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2011年1月26日 (水)

突然の「誕生祝い金」提案にびっくり!?

 昨年の暮、自治会の「運営協議会報告」見た?と近くの友人から電話が入った。月1回の班長さん会議の報告、全戸配布なのだが、うちにはまだ届いていない。現在は約650戸の自治会の役員10人と班長さんが集まると50人近くになる、その会議報告なのだ。数年前、自治会役員を一緒にやっていた友人は、町内で赤ちゃんが生まれたら自治会で誕生祝を出したらどうかという提案がされているのだけれど「これって、おかしくない?」というのだ。私も驚いた。なんで自治会がそんなことをする必要があるの?余計なお世話じゃない?

 翌日、わが家にも届いた報告には、「誕生祝い金の提案/当自治会の会員世帯で出生した子に対し、<お誕生日おめでとう>祝い金を出すことを考えております。/趣旨:地域コミュニティの仲間として、新しく住民に加わった新生児に対し<我々は、君を歓迎する>というメッセージを贈る。このためいわゆる<出産祝金>ではなく誕生を祝うにふさわしい名称にしたいと思います」とあり、これには自治会規則を改正して、すでにある弔慰金10000円と並ぶものとしなければならない手続きにも言及する。さらに、この提案には役員会にも賛否両論があるので一緒に考えましょう、という主旨の文章が続く。肝心の班長さんの意見はどうだったのだろう、その記述がない。

 規則の改正まで伴う提案にしては、ちょっと手続的にもおかしい。班長さんの一人に聞いてみると、12月の会議ではそんな議題は出なかったというではないか。役員の一部の意見がストレートに全会員に提案されるという事態は想定外だった。

 手続的にもさることながら、その提案の発想自体に疑問が残る。確かに日本は、少子化高齢化まっしぐらの社会となってしまった。私の住む佐倉市も総人口178000人中65歳人口の高齢化率は21.5%(20104月現在、県平均20.5%)で、人口がほとんど変わらないまま10年前は12.1%だったのだから、高齢化が著しい。合計特殊出生率は、2009年の数字だが、佐倉市1.07%、県平均1.31%、全国平均1.37%で、いずれよりも低い。こうした状況とも相まって、今回の提案者は、赤ちゃんの誕生を自治会で祝ってあげたい、というのが気持ちなのだろうけれど、はっきり言って、地域の自治会がするべきことではない。当然のことながら、人生観、結婚観、家族観など多様化している社会において、自治会費で運営される自治会という組織が「出産」という一つの選択、方向性に「祝う」という形で関与することは、やはり筋が違うと思う。結婚をしない人、子を生まない人への偏見をなくし、誰もが望む就職による自立、さらに医療、保育、教育をはじめとする生活基盤を整えることが先だろう。

 一律であることによる「不公平感」が免れなかったように、かつての麻生内閣の定額給付金、民主党政権の子ども手当などと共通する部分があるのではないかとも思った。

 そして、今月の班長さん会議の報告を見ると、班長さんにも賛否があったが、一般会員からは、こうした問題は慎重に対応してほしい旨の意見や要望が寄せられた由、「反対は多数となり、<誕生祝い金>は否決となりました」とのこと、一件落着、ホッとしたのだった。が、いつ何時、このたぐいの提案が「やさしい笑顔で」やって来るかもしれない。自由に自立して暮らしたいと思えば、いつも「とんがって」いなければならないのかしら。

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三井マリ子さんの豊中市女性センター館長不当解雇裁判、勝訴確定です

先日のウーマノミクスの記事の中で、ノルウェーのクオータ制に詳しい三井マリ子さんの著書やブログ紹介をさせていただいたが、その三井さんを支援する会から「最高裁上告棄却、三井さん勝訴」の124日の夜、ニュースが入った。この裁判については、私も簡単に触れたことがある。http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/04/post-c1a4.html

関西では報じられることも多かったようだが、7年間の法廷闘争の中、私はほんの2年間くらいしか情報を共有していなかった。まず、下のMBSニュースで、その概要をお知らせしたい。三井さんは明るくて、前向きの方とは言え、7年間、ほんとうに大変な思いをされたのではなかったか。お疲れ様でした。

女性センター館長 不当解雇 最高裁 豊中市の上告を棄却 

 大阪府豊中市が市会議員などに屈して女性センターの館長を辞めさせたのは不当だと認定された裁判で、最高裁が市の上告を棄却し、元館長が勝訴した高裁判決が確定しました。

 豊中市の男女共同参画推進センター「すてっぷ」の館長だった三井マリ子さん(62)は7年前、男女平等に批判的な市議会議員などから糾弾されるなどして、館長の契約更新を拒否されました。

 逆転勝訴となった高裁判決では「豊中市が水面下で後任の館長を決めたり、三井さんに嘘を述べたりしたのは公務員の立場を超えていた」と指摘。

 三井さんの排除は「人格権の侵害」にあたるとして、市に150万円の損害賠償を命じました。

 これに対し、市は上告しましたが、最高裁が棄却して判決が確定しました。

 三井さんは「訴訟に費やした7年間は無駄ではなかった」と喜びをかみしめていました。

(2011/01/25 07:39)

 さらに詳しくは、ブログ「三井マリ子の世界」をご覧ください。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/mariko-m/

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2011年1月16日 (日)

クローズアップ現代「ウーマノミクスが日本を変える」(NHK総合1月11日)を見て~基本的になすべきことより「ことば」が先行する不安~

 「ウーマノミクス」とは、ウーマンとエコノミクスからなる造語らしい。いつもの倍以上の時間をかけた拡大版の番組(73分)を見終わって、そんな新語をことさら持ち出さなくとも、従来から主張されている女性の社会参加の必然性を十分語ることができるのに、と思ったのが正直な感想だ。1986年施行の男女雇用機会均等法は改正を重ねつつ、不備が指摘されるものの、せめてこの法律の実効性が高まれば、女性の職場環境は格段の進展が期待されるはずなのに、と思うからだ。「ウーマノミクス」などという「ことば」を持ち出す前に、「日本を変える」ことはできるはずではないか、と思ったのだ。

 番組冒頭では、企業の取締役の40%以上を女性が占めるようになったノルウェーの実態が紹介され、それに比べ日本では、課長級:4.6%、部長級:2.8%、役員級:1.2%という惨憺たる数値も提示された。

 ゲストは、2003年労働省官僚から転身した岩田喜美枝資生堂副社長、福祉が専門の宮本太郎北海道大学教授の二人であった。岩田氏は、労働省時代、男女雇用機会均等法の制定に貢献したというが、この法律制定の経過やその後の動向については、とくにコメントはなかった。また、資生堂でどういう取り組みをしたのかは番組では不明だったし、番組で彼女は、ぼそっとノルウェーのような「クオータ制には経済的合理性がない」と漏らしていたのが記憶に残った。資生堂での彼女の登用も、派手なCMが際立つ資生堂の広報戦略の延長線上にあるのではないかの思いがしないでもない。またノルウェーのクオータ制については本ブログでも若干触れたことがある。 

参照:http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/04/post-c1a4.html

NHKも番組の冒頭で、肯定的に紹介するからには、『ノルウェーを変えた髭のノラ~男女平等社会はこうしてできた』の著者でもある三井マリ子氏を迎えるなどして、クオータ制の意義をきちんと検証すべきではなかったのか。

参照:http://www009.upp.so-net.ne.jp/mariko-m/(三井マリ子の世界、112日の記事)

 また番組では、キリンでノンアルコールビール開発に貢献した女性社員、緩衝材プチプチの活用を広げた女性社員の実例もヒット商品開発の女性版“プロジェクトX”の様相だし、両氏はこれまでもメデイアへの露出度は高く、私みたいなものでも、どこかで見たような女性たちで、新鮮味に欠けたし、働く女性一般への普遍性がどれほどかも考えさせられた。むしろ、保育環境の充実や退職社員の再雇用、労働時間の短縮などをもっときめ細かく、多角的に紹介した方が経営者や使用者の意識改革に役立つのではないかと思った。

 さらに、一部の時間帯のコメンテイターとして参加した、女性企業家支援会社の女性社長、ライフ重視・ワーク重視のコースを社員のライフサイクルに合わせて選択できるシステムを採用する会社の紹介があったが、前者の起業者の将来性や後者の賃金体系など気になるところだったが、持続性はあるのだろうか、も不安材料の一つだった。

 なお、もう一人のゲストコメンテイター宮本氏の一番言いたいことはなんだったのか、やや不鮮明ながら、女性労働者の110万、130万の税制上の壁を払う税制改革、保育サービスの充実などをあげる一方、会社や家族の物語に終わらせてはならない、という趣旨のことを述べていた。保育サービスの重要なことはもちろんであるが、より具体的な提言はできなかったのだろうか。

 もっとも岩田、宮本の両氏はともに、内閣府「男女共同参画会議」のメンバーであり、宮本氏は「社会保障改革に関する有識者検討会」のメンバーでもある。一つの方向性を持った人選に偏りはなかったか。NHKにとっては、いわば“安心・安全な”コメンテイターであったのだろうが、論点は論点として示してほしかった。

 最後に、ノルウェーの紹介の中で、大学への進学は女性が上回り、授業料は無料なのだから、女性への投資を回収しないことには国家的な損失でもある、といった趣旨の解説がなされていたが、この「効率性」を突き詰めていくと、社会保障制度との整合性が危うくなるのではないか、の思いもよぎるのであった。

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2011年1月14日 (金)

次々に現れた「伊達直人」の背景にあるもの~行政や社協へ寄付するよりも 

 

 「タイガーマスク現象」というのだそうだ。暮から、児童養護施設などへのランドセルをはじめとする多岐にわたるプレゼントや現金による寄付が相次いでいる。12日の夜のNHKテレビのニュースによれば、全国全県にわたり、350件余りに及ぶという。千葉県内にも広がりを見せている。この善意の輪の広がりの特徴には、送り主の匿名性と宛先・目的の特定にあると思う。

 もちろん、日常的にこれらの施設にプレゼントを届けたり、ボランティアの形で支援をしたりしている方々も多いと思う。しかし、群馬県中央児童相談所の「伊達直人」の件が報道されたのをきっかけにこうした現象が広がったのは、一般市民の側の機微に触れるものがあったからではないかと思う。たとえば、私自身も定額給付金を受け取らずに、寄付したいと考えたこともあったし、日常的に会費や寄付を募っている社会福祉協議会、共同募金に応ずることもできるのだが、このブログに何度も書いているように、その募金の集め方や使われ方を思うと、とうていその気にはならないのだった。いつも、ほんとうに施設にいる子どもたちやお年寄りにきちんと届いているのだろうか、という不信感が伴う。千葉県庁のとてつもない不正経理問題一つをとっても、佐倉市の地域福祉政策の決められ方を見ても、不透明なことばかりなのだから。

 今回の「伊達直人」たちも、心の隅で、きっと、より直接的に、より身近な施設に、自分の思いを届けたかったのではないかと思う。社協の広報に見受けられるような、名入りで大口寄付をするでもなく、ひそかに思いを遂げたかった気持ちがわかるような気がする。

こうした善意の広がりに対して、わけ知りに、善意の受け皿としてシステム化?する必要を説いている識者もいたけれど、システム化すると、人件費だ、事務費だ、とかが真っ先に確保されてしまうのが常なのを、市民はどこかで感じ取ってしまっているからなのではないだろうか。

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2011年1月 3日 (月)

お礼にかえて~この4年間のアクセスを振り返る

5年目に入る本ブログも、技術的に未熟なところがあって、一部のことしか実施できずにとどまっている部分があります。20062月開設当初は、毎日一ケタの訪問者に一喜一憂していた時期もありましたが、以来のアクセス総数は17万近くになりました。こんな多くの方にお立ち寄りいただけるなんて予想もしませんでした。ありがとうございます。一つ一つの記事が、長くてくどくてと、われながら呆れることもあるのですが、もう少し工夫をしながら発信しつづけたいと思っています。お気づきの点、よろしくご教示くださるようお願いします。

最近の4か月、201091日~1231日の記事別アクセスの上位は、次の通りです。

それぞれの記事には、さまざまな思いがよぎりますが、地域関係記事が突出して多いのは、個人的にはやや複雑な気持ちです。が、どれも住民の一人として、重要な課題であることは確かですし、私たちの街に限らない問題でもあると思います。その証でもあるのでしょうか、沖縄から北海道に至る全国的な広がりを見せるアクセスです。最近の4か月に限っているので、短歌関係記事では「河野裕子と歌会始」関係に集中した感がありますが、個人的には、もう少し<硬い>エッセイもあわせて読んでいただければありがたい、という思いです。「ネット歌壇」についての手探りでのエッセイを発信したこともあって、ネット世代によるサイトにも紹介され、そこから飛んでくるアクセスもあります。

また、11位の「やっぱりおかしい、NHK7時のニュース」は、20089月の自民党総裁選挙報道の際のNHKテレビの偏向を指摘した記事で、NHK視聴者センター職員との想像を絶するやり取りの展開を再録したこともあって、思いがけない読者を得、リンクをしてくださるサイトも多かったです。1か月の間に、NHKからの対応もあって、NHKが私への謝罪という「決着」をみて新聞報道もなされた件で、その後も、いまだに、コンスタントなアクセスが続いています。私のメディア、NHK関連の記事では、1昨年の年末から放映が始まった「坂の上の雲」関係のものについては、第1部からさかのぼってのアクセスが続いています。第2部が終了した時点でのコメントと思いながらも、原作からだんだんとかけ離れていくドラマ仕立て、そのドラマ自体の面白さもすっかりなくし、批評の意欲も薄らいでしまったのが正直なところです。視聴率が低迷するのも当然のような気がします。

なるべく正確を期すように、事後の調べにも力を注いでいますが、比較的、リラックスして書くことができる旅行記や美術館巡りなどについては、思いがけないコメントや私信をいただくこともあって、インターネットのもう一つの役割を教えられたような気がしています。

これからも、等身大の自然体で書き続けることができたらと思っています。

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「内野光子のブログ」アクセス上位記事(201091日~1231日)           

1907

住んでいる町の「社会福祉協議会」実態を調べてみませんか(201064日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/06/post-62d3.html

2760

「自治会費からの寄付・募金は無効」の判決を読んで~自治会費の上乗せ徴収・自治会強制加入はやっぱりおかしい(2007831日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2007/08/post_6d09.html

3548

「奇跡の街・ユーカリが丘」、開発の基本に立ち戻ってほしい~「カンブリア宮殿」を見て(2010915日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/09/post-5ce8.html

4544

赤い羽根共同募金の行方~使い道を知らずに納めていませんか(2)

(2009129)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/12/post-dd38.html

5540

赤い羽根共同募金の行方~使い道を知らずに納めていませんか(3)

(2009129)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/12/post-8c19.html

6444

赤い羽根共同募金の行方~使い道を知らずに納めていませんか(1)

(2009127)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/12/post-2f90.html

7343

節度を失くした歌人たち~夫婦で選者、「歌会始」の話題づくりか

200872日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2008/07/post_849f.html

8299

CIAと緒方竹虎」(20世紀メデイア研究所第51回特別研究会)は驚きの連続でした

2009726日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/07/cia2051-4bde.html

9297

節度を失ってゆく歌人たちが怖い~河野裕子追悼をてがかりに

(20101027)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/10/post-9caa.html

10293

自治会の募金・寄付の集金の問題点~やっぱりおかしい全社協や共同募金会の考え方

2010118日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/11/post-1838.html

11249

やっぱりおかしい、NHK7時のニュース(2009910日) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/10/tbs-f67c.html

12228

また、「歌会始」の季節がやってくる~報道ステーションに登場した「河野裕子」

20101220日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/12/post-be19.html

13213

TBS「噂の現場」を見ましたか、再び佐倉市へ、志津霊園問題

20091029日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/10/tbs-f67c.html

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2011年1月 1日 (土)

新年の挨拶とともに~なぜ短歌を作り続けるのか~

新年のご挨拶申し上げます。

いつもお立ち寄りいただきありがとうございます。

本ブログも5年目に入ります。

未知のことばかりが増してゆく昨今ですが、ひたすら率直を旨として、書き続けたいと思います。ご教示いただけましたら幸いです。

皆様のご健筆を祈ります。

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『短歌現代』1月号(「小議会・平成22年の感銘歌」)に寄稿いたしましたものに若干の補筆をして、再録いたします。

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なぜ短歌を作り続けるのか

2010年の感銘歌5首を問われて~

              

私が現在購読している短歌総合誌は、4誌にすぎない。読んでいる日刊紙四種の「歌壇」には目を通すようにしている。そして、ほとんどはご寄贈いただく個人誌・同人誌・結社誌については、作品より論文・時評・エッセイの方を優先して読むことが多い。それにしても5首の選出は無謀にも近い。私には、もとより「戦略的互恵関係」への配慮は不要ながら、まとめ読みの苦楽を味わった。

詩歌はひとを救へるのか寒む空に飛行機雲が西になだれゆく(綾部剛『短歌現代』)

3月号。短歌を作り始めて半世紀、なぜ続けているのかと問われても答えは覚束ない。「ひとを救う」などの自負はない。正直なところ「この日ごろ感性乏し さりとても詠まねばあたま錆ゆくばかり」(岸本節子『短歌往来』7月)という実益が勝っているかもしれない。しかし、長い間には、こんなこともあるのだろうか。「君に書く場所はあるまいと言ひしとふ実力者亡くその君も逝きけり」(鈴木英夫『短歌』7月)と石本隆一氏を追悼した作者も、その後鬼籍に入られたという。「冬晴れの書店に入りてあまたなる言葉見をれど帰らむ歌へ」(上條雅通『短歌往来』3月)という現実に引き戻されるのである。

青き葉が重なり風に揺れているその空間よわれの図書館(川本千栄『短歌往来』)

5月号。図書館勤めが長かったためか、図書館、本、書店といった言葉にはむやみに反応してしまう。この1首のような「図書館」は、資料購入費も人件費も不要、書庫スペースも、機器もいらない、無限に広がる、理想的な「図書館」ではないか。こんな図書館を持てるなんて羨ましい。私の中の図書館は、むしろ「ひろびろと開架の書架をつらねたるあひだをゆきて心つつしむ(四元仰『短歌現代』2月)や「図書館のB2の奥のうす明かりかくひそけきか老いを生くるは(高野公彦『短歌往来』6月)のイメージに近い。

わが裡の摩文仁丘は芝生なく樹々なく阿修羅の海へ繋がる(村山美恵子『短歌研究』)

波はまた沖へ遠のく焔に逐われ戦車の潰した魂連れて(佐野美恵『短歌研究』)

前者が9月号、後者が3月号。沖縄には一度も行ってはいないが、この光景につながる事実は記憶にとどめておきたい。戦争の直接の体験者は「幸福だつたかしからざりしか戦場に死におくれたるわれの老いゆく」(米口實 『短歌現代』2月)、「戦争の記憶をいつ迄ひき摺つて生きて行くのかと今日もまた言はる(清水房雄『短歌現代』6月)、「わが背には今も紅蓮の炎あり時経てなほも疼く真夜中」(大和類子『短歌現代』6月)と歌い続けられているのだが、それを継承する私たちの世代が、そして次世代、次々世代へと、どうしたら伝えていくことができるのか、そのバリアとなっているものは何なのか、課題は重い。

寄せくるる子らの痛みに苛立ちに生かされありしか教師の日々は(久我田鶴子『短歌』)

6月号。時代の矛盾を一身に背負った生徒たちに応えていた教師の緊張した日々を思い起し、今を省みるのだろうか。私は職場を離れて久しいが、経営者や上司たちの現場への無理解、非正規の人たちとの仕事のやり繰りなどを思うと眠れない夜もあった。往復15キロの道のりを必死に漕いでいた自転車通勤の日々を思い出し、それでも、仕事を続けたのは何故だったのか、と今にして思う。

作歌を続けている理由を問い続けたい。

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