節度を失ってゆく歌人たちが怖い~河野裕子追悼をてがかりに
河野裕子さんが猛暑のただ中に亡くなり、この秋の歌壇の総合誌は、競うように追悼号を組み、追悼文が目白押しである。河野さんの短歌にはエネルギッシュな表現力があふれ、男性からも女性からも好もしく思われる配慮に満ちた発想に感嘆することも多かった。その作品の接し方によって人それぞれの追悼の仕方があって、ひそかに偲びたいと思っている人も多いのではなかったか。しかし、現在の追悼フィーバーはなんなのだろう。まるで芸能人なみの、華やかで、戦略的な一連の追悼イベントを苦々しく思うのは私だけだろうか。
河野さんは毎日新聞「毎日歌壇」の4人の選者の一人だった。亡くなる直前まで選歌をされていたとかで、没後も何週間か河野選歌が続いた。そして、10月10日(日)の「毎日歌壇」の篠弘選11首すべてが河野裕子追悼歌だったのである。「毎日歌壇」は投稿者が選者を選ぶ方式だったはずだ。特選の「水源のごとき歌人のみまかりて昏き器のいよよ静まる(豊中市 水野正明)」には「河野さんの代表歌をふまえた清適な挽歌」の短評が付されていた。以下10首の中には「背の君と歌会始にならばれし和服姿のかの裕子さん(川崎市 川崎文恵)」というのもあった。事前に篠弘選のみが「河野追悼特集」を通告していたわけではないだろう。他の選者はいつも通りの選歌であった。投稿作品に追悼歌が多かったといっても、少しやりすぎではないのか。投稿者も読者も不意を突かれた感じだろう。河野追悼で「毎日歌壇」を盛り上げようとしたのか。あるいは河野さんの遺族の夫、永田和宏さんへのお悔やみの意であったのか。歌壇の核にもなりそうな結社「塔」への配慮、歌壇におけるポピュリズムへの迎合などが垣間見える。
そして、さらに驚いたのが、10月25日(月)の朝日新聞「朝日歌壇」の永田和宏選者が河野追悼歌の1首「逝きし人の体温伝はる歌を読む『葦舟』もうすぐ終りのページ(大津市 嶋寺洋子)」を一番最後にすべり込ませていたのである。いくら身内がかわいいから?と、これはないだろうと思う。かりにも全国紙の「歌壇」である。一番人気の「歌壇」でもある。
この2件に共通するのは、数百万の読者、その一部でもある「歌壇」愛読者、短歌愛好家たちのいわば共通領域を私物化していることにはならないか、懸念は広がるばかりである。
もっとも、利用できるものは何でも利用するのが現代の流儀なのかもしれないが、文芸の世界でもあからさまになっていくのは、さびしい限りであった。とにかく世の中に話題を提供して、短歌の復興?歌壇の活性化?を大義名分に「頑張る」人たち、それに踊る人たちからは目を背けたい思いである。かつても、永田和宏・河野裕子夫妻の歌会始の選者就任、また、永田・河野一家のプライバシー放擲などについて書いたことがあるが、彼らに限らず、「年間回顧」などで、執筆者自らの歌集を注目作としたり、自らの結社同人の業績を過大評価したり、アンソロジー収録にあたって自らの系譜の歌人たちを多く収録したりすることが歌壇に横行するのが日常茶飯なのだから、何を言っても仕方がないのかもしれない。節度を失ってゆく歌人たちが怖い。
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