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2010年11月29日 (月)

「『坂の上の雲』から平成を読む(平間洋一講演会)」に出かけましたが・・・

1127日(土)1時~3時、佐倉市志津コミュニティーセンターにおいて開催された。佐倉市国際文化大学の一年締めくくりの最終講義で、毎年公開となるらしい。参加者は国際文化大学の生徒が大半だけに、リタイア世代の男性が圧倒的に多い。

レジメの紹介によると、講師は、1933年生まれの防衛大学校卒業(第1期)、1988年海将補で退官、引き続き、防衛大学校教授、1999年退官後、いくつかの大学で講師を務めている。戦略研究学会、太平洋学会などの学会に所属、NHK「坂の上の雲」海軍史考証・海軍指導担当、とあった。国立国会図書館の目録検索によれば主要著書に『第一次世界大戦と日本海軍―外交と軍事の連接』(慶応大学出版会 1998年)、『戦艦大和』(講談社 2003年)『日露戦争が変えた世界史―「サムライ」日本の一世紀』(芙蓉書房出版 2005年)、『第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から』(錦正社 2007年)があり、軍事、歴史関係の雑誌への寄稿も多く、かなり精力的な執筆ぶりである。講師自身のホームページによれば、70歳からコンピュータ教室に通って立ち上げた由、その積極性には敬意を表したい。

だが、しかし、講演の内容にはいささか驚いたのである。テレビドラマ「坂の上の雲」の撮影現場に立ち会ったときの他愛ない裏話で始まったので、それに終始するのかなとも思ったところ、日露戦争において国力・軍事力ともに「小さい日本」がなぜ「大国ロシア」に勝てたかといえば、国民が国防予算の54%という苦難に耐えた挙国一致の愛国心があったからだ、という。また、それは、明治の高貴なる者の義務(noblesse oblige)~皇族男子の軍務、女子の慈善・看護奉仕や国家指導者たちの「義に生きたサムライ精神」に支えられていたからである、と。この歴史に対する自信と誇りを回復することこそが、「平成の国難」を克服するカギである、とも。

一世紀前の亡霊に出会ったような衝撃であった。明治の状況設定にも疑問がある中、それを平成に飛躍させるところに無理がある。1945年以降、被占領期の曲折はあろうとも、外交文書をはじめ史料や情報の公開度が加速し、思想、言論、学問、出版の自由などが確保されてゆく過程で明らかになってきた様々な分野の歴史研究の成果を、どう評価するのだろう。

講師は、自らの研究の成果として、日露戦争における日本の勝利が世界に与えた影響として、小国が大国を破り、黄色人種が白色人種に勝利した衝撃が、世界史を塗り替えたような口吻であった。アジア・アラブ・アフリカ諸国の民族独立、人種平等運動を覚醒し、ロシア革命、フィンランド、ポーランドの独立運動やアメリカの黒人解放運動にも多大なな影響を与えたというのである。その根拠として、当時の指導者の回顧録などをあげる。 

さらに、各国の教科書の日露戦争の記述を追いながら、それらに比して、日本の教科書の自虐的内容を嘆いていた。パワーポイントを使っての駆け足の説明だったので、分かりにくかった。その後、ホームページで検索した資料「世界と日本の教科書が教える日露戦争」(『日露戦争を世界はどうみたか』桜美林大学北東アジア研究所 2010年)などを読んでみると、講師の着目点は、外国の教科書が「日本の宣戦布告のない旅順への奇襲攻撃の非を問うているか否か」であり、「戦局や戦闘場面、指揮官に言及しているか否か」のようであった。

日露戦争の勝利が他国の民族独立運動の気運を高め、その後の日本がそれらを支援したという点について、私などの理解では、とくに太平洋戦争下の東南アジアにおいては、「支援」と見せかけて、他の列強に取って代わったに過ぎない侵略だったという歴史はすでに明らかにされているのではないか、と考えられるのだ。「回顧録」「伝記」「日記」などは、その書き手が指導者や権力者だったりすると、自己の正当化や自己弁護がつきまとうので、その内容の信憑度には疑問符を付するのが資料読解の基本ではないか、とも思うのだが。

また、外国の教科書の記述とて、局部的な引用にすぎないし、歴史書の中での戦争の記述は、その勝敗や軍事的・作戦的な側面だけを強調することは、むしろ戒めなければならないはずであって、自国の政治的・経済的背景とともに銃後の国民生活や当時の国際的な動向や相手国の状況をも把握することは、歴史を学ぶ必須ではないかと思うからだ。

日本の戦後の教育や教科書を自ら貶めることは、それこそ自虐史観につながるのではないかと思い、どちらがより「インターナショナル」なのか、は自明ではないのか。

講師は、はからずも、1945年以後の日本の誤りの根源は、東京裁判と神道の廃棄にあり、日本には120何代も続いている天皇という心棒がありながら、揺らいでいることにあるという趣旨のことを漏らしていた。重畳的な、錯綜的な歴史の歩みを、あまりにも拙速に、短絡的に、昭和の否定や誤断を行うのはいかがなものだろうかと思った。

講師は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の史観にもまだ不満らしく、秋山真之の「アジア主義者」としての評価が足りないとしていたが、私は、彼が日露戦争後、軍を退き、僧籍に入りたいと漏らしたという人間性の方を掘り下げたいと思うのだった。

また、私は、司馬遼太郎の根底にある朝鮮観や女性観の後進性について、講師に質問したいと思っていたが、内容的には、「坂の上の雲」に便乗したようなもので、ホームページを見ると、講師は、早くより、同様の趣旨で繰り返し講演し、執筆を続けているようであった。

なお、この日の講演でも、時間いっぱいの話で、質疑の時間はとられなかった。質問があれば事務局までということだったし、ホームページでも「当サイトへのリンク、論文引用などは自由ですが、著作権に触れないようご配慮下さい。 なお、ご質問、資料請求や問い合わせ、ご議論は人手が足りませんのでご容赦下さい」となっていて、論争よりも一方的な発信に限るところが、限界なのかな、との思いもするのだった。

  

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