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2010年6月21日 (月)

インターネットの中の短歌情報~楽しく、役に立つ私流ネット検索(2)名古屋発信の歌人のブログ

⑤加藤孝男のサイバー備忘録

bunbu.exblog.jp(運営者加藤孝男)

  「文武を極める」と命名したブログとして、二〇〇五年一〇月に開かれた。運営者は、「まひる野」所属の名古屋の東海学園大学人文学部に勤める日本近代文学の研究者である。ブログでは、幼い愛娘が核となった家庭生活や大学での教育・研究を軸にしたキャンパスライフとともに、武術にも励む歌人の暮らしが綴られている。東海学園大学がまだ短大だった頃、図書館に勤めていた筆者は、氏とはすれ違いで、一度もお会したことがない。時代こそ違うが、わたしのかつての生活圏とかなり重なるところがある。登場する先生たち、図書館や労組の人たちの中に、知る人もいる。よく立ち寄る料理店やスーパーなど、なつかしい名前も登場する。大学となって名古屋市郊外に第二キャンパスができたけれど、人文学部は天白区平針の旧短大キャンパスにある。私の職場だった円形の図書館も健在で、いちばん古い建物になっているという。大学のホームページでは、図書館職員が頑張っている様子が『図書館だより』などに見てとれる。

  氏は二〇〇八年に『近代短歌史の研究』(明治書院)を刊行、私は、とくに戦後短歌史の部分を興味深く読んだ。戦前・戦後の短歌のアンソロジーの流れをきちんとおさえつつ、分析している論文に関心を持った。各アンソロジー(編者)によって選出された茂吉の『白き山』の作品をめぐって、アンソロジーの可能性を探っている点が新鮮だった。また、『短歌雑誌八雲』の評価をめぐっても、冷静な視点が生きていた。

  氏の関心は広いが、短歌関係では、最近、与謝野鉄幹と朝鮮の閔妃暗殺事件との関係を探った論文を完成させたようで、私もぜひ読みたいものと思っている。

 ⑥竹の子日記(運営者:鈴木竹志)

  『短歌往来』連載の「歌誌漂流」では結社誌・同人誌によく目を通してのレビューを楽しませてもらっている。ブログは、高校教師としての日常とあまり気張らない読書人としての記録や名古屋圏の歌壇情報が主である。私にはすでに縁遠くなってしまった教育現場だが、近頃の高校生たちの教育環境や教師たちの職場事情ものぞかせる。生徒への愛情や同僚へ気配りも行き届き、教師たちの「我慢強さ」も語られるが、いったい何が起こっているのだろうか。私などには、多分相当ストレスになるであろうことにも、泰然とした風がうかがわれる。あと一年で定年を迎えるらしい。

⑦WAKA(運営者加藤治郎)

「ある歌人の ふうがわりな日々」の副題を持つブログだ。氏は、荻原裕幸氏らと短歌とインターネットの世界を結んだリーダー的存在だ。このブログの前身でもある「鳴尾日記」(二〇〇一年一月~)の最終日、二〇〇五年六月四日には次のような記述がある。

ここに来て、「未来」(毎月)、「毎日歌壇」(毎週)、「うたうクラブ」(毎季)と選歌の仕事が増えた。選歌人生が始まったのだ。40代半ばである。第二の人生とまでは言わないが、何かが変わった気がする。

「未来」の選歌欄メンバーによるグループ「彗星集」を立ち上げ、ネット上の情報交換やリアルな歌会を実施、雑誌『新彗星』も二〇〇八年五月に創刊、昨年三号を刊行した。結社誌の中の「同人誌」の形成に「政治的意図」が見え隠れし、「毎日歌壇」のメール投稿開始などに見られる、師である岡井譲りの「気負い」と「上から目線」が、やや気になるところではある。(続く)

(『ポトナム』20106月号所収)

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