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2010年6月 3日 (木)

ポーランド、ウィーンの旅(3)クラクフを歩く

515日(土) 

パウロⅡ世 

今日は、丸一日を市内巡りにあてることにしていた。まずは、ヴァヴェル城だろうということで、中央広場を抜けて歩き始めてすぐに、クラクフ出身のヨハネ・パウロⅡ世の像がある教会があるはずと見回す。見覚えのあるパウロⅡ世の写真など見え隠れするアーチをくぐると、手入れの行き届いた中庭には、パウロⅡ世の写真などを掲げるパネル展示が続いていた。よく見ると、パウロⅡ世の生涯(19202005.4.2)がたどれるような展示で、スキーや山歩きが好きだった青年時代、この大司教宮殿での大司教時代、バチカンへの赴任、ローマ法王への道が示されていた。そして、中庭の中央には、手を広げたパウロⅡ世像が立っていた。クラクフ市民の95%がカトリックであり、その人気は絶大だったらしい。この教会は、クラクフ教会区の管轄本部で正式には「クラクフ大司教座宮殿」というらしい。人の出入りはなく、パウロⅡ世像の前には大小の花環が供えられていた。アーチの下では、パウロⅡ世のコインが自動販売機で買えるようになっていた。

 

聖ペテロ聖パウロ教会 

 やがて小さな広場を越えた、少しにぎやかな通りに教会が続く。いちばん手前の大きな教会は聖ペテロ聖パウロ教会、表の立て看板によれば毎晩コンサートを開催しているらしい。なかに入ると、真ん中ほどの席でチケットを売っていた。8時からというので、早めに夕飯を済ませて出かけてみよう。渡されたリーフレットによれば、クラクフ室内楽団による、モーツアルトの小夜曲、ショパンのノクターン、ヴィヴァルデイの四季・春などポピュラーな曲ばかり、観光客相手なのかもしれないが、気軽に楽しむのも悪くない。すぐ隣の教会への門をくぐると、そこでは、カメラワークの研修会でもやっているのだろうか、十数人の若者たちは本格的なカメラを携え、石積みの塀に這うつる草にレンズを向けていた。講師の助手だろうか、携帯用の丸い銀色の反射板のようなものを、広げたり、閉じたり、傾けたりと余念がない。私もデジカメで撮ってみたが。

  

ヴァヴェル城とカティンの森事件追悼 

 ヴァヴェル城が迫り、観光客でにぎわう交差点に出る。その一角に、ワルシャワで見たようなパネル展示が屏風のように並んでいた。やはりカティンの森事件の追悼記念の展示であった。ワルシャワの展示とは写真の選択が異なり、その編集も若干異なっていたが、その発するメッセージは同様に強烈だった。さすが、ここでは立ちどまって見入る人たちもいる。また、この小さな広場の一角には、数メートルもある十字架が立てられ、「1940 KTYN 1990」とあるから20年前に建てられたものだろう。気付きもせずに通り過ぎる人たちが多い。そういえば、このヴァヴェル城大聖堂の地下には歴代の王が眠るが、先日の航空機事故で亡くなったカチンスキ大統領夫妻が葬られたのは異例であったという。前述のように、ワルシャワ、ピウスツキ元帥広場での国葬が10万人規模になったこととあいまって、それまでカチンスキ大統領へのさまざまな批判や疑問も吹っ飛んでしまったという見方もある(宮崎悠「『カチンの森』再現図る熟達」毎日新聞2010421日) 

 私たちはゆるい坂道の方をのぼって、城内に入る。幾つかの青銅色のドームの中で金色のドームが一つ際立っている。ジグムント・チャペルは、ポーランドのルネッサンス建築の傑作とのことだ。きょうは、夏のような暑さで、上着が邪魔なくらいだ。人の流れに沿って城内をめぐり、どこの博物館の入り口にもは列ができているので、旧王宮の中庭のベンチで一休みする。展望台からはヴィスワ川が一望できた。円筒の監視塔直下にあるレストランで、私はスケッチブックを広げるゆとりができ、ともどもようやく念願のカツレツを待つことになった。

 

ヴィスワ川を渡る 

 城の坂道を降りて、川まで歩く。さて、これからどうしようか。対岸にあるのが、日本美術、浮世絵などのコレクションを持つ「マンガ館」だ。映画監督アンジェイ・ワイダらの尽力もあって、死蔵に近かったコレクションが磯崎新設計のこの美術館で日の目を見ることになったという。大きな橋を渡って土手道から美術館に近づいてみる。屋根が緩やかな波型をした長い建物だった。入り口周辺が込み合っている。学会のような雰囲気を漂わすコーヒーブレイクであったらしい。迷いながら展示館に入ってみると、柱が見当たらない曲線の壁から成り立つ展示空間がユニークだが、今は「日本刀剣展」だけで、期待していた浮世絵は広重だけでも2000点以上あるというのに、見られなかったのが残念であった。クラクフと京都が姉妹都市であることから、両国の協力により1994年オープンに至った。ちなみに「マンガ」は、旧コレクターが「北斎漫画」の「マンガ」をミドルネームとして使っていたことに由来するという。平成になっての天皇夫妻訪問記念の書が飾ってあるではないか。川を挟んで見るヴァヴェル城の全貌は、まるで絵はがきの世界で、足を伸ばした甲斐があったと、川風も心地よかった。

(ヴァヴェル城からヴィスワ川を望む)

Vaverujo

カジミエーシュ地区へ 

 ふたたび橋を渡って、大きな通りを道なりに進むと右手はカジミエーシュ地区、いまでもシナゴーグが点在するユダヤ人が多く住んでいる街となる。シナゴーグが近くなると、必ず警備が厳しくなる。街かどにたつ警官ががぜん多くなるのが、ヨーロッパの都市の通例である。ポーランド最古のシナゴーグ(ユダヤ教会)は現在博物館にもなっているが、土曜日はすでに早めに閉館になっていた。近くの広場では、並ぶテントの店がしまいかけていた。ユダヤ文化センターでも毎晩コンサートはやっているらしい。辺りは「シンドラーのリスト」の舞台にもなったという場所だ。その映画は見てはいないが、シンドラーの工場は、川向うだったらしい

(カジミエーシュ地区の水たまり)

Mizutamari_2

(ユダヤ博物館はもう閉まっていた)

Yudayahakubutukann_2

 ヤギェウォ大学へ
 つれあいは、仕事柄、旅先では、よくその地の大学を訪ねるという。今回も、散策する程度なのだがキャンパスにもいろいろな発見があるという。地図を見ながら、川岸の道から市街地に入り、公園やサッカーグランドなどを見やりながら、大学公園に入ったらしい。学生の出入りがある建物に入ると、そこには大学グッズが並ぶ売店があったのだが、きょうは休みらしい。階段下では、扮装した学生たちがたむろし、にぎやかにしていた。中央広場の例の舞台の控室のような様相であった。開学が14世紀という古い大学で、ヨハネ・パウロⅡやコペルニクスもここに学んでいる。コペルニクスに敬意を表し、近くにあったコペルニクス像の前で写真におさまる。まだまだ奥があるようなのだが、「中央広場へ」の標識をみると、私の方が急に疲れが出てしまって、帰路についた。そして中央広場の大学フェスティバルは相変わらずにぎやかで、例の「日の丸」を掲げているテントの前を通ると、浴衣を着ている女子学生がすわっているではないか。さっそく尋ねてみると、ヤギェウォ大学日本学科の学生たちだった。訪れる人たちに、日本語のひらがなを教えてますと、ひらがなの五十音のカードを作っていた。また、箸の持ち方も教えています、と割り箸と塗り箸が置いてあった。日本には来たことがありますか、といえば誰もがありませんと首を振っていた。日の丸のわけがようやくわかり、「頑張ってね」と久しぶりに?日本語が話せて心和むのであった。

 

 夕食は、中央広場から少し入ったROSAホテルのイタリアンの店にした。今までにないおしゃれなレストランで、テーブルセッテイングの花やピアノ演奏も、パンや器のセンスも格別で、料理にも満足し、まだまだ暮れなそうもない広場や街をコンサート会場へと急ぐのだった。 

 

 

5月16日(日)

 

Only Pray 

この日は朝から本降りながら、ポーランドのお土産とて空港だけでというのはさびしいので、少し見て回ろうかと思い、中央広場に出てみるが、開店はほとんどが10時なのだ。午後には、クラクフの空港を発つ。大きな本屋さんも、チョコレート屋さんも、そして博物館などの施設も10時なので、それまでの時間の活用がむずかしい。雨の広場が広く思えると思ったら、きのうまであった大学フェスティバルのテントが全部撤収されていた。広場に面した、大きな教会、聖マリア教会の小さな入り口に吸い込まれるように人が入っていく。私たちも、傘の雨滴を払って入ってみると、すでに通路まで人がいっぱいで、ミサが執り行われていた。今日は日曜でもある。中は広く、奥行きも深い。今朝、ホテルのテレビでも、こうしたミサの中継がされていた。厳粛な祈りや聖歌の合い間に家族連れやお年寄り夫婦、若い人たちもどんどん増えてゆく。私たちにとってもなんとなく心地よい雰囲気ではあったが、そっと抜け出して、入り口を振り返ると“only pray”の看板が掲げてあった。

 

クラクフからウィーンへ飛ぶ 

 雨の中を、少々の土産を買って、軽い昼食を済ませ、車で空港に向かう。市街地を出ると雨はますます激しくなり、路面が未整備のためか、車は2mくらいの水しぶきを両側にはねあげて走る。もちろん反対車線の車からはそれだけの水しぶきをばさばさと受ける。クラクフの街を走る車が、なんとなくすすけているな、と思ってはいたが、これでようやく訳がわかった。洗車したところで、すぐに汚れてしまうからなのだろう。空港のカフェのミルクティをのみながら、人々の往来や周辺の席の人たちを眺めているのもなかなか楽しい。

 

ウィーンのホテルに着いたら、今夜は、ホイリゲへのツアーに参加の予定なのでで、忙しい。

 

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