『坂の上の雲』を見ました(1)放送にいたる背景
NHK(総合)テレビの「坂の上の雲」(司馬遼太郎原作)の第一部1~5回が終了した。第二部4回分の放映は今年12月だそうで、再来年12月の第三部をもって完結するという。原作は1968年から1972年にかけて産経新聞に連載されていたというが、その「評判」を聞くようになったのは、管理職を自認するような世代のサラリーマンが通勤電車で文庫本を熱心に読んでいるのを見かけるようになった頃だろうか。リーダー成りきりの司馬ファンが、周辺にも見受けられた。
映像化は軍国主義に傾きやすいと、決して了承しなかった原作者だったが、1996年の他界以降、NHKは遺族とのドラマ化交渉を続け、ようやく取り付け、その構想を発表したのが2003年。脚本を手掛けていた野沢尚の自殺が報じられたのは覚えているが、調べてみると2004年6月だった。彼はテレビや映画のシナリオライターとして数々の賞もとり、ヒットメーカーの一人だったはずである(野沢尚公式サイト参照)。野沢の作品は男女の愛憎が絡むドラマやミステリーが多かったようでもあり、私自身ほとんどテレビドラマを見ていなかった時代ながら、司馬の歴史小説とはミスマッチのような気もしていた。野沢はどこまでの脚本を書いていたのか。海老沢会長時代からNHKの「不祥事」がつぎつぎ発覚し、すぐに撮影に入るところまでは進捗しなかったが、2007年から撮影が始まり、2009年に入って、とくに、その後半の番組宣伝は異常なほどで、あの番宣のすさまじさに本番を見たくなくなったという友人もいるくらいだ。
NHKが総力をあげて、豪華なキャスト、スタッフを投入し、度重なる海外ロケ、技術を駆使した映像処理など、民放では考えられないお金の使いようは、今回の放映でよくわかった。財源はおおかた受信料にもかかわらずである。
また、国内ロケは、明治の面影の残る各地をめぐっている様子が地図入りで解説され、大がかりな「ご当地ドラマ」の様相を呈し(『NHKスペシャルドラマ・ガイド坂の上の雲』2009年12月 )、これで視聴率を稼ぎたいのかもしれない。わが町の『こうほう佐倉』(2009年12月15日号)でも「平成21年の出来事」として「9月28日NHK坂の上の雲、旧堀田邸で収録、第二部7回に登場する」と写真入りで伝えられているではないか。(続き)
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