古本まつりと『冬の小鳥』
神田古本まつりの最終日、好天にも恵まれ、連れだって出かけることになった。神保町駅から地上に出るとすぐに青空市が始まり、最初の店からつっかかってしまう。ついでにと立ち寄った岩波ホール『冬の小鳥』、第1回上映なら1時過ぎに終わる、ということで入館、外出券で寸暇を惜しんでの青空市めぐり、数冊、目星をつけておいた。
映画評も見ず、予備知識もないまま、愛らしい少女のポスターにも魅せられてのことだが、席に着くとすでにホールは満席だった。
自転車のお父さんの背中に頬を寄せ、うれしそうな少女の背景には、ソウルの繁華街の風景が流れる。新しい服、新しい靴を買ってもらい、レストランでの食事を済ませ、大きなケーキを抱え、二人が着いたのは、聖公会の女子孤児院だった。すぐに迎えにくるといって去っていく若い父親、それが父との別れだったのだ。
しかし、少女は父親が迎えに来ると信じてやまない。孤児ではないと、孤児院にはなじもうとせず、少女が思いつくあらゆる反抗と抵抗を試み、ひたすら父の迎えを待つ。そんな少女を気遣う年上の友だち、やさしい寮母、適度の距離を置きながら見守る教師たち、決して叱らず、嫌な顔を見せない院長・・・。ものは豊かではないが、教育的配慮も垣間見せながら淡々と描かれていく孤児院生活。物語の舞台はもっぱら孤児院の教室、庭、寝室、食堂、台所と限られ、唯一、門の外に出るのは教会での礼拝だけだったような気がする。息が詰まりそうな設定ながら、少女が少しずつ笑顔を見せるまでになるが、心を許すようになった友が養女になって孤児院を去ると、また少女の心の空白は埋めようもなく深まるのだった。突然ながら、少女は、フランス人から養女に請われ、かつての友たちが見送られたように、全員の歌で院を去り、パリの空港までの一人旅をするところで物語は終わる。養親になる人の写真を見せられ「少し年取り過ぎている」と言葉少なに語った、その養親のもとへと歩く不安と決意を秘めた、そして少し醒めた少女の表情が印象的だった。
監督・脚本のウニー・ルコントは、1970年代の自らの実体験をもとに描いたといい、実母とは再会したものの、父親を探すことはしなかったという。フランスの養親のもとで韓国語を忘れたという彼女は、この脚本をフランス語で書いたそうだ。孤独と一人たたかった少女の物語は、時代と国をこえて普遍なものに違いない。少しだけ、涙で眼鏡が曇った。
昼食後、古本まつりの雑踏に戻り、道すがら、大雲堂、一誠堂、巌松堂書店などにも立ち寄った。店頭のワゴンに三一書房の自著を見つけ、思わず価格を確かめたときの心境は複雑だった。二人で、15冊ほどを購入、無料の宅急便は明日の午前中には届くという。ちょっと欲張った「文化の日」ではなかったか。
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