「奇跡の街、ユーカリが丘」、開発の基本に立ち戻ってほしい~「カンブリア宮殿」を見て
街なかに「カンブリア宮殿に山万の嶋田社長登場」のポスターが目立つと思っていたら、ついに全戸配布のチラシまではいってきた。山万とはいろいろあった自治会の会員だったし、20数年来の住民でもあるので、9月13日夜10時、見ないわけにはいかないだろう。折しもその時間は、千葉の北西部は局地的に雷雨に見舞われ、停電も何度か、放送が中断するかもしれないとさえ思った。
「カンブリア宮殿」(テレビ東京)は特定企業や社長の「ヨイショ」番組と思って見ればそれでいいのかもしれない。これまでも、ときどき覗いていたが、業界の裏話や社長の立志伝情報がメインのようではあった。いつも思うのは、村上龍と小池栄子は、現場にも出掛けず、取材のVTR頼りで、打ち合わせ通りのコメントである。今回の放送で、テレビ番組表には「入居希望殺到!3世代が近くに住める奇跡の街180万円で住み替えが可能」とある。
多摩ニュータウンと比べる?
番組の冒頭は、1970年代に開発が始まった多摩ニュータウンは、「役人」がつくり、住民が高齢化して廃れてゆくという様子、ほぼ同時期に「一民間企業」によって開発が始められたユーカリが丘がいまでも進化し続けているという様子の対比であった。多摩ニュータウンとユーカリが丘(245ヘクタール、6000世帯、人口17000人)とは規模が違い、多摩ニュータウンに長いこと住んでいる友人が「世間ではまるでゴーストタウンみたいにいわれるんでイヤになっちゃう、便利で住みやすい街よ」と言っていたのを思い出す。色々な街区があって、そうした荒廃もあるに違いない。逆に、ユーカリが丘の住民のなかには、「理想郷みたいにいうけど、とんでもない、問題の多い街ですよ」と返したい人も多いのではないか。
番組では、私たちと同じ町内でも、最近建てられた一画に住む、若い共働きの家族の1週間を追って、交通アクセス、保育、セキュリテイ、買い物、映画館、公園事情などがレポートされ、どんなに住みやすい街であるかが強調される。そんな中で、この開発業者山万は、必要とあらば何でも自前で、鉄道(新交通システム5.1km)までも作ってしまい、さらに、33億をかけて三つの小学校、一つの中学校までを作って、佐倉市に寄付したという解説がされていた。それって、少し違うのでは? 旧法では道路・公園その他のインフラを含めて、小・中学校、自治会館なども開発業者が整備しなければならなかった。近年、都市計画法上、ディベロッパーの負担軽減から小中学校整備は自治体の仕事になったはずだ。山万が自発的に作って寄付したわけではなく、当時は法的な義務だったはずである。そうしたインフラ整備は、当然のことながら、当時の宅地販売価格に積算されていた。我が家も、20数年前にはそれなりの販売価格であったが、今となっては・・・。
儲けよりも住民の幸せ?
ここで番組は「村上の疑問」というQ&Aが始まる。「30年以上前の1970年代に、なぜ山万のようなグランドデザインによる街づくりが可能であったか」の理由を問われて、嶋田社長は、自然環境と都市機能の両方を持ち合わせた住宅地をつくり、一度に一挙に販売入居させるのではなく、若い人が住み続けることができる街を目指したといい、必要と思ったら「市場調査」などはやらずに、まず儲けよりも住人の幸せを考える、と答えた。
毎朝、社員の一斉体操が嶋田社長の「力だ、勇気だ、信念だ」という掛け声で終了する社内風景が映し出され、社長の立志伝に移った。街づくりのスタートは、担保に取った未回収金の何分の1にもならない横須賀の山林を「湘南ハイランド」として売り出し大成功をおさめたという。600万の価値しかなかった山林を2億円かけて造成し、販売総額は200億円に達したというバブル期の成功談である。
ユーカリが丘、何が問題なのか?
私は、本ブログにも何本かユーカリが丘開発について書いている。この開発業者山万の「城下町」ともいえる街区に転居してきてすでに二十数年経つ。山万とも長い付き合いになった。
(不便な買い物は続く)
そして、7年間ほどは仕事もあって地域への関心は薄いながら、大型のスーパーがなく、今は撤退した京成の隣駅志津駅前のイトーヨーカドーまで、毎週自転車で買い物に行っていたことが忘れられない。それでも、ユーカリが丘駅への道の途中には、魚屋、八百屋、肉屋さんもあったので、そちらで用を済ますこともできた。そうした個人商店も今はいずれも閉店。数年後、ユーカリが丘駅前にサティができてほっとしたのもつかの間、倒産しかけ、なんとか持ち直したのだが、品ぞろえが今一つ。結局、私は生協に入って、買い物難民から何とか脱出したところだ。最近、歩いて5・6分のところにマックスバリュが24時間営業でオープン、住宅街の真ん中なので、24時間営業は不要と、隣接自治会を中心に設置者の山万とイオンに説明会開催や交渉を重ねた。商業施設スーパーの新設は目の前の323戸のマンション販売の一つの目玉だったのだが、マンション販売は不振、スーパーの集客も振るわず、24時間営業も半年で9時~零時営業に短縮、薬品コーナー・ベーカリーも1年を待たず撤退した。
(強引な開発事業と開発行政)
ユーカリが丘駅周辺、駅の南北の開発が一段落した1990年代の後半、山万は、その東部にあたる市街化調整区域を中心に井野東地域一帯の50ヘクタール弱を土地区画整理組合方式での開発をスタートさせた。私たちの住む町内との隣接区域で、都市計画法に基づく計画書の縦覧や意見書の提出、公聴会開催などの手続きが始まり、自治会が中心で、有志がその都度参加し、自然環境の保全や住民の安全や安心を訴えてきた。しかし、開発面積の3分の2以上が業務代行の山万所有であり、行政と山万との連携は固く、自然環境の破壊、住環境の激変をなかなか食い止めることができないのがわかった。
(住民の気持ちを逆なでされて)
その上、境界線の既成住宅地周辺では、道路の向かいの雑木林がある日突然伐採され始めたり、工事用の囲いが外されると、目の先に6mもの盛り土が現れたり、突然のボーリングで外壁に亀裂が入ったりするなどの実害が続発した。造成工事が進むと、少々の雨でも盛り土が崩落したり、造成地から土砂が流れ出したり、いわば産廃の捨て場になっていた山林の造成にあたってはトラック800台分が搬出されたり、公園予定地にプールのような穴を掘り、周辺の産廃物を埋め戻そうしたりする現場を目の当たりにして、近隣の住民はあまりにも杜撰な開発に怒り、行政や山万に抗議をし、修復・改善の要請をした。法令ギリギリの数値で突破するのが得意技でもあった。また、マンションや商業施設の建築計画が発表されると、周辺住宅の日照、震動、騒音、景観などへの配慮がまったくないので、協定書などを結ぶべく自治会や対策協議会が動いた。連日連夜、山万やゼネコンとの交渉が続いた時期もあった。山万は「手前どもも商売でこの仕事をやってますもので」と開き直るのが常だった。担当との話し合いではラチがあかず、嶋田社長との面会を何度か申し込んだが、実現することはなかった。テレビのなかで「住民の幸せ」が大切とにこやかに答えているのは誰なのだろう。
(これからの開発)
いま、ユーカリが丘では最後の大型開発事業といわれる「井野南土地区画整理事業」が、「井野東土地区画整理事業」に続いている。井野東の方は、終盤に入りながら、都市計画道路の整備や保留地の売却も遅れ、清算時期が延長されている。これまでのかかわりで、道路予定地買収費用ともいわれるべき「公共施設管理者負担金」、予定地一部の遺跡が国の指定を受けたことによる助成金など算定、住民軽視の行政と開発業者との関係などの透明性にも欠けることもわかった。
マンションや戸建て販売にしても、自然や文化的な住環境、交通アクセス、土地・住宅自体の価値を基本にすべきで、いわばどうでもよい「付加」価値を並べたてられても、実をとりたい消費者のこころがどこまで動くかは疑問である。大型入浴施設、別荘利用の特典、田植え体験可能、ペットの足洗い・・・。マンションの屋上近くの「眺望見れます」の大きな横断幕、「見れます」でなくて「見られます」のはずと、とても気になって仕方がないという友人もいる。
番組表コメントの「180万円で住み替えが可能」というのは、一人暮らしとなった女性が一戸建ての住宅を手放し、180万円を追加すれば、山万のマンションが買えるという話だった。
井野東開発区域で、中央通りから上記マンションやスーパーへのアクセスが、傾斜10度に近い、新交通システムを跨ぐ陸橋で、その登り口は70人近い児童、多数の中学生の通学路にあたっている。「危険性の認識はない」という山万やゼネコンの交通整理要員は昨年夏までで打ち切られた。信号機がないので、以降はPTAと自治会の有志が手分けをして、登校・下校時の交通見守りがボランテイアで実施されている。降りてくる車、進入する車に頭を下げ、児童の横断を見守るのである。木陰さえないこの交差点、今年の夏休み明けはつらい。
少々長くなったが、これだけは言わせてもらいたかった。番組を見ての感想である。
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コメント
ユーカリガ丘建設時と今では時代が頃なり、もっと都心に近い場所で、安価(以前に比べて)に住宅(特にマンション)が買えます。私はここが、第二の”越後湯沢”になるのではないかと心配しています。都心からⅠ時間半もかけ通勤したいとは、思いません。近い将来、高齢者だけの高層マンションの管理(費用も含め)は、どうなるのでしょうか?
投稿: 山下 道男 | 2015年3月10日 (火) 14時48分
パソコンを買い替え、もろもろの引っ越しに手間取りました。住民が主体的に街づくりに参加するするには、本来ならば住民自治会が核になるべきかと考えます。しかし、組織的にも、機能的にも、とても難しくなってきているのが現状かと思います。自治会の連合体(協議会)や地区の福祉協議会が形骸化し、住民と行政のパイプどころかむしろバリアになっていることが多いのではないでしょうか。自治会役員や福祉委員たち、善意の人々の、多くは街づくりへの無関心も手伝って、ほんの一握りの有力者?、企業関係者、政治屋たちと行政のシナリオ通りに事が進められています。街づくりに市民も参加できる制度を標榜して、要望書受理、都市計画の説明会開催、意見書受理、公聴会開催、タウンミーティングなどが開催されて、そこで集約される意見も、どうでもいい些末的な個所や若干の思い付きなどは取り入れられても、基本的に見直すことはほとんどないといってもよいでしょう。私が、この十数年、自治会を通じ、あるいはグループや個人でそれらの制度を利用し、取り組んできた体験では、裏切られるばかりでした。
しかし、あきらめてはいけないのでしょう。
いま、ユーカリが丘では、まちづくり協議会準備会なるものが立ち上げられたそうですが、目的のあいまいな、このような市民協働と銘打たれた組織は要注意と思っています。
投稿: 内野 | 2010年10月30日 (土) 14時44分
住民主体のまちづくりを推進する住民グループがユーカリが丘にはないのでしょうか。私も山万経営の怠慢さに嫌気を感じているユーカリが丘の住民の一人です。
投稿: 中 村 | 2010年10月20日 (水) 11時11分