の主宰者側として、NHKを訴えていた。NHKの番組担当者と西野さんという被告と原告側の人間が同席するのも今回が初めてであったという。
それぞれの立場で、「事件」を、そして判決をどう受け止めたか、一連の経過をどう受け止めたか、などを中心に語られた。終わってみると、「事件」に何を学んだか、政治介入を繰り返さないために、今後NHKは何をすべきなのか、職員は何をなすべきなのか、私たち視聴者は何をすべきなのか、行政に何を働き掛けるべきなのかなど、問題は山積みなので、こちらにもっと時間をかけて、多くの会場の参加者と具体的に議論してほしかった、と全体の時間配分を思うのだった。「質問は1分で」という司会者のことばに、手をあげるのを躊躇した人も多かっただろう。
西野氏さんが「組織ジャーナリズムの限界」という形でけっして収束させるのではなく、また、内部告発者を犠牲者とみたり、「英雄」とみなしたりするのではなく、扉を開いた人たちだったという評価をすべきで、これから始まる戦いを強調していたことに、私も共感する。短い時間の、会場の質問者との若干のやり取りの中で、放送現場に働く人々の縦割りでない、横の連帯の重要性が指摘された。まず、最初にその拠り所となるのが労働組合のはずであるが、今回、どのような機能を果たしたのかは、「報復人事」(当事者のお二人もこの言葉を使用された)を認めた恰好で、退職に追いやったことに端的に表れているように思えた。支援の形が目に見えず残念だった。
さらに、NHK自らの検証番組の必要性も議論された。同時に、現時点で、政治介入を公式に認めていないNHKが作成するわけがないのだから、いまは、これはどんな形でもいいのではないか。NHKが無理なら、当事者の一方でもよい、民放でも、視聴者団体でも、研究者でもよい、自主的に、政治介入の実態を様々な形で、広く国民に知らせることが先決であると思った。そして、いま、川口のNHKアーカイブ、横浜の放送ライブラリーで、シリーズの中で、問題の第2回「問われる戦時性暴力」の番組(放送済みの番組)すらも公開されていないこと自体、問題にするべきで、この一点でもいいからまず突破する必要があると思った。視聴者としても、公開しない理不尽を問い続けていきたい。
今回のシンポジウムも、NHKのOB、放送研究者が多くかかわっていた。その個々人の善意や良心にかかわりなくNHKの事情に詳しかったり、また多かれ、少なかれ利害関係者であったりすることが、シンポの運営や議論の方向性に影響を与えていなかったか。
アンケートにも書いたのだが、この日のパネリストとして、当該番組の制作を実質的に請け負ったドキュメンタリー・ジャパンの関係者、途中でNHKから降ろされ、取材テープをNHKに引き取られた、たとえばディレクター坂上香さんの参加が得られれば、なお問題点が浮き彫りにされたかもしれない。永田さんも、ドキュメンタリー・ジャパンに迷惑をかけ、守り切れなかったことを何度も口にされていたので、その辺の経過も構造的に解明できたのではないか。
現在、NHK内部とくに現場の若い人たちが変わりつつあり、良質の番組が放映されていることも否定はしない。しかし、過剰な期待は問題のありかを歪めはしないか。毎日の放送の実態を目にすると、つくづく思う。スポーツネタや芸能に力が入ったニュース番組、民放から引っ越してきたような娯楽番組、物々しいけれど中身のないドラマの横行、視聴者参加の形骸化などになぜ歯止めがかからないのだろうか。
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