インターネットの中の短歌情報~楽しく、役に立つ私流ネット検索(5)気になる歌人のブログなど
前回で触れた、村上きわみ氏のブログやツイッターからの剽窃疑義があった六花書林刊の松木秀歌集『RERA』について、その後も歌壇ではあまり問題になっていないようだ。そんな中で、インターネット歌壇の草分けの一人枡野浩一氏がこの問題についてかなり早い時期に言及していることを、読者からご教示いただいた。
だれかの「つぶやき」をそのまま短歌化してその元のつぶやきを明記しないみたいなことを彼は時々やるのだ。それはまずい。
私も短歌化は時々やるけれど必ず元ネタがわかるようにします。また「短歌化」と明記します。(「短歌化とパクリと同案多数」枡野浩一公式ブロブ『枡野書店』二〇一〇年六月二二日)
http://masuno.de/blog/2010/06/22/post-189.php
この日の書き込みは長く、続いて、氏の身辺で、近年生じた剽窃、同案多数、本歌取りなどの実例をあげ、「短歌化」という概念を通じて、他人から得た着想や表現などを借用する場合の最小限度のルールを示している。枡野の自作「つり皮の輪がデカければ首つりの綱になるのに夕焼け小焼け」が「吊り皮で首が吊れると気がついてつぎつぎ肩をのぼる赤ちゃん」(松木秀)の一首になったことには「どうして迂闊にもここまで『そのまんま』の短歌作品を歌集に収録しちゃうかなあ・・・」と嘆く。私は、枡野氏の短歌やパフォーマンスをあまり好まないので、そのブログも「お気に入り」に掲げながらあまりアクセスすることをせず、「敬遠」しがちではあったが、まじめにことをきちっと見ている一面のあることを知った。
「しばらくお休みする」とした村上きわみ「gedo日記」も読めるようになったし、四月のある日から一時途絶えた荻原裕幸「ogihara.com」も何事もなかったように再開した。また、三月の休止宣言から数ヵ月後には、風間祥「銀河最終便」も再開したのを知ってなぜかホッとするのだった。
小さな研究会でときどき会う阿木津英氏も「阿木津英の仕事」などのブログを持つ。そこでは、過去の論文やエッセイを遡って登載したり、最近の論著を収録したりしているが、必ずしも網羅的にはなっていない。一方、最近「あきつ・あんてな」を新設、ここでは短歌には直接関係しないと思われがちながら、彼女が深く関心を持つ政治的経済的なトピックスを取り上げ、他のサイトからコピーしたり、再編集したりした記事を紹介し、自身の見解を吐露する。彼女と私の見解とは異にすることもあるのだが、狭い短歌の世界に汲々として怒ることを忘れている歌人たちには耳が痛いのではないか。ただ、最近、一人の読者から、政治的経済的ネタもいいが、「もうそろそろ文学のお話を願えませんか」とのコメントが付いたのを受け、氏は、ほんとうは「歌一首を読んでいいねーと、みんなで愛でることができる方を望む」けれど、「リクツではなく自分の全身の感覚を働かせること」の重要性を説く。私も、歌人の政治的経済的な論点の提示や論議への参加は、むしろ自然体で、積極的になされるべきだろうと思う。世の歌人たちは、とくに政治的発言や説明責任を巧みに回避しながら、短歌表現の曖昧性に逃げ込むパターンが多いのではないか。
これからのコミュニケーションツールとしてのインターネット、ホームページ、ブログ、ツイッターは、進化し続けるのだろう。そこに何を盛り込むべきかのソフト面での充実は、何よりも発信者の、それを支える受け手、読者の双肩にかかっているといえよう。(『ポトナム』2010年10月号所収)
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