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2010年7月13日 (火)

佐倉市都市マスタープランの見直しへ、市民の意見を反映するというけれど

なぜ、院生が入って来るの?

「こうほう佐倉」を見て、711日(日)志津コミュニティセンターでの「都市マスタープラン策定地区懇話会」に申し込み、出かけてみた。会場を変えて3回ほど開催するらしい。今日は先月に続く2回目だ。たしか毎回50人程度参加者を募集していた。

受付で参加者数を聞いてみると、市民の方は20人ほどですとのこと。会場に入るといきなり、あなたは3班です、と決まった席に案内される。4つのグループに分かれていて、珍しく若い人もちらほら、20人ではきかぬ賑わいである。

都市計画課長からあいさつがあって、課の職員7人が参加、マスタープラン策定懇話会の小泉秀樹委員長のもとワークショップ方式で進め、ついては小泉先生の指導を受けている、大学院学生と「ものづくり大学?」の院生も各班に参加してもらい、進行ほかを手伝ってもらうとの説明があった。市民と行政の「懇話会」になぜ学生が参加するのか、事前に予告もなかったし、何か唐突な気がして、質問した。「参加の学生は、この会ではどういう位置づけなのか。策定懇話会委員長の先生が参加するのは分かるが、その教え子たちが、住民でもないのに参加し、進行など会を運営するのは、唐突だし、違和感を覚える」といえば、委員長が「それはですね」と説明しかけるので、私は「行政の方にお尋ねしているのです」といえば、課長は「参加といっても、職員だけではできないことを、手伝ってもらうだけですから問題ないです」とのことだった。職員ができないって、7人もいてどういうことなのか、私は釈然としないままだった。ほんとうに足りなければ、アルバイトを雇うべきだ。私たちのグループは、2人の院生、2人の策定懇話会の委員と都市計画課の職員1人、純然たる「市民」は私を含めて4人らしい。   

なぜ、ワークショップ方式なの?

進行係だという隣席の院生が、2色のポストイットをもってそわそわして「自己紹介を兼ねまして、各人佐倉の『ここが好きな○○です』とこのピンクの紙に書いてください」という。市民の4人は一瞬「?」とけげんな表情だ。ああ、これがワークショップとやららしいが、大人を相手に少し幼稚過ぎないかとも思い、いちばんにあたった私は「そんなこと考えてもいないし、好きなところやいいところがありませんから書きません」という。「何か一つくらいあるでしょう」みたいなことを言うので、「住民でもないあなたにそんなことは言われたくない」と少々毒づいたりした。「市民」の一人は「こんな風な会とは思っていなかった。マスタープランの見直しというから、読んでみてあまりにもおかしなところがあったので、こうして意見を書いてきた」とプリントアウトしたものを職員に手渡していた。参加の市民はまじめなのだ。「緑がまだ残っているところがいい」と書く人もいた。そして「今度は、佐倉のここが嫌いだというところ、ここを直してほしいところを青い紙に書いてください」といい、もう1人の院生が、大きな模造紙に十字を書いて、横に良い点・悪い点、縦に現在・将来と書き、控えているではないか。シナリオ通りの進め方である。私も、仕方なく、というか抵抗のしようもなく、直してほしいこと、許せないこと、なくしてほしいことを書き出したというわけだ。「市民」の方々からもいろいろ出ていた。多くは環境問題、生活の足の確保たる交通問題に集中した。

休憩に入ったところで、参加の院生について、職員や院生本人に尋ねてみた。策定懇話会委員長は東京大学工学系研究科都市工学専攻の准教授とのこと、「ものづくり大学院」院生というのは都市持続再生学コースに在籍している社会人の院生のことらしい。彼らは、夜間と土曜日を利用して、勤務しながら学んでいる人たちでもある。その個人的な意欲は可としたいが、多分委員長の准教授は、佐倉市の都市マスタープラン策定見直し過程に密着、参画することをケーススタディの一つとみなしているのではないか。佐倉市は、それをいいことに「お手伝いいただいて」いるのではないか。私は、委員長や委員長の個人的な人脈の院生たちの運営や誘導により、ワークショップという一定の枠の中で、市民の意見や要望が安易にまとめられていくことに危惧を覚えた。ワークショップなどという方式をとることによって、市民のストレートな意見が妙に取りまとめられたり、逆に拡散されたりしないかが不安となった。

この日の会の後半、各班の取りまとめ発表にあたっても、そんな不安が増幅した。いろいろ出た要望や意見を誰が主体となって実現していくのか、を表にまとめましょう、という。表には、市民・行政・企業・専門家・NPO他などが横軸に示される。テーマごとに単独でできること、協働でできること、などが確認されていく。「専門家」あるいは「有識者」というのが曲者で、多くの場合、行政や企業の代弁だったりするので、市民の意見反映のバリアになることが多いので、私は不要論に近い。国や自治体の審議会、専門家会議、有識者会議、第三者委員会などと称されるものがなんとあてにならないことか。あて職だったり、あちこちの委員を兼務したり、名誉職と心得ていたりと、本来の機能を果たすことが少ないのではないか。行政にとっては責任逃れか、職務放棄に、もっぱら活用されているのでないか。また、院生はまた「この班の一言キャッチフレーズを考えてください」としきりに迫るが、無理してまとめることもないのでは、というのが大方の「市民」の意見であった。シナリオ通りに進まなかったのは結果的に私たちの班だけのようだった。委員長の先生は、この班もこの問題が「人気なんですねえ」なんて覗き込むので、「人気?私たちはもっと真剣ですよ、人気なんて言ってもらっては困ります」といえば「すいません、関心が高いんですね」とジーパンのスニーカー先生はおっしゃるのである。

なぜ、マスタープランに力が入り、現実問題の解決を回避するのか

そもそも、今回見直すというマスタープランは、20013月に、20年後を目標に、「佐倉市都市マスタープラン」として策定されたものである。当時、174000人だった佐倉市の人口が、10年後の2010年に21万になるという数値を聞いたとき、佐倉市に10数年住まい、現状を見ていれば、素人でも信じられない「希望的観測」だったので、自治会の仲間や環境問題に取り組んでいる仲間たちとその杜撰さを笑ってしまったことがあった。人口予測は一つの象徴的な数字に過ぎなかった。案の定、その後、何回かの下方修正がなされたが、現実には、2010年時の人口は175900人、1.1%増に過ぎない。なぜ見直すのかといえば、2001年以降、マスタープランの「上位計画」である、「第3時佐倉市総合計画・基本構想」の200512月改訂、「佐倉市都市計画都市計画区域の整備、開発及び保全方針」の20072月改訂との整合性も迫られ、さらに20065月には「都市計画法」の一部が改正され、従来の市街化調整区域を外し市街化区域拡大の路線からコンパクトシティ、既成市街地の再生、魅力ある市街地形成へとシフトしたことにもよる。要するに、少子・高齢化、過疎化、コミュニティの崩壊に直面して、にっちもさっちもいかなくなったのである。マスタープランに限らず、「絵に描いた餅」に化したのを認めないわけにはいかなくなったのである。しかし、私たちの今日の班の「市民」の方々も強調するように、市内のどこの雑木林も竹林化し、駅前のパチンコ屋1軒のやりたい放題を規制できない行政は期待できないという思いは、私もここ十数年、近隣の環境問題に取り組むようになって、行政の怠慢に乗じた開発業者のやりたい放題、両者の癒着をいやというほど見せられてきた。法律がなければ規制できない、と運用で出来ることを回避し、本来行政のやるべきことを業者がかわりにやってくれるのだから、少々のことは大目に見たいといった、住宅行政、道路行政、福祉行政、防犯・防災対策など、また、指定管理者制度によってほんとうのサービスが向上したかも疑わしい。今回の見直しについても、地区別懇話会の意見を市長に上げ、市長からの報告を受けて懇話会は提言、素案縦覧の上、公聴会を開催、都市計画審議会に付され、市長への答申を経て、議会報告、計画決定という手続きがとられる。こうした過程の中で、いわゆる行政の将来構想、総合計画、マスタープラン等と呼ばれるものが、外部のシンクタンク頼みだったり、今回のように外部委員との必要以上の互恵関係が生じたりすることが横行するのだと思う。こうした総論的な計画や手続きに時間をかけるより、各論である、現実の問題解決にひとと時間を投入、創意工夫をしてほしいのだが。

会の終了後、「あなたの質問はわからないところもあるが、勇気ある発言だったと思う。発想が近いかもしれない」と、声をかけてくれた市民の方もいらした。会場で発言していただけたら、もっとありがたかったのだけれどなあと帰路につくのだった。私って、突拍子もないないことを主張しているわけでもないのになあ、と冷房に痛めつけられた身を湯船に沈める夜となった。午後1時半から定刻を過ぎた5時半過ぎまでの長丁場ではあった。

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コメント

ゆーママさんへ
きっと若い方なのでしょう。素直な方でもあると思います。どうか頑張って佐倉市民の目線で、どんどん提案してみてください。どうでもよいことは受け入れるけれど、気が付いてみたら基本は何も変わっていない、という行政ペースにのらないよう、お互いに気をつけて監視、行動して行きましょう。

投稿: 内野光子 | 2010年8月10日 (火) 14時34分

私も出席しましたが、とても楽しかったです。ああいう会を、地域ごとに、回数を増やしてやっていただければよいなと思いました。

WSというのは初めてでしたけど、「一緒に佐倉のまちづくりを考えませんか?」というホームページのふれこみは、間違いなかったと思いました。

私はストレートな意見をたくさん言えましたし、また同じテーブルの市民の方の意見をたくさん聞くことが出来ました。とにかく色々な意見を聞き、自分のアイデアや、言いたかったことなども、次々に促してもらえて、とても楽しかったです。特に、託児所もあるというのは、いいことですよね!

行政の説明会は、日中の昼間がおおくて、仕事があるから絶対に若い人は参加できないです。仮に参加しても、大体一部の市民が行政を非難して、それを適当にあしらって粛々と当て職の委員が議論するだけ。参加しても無駄という気持ちでいっぱいでした。今回の「一緒に佐倉のまちづくりを考えませんか?」というのには半信半疑で参加しました。

今回みたいにテーブルを囲んで、みんなでいいところ悪いところを言い合って、アイデアを出し合って、というのはとても新鮮でした。スーツを着込んで市民VS行政というやり方じゃない、よさがたくさんあったと思いましたが、いかがですか? ジーンズの先生はさわやかで、学生さんの進行も良く、私はリラックスして参加できましたよ! 終わりの方では、行政の若い職員の方と一緒に事業案を考えることもでき、今の活動につながるヒントも頂きました。

佐倉の好きなところが無いのはとても残念です。是非、同じテーブルで色々とお話してみたかったです。

確かに、なが~いワークショップでしたが、私のいたテーブルでは、とても楽しく佐倉のこと、ユーカリが丘のことを考えられた一日でした。

投稿: ゆーママ | 2010年7月14日 (水) 01時45分

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