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2010年1月22日 (金)

木原実さんの訃報に接して~歌人としての業績に触れる

1月20日の新聞で木原実さんの訃報を知りました。18日に亡くなり、21日に告別式とありましたが、伺えなかったので、この小文をしたためることとしました。同じ千葉県に住みながら、木原さんにはとうとうお目にかからずじまいでした。新聞には、元社会党衆議院議員、93歳。1967年に初当選し、5期務めたと記されていましたが、歌人としての仕事には触れられていませんでした。最近、木原さんの歌人としての仕事に触れて書きました「時代の<空気を読む>ことの危うさ」(『短歌研究』2009年6月)と、15年以上も前に『芸術と自由』に寄稿し、拙著『現代短歌と天皇制』にも収録しました一文とを、ここに再録いたします。闘病生活が長かったとも伺っていましたが、『芸術と自由』や『掌』での作品を読むたびにむしろ励まされる思いでした。『芸術と自由』の最新号の巻末には、次のような木原さんの通信が載せられていました。

「長いスランプでした。ようやく字が書けるようになりました。1月号からまた書きます。宮崎、金子さんにお悔やみ申しあげます。* (編集部へ)忙しいことは理由にならぬ。僕も何回も考えなおした。結局、書けない歌でも書いていこう。まずい歌を死ぬまで書いてゆきます。(木原実)」  
そして、その1月号に発表された新作9首から選びました。

・「もういいかい」「まあだだよ」尋ねる人はたしかにいる
・多様性というどうでもよい男が喋る国なるもののおかしさ
 (『芸術と自由』269号2010年1月) 
なお、1月号の「編集ノオト」によれば、これまで2年間の発表作品は、すべて預かっていた作品だった由、これにも驚きました。
つつしんでお悔やみ申し上げます。


・おれという男の歌を集めた雑誌がくる九十二歳 青二歳
・こちら笑う人あちら笑われる人ひとり笑わないでいる 
(『芸術と自由』268号2009年11月)
・天皇がいるときの虚と実ひそかに教えてくれた史観の遊び
・挨拶じゃない自由律にんげんをみるたしかなレジーム
・九十三歳 表現や住むところ俺というものがなくなっていく
(『掌』100号2009年7月)

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■時代の「空気を読む」ことの危うさ■
(『短歌研究』2009年6月号所収)

・自己正当化を原点とせる評論を手間ひまかけて書きしか人は
(清水房雄『蹌踉途上吟』)
・うらみを持って神になる石には皇室下乗と彫ってある
(木原実『芸術と自由』二五一号)
・凶状を負ひたるものどち姑息にぞ寄り添ひ名を変へ銀行はも嘉し
(島田修三『東洋の秋』)
  清水房雄は、一九一五年生まれ。二〇〇九年の第十四歌集から引いた。歌壇というところで歌人たちが書く「評論」のたぐいを、あるスパンで振り返って読むと、その「ブレ」にいささか惑わされることが多い。もちろん歌人に限るものではないが、たくさんの留保、微妙な言い回し、難解な表現など、「手間ひま」をかけ、苦労の跡がわかるものもある。「空気が読めない」という言い方が流行ったが、時代の「空気を読み」ながら、「陽のあたる場所」を歩こうとする書き手たちを苦々しく嘆いている。その一首の近くには「社会批判の歌はいつにても威勢よし実践行動を前提とせず」という歌もある。勇ましく、格好よく、社会批判めいたことを作品にしたとしても、その作者が日常的に何をしているのか、生涯を通じ、どういう軌跡をたどったのかが大事だという風にも読める。また「いざといふ場合に本音吐かぬこと身すぎ世すぎのかなめとぞして」という一首もある。自嘲的に詠んでいるが、これだけ明確に、客観的に自分を把握できる人には、逆に信頼を寄せてもよいという気になる。ちなみに、清水は昭和末期の五年間「歌会始」の選者を務めていた。 
  木原の掲出作品は、二〇〇七年「駅伝日和」三七首の連作からとった。木原は、一九一六年生まれ。戦前から農民運動に携わり、口語による作歌歴は昭和初期にさかのぼる。戦後は、一九六七年から八一年まで社会党の衆議院議員を務める。歌集には『韋駄天』(一九八七年)『笑う海』(一九九四年)があり、『木原実全詩集』(一九八六年)もある。他に評伝集、エッセイ集、紀行文、労働者向けの学習テキストなどの著書は多岐にわたる。活動家、政治家としては、『社会主義』『月刊社会党』などへの執筆も多い。私は、『笑う海』以降、木原作品は『芸術と自由』『掌』誌上で読んでいるが、自在さと率直さに加えて、何よりも衰えることのない時代への鋭い考察に啓発されることが多い。長年の活動における資料類は、法政大学大原社会問題研究所に「木原実文書」として所蔵されたという。経歴にこだわり過ぎたかもしれないが、私にとって、短歌と生涯の軌跡との整合性は、その歌人の評価にも関わるからである。短歌一首としての力やしなやかさも大切であるが、作者における、その成り立ち、位置づけによりさらに輝きを増すような、そんな作品にあこがれる。木原における天皇制への一貫したスタンスは貴重ともいえる。最新作に「開戦に熱狂 敗戦に従順 なるほど天皇制はかすり傷」(『掌』九八号 二〇〇九年一月)があり、木原にも「おのれをごま化すのが歌の道ならいつまでも歌を作っていたい」(『芸術と自由』二四二号 二〇〇五年)という一首があり、清水の自嘲と自信に通ずるものがある。
  島田修三は、一九五〇年生まれ。作品、評論において精力的な活動を展開している。最近は大学の管理職にも就いたらしい。歌人としての評価も定まる年齢で、自虐的ながら、反権力、反権威のスタンスは崩していない。最近、メディアへの露出度が高いが、その志を守りきれるかどうか、正念場かもしれない。二〇〇七年刊行の『東洋の秋』には「『女性セブン』待合室に読みゐしが飯島愛かなし皇后はまして」「九重に繁れる森より逃げたきと逃がしたくなきとが薄く笑まふも」などが散見でき、皇室や宮内庁にも遠慮がなく、その直截さが掲出作品とも共通する。「何かコトが起くる即ちいろめきて囀る短歌やなんたる矇さ」「軍閥を知らざりしなどウソを歌ひ茂吉の戦後の悲しみ昏かる」(『離騒放吟集』一九九三年)など短歌や歌人への視線も厳しく、短歌に関わり続けているみずからの「矇さ」や「昏さ」に自戒の念を垣間見せる。 私は、これからも、その歌人の「権力や権威、マス・メデイアとの距離の取り方」に着目したい。たとえば、天皇制への親密性を尺度にすると、思いがけずアポリアを照らし、解明の糸口を示してくれることもあるからだ。
・雨来たる敗戦の日にして野に立てば五輪の金も国歌も要らず
(内野光子、合同歌集『青葉の森へ』より)


■野を走るひと―『笑う海』(木原実)によせて■
(内野光子『現代短歌と天皇制』所収)

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