新年の挨拶とともに~なぜ短歌を作り続けるのか~
新年のご挨拶申し上げます。
いつもお立ち寄りいただきありがとうございます。
本ブログも5年目に入ります。
未知のことばかりが増してゆく昨今ですが、ひたすら率直を旨として、書き続けたいと思います。ご教示いただけましたら幸いです。
皆様のご健筆を祈ります。
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『短歌現代』1月号(「小議会・平成22年の感銘歌」)に寄稿いたしましたものに若干の補筆をして、再録いたします。
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なぜ短歌を作り続けるのか
~2010年の感銘歌5首を問われて~
私が現在購読している短歌総合誌は、4誌にすぎない。読んでいる日刊紙四種の「歌壇」には目を通すようにしている。そして、ほとんどはご寄贈いただく個人誌・同人誌・結社誌については、作品より論文・時評・エッセイの方を優先して読むことが多い。それにしても5首の選出は無謀にも近い。私には、もとより「戦略的互恵関係」への配慮は不要ながら、まとめ読みの苦楽を味わった。
詩歌はひとを救へるのか寒む空に飛行機雲が西になだれゆく(綾部剛『短歌現代』)
3月号。短歌を作り始めて半世紀、なぜ続けているのかと問われても答えは覚束ない。「ひとを救う」などの自負はない。正直なところ「この日ごろ感性乏し さりとても詠まねばあたま錆ゆくばかり」(岸本節子『短歌往来』7月)という実益が勝っているかもしれない。しかし、長い間には、こんなこともあるのだろうか。「君に書く場所はあるまいと言ひしとふ実力者亡くその君も逝きけり」(鈴木英夫『短歌』7月)と石本隆一氏を追悼した作者も、その後鬼籍に入られたという。「冬晴れの書店に入りてあまたなる言葉見をれど帰らむ歌へ」(上條雅通『短歌往来』3月)という現実に引き戻されるのである。
青き葉が重なり風に揺れているその空間よわれの図書館(川本千栄『短歌往来』)
5月号。図書館勤めが長かったためか、図書館、本、書店といった言葉にはむやみに反応してしまう。この1首のような「図書館」は、資料購入費も人件費も不要、書庫スペースも、機器もいらない、無限に広がる、理想的な「図書館」ではないか。こんな図書館を持てるなんて羨ましい。私の中の図書館は、むしろ「ひろびろと開架の書架をつらねたるあひだをゆきて心つつしむ(四元仰『短歌現代』2月)や「図書館のB2の奥のうす明かりかくひそけきか老いを生くるは(高野公彦『短歌往来』6月)のイメージに近い。
わが裡の摩文仁丘は芝生なく樹々なく阿修羅の海へ繋がる(村山美恵子『短歌研究』)
波はまた沖へ遠のく焔に逐われ戦車の潰した魂連れて(佐野美恵『短歌研究』)
前者が9月号、後者が3月号。沖縄には一度も行ってはいないが、この光景につながる事実は記憶にとどめておきたい。戦争の直接の体験者は「幸福だつたかしからざりしか戦場に死におくれたるわれの老いゆく」(米口實 『短歌現代』2月)、「戦争の記憶をいつ迄ひき摺つて生きて行くのかと今日もまた言はる(清水房雄『短歌現代』6月)、「わが背には今も紅蓮の炎あり時経てなほも疼く真夜中」(大和類子『短歌現代』6月)と歌い続けられているのだが、それを継承する私たちの世代が、そして次世代、次々世代へと、どうしたら伝えていくことができるのか、そのバリアとなっているものは何なのか、課題は重い。
寄せくるる子らの痛みに苛立ちに生かされありしか教師の日々は(久我田鶴子『短歌』)
6月号。時代の矛盾を一身に背負った生徒たちに応えていた教師の緊張した日々を思い起し、今を省みるのだろうか。私は職場を離れて久しいが、経営者や上司たちの現場への無理解、非正規の人たちとの仕事のやり繰りなどを思うと眠れない夜もあった。往復15キロの道のりを必死に漕いでいた自転車通勤の日々を思い出し、それでも、仕事を続けたのは何故だったのか、と今にして思う。
作歌を続けている理由を問い続けたい。
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