『坂の上の雲』を見ました(5)幾つかの疑問~小説とドラマと~正岡律の実像をもとめて
5.正岡律の実像をもとめて
菅野美穂が演ずる子規の妹、正岡律は、今回のドラマの第1部では主役級で、番組宣伝やポスターなどでも主役の一人である。ドラマでは、いったいどんな風に描かれるのかは当初から関心があった。というのは、小説では、律の登場自体が少なく、その人間像に言及する場面はなおさらだったからである。
<小説>
①明治22年、子規が療養のため松山に帰省した折、律はすでに嫁いでいたが、看病のために実家に通うさまやいじめられた兄の仇を取ると悪童に石を投げたりするエピソードなどによりその性格にも言及する。(第1巻「ほととぎす」299~300p)
また、真之が見舞いに来た折には、律の真之への態度を見てとって、好意を持っていたことを子規はあらためてさとり、「陸軍の好古のことはお律もよく知らなかったが、海軍の真之は兄の少年のころの親友だけによく知っている。この気持はそれ以上のことではなかったが、とにかく真之が帰省して当家を来訪するとなれば、平静ではいられぬ思いが、心のどこかにある」(同306p)と記す。
②日清開戦後、子規の病状は小康を得ながらも、戦地に行けない焦燥感を律にもあらわにしていたが、やがて従軍が決定する。(第2巻「根岸」131p、ほか)
真之がアメリカ留学を控え根岸にやって来た際の子規と律との対応が描かれ、律の看病ぶりも紹介される。(第2巻「渡米」217~218p)
③子規の病状悪化も極まり、真之最後の見舞いの折の律の看病やつれに驚く。子規臨終前後の人々の出入りに母と律の気丈な振る舞いが描かれる。(第3巻「十七夜」20pほか)
<ドラマ>
①「口は達者だが、喧嘩はめっぽう弱い」幼少時代の子規は、真之や気の強い妹の律に助けられていた。子規上京後、真之も上京したがっているのを律が忖度、からかう。真之、上京の折は船着きまで、律は見送り別れを惜しむ。(第1回)
②明治18年(1885年)、結婚直前の律(15歳)が上京、兄と真之のために着物を仕立てると採寸しながら「淳(真之の幼名)さんの着物を縫うんのは、これが最初で最後じゃけん・・・」「(これからは)淳さん、兄さんの楯になってつかあさい。ほしたら、ウチは思い残すことなくお嫁にいけるけん」と。江田島に移った海軍兵学校から松山に帰省した真之は、すでに婚家から離縁された律と会い、「一身独立」のつもりで結婚したはずが、姑の世話だけの生活を強いられていたという実情を知る。(第2回)
③明治22年(1889年)、子規が喀血のため松山で療養中、真之が江田島の海軍兵学校から見舞いにきて、嫁ぎ先から看病にきている律とも再会、子規は妹の真之への思いを確信する。律は「ウチが看病するけん」と言い切って、覚悟を決めている様子であった。(第3回)
④日清開戦後、子規は『日本』の仕事をしていても、戦地からの記事や社の従軍記者の動向が気がかりで、従軍できない自分に焦りを感じ、律にも漏らす。(第4回)
⑤従軍で病状を悪化させた子規は、再び松山で療養、律がつきっきりで看病に励む。見舞いに来た真之は、見送る律に、子規の本当のところの病状を尋ねる。東京に戻った子規は母と律を呼び、3人の暮らしが始まる。病状は悪化、その看護もきびしさを増す。明治30年、真之はアメリカ留学の直前に根岸の子規を訪ね、律らによる看護の手厚さときびしさを目の当たりにする。(第5回)
ドラマでは、まだ、小説の3巻までには至っていない。小説とドラマとの違いは、律と真之との関係で、小説では希薄なものであって、むしろ淡々と描かれるのだが、ドラマでは、二人の出会いも対話も一対一となる設定が多く、ともに秘めた情感の濃密なところも見せる。そして、その出会いの回数も多くなっている。ドラマ①の船着き場の別れの場面、ドラマ②律の結婚前に真之の着物の採寸をする場面、「一身独立」のこころざしで嫁いだものの、結婚相手の東京の赴任先を独り訪ねて離婚を決意した事情を真之に語る場面などは小説では見当らない。小説自体の正岡律に関する情報源はあまり多くないが、河東碧悟桐の律へのインタビュー「家庭より観たる子規」(初出『同人』1933年9月、河東碧悟桐『子規を語る』岩波書店 2002年所収)に拠るところが多いのではないか。ドラマでは、上述のように律が東京住まいになる前に、一人で二度も上京していることになる。しかし、このインタビューによれば、東京への引越しの際が初めての大旅行であったように語っている。当時の交通事情や女性の暮らしから考えたとき、ドラマの設定に不自然さを感じてしまう。律と真之の出会いについては、だいぶ「脚色」があるようなのだ。そんなことを考えながら見るドラマは、信憑性も興味も半減してしまうではないか。(続く)
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