「田中一村 新たなる全貌」へ行ってきました
9月17日、千葉市女性センターでのハーモニー歌会の帰りに、仲間のお一人と千葉市立美術館へ寄った。新聞等での紹介記事が続く中、12日のNHK日曜美術館でも放映されたというのも、後になって聞いた。1980年代NHKの日曜美術館が火付け役で「一村、一村」とブームにもなり、数年前には映画になり、生誕100年の大きな展覧会もあったような気がする。会場は、案の定、込み合っていた。以前、シャガール展だったか、閑散としていたのに。
「一村」とは
田中一村(1908~1977年)は、生前はなかなか評価されずに、50歳になって、心機一転して奄美大島に渡った日本画家で、私は、新聞で見たカラーの植物画の構図や色調がアンリー・ルソーに似ているような気がして、確かめてみたかった。
会場に入ると、かなり大規模な展覧会だった。大きく東京時代、千葉時代、奄美時代の3章構成で、栃木に生まれ、彫刻家だった父、田中稲村は、一村の幼少時より絵画の才能に着目、「米邨」とも名乗らせたという。7・8歳で短冊・色紙に描く蛍や松、梅の図は子どものものとは思えなかった。上京し、芝学園中学校から南画をよくし、東京美術学校日本画科に入学するが、横山大観の指導のもと、同期には東山魁夷など錚々たるメンバーが集まっていたらしい。3か月足らずで退学する理由は、家庭の事情や周囲の才能へ気後れか人間関係か色々だったのかもしれない。以降は、独学で、上海画壇様式に傾斜、書も篆刻も模していた。書も隷書風のセンスあるものに思えた。
千葉時代
1938年、一村30歳で、千葉市千葉寺町に移り住み、20年間、周辺の田園風景をひたすら描き続ける。当時の地図も展示されていて、私たちの歌会会場の女性センターは千葉市ハーモニープラザの一部だし、プラザは千葉寺の隣だし、プラザの前の青葉の森公園は、かつての畜産試験場やグランドがあったところだ。私たちも時々吟行に出かける四季折々楽しめる公園になっている。そうした縁のある千葉寺周辺のかつてののどかな田園風景がさまざまな技法や角度から繰り返し描かれている。初公開でもあるという何冊かのスケッチブック、一部が欠けた一枚ものもある。そこには木々や草花、多くはオナガ、トラツグミ、ウグイス、キツツキなどの小鳥や軍鶏など多く描かれていた。
半折ほどのナンテンの実の赤のみが強調された墨絵風の「南天図」、紅葉の極彩色の鮮やかな「秋色」、画面いっぱいに描かれた若葉の蔭にひっそりとトラツグミが嘴と尾っぽをのぞかせている「新緑虎鶫」、荷車や軍鶏を取り巻く農村の人々の服装やしぐさが懐かしくもある「千葉寺風景 荷車と農夫」「農村風景」、一転して版画や切り絵風の「千葉寺杉並木」など、バラエティに富んだ画法を試みた千葉時代の前半。制作年をあえて記さなかったという。敗戦後は、日展や院展等の公募展に挑戦するが、独学のためかいっこうに入選しなかったらしい。敗戦直後、川端龍子の青龍展に出品した「白い花」は、私がとりわけ好きな作品である。花は、花でも、新緑の枝にびっしりと花様の「ガク」をつけたヤマボウシガが描かれている。我が家の小庭にも一本のヤマボウシがあって、同じような光景を目にしているからだろうか。
奄美時代
1955年、関係者の支援を受けて実現した四国・九州旅行では、スケッチに加えて、二眼レフのカメラによる撮影が加わり、多くの作品を生み出した。それがきっかけになって1958年には奄美大島へ転居し、中央画壇とも決別、新たなスタートを切ることになる。描く対象もソテツ、アダン、パパイヤ、ビンロウ樹、クワズイモだったり、蝶や蛾であったり、南国の魚たちに変り、精密画やだいたんな装飾的な構図をも試みるようになったのではないか。何度か千葉に戻っては、襖絵や肖像画なども描いていたようである。千葉時代以降、制作年を明記しないようにもなったらしい。奄美では、会場の年表によれば、近くの紬工場の染めつけの仕事で生計を立て、病弱でもあったためか、働いては制作、仕事を辞めては制作するという暮らしぶりだったようだ。
没後30年余
1977年、独身のまま奄美で亡くなる。1980年代になって、冒頭に述べたように注目されるようになり、2001年には田中一村記念美術館がオープンした。没後も関係者や支援者によってひそかに持ち続けられ、愛されてきた証のように、多くの作品が美術館に寄贈され、今回の美術展には個人蔵の作品も多い。
文芸の世界での、独学、自律性が世間的な時流や栄達からいかに遠いかを思い起こさせる田中一村展であった。
テレビ番組表を見ていたら、今晩、日曜美術館の再放送があるらしい。番組のホストが姜尚中氏に代ってから、めっきり見なくなってしまった。私の周辺にはあの声のファンがいるのだが、私にはどうもあの重苦しさとタレントになり切ってしまった研究者の姿を見るのがやりきれないから、つい遠のくのかも知れない。
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コメント
一村美術館が開館したころでしょうか・・・
一村が宿泊をして襖絵を残した「家」での
たけのこ狩りパーテイに参加したことがあります。
義父が大好きだった一村
美術館に行って「一村」を見てきたいものです。
投稿: デイーチャ猫ママ | 2010年9月23日 (木) 10時28分