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2011年2月 5日 (土)

ウォーキングをかねて、井野の「辻切り」を訪ねた

 私が住むのは、だいぶ古びたニュータウンだが、そのニュータウンに囲まれ、小島のように残された集落、井野本村に伝わる行事に「辻切り」がある。立春も過ぎた週末、ウォーキングコースの一つ、友人とその集落に向かった。

 集落への入り口、六か所の大木に、藁で編みこんだ3m以上もありそうな大きな蛇を掛けて、村に侵入する邪悪を追い払おうというのがその由来である。私は、そのいわれから、「鬼は外」の節分行事の一つだと、今日まで勘違いしていたが、調べてみて、125日の行事だということが分かった。最初に出会った辻切りは、井野東の北部調整池を挟んで、井野の鎮守である八社大神の向い側の登り坂の途中にある。私の撮った写真では分かりにくいが、「大辻」と呼ばれるもので、高い木の上から、大きな白い眼玉を向き、赤い唐辛子の舌を出した蛇が、ニュータウンの私たちの侵入を拒むかのように見おろしている。公民館、井野会館の裏手にもなる。登り切って会館を左に折れると真言宗豊山派の「千手院」がある。あたりの梅林はもう満開に近い。さらに進むと下り坂になって、調整池に続く田んぼにぶつかる。田んぼを左に雑木林に沿って農道を進むと右手に、今は休耕田の荒れ地が村に入り込んでいる。その端にも「大辻」はあった。ウォーキングコースでありながら、藁の蛇は、すぐ樹木の保護色となって目立たなくなってしまうのだろう、これまで気づかなかった。唐辛子の赤も、目の玉の黒も、今は真新しく鮮やかだ。飛び出している白い目は、白い和紙に五穀を包んで作るそうだ。そして、体にはヒイラギやシキミを刺し、「塞神」(さえのかみ)という札を下げる。

 井野本村の集落には立派なお宅が多い。そして、その門々には、「小辻」と呼ばれる小さな蛇が飾られ、さらに邪悪を追い払おうというのだ。近くの井野小学校では、郷土学習として3年生の時に、この「辻切り」について学び、「小辻」作りを体験するとのことだ。

 今日は、集落の中を回ったので、6000歩近くは歩いただろうか。

 昨日の夕食は、一日遅れの「恵方巻」、家で簡単な太巻きを作った。大豆も撒かずにしっかり五目豆にして食したので、もう少し歩数を延ばした方がよかったかもしれない。

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かつて養蚕をしていたという農家

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ビニールハウスにも

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ある小辻

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調整池をのぞむ大辻

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コメント

この地に引越しをしてきて「レッド犬」と散歩をし

「日本の宝」だと感じた井野集落

その中にマンションが建った時のショックは忘れられません。

大事にして欲しい集落です。

投稿: グリ猫のママ | 2011年2月 9日 (水) 18時26分

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