NHKスぺシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか4―開戦・リーダーたちの迷走」(3月6日)を見たのだが・・・みんなで責任とらねば、怖くない?
資料への向かい合い方
前週に続く、シリーズ第4回になる。今回も、番組の核になっている、あらたに発掘された「証言テープ」の説明がまったくなかった。明快とは言えないながら、前回は若干の説明があったのだが、メディアとしてはフェアとはいえないのではないか。取材源の秘匿とは違うだろう。
番組構成としては、開戦への経過を時系列でたどりながら、随所に、軍人・政府の要人の各様の証言が断片的に流され、解説や、コメントが入る。同一人物の証言が何度も、当時の肩書付きで登場する。そして彼らの誰もがその国力の差を知っていて、日米開戦に向かうべきでないと考えていたにもかかわらず、開戦に至ったのはなぜか、という問題設定である。陸・海軍の思惑の違い・駆け引き、日本の中国からの無条件撤退を条件とするアメリカとの外交上の駆け引きのあまり、誰もが決断の勇気を持たないまま開戦に至ったという流れであった。証言自体の信憑性は、証言の時期や環境によって大きく左右され、多くは自分に不利な証言を避ける恣意が働くのは当然のことだろう。それをさらにメディアの都合できざみ、つなぎ合わせて、出て来るものには限界がある。 それよりも、“見つかった”証言テープのこれという人物の、特定の人物の証言をフルにナマで流した方が、その信憑性を含めて、資料としての評価ができるのではないかと思う。
開戦までの日米交渉のあらましは、国立公文書館「アジア歴史資料センター」作成の「インターネット特別展 公文書に見る日米交渉」や公刊されている「杉山メモ」などでも見られるのだが、少なくとも今回の証言と上記の記録や基本的な研究との照合、精査の結果をきちんと踏まえれば、「迷走」という表現はとりえなかったのではないか。
問題設定の仕方
ここでは詳しく述べないが、「リーダーの誰もが開戦には消極的だったのに、なぜ開戦に至ったのか」という、局所的で一面的な捉え方、そして、陸・海軍同士の抗争やこの時期に限っての外交の拙劣さや決断の無さが強調されるけれども、果たしてそうだったのだろうか。これには、明治以来の日本の植民地政策や天皇制が深くかかわっているのにもかかわらず、番組では触れることがなかった。とくに「大本営政府連絡会議」と御前会議、天皇との関係が無責任な決断の一つのカギであったはずだ。研究者の断片的なコメント、素人でもできそうな発言を取り入れるのではなく、日本の近現代史研究の成果を踏まえて、論議の分かれるところは両論併記の形で進めてくれた方が、問題点、論点が明確になるのではないかと思う。それがメディアの働きというものだろう。研究者、専門家のコメントは番組のアクセサリーでも、権威づけでもないはずだ。視聴者を侮ってはいけない。
お笑い芸人たちをやたらと報道・教養番組に起用し、シナリオ通りの発言をさせることが親しみやすい「みなさまのNHK」だと勘違いしたりしているのと根っこは共通のような気がする。
今回の東北関東大震災報道における救助・避難対策、原発事故対応などについても、メディアの任務は大きいはずである。政府や企業とともに一方向に向かうのではなく、被災者や国民の安全確保をめざし、国際的視野での報道を望みたい。
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コメント
「なぜ日本人は戦争に向かったのか」は真実を隠した軍やマスコミのやり方を思想を入れないでで作った本として評価できます。
近衛公が生前に語った言葉で「軍人の考えの奥に共産主義思想がある」と、言ったそうですが、統制好きで単純な軍人であった東條首相が何とか乗り切ろうとした問題。 常識で考えれば戦争は出来ないことを陸軍の軍人でも認識し得たはずです。
その考えは攘夷思想が強かった幕末にも似ています
しかしながら戦争の行方を長州や薩摩の出身者で作った明治政府は知っていました。
例えば旅順攻略は結果的には日本の方が圧倒的に戦死者が多く、負け戦なのに当時の軍人は「勝った」と評価し
ています。
マスコミの売らんかなの姿勢は現在も代わっていません。 戦後は政府の無能を責めることで部数を増やして
います。
何でも飯の種にするマスコミや思想家は恥ずべきです。
当時の軍人には「必勝の信念」さえあれば勝つという。
客観的な見方を排した暴論が支配していました。
投稿: 江戸の隠居 | 2011年4月 4日 (月) 12時35分