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2010年1月19日 (火)

『坂の上の雲』を見ました(2)幾つかの疑問~小説とドラマと

放送の冒頭には、松山の城や野原を駆けめぐる明治の少年たちの映像を背景に、「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」という渡辺謙の重々しいナレーションが入り、画面にも印字された。さらに、その語りは続く。

「四国は伊予の松山に、三人の男がいた。この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦をたて、それを実施した。その兄秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵と言われたコサック師団をやぶるという奇跡を遂げた」

と、このドラマの主人公二人の軍人兄弟を紹介し、さらに続ける。

「もう一人の正岡子規は、俳句、短歌といった日本のふるい短詩型に新風を入れてその中興の祖となった俳人である」

第一部は、明治の開化期から日清戦争を経て、日露戦争前夜まで、秋山兄弟の軍人としての足跡と子規の結核と詩歌との闘いの軌跡が同時進行の形で展開されていた。その舞台は、子規の東京・松山であり、二人の軍人の「出世」にともない、旅順、満州、朝鮮、フランス、ロシア、アメリカ、イギリスと広がる。三人が立ち会う戦争と出遭う事件や人々とのエピソードが織りなす物語でもあった。

全体的に、主人公たち(秋山好古:阿部寛、秋山真之:本木雅弘、正岡子規:香川照之)は、通常ならば、いわば主演クラスのタレントが「贅沢に」に起用されて演ずる著名な歴史的人物とやたら遭遇し、思わせぶりに天下国家を語るのだから、演ずるキャストもスタッフもさぞかしイイ気分なのだろうな、といった印象で、視聴者はやや置き去りの感がするのだった。

ドラマでは、荘重に、ときには明るく、国家、戦争、民族、家族や文芸などが語られる。さらに日本の政治や外交上の重大な事柄などはナレーションでいともあっさり片付けられる。私にとって疑問や気になる点を記しておきたい。いまは、印象批評に傾くが、今後調べた上で再考できればと思っている。たとえば、ドラマ化と原作者の関係、歴史小説と史実の関係、近代史における軍事史―政略・戦略・戦術の強調、天皇の役割、原作とドラマにおける正岡子規の役割、ドラマに登場する女たち~正岡律のクロースアップとその意味など。

1.ドラマ化と原作者の関係

原作者、司馬遼太郎の『坂の上の雲』テレビドラマ化への反対の意思表示は、産経新聞に連載中、NHKの申し出に「やっぱり無理やで」との答えたことに始まる(西村与志木「制作者からのメッセージ」『NHKスペシャルドラマ・ガイド坂の上の雲』168p)。司馬の危惧は、①戦争の映像化は戦争賛美と取られかねない②当時のテレビ技術では小説のスケールを映像化できない、というものであった。司馬の没後も夫人福田みどり氏は、あるインタビューでつぎのように答えていた(tarokanja投稿「Community16200912月号 6p)。

「本人は『坂の上の雲』が軍国主義と間違われることだけは何より嫌だから『映像化だけは絶対断ってくれ。これは遺言だ』といつも言ってました。だから、これだけは守らねばと私は思っているんですけどね」

(『司馬遼太郎―伊予の足跡』アトラス出版社 19995月)

前述のNHK西村プロデューサーによれば、2000年になって、①東西冷戦の対立構造の解消②映像技術の進歩③活字離れといわれる若者を原作の小説に呼び戻したいとの理由で、みどり夫人に対し、テレビドラマ化の説得を開始し、2001年にはドラマ化が具体化した。ここに掲げられた理由の①は、司馬自身は1996年まで存命であったことからも理由にはならないし、②は、技術と言うよりかけるべき時間と予算の問題であり、③に至っては、若者自体がこのドラマを見るかどうかの問題であり、小説の売り上げにストレートに寄与するものか、むしろ、原作・ドラマ化周辺の書物の方が若干売れることになったかもしれない。原作者の固い遺志と著作権継承者の意思の齟齬の問題は依然として残されたままである。(続く)

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