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2009年12月24日 (木)

志津霊園問題、疑問だらけの決着~ほんとうにこれでよいのか

最終合意、決着というが

佐倉市議会は、1221日、市と志津霊園の管理者である本昌寺との最終合意案、和解案を含む関連3議案を賛成多数で可決した。これにより、都市計画道路122mが横断する形の志津霊園(3500)の移転を巡る問題がようやく決着をみて、道路開通へ一歩踏み出したと幾つかの新聞が報じた。市が本昌寺と道路用地買収の交渉に着手したのが1982年、簡単な経過は、1029日の本ブログ記事「TBS<噂の現場>を見ましたか~佐倉市へ、再び志津霊園問題」をあわせてご覧いただきたい。

前記事にもあるように、交渉中だからと「噂の現場」の取材スタッフから逃げていた市長だが、1210日になって、補正予算の1件として「最終合意予算案」を市議会に急きょ提案、1218日に志津霊園関連議案特別委員会は現地視察を含めた審議を行った。残念ながらこの委員会の傍聴ができなかったのだが、私が傍聴した21日は、市議会の最終日だった。冒頭の委員会報告によれば、佐倉市の弁護士から、これまでの経過と最終合意案の妥当性についての説明があって、賛成多数で可決した、という。その予算案とは、寺の移転先土地代金57000万円(25000㎡)に墓地代替地の造成費用73000万円と墓の移転補償費57000万円を上乗せするものであった。まだ、本昌寺以外の4つの寺の墓地移転の交渉を残しているものの、2014年度以降に道路建設が始まるメドがたったというのだ。

初めてだった、市議会最終日の傍聴

最終日は、提出の議案について各委員会から委員長が審議要旨を報告する。この日は50分ほど費やされた。そのあと、「討論」という形で、会派代表から各議案になぜ賛成・反対したのかを述べる。といっても、その議案も選択的で、なぜ反対したのか、賛成したのかの意見を述べるのも選択的で、要するに、会派として「これだけは言っておきたい」という意味の「討論」で、議論が交わされるわけはない。一方通行の発言の場であるようだ。もちろん無会派の議員1人にもそのチャンスはある。議案の中では、志津霊園関連3議案への意見がもっとも多かったし、時間も割かれた。そのあと、35号までの議案、請願・陳情の1件、1件について起立による賛否が問われ、議長の賛成多数、全員賛成の声ばかりが響きわたり、可決されてゆく。傍聴席からは、最前列でも議席が見渡せない。乗り出して覘くと、下の議場では、議員たちは立ったり座ったり、衣擦れも聞こえてこない無言の行が繰り返される光景が繰り広げられている。まさに「傍聴」で、議員の起立・着席の意思表示は傍聴席からは見られないというのも、不思議な一件ではある。

おもな反対意見は

いまは、私のメモに頼るしかないが、「討論」の中で、複数会派から志津霊園関連議案への反対意見としては述べられたのは、次のような点であった。

①今期1112月議会に追加議案として提出され、審議が尽くされていない。

②移転補償費、造成費は、すでに一部支出しているので、二重払いにあたる。

③今回の補償費の算出根拠が不明で、過大補償にあたる。

④現在の墓地面積の約7倍の25000㎡の代替地を提供しているのは不当である。

⑤代替地造成工事費の支払いに工事会社の大林組を介在させているのは、かつて多額の使途不明金を出した「墓地移転協力会」の不正行為により工事が頓挫したことの二の舞になる可能性が大きい。市は、大林組には渡し切りで、その詳細に関知しないのはおかしい。

⑥本昌寺は志津霊園の一所有者であって、他の4つの寺とは合意に至っていない。全所有者の同意を前提とすべきだ。

          

また、他に、次のような疑問を呈した議員もいる。

⑦今回の市と「本昌寺」との最終合意で、当初、15億円受渡し契約がなされた、市と「墓地移転協力会」との合意文書は破棄できるものではない。その後の基本合意も議会の同意を経ていない。

⑧市と本昌寺との「互譲」による最終合意というが、市側の一方的な譲歩に過ぎない内容である。

⑨志津霊園問題の沿革をたどれば、幾つかの時点で佐倉市は重大に過ちを犯しているがそれについては一切質されていない。

・墓地を道路予定地にする非常識な計画であった

・「協力会」との協定の不備・確認をしないまま8回に渡り「協力会」に支払い続けた 

・国からの補助金受領に虚偽報告があり、補助は受けられなかった・・・

⑩今後の道路事情、人口推移、財政事情、費用対効果などから、そもそも、道路開通は本当に必要なのか、もっと慎重に判断すべきではないか。

などなど・・・

思いがけなかった賛成会派

これらの疑問に答弁はないのだが、この議案への賛成意見を述べた会派もあった。市長を支援する保守会派が賛成意見を述べるのはまだしも、共産党議員が賛成意見を述べたのには驚いた。「本昌寺、協力会の背信行為に見舞われたが、都市計画道路の開通は20年来の懸案事項であり、今回、最終合意に達し、ようやく努力が報われた。造成費、補償費について精査したところ、適正であることが確認できたので、賛成した」というのがその主旨であった。今回反対した会派とは、これまで、大方の議案で賛否を共にしていたにもかかわらずである。どこか筋が通らず、不自然に思われたので、休憩時間、廊下の給茶機前で顔を合わせた、もう一人の共産党議員に「どうしたんですか、きょうの志津霊園問題の賛成意見は、解りづらいですね」と思わず声をかけてしまった。もっとも、新社会党は賛成意見こそ述べなかったが、賛成だった。少数会派の選挙対策なのだろうか。苦渋の選択?はないだろう。なんとも暗い気持ちで帰途に着いたのだった。

道路行政のこれから

車を持たずに暮らしている私などは、上記の⑩の意見に近い。122mの道路開通のため、これまでの出費の15億円、裁判費用、対策室人件費などの累積の上に、さらに13億の上乗せまでして、進める道路計画なのか、疑問は尽きない。開通は、地元の人たちの「悲願」というが、私の住まいの近くにも、井野東土地区画整理組合内の都市計画道路も「悲願」と喧伝されていた。区画整理事業は今年の清算予定が3年間延長され、道路開通も3年後の予定となった。しかし、この道路計画が決定したのは、1965年、井野東区画整理組合準備会の発足が1998年、道路が開通したとしても、その端は旧道に交叉、16号線につながるわけでもない。バイパス機能は全うできないだろう。1.6km、16m、公管金11億、基盤工事5億、千葉県による本格的な道路工事はこれから始まる。いったいいくらかかるのだろう。多くの緑を失い、ほんとうに必要な道路だったのだろうかと思う。道路行政は、根本的に見直す時代となったのではないか。                

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