昭和時代の旅行私史(2)~もっぱらユースホステルのひとり旅
母との旅はかなわなかったけれど
大学に入った年の暮に母を亡くした。60歳を過ぎた父は、家業を長兄に託すことが多く、自由時間が多くなると、同業組合や地元の商店会の慰安旅行にはよく出かけていた。しかし、プライベートな温泉の逗留や観光旅行となると、費用は出すからと、よく私が駆り出された。父の晩年と私の未婚時代とが重なり、結婚しないのを心配していた父との親不孝旅行だったかもしれない。末っ子の私の受験も終わり、時間的にも経済的にも旅行などが楽しめるだろうと思われた矢先に母は病に倒れた。母本人はもちろん、私も悔しかった。その分、父との旅行も苦にならなかったのかもしれなかった。父は、中学校の時すでに両親を亡くし、兄弟もなく天涯孤独だったという。10代で検定の薬剤師資格をとって朝鮮に渡り、プサンやソウルの薬屋に勤め、現地入隊し、衛生兵となったという。兵役を済ました後は、中国や東南アジアを転々とし、ジョホールのゴム園の診療所で薬剤師として働いていたらしい。その頃の話は、断片的にはよく聞いてはいたが、詳しい履歴は残されてもいないし、私もことさら尋ねはしなかった。母は「お父さんは、若いときから、家庭の味を知らない、自由人だから・・・、いろいろ困ることも多い」という愚痴はよく聞かされていた。母は、親類縁者のいない父だから結婚したとも言っていた。結婚が1925年頃だったらしいので、大正時代の大部分を外地で過ごしていたことになる。もっと話を聞いておけばよかったと、今になって悔やまれるのだった。
登山やスキーも人並みに
大学では、一般体育の単位にもなるという、登山教室とスキー教室に参加した。バイトや自治会活動で忙しい学友は、ふだんの体育授業には出ずに、この教室での1週間で2単位をとる者も多かった。私は授業も皆勤に近かったから、単位はかなり余分になったものだ。きちんとした指導者のもとに、登山やスキーの楽しみと怖さも知ったことは、その後、友人たちと出かける山歩きやスキーなどにも役立ったと思う。また学生時代にはユースホステルをフルに利用する、ひとり旅が楽しめるようになった。一覧表では、*印を付してみた。最初は家族にも「女の子がひとりで」と心配されたが、宿泊先のメモをしっかりと残して出かけた。友人からは「ひとりで何が面白いの」とか不思議がられたりしたが、当時、若者の間では、ユースホステルの旅は結構盛んだったけどなあ。父との旅には、国民宿舎、公務員の保養所などもよく利用した。

ひとり旅と短歌と
就職をすると、職場からの旅行が多くなった。といっても週末を利用しての一泊で、宿では大々的に懇親会が開かれた。まだ当時は土曜日も勤務があり、図書館勤めが始まると1か月に1・2回は5時までの残業があった。最初の職場は、大学だったので、夏休みがあったし、公務員の図書館勤めになってからでも、当時は有給休暇のほかに、運用で1週間ほどの夏休みが取れた。公務員になった年の9月、北海道10泊の旅を終えて出勤したところ、私の席が無くなっていた!旅行中に、職場での部屋の大移動の予定が早まって、急きょ、引越しで大変だった由、私の机・椅子も私物もすべて上司たちが運んでくれたとのこと。とんだ新人だったわけである。しばらくは神妙にしていたのだが。大学時代から短歌サークルに入り、いわゆる短歌会(結社)の会員にもなって、月々の東京歌会のほかに、短歌の仲間との研究会や歌会と称して一泊旅行に出た。入会した短歌会では全国の支部の持ち回りで全国大会を開催するので、それにもよく参加した。開催地にあわせて、その前後にひとり旅をすることも多くなった。1960年代後半から1970年代にかけては、毎年のように参加していることが一覧表を作成してみて分かった。いまでも、その全国大会は続いているが、私は、1992年を最後に参加することをやめてしまった。会員も高齢化しているし、指導者は代替わりをしてしまって、すっかり腰が重くなってしまった。今では、短歌作品は欠詠しないように、そして、時々時評や論文を書かせてもらっているという関わり合いが精いっぱいというところだろうか。
旅行記録2(1958~1974) *単独旅行
1958年 |
3月高校卒業、4月より予備校に通う |
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1959年 |
4月大学入学 12月母死去 |
12月父と日光・鬼怒川 |
1960年 昭和35 |
P短歌会に入会 |
4月父と佐原・香取神宮・牛久・銚子 7月立山・剣岳・黒部登山教室(大学一般体育) 8月次兄と金沢・能登・東尋坊・京都 12月蔵王スキー教室(大学一般体育) |
1961年 |
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8月父と山陰(鳥取・松江・萩・広島・尾道・倉敷・京都・大阪) 10月奈良・熊野・新宮・志摩* |
1962年 |
この頃より、一人旅を始め、もっぱら各地の国民宿舎・ユースホステルを利用した |
8月団体九州ツアー(全国修学旅行協会)(鹿児島・熊本・長崎・福岡) 9月京都(修学院離宮ほか)* 11月岡山(水島・鷲羽山・倉吉)香川(屋島・金毘羅)*
12月蔵王スキー教室(大学一般教育) |
1963年 |
3月大学卒業、4月G大学職員として勤務 |
6月職場教職員と沼津・三津浜
9月河口湖・西湖・小淵沢・足和田村・本栖湖・小諸・菅平・軽井沢* |
1964年 |
6月職場教職員と修善寺 8月職場の友人たちと軽井沢 東北(弘前・秋田・角館・平泉・盛岡・新庄・酒田)* 9月父・父の友人たちと軽井沢・四万・湯ノ平・湯沢温泉 | |
1965年 昭和40 |
3月退職、4月図書館職員(国家公務員)となる
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6月父と房総(小湊・館山・養老渓谷) 9月北海道(函館・大沼・洞爺・美瑛・釧路・阿寒摩周湖・知床・襟裳)*
10月父と和倉温泉、黒部渓谷・高山・犬山 |
1966年 |
2月職場から菅平(スキー) 8月書道部合宿館山 | |
1967年 |
8月小浜・鳥取・倉吉・奥津温泉・神戸・小豆島*
8月短歌会全国大会(須磨) 9月父と下田・河津・天城峠 | |
1968年 |
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5月鹿教湯・上諏訪* 8月短歌会全国大会(九段会館) |
1969年 |
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8月短歌会全国大会(飯田市) 12月葉山* |
1970年 昭和45 |
12月24日父死去 |
8月万博・多武峰・明日香村・十津川・熊野* 短歌会全国大会(高野山) 9月父と那須高原 10月職場から四万温泉 |
1971年 |
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4月G大学旧教職員と金沢大学(N学長)へ、バスで能登半島めぐり 8月那須温泉(歌会) 8月短歌会全国大会(天理市) 奈良・京都* |
1972年 |
1月池袋の生家から川崎市登戸に転居 5等級研修(山中湖)出張 |
6月大山(ポトナム相模支部記念歌会) 9月職場から湯ノ平温泉・花敷温泉 11月小泉苳三十七回忌記念歌会(京都) |
1973年 |
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5月さんふらわあ号で、高松・善通寺(Yさん)・松山・高知(Oさん、S先生)* 9月同僚Iさんと八方尾根・上高地 9月職場から新甲子温泉 10月次兄と佐原祭り・香取神宮 10月宮城県へ、A先生歌碑除幕式(中田町石森) |
1974年 |
5月京都・明治村*
7月短歌会全国大会(篠山) 8月大学MゼミOBと自由民権の旅(山形大学・蔵王・山寺・喜多方・会津) 9月職場から梅が島温泉 |
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