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2010年11月29日 (月)

「『坂の上の雲』から平成を読む(平間洋一講演会)」に出かけましたが・・・

1127日(土)1時~3時、佐倉市志津コミュニティーセンターにおいて開催された。佐倉市国際文化大学の一年締めくくりの最終講義で、毎年公開となるらしい。参加者は国際文化大学の生徒が大半だけに、リタイア世代の男性が圧倒的に多い。

レジメの紹介によると、講師は、1933年生まれの防衛大学校卒業(第1期)、1988年海将補で退官、引き続き、防衛大学校教授、1999年退官後、いくつかの大学で講師を務めている。戦略研究学会、太平洋学会などの学会に所属、NHK「坂の上の雲」海軍史考証・海軍指導担当、とあった。国立国会図書館の目録検索によれば主要著書に『第一次世界大戦と日本海軍―外交と軍事の連接』(慶応大学出版会 1998年)、『戦艦大和』(講談社 2003年)『日露戦争が変えた世界史―「サムライ」日本の一世紀』(芙蓉書房出版 2005年)、『第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から』(錦正社 2007年)があり、軍事、歴史関係の雑誌への寄稿も多く、かなり精力的な執筆ぶりである。講師自身のホームページによれば、70歳からコンピュータ教室に通って立ち上げた由、その積極性には敬意を表したい。

だが、しかし、講演の内容にはいささか驚いたのである。テレビドラマ「坂の上の雲」の撮影現場に立ち会ったときの他愛ない裏話で始まったので、それに終始するのかなとも思ったところ、日露戦争において国力・軍事力ともに「小さい日本」がなぜ「大国ロシア」に勝てたかといえば、国民が国防予算の54%という苦難に耐えた挙国一致の愛国心があったからだ、という。また、それは、明治の高貴なる者の義務(noblesse oblige)~皇族男子の軍務、女子の慈善・看護奉仕や国家指導者たちの「義に生きたサムライ精神」に支えられていたからである、と。この歴史に対する自信と誇りを回復することこそが、「平成の国難」を克服するカギである、とも。

一世紀前の亡霊に出会ったような衝撃であった。明治の状況設定にも疑問がある中、それを平成に飛躍させるところに無理がある。1945年以降、被占領期の曲折はあろうとも、外交文書をはじめ史料や情報の公開度が加速し、思想、言論、学問、出版の自由などが確保されてゆく過程で明らかになってきた様々な分野の歴史研究の成果を、どう評価するのだろう。

講師は、自らの研究の成果として、日露戦争における日本の勝利が世界に与えた影響として、小国が大国を破り、黄色人種が白色人種に勝利した衝撃が、世界史を塗り替えたような口吻であった。アジア・アラブ・アフリカ諸国の民族独立、人種平等運動を覚醒し、ロシア革命、フィンランド、ポーランドの独立運動やアメリカの黒人解放運動にも多大なな影響を与えたというのである。その根拠として、当時の指導者の回顧録などをあげる。 

さらに、各国の教科書の日露戦争の記述を追いながら、それらに比して、日本の教科書の自虐的内容を嘆いていた。パワーポイントを使っての駆け足の説明だったので、分かりにくかった。その後、ホームページで検索した資料「世界と日本の教科書が教える日露戦争」(『日露戦争を世界はどうみたか』桜美林大学北東アジア研究所 2010年)などを読んでみると、講師の着目点は、外国の教科書が「日本の宣戦布告のない旅順への奇襲攻撃の非を問うているか否か」であり、「戦局や戦闘場面、指揮官に言及しているか否か」のようであった。

日露戦争の勝利が他国の民族独立運動の気運を高め、その後の日本がそれらを支援したという点について、私などの理解では、とくに太平洋戦争下の東南アジアにおいては、「支援」と見せかけて、他の列強に取って代わったに過ぎない侵略だったという歴史はすでに明らかにされているのではないか、と考えられるのだ。「回顧録」「伝記」「日記」などは、その書き手が指導者や権力者だったりすると、自己の正当化や自己弁護がつきまとうので、その内容の信憑度には疑問符を付するのが資料読解の基本ではないか、とも思うのだが。

また、外国の教科書の記述とて、局部的な引用にすぎないし、歴史書の中での戦争の記述は、その勝敗や軍事的・作戦的な側面だけを強調することは、むしろ戒めなければならないはずであって、自国の政治的・経済的背景とともに銃後の国民生活や当時の国際的な動向や相手国の状況をも把握することは、歴史を学ぶ必須ではないかと思うからだ。

日本の戦後の教育や教科書を自ら貶めることは、それこそ自虐史観につながるのではないかと思い、どちらがより「インターナショナル」なのか、は自明ではないのか。

講師は、はからずも、1945年以後の日本の誤りの根源は、東京裁判と神道の廃棄にあり、日本には120何代も続いている天皇という心棒がありながら、揺らいでいることにあるという趣旨のことを漏らしていた。重畳的な、錯綜的な歴史の歩みを、あまりにも拙速に、短絡的に、昭和の否定や誤断を行うのはいかがなものだろうかと思った。

講師は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の史観にもまだ不満らしく、秋山真之の「アジア主義者」としての評価が足りないとしていたが、私は、彼が日露戦争後、軍を退き、僧籍に入りたいと漏らしたという人間性の方を掘り下げたいと思うのだった。

また、私は、司馬遼太郎の根底にある朝鮮観や女性観の後進性について、講師に質問したいと思っていたが、内容的には、「坂の上の雲」に便乗したようなもので、ホームページを見ると、講師は、早くより、同様の趣旨で繰り返し講演し、執筆を続けているようであった。

なお、この日の講演でも、時間いっぱいの話で、質疑の時間はとられなかった。質問があれば事務局までということだったし、ホームページでも「当サイトへのリンク、論文引用などは自由ですが、著作権に触れないようご配慮下さい。 なお、ご質問、資料請求や問い合わせ、ご議論は人手が足りませんのでご容赦下さい」となっていて、論争よりも一方的な発信に限るところが、限界なのかな、との思いもするのだった。

  

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2010年11月17日 (水)

<地域福祉計画・地域福祉活動計画・タウンミーティング>に参加しました(続き)

二つの委員会の委員は入り乱れて・・・

タウンミーティングの帰りがけに、佐倉市側の担当者である、社会福祉課に、二つの委員会の名簿のファックス送信を依頼しておいたら、翌日に届いた。

(第2次)

佐倉市地域福祉計画推進委員会名簿(平成21527日~23331日)(行政

選出区分

氏名

備考(筆者記入)

   

社会福祉事業者

恵下均

現委員長

   

ともに歩むふくしプラン推進委員会

徳嵩陽子

民生・児童委員、元教育委員、

前第3次活動計画策定委員長

   

社会福祉協議会

瀧嵜博

   

民生・児童委員

高岡良子

   

ボランテイア団体

松崎裕美子

現副委員長

兼 活動計画策定委員

   

地域団体

高石惣一郎

社協職員

兼 活動計画策定委員

   

公募市民

住吉アキ子

   

公募市民

藤谷良弘

   

公募市民

瀬尾潔

   

学識経験者

松山毅

順天堂大学準教授

兼 活動計画策定委員

 上記名簿といわゆる「民」を標榜している「第4次地域福祉活動計画策定委員会名簿(民間)」とを比較して気付いたことを列記してみよう。

・第4次地域福祉活動計画策定委員会(民間)は、合計26人。「第2次地域福祉計画推進委員会名簿(行政)」と重なる、兼任者は⑤⑥⑩の3名である。

・第4次地域福祉活動計画策定委員会(民間)の選出区分による内訳は、学識経験者1、市議1、市1、教育委員会1、公募4、商工会議所1、民生・児童委員2、保健医療関係1、社協関係5、福祉団体連合体代表6、地区代表3である。

・上記、推進委員②は同推進委員会(行政)の前身にあたる「(第1次)佐倉市地域福祉計画策定懇話会名簿」(行政)の区分では「男女平等参画関係者」とあり、備考に記したように、第3次佐倉市地域福祉活動計画策定委員長時代(平成183月~196月)(民間)の所属・職名は「ボランテイア」となっていて、いろいろ使い分けていることが分かった。

・また、推進委員⑥も選出区分が「地域団体」となっているが、一方の「第4次地域福祉活動計画策定委員会名簿(民間)」の選出区分では「市社会福祉協議会」となっているではないか。第2次地域福祉計画推進委員会(行政)には③と合わせて二人が社協関係者ということになる。

・佐倉市地域福祉計画策定懇話会名簿(第1次)(行政)を見ると、①②⑤⑥⑧⑩の6名が引き続き現在も地域福祉計画推進委員会委員(第2次)(行政)を務めていることになる。

・なお、行政による推進委員会10名には、16人の担当部課長ら、いわば「あて職」による庁内委員会が付置されている。

・ここでは書きれないが、双方委員を個別でみると、大部分の委員が、この両委員会の委員のほかに他の佐倉市の審議会、委員会、懇話会などの委員を兼務したり、他の委員会から「わたり」で選任されたりしている事実に直面する。

以上のことからも、二つの「計画」を作成する二つの委員会は、単純に3名が兼任しているだけではなく、次のような事態を引き起こしていることになる。

・時系列においても入れ替わったり、再任が多数を占めたりしているので、委員は固定化し、限定的になる。

・結局、行政側の選任で決まる委員人事なので、おのずから行政との親密性が高く、癒着の弊害を生みやすい。公募委員といえども、12回の選任期間が試用期間となり、行政にとって「安全安心な」委員か否かの「踏み絵」の役割を果たし、公募委員を経て、行政推薦・選任の委員になるケースも多く見受けられる。

・公募委員の定員の割合は、「行政」委員会で10分の3、「民間」委員会で264にすぎない。しかもその選任については、応募期間を延ばしたり、応募人数を明確にしなかったり、その選任過程・基準は不透明で、新人が選任されにくく、多分に行政の恣意が垣間見える。

・今回のタウンミーティング時の配布冊子に双方の現計画の成果と中間評価がレポートされているが、これも限りなく、たんなる自己評価にすぎず、適正かつ公平な評価は期待できない。

・今回の参加者からの意見にもあったが、現在進行中の計画の問題点を明確にしないまま、甘い自己評価を前提に次の計画を策定していることになる。

  このような事実と事情を背景にした委員人事となると、なるほど委員名簿は「個人情報保護」により、計画素案が出来上がるまでは、公表するのが憚れるのであろう。しかし、他の委員会の名簿は、大方ホームページなどで公表されていることが多いので、どうしたわけだろう。「福祉」という「聖域」だから許されることなのか。疑問は大きい。

計画実施の財政的な裏付けはあるの?

 この疑問は、会場の参加者から複数出ていた。市長は、あります、と大見得を切っていた。この先10年で福祉関係予算は120億から190億円まで増加するのに十分対応していきたい、という。だが、その根拠が明確ではなかった。

 その一方で、「民」の計画をリードした社協の谷田部会長・立嵜事務局長は、社協会員の拡充、募金・寄付の増額のため自治会・町内会の協力を訴えるが、私が質問したように平成21年度で見れば、総収入27100万円の内、佐倉市からの人件費補助が9588万で35.4%を占め、人件費はさらに上乗せし、13668万円を支出、総支出27100万円の50.4%を占める。人件費の70%を佐倉市に依存し、元の市職員、前職員も働く社協はほんとうに「民」と言えるのか、事業といえば、会費・共同募金・寄付などの配分とボランテイア活動支援を主とするが、在宅サービス支援とて、地区社協の福祉委員・ボランテイアで支えているのが実態だ。指定管理者制度による委託事業も福祉の現場ではなく、机上での支援・調整にこれだけの税金や募金をつぎ込んでいいものか。別会計での介護保険制度による介護事業は、行政や他の福祉社会法人でも十分なしうる。

 社協が、人件費をかすめ取るダミーのような役割を果たしているように見える。現在社協がしている仕事は、行政の福祉部門で十分完結できる仕事で、その方が効率がよいはずである。

 さらに、「民」を標榜するのだが、財政的な意味でも、もはや「民」ではあり得ない上に、前述のように、「民」と称して参加している委員のほとんどの委員は社会福祉法人、福祉事業者、NPOなどの代表者として、何らかの形で社協の会費や募金からの配分を受ける側の人間である。ということは、計画の策定過程で行政や社協からの提案に、基本的には賛成せざるを得ないだろう。些細な提案や思い付きは採用されたとしても、基本的な流れに異議を申し立てることができるのだろうか。行政すなわち佐倉市からの地区社協への敬老事業費にしても、その実施態様は、高齢者の実態に即していない。また、社協から共同募金の配分の仕方にしても、「はねっと」の報告によれば、機械的で、実績というより、バラマキに近い。

では、どうしたらいいの?

 上記のような視点で、「社会福祉協議会」に切り込む研究者も見当たらず、福祉行政担当者、福祉事業者・従事者からの声も、政治家たちの声も聞こえてこない。問題認識がないのか、恩恵にあずかっているからか、あきらめなのか、とても不幸な状況にたち至っていると思う。そんな中で、今回、私は、神奈川県伊勢原市の浜田順子市議会議員(神奈川ネットワーク)が自らのホームページで2009116日の「市社会福祉協議会に対する市の補助金は、適切か」と、こんな風に言っているのを見つけた。

「戦後の復興期には、戦災孤児、身体障害者援護などの大きな役割を果たしたが、時代とともにボランテイア活動援護とその役割が大きく変わっている。市の社協を財政面から分析してみると、市から7000万円の補助金を得ており、経常活動支出の70%を占める。人件費と事務所管理費に充てられ、繰越金4550万円、特定預金1750万円ある。介護保険制度による居宅介護支援事業などはでは社協というネームヴァリューもあり、公的資金も入り、優遇されており、他のNPOなど市民事業などの展開を妨げていないか。市の補助金制度の抜本的に見直すべきではないか。介護保険や自立支援事業は経理面を明確にするため特別会計として分離独立した会計処理を行うべきだ」(要旨)

http://jhamada.kgnet.gr.jp/index.php?case=6&action=1&cate=all&id=1232119338

  佐倉市の場合も、2億円以上の福祉資金を持ち、1億数千万円の有価証券投資を行っている一方で、自治会・町内会を通して、会費・募金の増額に必死なのは、どこか逆立ちしているようにみえる。社協が生き残る道は、公的資金は受けてはならず、他の社会福祉法人と全く横並びの一社会福祉法人として、適正な競争原理のもとで事業を行うべきである。それが規制緩和というものだろう。

タウンミーティングの参加者からの指摘にもあったが、社協は、半官半民を使い分けているのではないか。ある時は、今回の計画策定のように「民」の立場を強調し、自治会や町内会には「官」の顔をして会費や募金を実施しているように思う。

国政においても「審議会行政」の弊害がわかっていながら、その改革に手をくださないのは、学識経験者、実務の専門家やジャーナリストなどの顔を一見立てながら、官僚の意のままに動かせるからだろう。登用される委員たちも持ちつ持たれつで、その「地位」や「名誉」を利用して、世間を渡り、実を得ているのだろう。国民は「蚊帳の外」である。今はやりの「仕分け」とて、仕分けする者とされる者との関係が不明確だ。どこの誰ともわからない「仕分け人」が登場し、切ってみせるが、切っても切っても実効性が低い。その対象が些末的ではないか。もっと基本的に予算管理をチェックすることに、議会や国民のエネルギーを使いたいものだ。

住んでいる町で、一度社協関係の委員会の委員名簿を手にしてみるといい。そして役所のどこか関心のある審議会委員名簿を覗いてみるといい。その重なり具合で、ほんの一握りの、行政にとって「安心安全な市民」による「市民参加」が大手を振っているに違いない。

当日の参加者は、かなりの数の市役所、社協、福祉委員などのスタッフがどれほどか正確にはわからないが、あわせて百数十人というところか。過日、スタッフらによる大々的なリハーサルもなされたという。当日の午前中、私は別の会議で会場ホール近くにいたのだが、10時にはすでにスタッフは駆り出されていた。ご苦労様なことだが、このタウンミーティングにかかわる経費とエネルギーを福祉の実に振り向けてほしい。

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2010年11月15日 (月)

<地域福祉計画・地域福祉活動計画・タウンミーティング>に参加しました~社会福祉協議会は「官」なのか「民」なのか~

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地域福祉計画・地域福祉活動計画

タウンミーティングへ行こう~福祉について話合いましょう~

佐倉市と佐倉市社会福祉協議会は、それぞれ「地域福祉計画」「佐倉市地域

福祉活動計画」の策定を進めておりますが、 このたび、計画の骨子案がま

とまりました。

 そこで、市内3カ所でタウンミーティングを開催いたします。たくさんの

みなさまのご参加をお待ちしております。

 第1会場  10月17日(日) 佐倉市民音楽ホール

 第2会場  11月 7日(日) 和田ふるさと館

 第3会場  11月14日(日) 志津コミュニティセンター

 時間は各会場共通

 開場1230 開会1300 閉会1600

 ご来場の際は、公共の交通機関をご利用ください。

 ○参加費 無料

 ○申込み 不要(保育をご希望の場合は、事前にご連絡ください。)

 ○その他 手話通訳、要約筆記、保育、車いすのご用意があります。

概 要

 ◇計画骨子案の説明

 ◇地域福祉シンポジウム

  〔パネリスト〕

    ○蕨 和雄   (佐倉市長)

    ○谷田部 満 (佐倉市社会福祉協議会会長)

     その他、地域福祉計画推進委員・ 地域福祉活動計画策定委員

  〔コーディネーター〕

    ○松山 毅  (順天堂大学准教授)

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上記のような、チラシやポスター、市の広報などでも何度か見ていたので、住まいに近い第3会場のタウンミーティイングに参加してみた。

 なぜ、二つの地域福祉計画ができるの?

どうもややこしいのだ。地域福祉計画を佐倉市と佐倉市社会福祉協議会が双方別々に作成していて、その骨子案がまとまり、市民の意見を聞くためにタウンミーティングを開いているらしい。なぜ市と社協が別々に同じ計画を二つの委員会を立ち上げ検討するのだろう。上記、プログラムの「計画骨子案の説明」には、次の3人が各20分、次のようなテーマで話した。

 計画の概要:       石渡佐倉市社会福祉課長

 地域福祉計画の骨子案:  瀬尾委員地域福祉計画推進委員会

 地域福祉活動計画の骨子案:橋本地域福祉活動計画策定委員会委員

福祉計画課長は、二つの計画の関係、二つの委員会の関係を配布資料のパワーポイントのコピーを棒読みするだけで、なぜ二つ必要なのかが伝わらない。②③も自分たちの作成した骨子案の将来像・基本目標・重点目標・取り組みの方法というのを、パワーポイントそのままの配布資料を読み上げるだけなのだ。聞く方はつらい、いいことづくめのお題目を聞いているのと一緒で、何が問題点なのかがわからない。基本目標は共通に設定し、基本理念が違うのも腑に落ちないし、まるで「ことば遊び」のようで、何が違うの?という感じだ。

地域福祉計画(A

福祉課題

地域福祉活動計画(B)

地域福祉計画

推進委員会

基本目標

地域福祉活動計画

策定委員会

(基本理念)

一人ひとりが

自分らしく安心して

暮らせる

地域社会

安心・安全なまちづくり

(基本理念)

私もあなたも

いっしょにつくる

いきいきと暮らせるまち

佐倉

協働のしくみづくり

交流と支え合いの地域づくり

分かりやすい情報の仕組みづくり

両者の違いは「官」と「民」?

そしてさらに、ABの両者が基本目標ごとに掲げる重点目標もその違いが分かりにくい。まるで言い換え、類語辞典に見るような違いだ。「取り組みの方法」も重なる文言が多いし、やや項目も多いし具体性がある表現をとるのがAの「地域福祉計画」の方だ。ますます分ける意味が分からず、なぜ一体化して進めなかったのだろう。

つぎに、シンポジウムに入るのだが、パネリストが、市長、各委員会の委員長・副委員長に、コーディネーターの計7人が壇上に座る。その7人の「ごあいさつ」にだいぶ時間がとられ、いつ質疑に入るのだろうかと心配になる。時間はすでに2時間近く経過。そして、アンケートでの質問から入るのだが、やはり「なぜ二つの計画があるのか、両者の関係はどうなのか」の質問が複数あったらしい。両委員長の回答では、Aの推進委員長は個人的には一体化した方がいいと思っている由、合同作業部会も設置し、いずれ計画は一体化されるだろうとのこと。一方のBの活動計画策定委員会委員長は社会福祉協議会会長なのだが、「民にしかできないことがある」旨の説明があった。コーディネーター(順天堂大学準教授)は、両委員会とどういう関係か不明だが、よくしゃべる人で、会場の参加者から一度ならずそのしゃべり過ぎを注意をされていたのだが、彼は、はからずも、Aは「行政計画」、Bは「民間計画」といい直し、委員には兼任する者がいるという発言もした。

なぜ、委員名簿を公開できないの?

私は、今日の配布資料に、二つの計画骨子案の策定にかかわった委員の名簿がついていないのに気が付いた。受付の市の職員のところに、今からでもいいから委員の名簿を配布してください、と依頼しに行った。相談しているようだったが、席まで来て、「名簿は手元にないし、今日は担当者が全員会場に来ているので、名簿は手渡せない」とのこと。しばらくして「よかったら、委員のことを質問してくれれば、読み上げるか、構成などを回答してくれると思う」とも伝えに来た。今日は、質問する気はなかったのだが~。

「名簿を公表してください、会場で間に合わないようであったら、インターネット上でもよいので、分かるようにしてください」と質問すると、なんと、市の福祉部長が会場の最前列から「個人情報なので公表できない」と言い切った。そういえば関係の市役所の部課長が最前列にずらりと並んでいたのにようやく気が付いた。各種審議会、委員会、懇談会など市の委員名簿はほとんどホームページで公表されている。住所や電話番号まで発表せよというわけではない、「公務」で手当ても出ているはずなのだから、氏名と所属などは市民がアクセスできて当然だと思う。そういえば、最近「個人情報保護」をタテに、他の委員名簿が氏名のみに簡略化されている場面にも出遭った。委員会の議事録の発言委員氏名を記録しなかったりで、情報公開が後退しているのだ。情報公開は行政改革の柱ではなかったのか。

「社会福祉協議会」は「民」なのか

今回のBの地域活動計画は「民間」の社会福祉協議会の地域活動計画策定委員会が策定していることが明確になった以上、どうしても質問しておきたいことがあった。「佐倉の社会福祉協議会は、2億数千万の財政規模の中、佐倉市から1億近い人件費への補助金が出ているが、それでも社協は『民』といえるのか」という年来の疑問である。コーディネーターはすかさず、「その件は今日の議題ではない」と答えたのだ。こんな露骨な「逃げ」を演ずると思わなかった。

そして、壇上のパネリストでもある社協の会長と最前列の事務局長は会場に向かって、社協の会費、募金、寄付への協力要請を始めた。さらに「松江市では、香典返しの代わりに社協に寄付をさせて4000万くらい集めた」実例まで「羨ましそうに」語り出した。一昨年の最高裁判決以来、会費や募金を自治会を通して集めることすら疑問視されているのに、これ以上香典返しまでに踏み込むの?お金の入口には必死になるが、その使い道の杜撰さ、不透明さには頬かむりするような、今日の質疑だった。

社協が『民』の顔をして、行政と並行して作成する「地域福祉計画」ってどんな意味があるのだろう。社協の存在価値をアピールするパフォーマンスのような気がしてならない。来年に計画素案が発表され、パブリックコメントの募集があるという。まだまだ茶番は続くのだろう。それでもあきらめてはいけないと、自らに言い聞かすのだった。

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2010年11月12日 (金)

ふたたび、ワイエス展へ

今回のワエス展は、丸沼芸術の森所蔵の「アンドリュー・ワイエス展~オルソンハウスの物語」(埼玉県立近代美術館 2010年9月25日~12月12日)で、ワイエス(1917年~2009年)は昨年1月亡くなったので「回顧展」かな、思ったが、今回は「丸沼芸術の森」所蔵に限られる。熱烈なワイエスファンというわけではないが、気になる画家のひとりで、本ブログでも、私のワイエス体験を記したことがある。 Photo_8

ワイエス展、bunkamura へ(200811月)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2008/11/bunkamura-7f3a.html

表題にある「オルソンハウス」とは、ワイエスが後に妻となる少女を介して知り合った、アメリカ、メイン州のクッシンングという海沿いの村のオルソン家のことだ。その家を守るアルヴァロとクリステイーナの姉弟とその家の隅々までを、毎夏通っては弟姉が亡くなるまでの30年近く描き続けたのだ。主にブルーベリーや野菜を収入源とする農場を切り盛りする弟、体が不自由ながら自立して家事もこなす姉、海辺の丘に建つ家、そして家の内外の小舟、牛や馬、農機具、生活道具などを克明に描き続けている。一枚の水彩画のための幾枚もの習作のデッサン、その過程もわかるような展示も多い。今回は、ペンシルヴェニア州のチャッヅ・フォードの住まいの本拠地の作品がないのはさびしいけれど、納屋の壁、柵、杭,手押し車、バケツ・・・、私の好きな一枚は、「穀物袋」(1961年)。納屋の日の当たる入口近くに無造作に置かれた穀物袋を納屋の中から描く。その微妙な陰影の精密さ、入口の外に立つアルヴァロらしきシルエット、土間にまでその影を延ばす。日差しの明るさと人間の営みが濃縮されているような一枚に思える。

埼玉県立近代美術館は北浦和公園の中にある。すっかり色づいた大イチョウと色づきかかけた二本が見事だった。その下では誰もが見上げているのが遠めに見えた。近づくと、私も思わず見上げるのだった。その日は11月には珍しく、各地に黄砂が覆ったというが、気付かなかいまま、千葉からの小旅行は終わった。

Photo_7

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2010年11月11日 (木)

「自治基本条例」の行方

「自治基本条例」は役に立つのか

112日付の「こうほう佐倉」で「佐倉市自治基本条例(素案)」を読んだ。タブロイド判見開き2頁におさまっていた。やっぱりというか、案の定というか、条例案の内容は、下記のサイトで読んでいただければわかるように、「永く市民の行動規範となっている佐倉市市民憲章での精神を礎に、佐倉市の自治の原則を明らかにし、もつて市民の力が最大限に発揮される自立した市民社会を築いていくためにこの条例を制定します」と、その制定趣旨を「前文」にうたう。続く各条項においても、美辞麗句を掲げながら、「努めるものとする」という努力目標、「~ものとする」という確認、「しなければならない」とあれば、「別に定める条例の定めるところにより」という要件が付され、順守のための縛りがないまま、「理念と決意」を表明する文言が続く。市民にとってはなんの保証もなく、毒にも薬にもならない、いわば「無用の長物」を取りまとめたわけだ。いや、百害あって一利なし、といってもいいかもしれない。「大きな声であいさつしよう」「気をつけよう、甘い言葉と暗い道」の方が、まだ実があるかも知れないのだ。策定市民懇談会を立ち上げ、通信委員の意見を取り入れながら、この半年間に開催された13回の会議の成果なのだろうか。

<参考>(仮称)佐倉市自治基本条例(素案):http://www.city.sakura.lg.jp/shiminkyodo/200sanka/010bosyu/20101102_010325000_03_01_.pdf

自治基本条例懇談会委員に応募してみたが

何を隠そう、今年3月に、私も2人の市民委員(全体で市の推薦3人を含め5人)の公募に応募した。のっけから基本自治条例不要論というわけにもいかず、次のような応募作文を提出した(資料①)。 「こうほう」に応募の期間を延長する旨の知らせもあったので、応募が少なかったのだろう。それでも十数人の応募があったということで、私には、落選の知らせが届く。意見提出のみが義務付けられる「通信委員」の応募を勧める文面も付されていたが、落選者の「ガス抜き」のような気がして、放置したままだった。

ある会派のA市議から、今回の懇談会の市民委員はよくわかっている人だと思うし、座長のS先生も自治基本条例先進都市の流山市での策定に参画した研究者だから安心、のような話を聞いていた。しかし、座長のS氏については、私も一期だけ情報審議会の公募委員を務めたとき、顔を合わせていたような気がする。私は皆勤だったと思うが印象が薄い。S氏が他の審議会の委員長時代の進め方を傍聴席で見ていたり、ある会のアドバイザーとして意見を述べたりしていたのを聞いたこともあったが、結局は行政の代弁者のような不信感が残るのだった。それだけに、自治基本条例市民懇談会の行方は気にはなっていた。

“信頼厚い”学者と裏切られやすい市民たち

そんな折、市民活動家のBさんからは「市民サイドに立って考える、とてもいい感じの座長」との報告も入っていた。ぜひ懇談会の傍聴にと誘われたこともある。また、最近、ある会で出遭ったC市議に「自治基本条例って必要なんですか」と尋ねれば、懇談会半年、素案・バブコメ・議案というのはいかにも拙速なので、「急ぐな」と市長に申し入れたという。いずれも革新的な会派や政党の市議や市民なのだが、「市民の手による立派な自治基本条例を策定する」のが前提になっていた。そして、素案が「こうほう佐倉」に発表になると、ふだんから市政に関心の深いDさんが「12月市議会に自治基本条例議案は提出しないで下さい」という署名用紙を持ってこられた。「座長の最初の説明は立派だったけれど・・・」といい、A市議も、あの座長の強引なまとめ方には問題がある、と会派のチラシに書いている。

どこか、みなさん、信用したのに裏切られた悔しさを漏らす。行政や学者に「今度はやってくれそうだ」という期待感が甘いんだなあ。行政は、懇談会も他の審議会同様、市民や専門家に十分協議を頂いた答申を経た議案なのだからと、懇談会をタテに開き直る「口実」に徹している。そこに風穴を開けるには、公募の市民委員の席を獲得して、ものをいう必要があるのだが、その選任権が現行では行政なのだから、最初からはねられてしまえば、「仲良しこよし」の審議会になるのだ。現行の選任システムを変える、少なくとも審議会委員」の「常連さん」を一掃することではないか。「イエスパーソン?」の常連を作り出すのは簡単だ。再任を繰り返し、他の審議会委員も重ねて務めていただき、一つの任期が終わると他の審議会に移っていただき、ベテランということで会をリードしていただく。それに、担当の行政が選抜する公募委員を適宜混ぜれば出来上がりで、その貢献度によっては、他の審議会などにも重用される。これをストップさせるだけでも、風通しは随分とよくなるだろう。ちなみに、座長のS氏の大学ホームページから研究室のサイトに入り、その業績、「社会貢献」欄を見てなるほどと思い(資料②)、さらに、詳細な記録を見て仰天した。行政からの信頼がよほど厚い研究者ということになる。少し恐ろしくなった。

私も、なんとなくじっとしていられなくなって、パブコメだけは届けようと思って、次のような要旨で書いてみた(資料③)

資料①

私の懇談会委員応募作文

「市民主体の市政運営のルールについて思うこと」

自治基本条例は、自治体の最高法規的意味も大きいと思います。ただ、そこに盛り込むべきは、宣言や理念にとどまらず、住民参加、情報共有による協働の枠組みと具体的なルール作りが重要で、既存の法令・条例との整合性を見極めながら、市民参加の意思と行動力を実効性あるものとすべきだと思います。それも固定的なルールではなく、時代や社会の変動に見合うような流動性も加味すべきでしょう。私は、ここ十数年、自治会活動を通して住環境の保全・改善にかかわってきた経験のなかで、県や市、開発業者との間に在って、まちづくりにおける市民参加の重要性を実感しました。たとえば、住民の環境意識の喚起、意見や要望、苦情などの送り手受け手における組織化、制度活用以前の行政・業者との情報交換、母体となる自主的なコミュニティの形成などを増強できるルールをめざせればと思っています。また、議会と行政・市民との関係については議会基本条例も策定に向けて動き始めたようですので、調整を図りつつ、身近な民主主義実現の場としての住民と行政協働のルール策定に微力を供することができればと思っています。          

 

資料②

 懇談会座長S氏の[ 社会貢献]

20046  千葉市・船橋市・市川市合同職員研修講師(~20062月)

200412 佐倉市市民協働型社会における地縁団体等の役割及び                   行政施策検討懇話会・会長(~200511月)

 20053月  佐倉市情報公開審査委員

 200511 佐倉市市民協働推進条例検討懇話会アドバイザー(~20066月)

 20065  千葉市市民参加懇話会・副会長(~200612月)

 20067月  佐倉市入札監視委員会委員

 200610月 船橋市市民協働のあり方検討委員会・会長(~200711月)

 20073月  佐倉市市民協働推進委員会・委員長、佐倉市個人情報保護委員                  

20085月  山武市市民協働アドバイザー

20086月  香取市市民協働アドバイザー

         ちば市民活動・市民事業サポートクラブ(NPOクラブ)理事

20083  大網白里町住民参加・協働のまちづくり委員会・委員長

(~20093月)

 20092月  富里市協働のまちづくり条例策定委員会アドバイザー(~20099月)

         富里市総合計画市民会議アドバイザー(~200911月)

 20096月  一宮町総合計画策定アドバイザー

 20099月  松戸市協働のまちづくり協議会・副会長

 200911月 流山市市民参加条例検討委員会・アドバイザー

 20103月  香取市まちづくり条例策定委員会・アドバイザー

 20104月  佐倉市市民自治基本条例策定懇談会・座長

        船橋市市民活動支援審査会・会長

<参考>座長の業績「社会貢献」詳細:

C:\Users\Owner\Desktop\市民協働・自治.mht

資料③

私の提出意見

(仮称)佐倉市自治基本条例(素案)への意見

1.条例策定の意味が見いだせず内容もない:各条項の内容は、このままでは憲法・地方自治法における民主的な地方自治の確認と任意規定、努力規定(・・するものとする、・・することができる、努めなければならない、などなど)であって、あらためて条例で定める意味が見いだせない。さらに、基本的な条項における詳細、解釈運用は個別の条例策定に委ねているので、内容が空疎になり、条文は口当たりのいい美辞麗句を並べた、「無用の長物」感を否めない。憲法・地方自治法を基本に、現在の条例を活用すれば十分な内容も多く、時間とエネルギー、お金をかけて策定するに及ばない。

2・他の自治体での基本条例策定事情を配慮する意向が顕著だが、その「先進」といわれる自治体で、現実的に自治基本条例が、実質的にどのように機能しているかをも検証する必要がある。

3.今回の素案は、半年間で13回の5人の市民懇談会(一部拡大懇談会)の論議、19人の通信委員の意見などを反映した中間報告、答申を踏まえているような体裁をとるが、議事録、資料の論点整理などを通覧しても、素案との乖離は著しい。たとえ、自治基本条例の必要性が見出だせたとしても、半年では議論の尽くしようもなく、市民への周知も、市民の意見集約においても、絶対的に不足している。他の都市の制定過程を見てもその拙速さは否定できない。

4.条例の必要性を見出せたとしても、一般市民への資料・情報の伝達・公開が不足しているので、せめて、今回の素案は、市民との議論の出発点にすべきである。

5.パブリックコメントの公募期間が短い:上記素案を初めて市民に周知したのが112日、その日を含めて2週間の募集期間はいかにも短い。ほんとうに市民の意見を聞く姿勢がないに等しい。これは都市計画案の縦覧期間と意見書提出期間が同時進行で期間が短いのと同様である。

6.スケジュールがタイトで拙速すぎる:1116日にパブコメが締め切られ、その意見を踏まえ11月議会に条例案を提出するというスケジュール自体に無理がある。本基本条例を策定するにしても、急ぐ理由は何もない。もし、市長の選挙公約を云々し、形だけ急いで策定するのであれば、市長選対策の一環にさえ思える。事情により変更することは一向に構わないはずだ。むしろその方が市民に対して誠実なはずである。

7.なお、市民懇談会委員、通信委員の選任についても不明な点が多い上、その扱いについても不透明性が目立つ。まず、懇談会委員の総数並びに公募委員二名というのは少なすぎる。公募委員、通信委員の公募期間中の応募が少なかったのか、延期までしたようであった。また選任された委員の住所、年齢、所属など公表されず、通信委員に至っては名前すら公表しない者もいる。何が不都合なのか、任務の公共性からいえば個人情報保護の対象ではないはずである。選任過程の可視化も、議論の民主化の第1歩と考える。さらに、懇談会では、学識経験者として、指導的役割を果たしている座長の委員は、佐倉市においても様々な審議会などの委員や要職を長年務め、さらには、千葉県下各市のまちづくり・市民協働関係の審議会の委員などを務めている研究者である。行政との間で、どれほど客観性を保てるのか、非常に疑問に思った。審議会委員選任一般にも言えることだが、再任、重任、転任が多すぎると思う。行政にとって都合の良い人物の重用に他ならない気がする。公平で、新鮮な人を市民とともに発掘することを希望する。

(追記)その後、12月22日佐倉市議会で、「佐倉市基本自治条例」は否決されました。以下12月27日の記事をご参照ください。 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/12/post-f7c2.html

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2010年11月 8日 (月)

古本まつりと『冬の小鳥』

神田古本まつりの最終日、好天にも恵まれ、連れだって出かけることになった。神保町駅から地上に出るとすぐに青空市が始まり、最初の店からつっかかってしまう。ついでにと立ち寄った岩波ホール『冬の小鳥』、第1回上映なら1時過ぎに終わる、ということで入館、外出券で寸暇を惜しんでの青空市めぐり、数冊、目星をつけておいた。

映画評も見ず、予備知識もないまま、愛らしい少女のポスターにも魅せられてのことだが、席に着くとすでにホールは満席だった。

 自転車のお父さんの背中に頬を寄せ、うれしそうな少女の背景には、ソウルの繁華街の風景が流れる。新しい服、新しい靴を買ってもらい、レストランでの食事を済ませ、大きなケーキを抱え、二人が着いたのは、聖公会の女子孤児院だった。すぐに迎えにくるといって去っていく若い父親、それが父との別れだったのだ。

 しかし、少女は父親が迎えに来ると信じてやまない。孤児ではないと、孤児院にはなじもうとせず、少女が思いつくあらゆる反抗と抵抗を試み、ひたすら父の迎えを待つ。そんな少女を気遣う年上の友だち、やさしい寮母、適度の距離を置きながら見守る教師たち、決して叱らず、嫌な顔を見せない院長・・・。ものは豊かではないが、教育的配慮も垣間見せながら淡々と描かれていく孤児院生活。物語の舞台はもっぱら孤児院の教室、庭、寝室、食堂、台所と限られ、唯一、門の外に出るのは教会での礼拝だけだったような気がする。息が詰まりそうな設定ながら、少女が少しずつ笑顔を見せるまでになるが、心を許すようになった友が養女になって孤児院を去ると、また少女の心の空白は埋めようもなく深まるのだった。突然ながら、少女は、フランス人から養女に請われ、かつての友たちが見送られたように、全員の歌で院を去り、パリの空港までの一人旅をするところで物語は終わる。養親になる人の写真を見せられ「少し年取り過ぎている」と言葉少なに語った、その養親のもとへと歩く不安と決意を秘めた、そして少し醒めた少女の表情が印象的だった。

監督・脚本のウニー・ルコントは、1970年代の自らの実体験をもとに描いたといい、実母とは再会したものの、父親を探すことはしなかったという。フランスの養親のもとで韓国語を忘れたという彼女は、この脚本をフランス語で書いたそうだ。孤独と一人たたかった少女の物語は、時代と国をこえて普遍なものに違いない。少しだけ、涙で眼鏡が曇った。

 

 昼食後、古本まつりの雑踏に戻り、道すがら、大雲堂、一誠堂、巌松堂書店などにも立ち寄った。店頭のワゴンに三一書房の自著を見つけ、思わず価格を確かめたときの心境は複雑だった。二人で、15冊ほどを購入、無料の宅急便は明日の午前中には届くという。ちょっと欲張った「文化の日」ではなかったか。

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「社会福祉協議会」はほんとうに必要なのか~地区社協から垣間見る

 私たちの住んでいる町の地区社会福祉協議会では、何をやっているのかといえば、2009年度決算書によれば、以下の通りだ。現在地区社協は26の自治会・町内会、7600世帯を4つのブロックに分け、活動を行っている。

収入 佐倉市社協支出金 433

     (運営費補助金198万)

     (敬老事業配分金233万)

事業収入     59

地元負担金    41

その他

    合計       634

支出 運営費    108

   事業費    347

   (敬老事業費 164万)

   (広報事業費  53万)

       返還金    110

    その他

    合計     566

 

昨年度はインフルエンザのため地区中学校を会場とする「敬老の集い」は取り止めになり、記念品のみの配布がされた。市社協からの敬老事業(敬老の集い)配分金233万の内一部110万が返還金となった。この集いには自治会からも負担金とともに、準備や当日のための手伝いが課せられる。「集い」が実施されても、招待される75歳以上の高齢者は増加するが、参加者は年々減少し、今年10月の当ブロックのの「集い」には当自治会(660世帯)からの参加者は対象者145名中50名ということであった。

 例年は、市社協からの配分金の50%以上(433万中233万)と地元負担金とを合わせて年間総予算の40%以上をたった1日の「敬老の集い」に費やしているという地区社協の仕事って、なんなのだろう。年4回発行される上質紙の広報はイベントの写真と案内、人事のお知らせばかりが目につき、読むべき内容がない。

 事業内容と予算決算を明確に伝達し、地域の高齢者、障がい者、児童たちが何を望んでいるのかを捉え、それに応えることができる元気な住民たちが、行政を補完する形で気軽に手伝いができるような仕組みは、会社退職者や子育てを終えた人たち自身の「サロン」からは生まれない。「まちづくり協議会」をつくるのがはやりのようだが、行政の仕事をますます曖昧にし、自分たちの居場所づくりのような会や団体はこれ以上要らない。

 社会福祉協議会は、ほんとうに必要なのかは、先に見たように、その実態から見る限り、行政との特別な関係を切った時に初めて、その役割が問われよう。人件費を行政が丸がかえしている社会福祉法人が、指定管理者制度導入により、他の社会福祉法人やNPOと横並びで参入するのは、規制緩和や競争原理にも反するのではないか。

 さきに、石原都政を検証するシンポジウムが開かれたとき、石原都政の福祉政策を批判していた研究者に、「社会福祉協議会」の実態と必要性を質問したところ、「そこまで手が回らない。情報不足ながら、地方では社会福祉協議会の果たす役割があるのではないか」と、曖昧な回答だった。

 こんなことを考えていると夜も眠れなくなってしまう!

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自治会の募金・寄付の集金の問題点~やっぱりおかしい、全社協や共同募金会の考え方

また、共同募金の季節がやってきた

本ブログの社会福祉協議会の在り方や自治会での募金や寄付の是非を問う記事に、アクセスが日ごとに増し、そして、いくつかのコメントや個別にご意見を頂くことが多くなった。その一部は公開している。自治会費に上乗せするのはどこが悪いのか、班長さんが集めるのはどこが問題なのか、問題にするような額なのか、一括徴収は集金の負担軽減できる望ましい方法ではないか・・・・などの意見も耳に入るが、私の基本的な考え方は、下記のいくつかの記事に示してきた。私の考え方は、寄付や募金は、自治会においても基本的に自由でなければならないから、少しでもそれを損なう要素が入る方式での集金や徴収をすべきではないというスタンスに拠って立つ。

・私の基本的な考え方:<201064日住んでいる町の「社会福祉協議会」の実態を調べてみませんか>他

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/cat20187440/index.html

(内野光子のブログのカテゴリー<寄付・募金>)

私たちの自治会でも、今年、これまでの慣例を破って、社会福祉協議会の会員募集は、回覧によって意思表示が問われ、班長が後で集金する方式だった。赤い羽根募金も班長が後期の自治会費と一緒に戸別訪問の集金方式となったのだ。私たちの自治会では、当初は総会決議によったが、78年前から、社会福祉協議会の会費、赤い羽根募金のみならず、日本赤十字社の社資、歳末助け合い募金も、募金袋の手渡し回覧が慣例となっていた。募金の意思、募金金額の自由を担保し、定着してきたところで、会員からの不満も聞いたことがなかった。

なぜ変更したのか、自治会役員会に問い合わせたところ、市の社会福祉協議会の年度初めの説明会で「募金は会費500円による方式のみの実施」と聞いてきたといい、赤い羽根募金は「自治会費徴収と同時の方がより安全で都合もよい」(回覧による事故について会員は報告を受けてはいない)という自治会判断で、過去の慣例やいきさつについては無関心なまま、班長会議で決めてしまったらしいのだ。これまでの事情を知っていた班長さんから質問が出たというのに、男性役員の多くは、これまでの募金方式などには関心が薄く、その意味するところが理解できなかったかもしれない。というより、各世帯にあって、自治会の募金などは、多くは主婦たちが対応しているので、知る由もないまま過ごしてきたのだと思う。自治会の対応としては、とても残念なことになったので、私は、役員会に班長会議でよく検討の上、募金自体の趣旨をよく理解して、少なくとも従来通りの任意性が維持できる方式に戻してほしい旨、申し入れた。

社協加入者氏名が回覧で近所にわかってしまう方式や班長による集金方式がなぜ望ましくないのかについて、私がこだわるのには、いくつか理由がある。上記のブログ記事と重なるところもあるが、簡単に述べたい。

自治会や町内会への募金要請は当然のことなのか

そもそも、各市町村に置かれた「一社会福祉法人にすぎない」社会福祉協議会が、自らの会員募集や寄付集めをはじめ、各都道府県の中央募金会が各市町村に置く支会・日本赤十字社支社などの募金を請け負い、さらに当然のようにして、各自治体と連携して自治会・町内会に募金協力を要請し、募金実務を丸投げしている事実である。社協の法的根拠は社会福祉法109条~111条にあり、共同募金については同法112条~124条、赤い羽根については日本赤十字社法などに根拠があるとされている。

自治会の募金協力の妥当性を、上記の法律と募金の一部の地域福祉への還元に求め、地域の住民が協力するのは当然である、という一点を強調する。

社協の会費収入の6割が地区社協に配分され、赤い羽根募金は都道府県の中央募金会からやはり6割が還元されているにすぎない。しかも、還元するための、配分するための人件費、事務費などが経費としてどれほど消えていることか。その実態を見てみよう。

たとえば、私が住む佐倉市の社会福祉協議会(2009年度)の場合、介護保険などの事業を行う公益事業、葬祭場などの収益事業を除いた、社会福祉事業における主な収支の概算は次の通り(『社協さくら』159号 2010年7月15日 平成21年度事業・決算報告より作成)22年度の予算もほぼ踏襲しているといっていい。勘定科目の表現、まるめ方は異なるが、佐倉市社会福祉協議会のHPに掲載されている。 

平成21年度社会福祉事業財政状況

                         (単位円、万以下切捨)

       (収入)                 (支出)

勘定科目

(万以下切捨て)

勘定科目

(万以下切捨て)

会費

2195

人件費

13668

市からの補助金

9588

事務費

776

共同募金配分金

2591

事業費

5141

委託金

2845

助成金

1765

他事業からの繰入金

1240

投資有価証券取得

3397

投資有価証券売却

3400

(以下略)

 

(以下略)

 

 

 

合計

27111

合計

27091

 収入の3本柱は、市からの補助金と会費、共同募金配分金である。市からの補助金は人件費への補助で、さらに加算されて13668万円が支出されていることがわかる。社協の主な事業は、地区社協支援、ボランテイア・市民活動支援、在宅サービス充実、災害時対策の構築と合わせて、社協会員拡大や共同募金への協力を自治会・町内会などへの説明会を開催、理解を求める、とある。しかし、支出の2分の1以上を人件費とし、5000万円の事業を行うというのでは、主客転倒ではないのか。その中で、毎年、有価証券の売却や投資を行っているが、こんな投資が社会福祉法人に必要なのか。貸借対照表によれば、現在14000万近い有価証券を保有し、24150万円の福祉基金、多額の退職給与引当金を留保している。その一方で、会費や募金の拡大とは、社会福祉法人の事業を逸脱してはいないのか。人口17.6万、市職員1000人規模において、さらに30人近い社協職員・嘱託職員を擁するための組織になってはいないか。たとえば、介護の現場で働いている人々と社協職員の待遇のかい離は何を意味するのだろうか。市民の税金や募金が直接福祉の現場に届くような仕組みに変えてゆく必要があると思う。

また、中央共同募金会から千葉県中央共同募金会を通じて佐倉市支会での配分は2002年以降は中央共同募金会の「はねっと」というサイトで分かるようにはなった。その内実については、私もすでに本ブログに書いているように(上記、私の基本的な考え方<赤い羽根共同募金の行方~使い道を知らずに納めていませんか132009127日~9)、数字的にも曖昧なことが多く、その配分先も恒例化した機械的なばらまきの部分も多い。それにもまして、中央共同募金会の財務についても人件費や事務費などの経費に着目してほしい。

このように、自治会や町内会を手足のように利用して集められた募金の使い方を調べてみると、自治会や町内会への募金要請に応じること自体、非常に疑問が多いといわざるを得ない。

自治会や町内会が集める募金は、ほんとうに任意と言えるのか

200843日、最高裁は上告棄却をし、大阪高裁判決の決定をみた。当時の新聞は次のように伝えた。

「赤い羽根共同募金」や小中学校への寄付金などを自治会費に上乗せして徴収するのは思想・信条の自由を保障した憲法に違反するとして、滋賀県甲賀市甲南町の「希望ヶ丘自治会」の会員5人が、同自治会を相手取り、会費の増額決議の無効を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(横尾和子裁判長)は3日、自治会の上告を棄却する決定をした。

 自治会側の敗訴が確定した。

 1、2審判決によると、同自治会は2006年3月、年会費を6000円から8000円に値上げし、増額分を寄付金に充てることを決議したが、原告側は「寄付は個人の意思に委ねられるべきだ」と主張していた。

 1審・大津地裁は請求を棄却したが、2審・大阪高裁は「増額した会費の徴収は事実上の強制で、社会的に許される限度を超えている。増額決議は思想・信条の自由を侵害し、公序良俗に反する」と、増額は違法と判断していた。

2008432025 読売新聞)」

最高裁の決定となった大阪高裁判決文は以下の通りである(私は通常の判例検索では見出せず、以下のサイト他で入手した)。

・大阪高裁判決:

http://www3.shakyo.or.jp/cdvc/shiryo/detail_f.asp?category_name_text=&page=&category_id=7&unique_filename=&filename=&path_type=data&data_id=1387

(地域社会・ボランティア情報ネットワーク 全社協・地域福祉推進委員会)

この決定を受けて、全国社会福祉協議会と中央共同募金会はQ&A付の文書を都道府県の社協や募金会に下していた。これがさらに各市町村の社協や支会にも流されていた。

・「社協会費などの納入方法に関する考え方について」(2008430)

http://www3.shakyo.or.jp/cdvc/data/files/DD_01111455202620.pdf

(全国社会福祉協議会)

中央共同募金会の文書は、佐倉市の社会福祉協議会から入手したが、中央共同募金会のホームページからはいまだ見出せないでいる。文書は次のような形式をとる

・滋賀県甲賀市「希望ヶ丘自治会」における自治会費の増額決議を無効とする大阪高等裁判所判決の確定について

平成2048

各都道府県共同募金会事務局長殿

社会福祉法人中央共同募金会事務局長本田章博

(本文)

担当・お問合わせ先 中央共同募金会企画広報部企画課

(別紙)自治会費の増額決議を無効とする判決について

全社協と中央共同募金会の本文の中身は、ほとんど同じなのだが、前者は上記サイトで読んでもらうとして、中央共同募金会の文書の中身について要約しておきたい。

本文(1枚目)の「…判決の確定について」では

(前略)確定した判決は、自治会として共同募金に協力することや、募金を含めて自治会費を集めることが違法であるとの判断を下したものではなく、自治会での意思決定を行うにあたって、本件決議が「募金および寄付金に応じるか否か、どの団体になすべきか等」について、「会員の意思、決定とは関係なく一律に、事実上の強制をもってなされるものであり、その強制は社会的に許容される限度を超えるもの」であったことが問題とされたものです。そのため、自治会には、寄付者の自発的な意思を十分尊重するよう一層のご配慮を頂くとともに、共同募金の趣旨や意義にご理解を賜り、今後ともご協力を頂きたいと考えます。(後略)

 別紙においては、裁判の簡単な経過と4つのQ&Aが示されている。その一部を要約で示すと

Q:最高裁の決定により、自治会で共同募金を集めたり、自治会が一括で集めることとはできないのではないか。

A:共同募金に自治会のご協力を頂くこと自体は法的に問題ありません。(中略)会員が増額に応じない場合には、生活上不可欠な自治会からの脱退を強制されたことが問題とされた、あくまでも当該自治会固有のものであって自治会による共同募金への協力や会費と一括で集めること自体を否定したわけではありません。

Q:自治会の総会等で自治会から強度募金を拠出することを承認してもらっているが、取り止めるべきか。 

A:自治会の総会などで同意が得られ会員に周知されているのであれば、取り止める必要はありません。

  いずれの回答の末尾にも、共同募金への協力は任意であることを十分説明せよ、と繰り返し、しるされていた。

判決当時、私が、判決をどのように受けとめるかを質したとき、中央共同募金会や佐倉市の社協は、「あれは滋賀県のある自治会の個別の事例にすぎません」「自治会総会の決議の無効を判断したもので、自治会が集金することは何ら問題ありません」との断片的な説明を受けていた。当時、私は、この文書の存在は知らなかったが、ちゃんとマニュアルがあったのである。しかし、その中身は、上記の判決の趣旨を恣意的に、都合よく解釈したもので、曲解といってもよいだろう。

自治会や町内会という地縁団体で、募金や寄付を、会費上乗せ、会費と一括、会費と同時などの方法で集めること自体が、事実上の強制や半強制を伴うもので、任意性とは両立しないし、総会等での決議や承認によって任意性が不問に付されることも論理的ではなく、無理な「考え方」ではないか。

次の判決の末尾の結論部分をあらためて読み直せば自明のことと思われる。

本件決議に基づく増額会費名目の募金及び寄付金の徴収は,募金及び寄付金に応じるか否か,どの団体等になすべきか等について,会員の任意の態度,決定を十分に尊重すべきであるにもかかわらず,会員の生活上不可欠な存在である地縁団体により,会員の意思,決定とは関係なく一律に,事実上の強制をもってなされるものであり,その強制は社会的に許容される限度を超えるものというべきである。

したがって,このような内容を有する本件決議は,被控訴人の会員の思想,信条の自由を侵害するものであって,公序良俗に反し無効というべきである。

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